【冬029】ラヂカルコールドスモーカー


 ダイヤモンドダストは冷たくない。


「熱源あり。約800メートル先」


 浮遊する水蒸気をたちまち凍らせるほどに空気そのものが冷たいのだ。


「毎時500メートルで北東へ移動中」


 深く、蒼く、世界は冷たい空気に晒されて雪と氷に閉ざされる。


「この距離ならとっくに気付かれてるね」


 相方の吐息にもたっぷり水蒸気が含まれている。蒼くて白い凍てついた空の下、ふうと息を吐き捨てれば瞬く間に凍りつく。


「気付かれてるならさ」


 赤外線単眼鏡を胸ポケットにしまい、親指で弾くように水蒸気銃のボルトを起こす。


「ヤっちゃおうよ」


 ニヤリと吐く息が白く煙る。その白い吐息のせいであたしたちは『コールドスモーカー』と呼ばれた。




 北緯38度。それが人類の生存限界ラインだ。

 煉瓦色した巨大な廃墟から伸びる空中歩道に身を潜める。氷の柵壁があたしの胸まであって隠れるにはもってこい。

 白く濁る氷壁を背に巨大建築物を見上げると否が応でもメランコリックな廃した空気感に苛まれる。

 センダイ駅。ここより北にはもう誰もいない。

 ささやかな虚無感を味わおうにも、軽い銃声にそれはあっさりと吹き飛ばされた。残響と虚無は廃駅を覆う雪に染みて消える。ポインター役のミサゴだ。

 彼女のトリガーはやたらと軽い。早くも多脚機械と接敵したのだろう。いくら水蒸気銃の酸素弾は無限に補充出来るからって撃ち過ぎだ。銃身が凍り付いてしまう。

 前髪を押し退けておでこに居座っていたゴーグルを装着。ひやっと冷たい。サーマルモードオン。空気層の温度差を視覚化させると、蒼白い世界は青黒い視界へと変わった。

 ふと、凍った駅舎に振り返る。

 雪と氷に覆われて熱源はまったくなく真っ黒く映る巨大な建築物。昔の人が創り上げた凍える遺跡は南北へと新幹線専用高架橋に貫かれ、まさしく死に体のように悠然と横たわっている。


『シラサギ! ポジション取れてる?』


 ゴーグルのインカムからミサゴの弾む声。あの子はいつだって雪を溶かすようにはしゃぐ。あたしみたいに静けさに溶け込んでくれ。


「…、…」


 インカムマイクを二度タップ。ノイズで返信してやる。

 あたしは空中歩道の上。氷の回廊で待機中。ミサゴはデッキの下。猟犬よろしく囮として獲物を誘き寄せている。

 名残惜しく、巨大遺跡をもう一度よく見ておく。人類が狂った冬に追われて北緯38度線から撤退して十数年。かつてセンダイ駅と呼ばれた建築物は新幹線の高架とともに氷に封じられた。

 これだけ大きな廃墟だ。中の気密は保たれ、氷漬けになったおかげで建物として保全されているだろう。冷気さえ何とかできれば鉄道システムは生き返るはずだ。


『シラサギ! もう追いつかれる!』


 ミサゴの声に眼下を見やれば、激しい運動で熱を帯びた彼女の反射熱がオレンジ色を纏って踊っていた。

 マイナス40度の狂った冬。

 何もかもを白く埋め尽くし、蒼く凍り付かせる冷え切った世界に、幾重にも連なって跳ね舞うオレンジ色の人の形。

 その熱影に喰らい付くように、細長く突き立ち投影された何本もの熱源が鋭く蠢いている。多脚機械の熱影だ。

 雪と氷の上では車輪や無限軌道は役に立たない。移動を目的とした自律機械群はそれらを捨てて多脚式を選んだ。巨大なザトウムシのようなシルエットがミサゴを追う。それがあたしたちの獲物。

 氷の壁に躍るミサゴの熱。水蒸気銃の酸素弾が破裂する銃声をリズムに、飛び、跳ね、駆け、巡る。

 多脚機械が放つ単発の徹甲弾は空気中の冷気によって氷結して速度が極端に遅くなる。俊敏なミサゴなら目で見て躱せる。

 雪に舞うように身を捻り、背中を翻して氷に躍動し、ミサゴは多脚機械の銃砲へ水蒸気銃の連弾を浴びせかけた。凝固点を越えた酸素弾は砲身を凍らせてその弾道を歪ませる。それを溶かすため、機械はさらなる熱を必要としてバッテリーコアユニットを酷使する。熱源がさらに強く赤い影となって露わになった。

 空中歩道からでも氷越しにその熱源が見えるくらい。跳ね舞うミサゴを捉え切れず相当熱くなっているようで、もはや格好の的だ。

 サーマルモードのゴーグル越し、青黒く塗りつぶされた視界に躍るミサゴの熱の影。時にオレンジ色で、リズミカルな銃声を挟んで、時に黄色、反射熱はすぐに氷に吸われて青く消える。

 寒さに耐えて一言も発することなくじっと佇んでいたあたしの熱はとっくに冬に奪われて、機械にはあたしが見えていない。

 あたしは大きく息を吐き捨てた。

 呼気の水蒸気が一瞬で凍り付き、ダイヤモンドダストがデッキに散る。

 あたしの真下をミサゴが駆け抜け、多脚機械が通り過ぎる。そして多脚を止める。ダイヤモンドダストを感知したようだ。

 今。

 足元へ。凍ったデッキの向こう側。一発目。水蒸気ライフルのトリガーを引く。銃身が反動で跳ね上がる。金属音によく似た空気が急激に凍る音。ボルトを起こす。二発目。機械音が冬の獣の悲鳴のよう。射撃音が変わる。撃ち出された冷気がデッキを貫通してアスファルトを破る音。巨大な氷柱が機械に突き刺さる。振動で空中歩道が揺れる。跳ねる銃身を抑えつける。三発目。マイナス220度の凝固した酸素の弾丸が空気を凍らせる。冷気の氷柱は多脚機械のコアユニットをも貫通する。四発目。銃声が空中歩道にこだまする。デッキごと多脚機械を貫いた氷が軋む。もう機械音もしない。銃身が凍る。ふう。ため息と共にあたしはダイヤモンドダストを吐く。




 新幹線を再び走らせるため。あたしたちは自律機械群のバッテリーコアユニットを狩る。危険な狩りだけど、新幹線には膨大な電力が必要だ。

 かつてセンダイ駅と呼ばれた建築物より向こう側。マイナス40度を下回る極寒の世界は機械たちのエリアだ。あたしたちは新幹線でそこを突破する。人類のエリアを拡大するため。

 ダイヤモンドダストを吐くあたしたちは自律機械に『コールドスモーカー』と呼ばれ畏れられた。

 人類の冬への反撃はまだ始まったばかりだ。

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