【冬028】夜空にねこ座がない理由

 空には星が多すぎる。

 目当ての星を探すのに、余分な星が邪魔だと思った者がいた。

 発端なんてその程度だ。



 タマリスは天井埋め込みエアコンの直下にて、吹き降ろす温風を一身に浴びていた。

 猫一匹にとって広すぎる室内には六基の天井埋め込みエアコンが設置されているが、横長の部屋の中央部下座側、ドアの直上に設置された天井埋め込みエアコンは、ドアが開いた際に室内外をやんわりと遮断するエアカーテンの役割も担う。そのため、他より強力な風力、暖かな温度設定が為されている。

 彼女、タマリスはこの風を、天井おろしと心の中で呼んでいた。


 多くの猫は、手の届く世界で最も快適な場所を探し当てる才能を持っている。彼女もまたそんな猫の一匹だった。

 この部屋の中で、最も暖かく、寝心地が良いのは疑いなくこの場所。扉の前だ。


 そして、窓のない豆腐の色形をしたこの小屋には、床面積と同じ広さの一部屋があるのみ。

 部屋の外に雪が降っていることを、タマリスはドアを開かずとも承知していた。


「こんな日に外に出るのは、愚か者のすることだねこ」


 鼻から抜けるように呟きながら、ドアの向こうから響く音に片耳を立てた。

 バタバタと、愚か者が駆けてくる音がする。


「タマリスチャン、大変ですわん!」


 内開きのドア前に陣取って丸くなる身。当然のこと、ドアを開けば木扉に閊える。

 ゴッ、と。深く響く衝撃にタマリスは跳び退いて毛を逆立てた。


「シロナス、ドアを開ける時は気を付けるんだねこ。急にドアを開けたら危ないんだねこ」

「タマリスチャン、気をつけるんですわん! ドアの前に寝てると危ないんですわん!」


 猫ならぬシロナスには、論理的な思考は難しいと見える。

 タマリスが渋々と、シロナスが部屋に入れるように場所を譲れば、シロナスは飛び付くように白い体を立ち上がらせた。


「そんなことより大変ですわん! タマリスチャン、部屋の外に出るんですわん!」

「早く部屋に入ってドアを閉めるんだねこ、シロナス」


 ドアを全開にしたままキャーキャーと喚くシロナス。

 タマリスは猫パンチでドアを閉じようとするが、大柄なシロナスの体躯をドアごと転がすほどの力はない。

 眉間に可能な限りの皺を寄せて、タマリスは尋ねた。


「で、何が大変なんだねこ」

「それが……その!」

「その?」

「何ですわん?」


 タマリスは鼻息を吹いた。

 シロナスは物覚えが悪いというか、物忘れが激しいというか、三歩歩けば物事を忘れるような所がある。


「忘れちゃったから、もう一度見てくるんですわん」

「戻ってこなくていいんだねこ」


 ドアが閉まるのを見届け、バタバタと騒がしい音が遠ざかるのを聞き、背を伸ばして両前足で鍵を掛け。タマリスは再びその場で丸くなった。

 それからはバタバタと駆け寄る音にも、ガンガンとドアを叩く音にも、軽く耳を動かすだけで、タマリスは眠り続けた。

 しばらくしてまた、バタバタと何かが離れていく音が聞こえ、ミシリと小屋が軋む音がして。

 タマリスは落ちてきた天井ごと、天から墜ちた巨きな物に押し潰された。



「うっ、うっ……タマリスチャン……」


 星の墜ちた土地の遥か上空をシロナスは羽ばたき飛び回る。

 赤く燃える星はタマリスの住んでいた小屋を押し潰し、星自体より幾十倍も大きな窪みを穿った。

 タマリスの住む白い小屋の室温は、シロナスには少し暑すぎる。余り中に入ることはないが、越冬地での友として、タマリスとは長年の付き合いもあった。

 初めに呼びに行った時に逃げていれば助かる道もあったかもしれないが、二度目に来た時にはもう、タマリスが全力で駆けても避難は間に合わなかっただろう。

 シロナスの言葉を聞いてすぐに逃げなかったタマリスが悪いのか、伝える前に三歩歩いて内容を忘れたシロナスが悪いのか。いずれにせよタマリスは未曾有の大災害により、跡形もなく消滅した。


 星の墜ちた跡地にはいつしか雨水が溜まり、新しい湖が生まれた。シロナスは毎年冬になるとその湖を訪れ、名も忘れた友を思ってキャーキャーと鳴いたという。

 やがてシロナスの子や孫が湖に満ち、シロナス自身は天に昇って星になったが、燃える星に焼き尽くされたタマリスの姿は夜空の何処にも残らなかった。



 これが現在の八十八星座に、ねこ座が数えられない理由と、その顛末である。


【どっとはらい】

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