【夏021】つなぎ星
赤き南星の脈打つ日
山際去るは
褪せぬ記憶に灯った火
彼の人帰る 道しるべ
疾く遠く飛ばせ つなぎ星
「とーく、とーく、とーばーせ! つーなぁぎーぼし」
木の下闇に子供らの甲高い歌声が響く。その中にひと際高く細い声を見つけて、マチは小さく笑った。
(ケント、ずっと駄々をこねてたけど、ちゃんと教わったんだ)
よかったよかったと、笑いつつも安堵する。今年で十三になった彼女には、祭の準備として行う裁縫の手伝いや歌の練習をつまらなく思う気持ちより、幼子にそれらを教える大変さのほうがよくわかった。とりわけ、想い人の息子であるケントに歌を教えていた彼の気持ちは。
「褪ーせーぬ、きーおくにぃ……」
マチも口の中で囁くように歌った。生い茂る葉をかき分けて、けもの道を進んでゆく。ところどころで太い木の根もとを覗き込みながら。
「おぅい! ヌァヌァの巣があったぞぉっ!」
茂みの向こうから爺のしわがれ声が聞こえて、その言葉に子供たちがわぁっと駆け寄っていった。
ヌァヌァは綿毛に似た白く長い毛を持つ小さな魔物である。といっても害はほとんどない。木の根もとに巣を作り、少しばかりの魔力を奪うだけの弱い生き物だ。あまりに増えすぎると森が駄目になってしまうこともあるが、人里に近い森ではまずないと爺が言っていたことをマチは思い出す。
(だから、この時期に捕まえるだけでいいんだっけ)
毛をゆらゆら動かしながら飛ぶヌァヌァは「つなぎ星」と呼ばれ、あの世とこの世を行き来できると信じられている。ゆえに二つの世界が最も近づく夏至の夜、故人がこの世に残していった生前の思い出を返すために、人々は思いを込めたヌァヌァを飛ばす。そうして少しずつ、別れを実感し、認める。
マチは帯に挟んでいた小刀を取り出して傍らの木に印をつけた。一つ頷いてから走り出す。
「マチ、遅いぞ!」
茂みを迂回し人の集まりが見えるところまで出てくると、一人の青年がマチに気づいて手を挙げた。
「なにトウゾウ兄さん、そんなに大きな巣だったの?」
「そうじゃない。お前にもヌァヌァが要るだろう?」
首を振ったトウゾウは子供らのたかる木へと目をやる。視線の先には張り切ってヌァヌァの巣を覗くケントがいて、その勇ましくも微笑ましい様子に彼の目が優しく細められた。
優しさを宿したまま、トウゾウはマチに視線を戻す。
言葉はなくとも、そこに込められた思いは痛いほどに伝わってきた。それが自分にも向けられていることが、マチにとっては嬉しくもあり、悲しくもある。
「……うん、そうだね。母さんとの思い出、たくさんあるから。大きいの捕まえなくっちゃ」
優しい瞳が歪みそうになるのを、マチは撫でることで止めようと手を伸ばしかけて、やめた。トウゾウの後悔をマチが代わりに背負うことも、和らげてあげることすらできない。十も歳の離れた従妹には、なにも。
(トウゾウ兄さんは、……ううん、誰も、悪くないのに)
去年の暮れに流行った病によって何人もの村人が命を落とした。出産経験のある女性は特に重症化しやすく、皮膚がひどく爛れる。マチの母親も、ケントの母親も、そうだった。マチ自身も母親から病気をもらったが、高熱と吐き気が数日続いただけで、回復した。トウゾウたち村の若者らが街で見つけてきた薬のおかげで、助かったのだ。
しかし、重症の者には効かなかった。村で一人の医者は「病が途中で変質してしまうのかもしれない」と言っていた。
トウゾウは皆を助けられる薬を持って帰ってこられなかったことを、特に、ケントの母親を助けられなかったことを悔やんだ。
「……ケントをよろしくって、頼まれたんだ」
村から流行り病が消えた日。それは、ケントの母親が息を引き取った日だ。赤く腫れた目を隠しもせず、トウゾウは状況を飲み込めていないケントを抱きかかえながらそう言った。
まさかとマチは思った。親のない子供は親戚の家で育てる、それが暗黙の了解であるはずだ。他人が育てることで生じる負担や責任問題のこともあるが、子はやがて働き手になる。家族の生活を支える者は一人でも多いほうがいい。
しかし同時に、マチはトウゾウが本気であることにも気づいていた。どのような話し合いがなされたのか、細かいことはわからないが、実際に彼は今、村の外れにある小さな空き家を借りてケントと二人で暮らしている。
ケントは初め、母親がいなくなったことに混乱し、ふさぎ込む姿をよく見せていた。突然奇声を発しては、村中を転がりまわることもあった。
だから年相応の無邪気さを取り戻し、こうして母親のためにヌァヌァを捕まえさせることを可能にしたトウゾウの献身に、皆は感心したものだ。ケントの母親もそれを期待していたから、大事な息子を託したのだろう。子を守る親としては正しい選択だったとマチも理解できる。
ただ、痛みを我慢するような表情をトウゾウが見せたときに感じる、喉の奥をぎゅっと絞るような痛みが、マチに納得を許さなかった。
赤い明星が、一年のうち、最も高く輝く夜。村では星を模した大きな火を焚く。皆が濃紺の装束に身を包み、ヌァヌァを入れた籠を持つ。
低い声で爺が歌い始めたのを耳で捉え、マチは自らの腕の中にある籠を見下ろした。
「母さん、わたし、ちゃんとやってるよ」
もう幼くはないが、マチもまだ母親に頼ることを許される年齢だ。胸に抱いた思い出を返しきるには何年もの時が必要だろう。それでも少しずつ前を向き、生きてゆくしかない。
でも、とマチは並んで揺れる二つの影を視界に入れる。
(トウゾウ兄さんのためにケントの母さんが残したものってあるのかな)
ケントの父親を、この村の誰もが知らない。トウゾウの後悔は積もり続け、高くそびえ立つ苦い思いばかりが残った。楔のようなそれを、彼がヌァヌァに込めて飛ばすことはしないだろうとマチは確信している。ケントを通して、今もなお彼女に尽くしている人なのだ。
「……疾く、遠く、飛ぉばーせ、つーなーぎ星」
だからマチは祈る。ヌァヌァが思いを運ぶなら――。
誰にも渡せない悲しい記憶も、どこか遠くへ運んでくれやしないかと。
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