【秋029】むしろ自転車のカゴを壊してほしかった
「あ、
部活終わり。今日は早めで十七時を回ったところ。まだ日は暮れていない。
微妙に薄暗い校舎裏の駐輪場でぎゅうぎゅうに詰められた自転車の中から自分のを引っ張っていると、カラカラと自転車を押す
「うん」
「カメラは?」
彼の短い質問に、自転車のカゴへ入れていたカメラバッグをポフッと叩く。
「ある。持って帰る」
それに返事をすることなく、丹波くんは自転車に乗って正門へと走り出した。
わたしはちらりと裏門のほうを見て、それから、サドルに跨がる。カメラバッグを背負った彼の背中を追いかける。
わたしたちは互いの写真を撮ったことがない。
わたしたちは互いをニックネームで呼ばない。
互いにとって確かに特別なことで、でも結局はわたしの自己満足にすぎないもので。
そう、丹波くんにはどうでもいいことらしかった
「ほらあの子だよ、タンタンの彼女」
「えっどれ? あー、放送部の!」
「一年生じゃん。やるぅ」
昼休みはたいてい屋上に続く階段の踊り場で、写真部のみんなで食べるのが習慣だ。とはいっても決まりではないから面子にはバラつきがあって、今日は女子だけだった。噂話が始まるのは必然だろう。
対象が丹波くんというのが、予想外なだけで。
「へー」
わたしも興味深そうに相槌を打ってみる。内心は興味深いなんてものじゃないけど。
「ホッチ、彼ぴ取られちゃったじゃん、悲しいねぇよしよし」
「や、付き合ってないし」
頭を撫でてくる手を払う。
……興味深いなんてものじゃない。わたしは丹波くんに彼女ができたことすら知らなかった。文化祭の展示準備で、ここ最近は毎日のように会っていたのに。
「女心と秋の空っていうのにねぇ。よしよし」
「あれって昔は逆だったらしいよ」
「え、男心? まんまじゃん。ほーらよしよし」
執拗に撫でようとしてくる手から逃れつつ、「だから違うってば」と否定する。わたしたちは本当に付き合ってないし、彼女たちもそう言ってからかっているだけだ。
「彼女、できたんでしょ? わたし、関係ないもん」
緩むのか、下がるのか、わからない。だからわたしは、ぎゅっと眉を寄せてしかめっ面をした。
そんな昼休みの会話を思い出していたら、舌の付け根あたりがじくじくと痛い。痛みを無視して、ギアを五まで上げた。
ひょろっこい癖に、意外と丹波くんは力がある。上り坂になると決まってスピードが上がるから、わたしは重くなったペダルを強く踏み込む。丹波くんの背中を追いかける。
放課後、帰り道、二人きり。
一つだけ嘘だ。帰り道じゃない。わたしの家は正反対、高校の正門を出た時点で逆方向。もはや寄り道ですらないのだ。
県道を二本越える間に、町はすっかり夕景に馴染む。
そこは再開発工事が長い間止まっている土地。広くて、雑草がたくさん生えていて、でも今の季節はススキが景色をオシャレに見せている。わたしの好きな場所だ。
西日が穂に当たり、空にコントラストを生み出していた。
「ん、やっぱ綺麗」
「豊沢さんのほうが綺麗だよ」
流れるような丹波くんの嘘に、わたしは満点呆れ顔で溜め息をついた。内心はどうあれ、ここで恥じらってはいけない。
なんてこともないふうに、ファインダーを覗く。また少し暗くなった夕景の中で、レンズを回して、赤ポッチが出てくるところを探る。
この現実の世界と、わたしの表現の世界が、混じりあう。
丹波くんも自分のカメラを取り出して、シャッターを切る。彼はとりあえず数を撮ってあとから選ぶ派だ。
二人分のシャッター音が空き地に響き、それは日が沈むまで続いた。
「じゃ」
見えにくくても慣れていればどうってことない。そそくさとカメラをしまい、サドルに跨がる。ひらりと手を振って、ペダルを踏み込んで――
「ちょ、っと」
「なにしてんの」
「帰るの。手、離して」
丹波くんの手がわたしの自転車のカゴを掴んでいた。こっちは体重をかけてるのに、ぐいっと引っ張られるとバランスが崩れてしまう。
「なっ、ちょ、危ないって」
「家、こっちだから」
カゴを掴んだまま、丹波くんは器用に自転車に乗り、わたしの家とは反対方向に進む。
「わたしの家はあっち! 遠回りしたくないんだけど」
「今さらじゃない?」
「や、それは」
……ここに写真を撮りにくるため。それだけじゃ、気弱なわたしが丹波くんの背中を追いかける理由には弱かった。
丹波くん自身がそれを望んでいると思えたから、思い込んでいられたから、追いかけられた。
こんなことを毎回してるなんて……そう、毎回なのだ。誰にも言えないくらい馬鹿げてる。馬鹿げててもよかった。
……でも、今日は。わからない、なんでこんなこと。一つ下の名前も知らない彼女に悪いなんて思いながら、今日も丹波くんの背中を追いかけてきてしまった。「聞いたよ、彼女できたんだってね」「おめでとう」――自分の気持ちを口にするよりよほど簡単なはずなのに、なぜか言えなかった。
わたしは――いや、ホッチは、「そういうのに疎い子」だから。
なら、いいんじゃないのって、甘えてるだけだ。カゴを引っ張ってくる、その手に。
丹波くんの家の近くまで行って、そこでようやく彼はわたしを解放する。
「じゃあね、豊沢さん。また明日」
「……うん」
街灯に照らされて、夜道を走る。学校から帰るよりもずっと遠い。
なにしてるんだろうって、思う。
でも、宵闇がわたしの心まで覆い隠してるみたいで、自分のことすらよくわからなくなる。
ギアを三に戻しながら、左手の指でベルを
掠れた鈴の音が住宅街にこすれて消えて、リィンと虫の声が返ってくる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます