【春030】ランチタイムに愛を込めて
恋人がインスタを始めたのはいつだったか。
小さなIT系企業に新卒で入社して一年が過ぎようとしていた。ぼんやりと時計を見上げた
インスタで相模の恋人が投稿しているのは弁当の写真だった。いや、別にいいのだ、インスタに弁当の写真をあげたって。問題は「いいね」をもらうたびに張り切った恋人が、弁当をあらぬ方向へと進化させていったことである。
昼食のために開放された会議室で、三人はいつものように並んで席に座った。今朝弁当を手渡されたとき、恋人が嬉しそうに「今日は春をイメージしてみたの」なんて言っていたのを思い出し、相模は重い気持ちで蓋に手をかけた。すぐに色とりどりの小さな別世界が目の前に現れる。
切り込みを入れた薄焼き卵をくるくると巻いた花。ご飯の上には海苔とおかかが敷かれ、その上に桜の花の形にくり抜かれたハムが散りばめられている。メインの野菜の肉巻きの中心にはニンジンとインゲン。照り照りのタレが絡んで実に美味そうだ。ウインナーはもちろん、ミニトマトにさえも飾り切りが施され、ブロッコリーが鮮やかに隙間を彩っている。
インスタでは『彼弁』や『旦那弁』などというハッシュタグでいろんなキャラ弁が投稿されていて、相模もそれを覗いてみたことがある。そこには驚くほどバリエーション豊かなキャラ弁が並んでいた。
……が。正直なところ、会社でキャラ弁を喜んで食べる男の気が知れない。恋人の作る弁当はボリュームも
「愛されてるねえ」
そう言って覗き込む影山の手元には、自分で作っているという弁当がある。タッパーを埋め尽くすご飯とトンカツ、ゆで卵にポテトサラダ。シンプルイズザベスト。
「いいよなあ、相模は。毎日弁当作ってもらえるんだもんな」
「影山、お前それ本気で言ってる?」
「当たり前じゃん、俺なんて作ってくれる人いないし」
「ああね」
「なにその反応」
相模の反対隣りでは、須藤が黙々と大きな握り飯を頬張っている。
「手え込んでてすげえじゃん」
「そうかなあ、インスタの『いいね』のために犠牲になってる感ハンパないんだけど」
「いやいやいや、愛のなせるわざだね。弁当作んの大変なんだぞ?」
「ああ、うん。てか、影山のも須藤のもめっちゃ美味そうじゃん。そういうシンプルなのでいいと思わん?」
「っかー、ぜいたくな奴」
須藤の握り飯も恋人の手作りらしい。大き目の握り飯にはそれぞれ、唐揚げや卵焼き、それにお浸しなんかがぎゅうぎゅうに包まれている。具は日替わりで、焼鮭やきんぴらごぼうが入っている日もあった。きっと食べやすさも抜群だ。
――いいなあ。
相模は両隣りを横目に見ながら自分の弁当を食べ始めた。相模と影山のやりとりを、須藤は黙って聞いている。
翌日。いつもは握り飯だけの須藤が弁当箱を持っていた。
「めずらし、今日は握り飯じゃないのな」
「うん。相模がいつも可愛いの食ってるから、俺も頼んで作ってもらった」
「うそん、須藤もキャラ弁なの?」
相模が驚くと、須藤と影山は目配せしあって照れ臭そうに笑った。
「会社でキャラ弁って結構勇気いるのな」
「そうなんだよお、須藤わかってくれるかあ?」
相模が大げさに腕を広げてみせた。須藤がゆっくりと蓋を開けると同時に、相模と影山の歓声が上がる。
「うお、すっげえ」
「本格的~」
クマを模したいなり寿司がずらりと並んでいた。スライスチーズと海苔を駆使した何とも可愛らしい表情である。周りには
「俺も一緒に作ったんだけどさ、朝早くから大変だったぜ。片付ける時間なくてキッチンぐちゃぐちゃのまま家出たもん」
須藤が苦笑する。「わかる~」と相槌を打ったのは影山だ。
「そっか、須藤は同棲してんだよな。くっそ、リア充ども」
影山はぶつぶつ言いながら自分の弁当箱を取り出した。
「相模、見て驚くなよ、今日は俺もキャラ弁なんだぜ。どんっ」
そこにはタコさんウインナーがこれでもかと詰め込まれていた。飾り切りに見えないこともない
「え? これ?」
ぽかんとする相模、ドヤ顔の影山、笑いをこらえる須藤。
「顔付いてるし、タコさんだし、立派なキャラ弁だろ?」
「ん、俺のはカニさんだぜ」
確かに、須藤の弁当箱からはカニさんウインナーが顔を覗かせている。
「いやあ、俺にはこれが限界だったわ。二人ともいいよな、俺も可愛いの作ってもらいてえ。いや、弁当いらんから誰か俺と付き合って」
ぼやく影山の肩を、相模が笑いながらぽんぽんと叩いた。三人は学生時代に戻ったように、あーだこーだ言い合いながらキャラ弁を食べる。
残念ながらキャラ弁ブームは続かなかった。でも、相模はもう恥ずかしいなんて思わない。いやむしろ嬉しかった。恋人の想いも、影山と須藤の気持ちも、全部。
その日の昼休み、暖かな陽気に誘われて三人は外で昼食をとっていた。相模はいそいそと弁当箱の蓋を開ける。ころころしたパンダのおにぎりと目が合い、思わず笑みがこぼれた。
「愛されてるねえ」
弁当を覗くたび影山はいつも同じセリフを繰り返す。相模は笑った。以前はからかわれているようにも感じたものだが、今はなんだかくすぐったい。
「俺、結婚するわ」
妙に気持ちがふわふわして、相模は思わず口走った。
「え? え? マジ?」
「おめでとう?」
影山がヒューッと口笛を吹いた。
「いつのまにプロポーズしたの?」
「これからする」
相模はにやりと笑った。
「『これからも毎日君の料理が食べられたら幸せだな』って言う」
「おおっ」
「いいんじゃない? 頑張れよ」
「おう」
相模は二人とグータッチを交わした。最近は恋人と一緒にインスタを眺めるのが日課だ。次に作る弁当をリクエストしたりもする。にやける顔を隠すために、相模はハート型の甘い卵焼きを口に入れた。
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