【夏020】何かと絡んでくる偉そうな女子と満を持して青春した話

 朝っぱらから僕は、自転車をかっ飛ばしていた。後ろには同じクラスの朝日奈あさひな結愛ゆあが乗っている。なぜこんなことになったかというと、遡ること10分前。


 駅で僕が来るのを待ち構えていた朝日奈が、「このニュース、見た?」とスマホの画面を見せてきた。

 そこには、『篤見海岸でネッシー目撃される』の一文がある。篤見海岸というのは、僕らの住む町から徒歩30分くらいの海岸だ。

 朝日奈さん、と僕は口を開く。

「ネッシーっていうのはネス湖で目撃されたからネッシーなわけで、篤見あつみ海岸で目撃されたならそれはアッチーとかそういう個体名になると思うよ」

 行くわよ、と朝日奈は言った。僕に拒否権はなく、すぐさま自転車をかっ飛ばすことになった。大体こんな経緯である。


 初夏とはいえ、暑い。

 不安定な空は太陽を隠したりお目見えさせたりを繰り返しており、いつまでも続きそうな坂道は暗くなったり明るくなったりした。濡れたアスファルトがキラキラ光って、僕の視界に溶けていく。


 自転車を必死に漕いで坂を上りきったその時、にわかに雲が離れていって太陽は完全に姿を表した。


 海が見える。

 空の白みがかった青とはまた違う、重たく深い青が広がっている。


 道は下り坂に転じ、自転車は加速する。ペダルから足を離して、ブレーキを握った。後ろの朝日奈が、僕の腰に回した手に力を込めている。なんだかんだいって朝日奈がこわがりなことを知っているし、僕はとりあえず「海が見えるよ」と言って彼女に顔を上げさせた。


 防波堤の上に自転車を停め、僕たちは海岸に下りる。

 先を歩く彼女の背中を見ながら、僕は携帯電話を耳に当てた。着信が数件入っていたのだ。

『お前、今どこだ』

 電話が繋がるなり相手は言った。僕たちの担任である。「海です」と僕は答えた。

『体調は?』

「すこぶる元気です」

『嘘でも体調不良とか言えよ。サボりだな?』

「人聞きが悪いですね。今、大自然から大事なことを学んでるんですよ」

『あのなあ、サボりならサボりで、連絡ぐらい寄越せ。心配するだろ』

「すんません」

 電話を切り、僕は近くの自販機で飲み物を買う。正直、後ろに人を乗せてここまで自転車を漕いでくるのはつらかった。


「ちょっと! 何ちんたら飲み物なんか買ってんのよ。早く未確認生命体を探すわよ! こっちはこんなとこまでわざわざあんたと青春しに来たわけじゃないんだからね!」

「さっき先生から電話かかってきてサボりだってバレた」

「あたしは朝一で電話したわよ。体調不良で休みますって」

「ずるいじゃないすかぁ……」

「よかったわね、担任がそーじろ先生で。他の先生だったら親に連絡行ってたわ」

「それはマジでそう」


 とにかく行くわよ、と僕は袖を引っ張られる。朝日奈は靴と靴下を脱いでおり、素足だった。僕も靴が濡れた時のだるさを考え、同じように素足になる。

 平日だからか、人の影はまばらだ。そもそもネッシーなど信じて見に来る物好きもいないだろうが。

 僕たちは波打ち際をゆっくり歩いた。足の指先が砂に埋もれ、初夏とはいえ熱かった。水の温度が心地よく、妙に遠くを見たりして、夏だなと感慨にふけった。


「いないわね、アッチー」と朝日奈が言うので、「何? アッチーって……」と僕は怪訝な顔をする。朝日奈は一瞬黙って、何も言わずに僕の膝裏を蹴った。


 朝日奈はそのままの勢いで、僕の片手に握られていたペットボトルを奪取する。止める間もなく彼女はそれを飲み干し、深く息を吐いた。

「右手が空いてんじゃないのよ」

 そう言って、朝日奈は左手を差し出してくる。


「何してんの、早く」

「早く、って……」

「こっちはわざわざあんたと青春しに来てあげてんだからね! さっさとしなさいよ」

「さっきは『わざわざあんたと青春しに来たわけじゃない』とか何とか」

「は?」

「何でもないです。僕幸せです」


 恐る恐る、朝日奈の手を握った。彼女の手はこの暑い季節にひときわ熱く、なんだか僕の体も燃えるような気がした。

「朝日奈さん、」

「何よ」

「僕たち、付き合ってるんですかね?」

「何? よく聞こえないんだけど!」

 彼女の顔は真っ赤だ。僕たちは何となくまた歩き出す。


「いないっすね、未確認生命体」

「そうね」

「未確認生命体って確認されたらなんて呼べばいいのかな」

「確認済生命体でしょ」

「つまんなくなるね」

「別につまんなくないわよ。確認できれば、仲良くできるじゃない」


 結局僕たちは海岸の端から端まで歩き、海を見た。蝉は馬鹿みたいに鳴いているのに、僕たちの世界は静かだ。

 滴り落ちる汗がむず痒い。

 彼女の歩幅に合わせて歩いていると、なんだか時間の流れがいつもと違うような気さえする。


「朝日奈さん、付き合ってもらっていいですか」

「どこに?」

「朝日奈さん、好きです。僕と付き合ってください」


 朝日奈が立ち止まる。

 潮騒が聴こえる。静かでやまかしい波の音が。

 彼女は耳まで真っ赤にさせながら、「うーん」なんて悩む素振りを見せた。焦らすように「どーしよっかなー」と腕組みし、ちらりと僕の顔を見る。


「いーです、よ?」


 どうして突然敬語なんだろうと思ったが、どうやら了承いただけたようだった。僕は何だか茶化してしまいたくなり、だけど僕なんかよりずっといっぱいいっぱいの朝日奈の顔を見てやめた。僕は僕なりに本気で、ここまで来たら彼女から愛想をつかされるまでは人生をかけようと思っていた。一応そういうつもりの告白だった。

「一応そういうつもりの告白ですよ」

「どういうつもりよ? なんか端折って言ったでしょ」

「大事にします、ってことです」


 朝日奈は目を丸くして、それから顔を背けながら「ふーん」と言う。しばらく顔を見せてはくれなかった。


 結局ネッシーだかアッチーだかは見つからず、僕たちは日が落ちてきた道をまた自転車に乗って帰った。僕の腰にぎゅっと抱き着いている朝日奈は、朝来たときより妙に遠慮がちで、僕もちょっとそわそわした。


 夕焼け小焼けの音楽がどこからか流れてくる。気まずいような、照れくさいような、だけどいつまでもこの道が終わらなければとそんな風に思っていた。


 次の日、学校で僕だけ担任にこってり絞られた。それだけはなんだか納得がいかなかった。

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