【夏006】クラスメイト【ホラー要素あり】

 裕大が死んでいる、と告げたのは美奈だった。


 私たちは美奈に連れられ、それを確認した。どうやら裕大は斜面で足を滑らせ、近くにあった岩に頭をぶつけたようだ。血を流して倒れていた。山を登り始めて、およそ一時間のことだった。


 助けを呼ぼうにも、携帯電話は圏外だ。かれこれ一時間、私たちは迷っている。遭難していると言っていい。

 馬鹿げた話だった。この山は、子どもの頃に飽きるほど登った小さな山だ。遭難するほど高いわけでもなく、電波が届かないなんてこともまずあり得ない。


 そもそも三十を過ぎた男女がなぜ山登りをしているかと言えば、きっかけは私と怜の帰省だった。

 私たちはこのド田舎で九年間もの間、クラスメイトだった。上京していた私と怜がたまたま盆に戻ってきて、予定にない同窓会を始めたのだ。

 そして私たちは酔っていた。山に行こうと言い出したのは誰だったか、私の記憶では裕大だったような気がする。あいつが一番酔っていた。


 山に入った時には確かに夜だったはずが、すでに日が昇っている。真夏のじりじりした太陽に焼かれ、私たちは汗をだらだら流しながら山の中を歩いていた。どこまでもどこまでも山道は終わらない。

 ぽつりと、怜が呟いた。


「藤田の声が聞こえる」


 誰も、馬鹿にしなかった。怯えることもなかった。ただ淡々と、そういうこともあるかもしれないと思っただけだった。


 藤田優未というのも私たちのクラスメイトで、とても一生懸命な女の子だった。

 鈍くさくて怪我ばかりしているが、何があってもにこにこ笑っている。何とか私たちに追いつこうと、いつもそばにいる子だった。

 私たちはみんな、そんな藤田のことが嫌いだった。


 人間というのは何か理由さえあれば――――自分の中でそれを正当化できさえすれば、いつだって誰かを傷つけたがっているのだと思う。私たちは藤田のことを積極的に傷つけようとこそしなかったが、暗黙の了解として彼女を全員で嫌うことをよしとしていた。


 なんせ藤田は邪魔だった。それまで私たちだけでやっている分には何も問題なかった遊びが、藤田が加わることによって危険なものとして大人たちに取り上げられた。いつも鈍くさい藤田が追いついてくるのを待っている間に、私たちがすっかり白けてしまうというのが常だった。私たちにだって遊び相手を選ぶ権利はあったはずなのに、藤田のこととなると大人たちはみな『遊んであげなさい』『仲間に入れてあげなさい』と干渉した。藤田は私たちの自由を著しく害するものの象徴だった。


 ある日私たちがいつものように山で遊ぶ話をしていると、藤田も一緒に行きたいと言った。裕大が『危ないからお前は来るなよ』と怒った。裕大は私たちの中でも一番優しかったから、わざわざそう言ったのだと思う。しかし藤田はついて来た。

 私たちは難なく山を登っていき、誰も藤田のことを待ってやったり助けてやったりはしなかった。やがてみんな、藤田がついてきていること自体を忘れた。その帰り道、私たちは藤田が頭からも鼻からも血を流しながら転がっているのを発見した。

 あの日も本当に暑い日だった。耳に残るほど蝉が鳴いていたのを覚えている。

 私たちは顔を見合わせ、汗を拭った。みんな同じような表情をしていたと思う。無言だった。そして私たちは、藤田をそのままにして帰った。

 翌朝、藤田の死体は見つかった。


 あの日のことを、たぶん私たちは誰も後悔していない。だけど藤田がそれを恨んでいるのなら、それは順当だろうという思いもあった。


 歩いて行く。まるでシャワーを浴びたかのように髪先から汗が滴り、服は色が変わるほど濡れている。

「このままじゃ、熱中症で死ぬね」と美奈は言った。私もそれに同意する。大きな木の根元に腰かけ、汗を拭った。


 その後、いつの間にかいなくなっていた怜が木の枝から吊るされているのを見つけた。その完全な沈黙をもってして、私たちは彼の死を確認した。

 私と美奈は顔を見合わせる。どちらからともなく、手を繋いだ。


 歩き出す。そのうち、ぼろぼろの小屋が見えてきた。「懐かしいね」と美奈が呟く。子どもの頃、私たちが秘密基地としていた小屋だった。

 何となく、小屋に入る。私たちは一刻も早くこの日差しから逃げたかった。


 膝を抱えて、私は黙っている。美奈も自分の膝に手を置いて、「なんかさー、あんまり納得いかないかな」と呟いた。話しかけられたのかと思って顔を上げると、美奈はどこか見当違いの方向を見て喋っていた。


「藤田さぁ、あんたが勝手に一人で死んだだけじゃんか」


 なぜだか美奈は腹を抱えて笑い始めた。何かに足を掴まれたように体勢を崩す。

 見えない何かに引きずられて、美奈は小屋から消えていく。最後まで笑い声が響いていた。そうして不意に、声が途切れる。


“あそぼ”


 私は瞬きをした。

 藤田の声が聞こえる。

 煙たい。何か燃える臭いがする。小屋の中のボロボロのカーペットから火がついて、ドアの辺りが燃えていた。


“あーそーぼ”


 炎が揺れるなか、少女の姿が見える。いかにも鈍くさそうな、だけどニコニコ笑っている少女だ。

「やだよ」と私は言った。


「やだよ、あんたと遊んでも何も楽しくないもん。今日だって、せっかくみんながいたのにあんたのせいで何も楽しくなかったじゃん。ほんと、あんたがいると白ける」


 少女はぽかんとし、表情を失くす。

 それから、突然ヒステリーを起こしたように悲鳴を上げ、地団太を踏み、炎の勢いが増した。恐らくもう小屋から逃げ出すことはできないだろう。倒壊も間近だ。


 私はぼんやりとその様子を見ながら、あの日のことを思い出していた。

 転がっている藤田は、あの時微かに瞼を震わせて目を開けたのだ。生きている、とわかった。たぶん、それを見たのも私だけじゃないだろう。

 それでも私たちは藤田を置いて帰った。怖かったからじゃない。少なくとも私は、『まあいっか』と確かにそう思ったのだ。


 あーあ、と私は笑ってしまう。それから何だかちょっと気が楽になって力を抜いた。そりゃあ全員死ぬわけだ、と。

 でもいいじゃん、と私は藤田に言った。あんただって。


「私たちを見殺しにするの、いい気分だったでしょ?」


 最後まであの日と同じ、蝉の声が聞こえていた。

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