【春029】譲れないこだわり
【譲れないこだわり】
「春巻きを食べたいと想ったのです」
「……餃子じゃ駄目だったのかい?」
「駄目でした。春巻きの気分でしたとも」
夕方、僕が仕事から帰ってきたとき、アパートの台所は危うく燃えそうになっていた。未遂だ。
どうにか台所を処理……片づけをして、僕は原因を作った妹を見下ろす。
妹はエプロンをつけて正座をしていた。
春巻きらしきものは、黒かった。世界の暗黒を固めた棒状の何かである。揚げを失敗したのだ。
どれぐらいの温度の油で揚げたのだろうかとなるが説明書きは読んでほしい。妹。レシピ通りにやればなんとかなるんだ。
なんとかなるはずなんだ……パックの後ろの方に書いてあるし、表かもしれないけれども。
「焼き春巻きとか、ライスペーパーで生春巻きという手もあったよ」
「……わたしは、はるまきの、気分。だったのです!」
強調された。
大事なことなので二回言いましたとあるけれども、アレの元ネタは何なのだろうとなる。春巻きはスーパーで売っているすでに巻いてあるものを
買ってきたのはよい。皮を作るか買ってくるかしてから具材を詰め込んであとは火を通すなんてことを妹はしない。
何故ならば春巻きが食べたいとなっていても、そこまでの労力を彼女は使えないからだ。
料理というのは労働なのである。
「分かったから、僕が作るから」
「お兄ちゃんと食べた春巻きが美味しかったので」
春巻きをいつ食べただろうとなるが、去年の冬や、春先のことだろうとはなる。春巻きは美味しいので僕たちはよく食べるのだ。
僕は目を細めた。
「落ち着いたら、いつか食べに行きたいね」
「いつかね」
いつになるだろうかとなるけれども、まずは生活を落ち着かせることが先決だ。
あの店と言ったのは僕がバイトをしていた町中華である。高校を卒業した僕は、就職して妹と共に家を出た。
家は世間一般の風潮に合わせるとそれなりの家庭だったのだけれども、毒親の家庭だった。一言で毒親とまとめておく。僕と妹の遺伝子の元は
それこそ、ろくでもない奴だった。僕と妹は三つ違い。僕が就職して、妹は高校生で、家を出ることを計画して家を出た。
バイト先の町中華の賄いで胃を満たしていたし、妹も食べさせてもらっていたし、町中華の老夫婦はとてもいい人たちだ。
あの店がある町は僕たちの故郷だけれども、両親がいるということである。見栄を気にしすぎる母親に母親の言いなりの父親、
それに僕らは振り回された。これからも苦労するだろうとはなる。断定的なのは情報を集めていたらこの手のタイプは苦労を掛けてくると
いうことが分かったのだ。親子の縁というのはややこしいものだ。
「春巻きは作り直そう。材料を買って。揚げずに焼くから。出来ているものでもいいけれど、一から作ってもいい……とは言ったけれど、
一から作るのは休みの日にしよう」
「そうだね。わたしも無理しない」
「……頑張ったことは認めるよ」
「認められた」
「説明書きは読もうね」
認めるところは認めておくのだ。
母親は僕たちを認めてはくれなかったというか、あの人は自分の理想図に僕たちを押し込めようとしていたからなとなる。
台所を片付けて、僕は妹と共に外に出た。まだ近所のスーパーは営業をしている。エコバッグも持ったし財布も持った。
新生活が始まる季節、これからどうなるか不透明だ。人間はネガティブに考えてしまうものらしい。
僕は振り払うことはなく、ネガティブなことを受け止める。
「新生活が凄く自由です……」
「恵まれたね」
家を出るための計画を立てて、味方を作って、家を出た。家を出られた。無計画で出ることも出来たかもしれないけれども、計画は立てた。
衝動的に出るよりも確実さを僕は選んだ。隣を歩いている妹は長かった髪の毛をバッサリと切って、隣を歩いている。
髪の毛だって母親に強要されていたからだ。
恵まれた。
こうして自由を得られた。妹も一緒だ。三年も妹は耐えることが出来なかったのだし、出来なくても無理はないとなる。
「お兄ちゃんありがとう。わたしを出してくれて」
「どういたしまして。お前も頑張ったから」
スーパーで春巻きを買いなおして、焼いて食べよう。ラーメンやご飯があってもいい。
春。
日の光はこれから伸びていくだろうし、気温も暖かくなっていくだろう。暑くなっていくというべきだろうか。
とても心地よい。
不安もあったけれども、あるけれども、僕たちは自由を謳歌している。
【Fin】
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