【冬027】身をたへて春売りはてしその末の【性描写あり】

 白梅はくばいの気品は清らかに、散らさるるともけがされず。


 ◇ ◇ ◇


 その日はとても寒い夜だった。

 一日一日と年の瀬が迫ろうという頃である。梅作うめさくは、少し早く仕事を終え、住まいへ戻ってきた。


「よお」


 家の前に男が待っており、梅作に軽く片手を上げた。男は梅作の飲み仲間の松朗まつろうだった。


「なんだ早いな」

「そりゃ今日は白入しらいりだからな」


 白入りというのは、華宿はなやど、平たく言えば売春宿に、客の相手をする娘が新たに加わることをいう。宿ではこれを前もって宣伝し、その日は他の娘も安価で客につかせていた。


夕紅ゆうべにが他の野郎に取られる前に行かにゃあ」

「お前さんも好きだねえ」


 松朗が入れあげている娘の話を熱く語るのを右から左に、梅作はいつもの飲み屋へ向かった。無論、松朗も付いて来る。白入りの日は、宿がく時間まで、酒を飲むのが二人のつねであった。


 ◇ ◇ ◇


 梅作は、いつも松朗の付き合いで宿に訪れており、その度、暇娘ひまこの中から適当な娘を岩結いわむすにあてがってもらっていた。


「アンタも珍しい御人おひとだねえ」


 早々に夕紅を指名して奥へと消えて行った松朗とは対照的に、誰でもいいという梅作に、岩結いわむすは平坦な口調で話しかけた。

 この老婆は、客の好みをよく当てる。この宿に来る大抵の男は、二回目三回目には勧められた娘を気に入り足繁あししげく通うようになる。しかし、梅作にはどんな娘をあわせても、娘のために通うようにはならなかった。


「そうさねえ」


 梅作は、岩結の言わんとすることを汲み取るが、さりとて好みを口にはしない。その代わり、他人事のように呟いた。


「人に興味がなくてねえ」


 本当かどうかわからないような口調。

 岩結はそんな梅作を咎めもせず、奥に向かって一人の娘の名前を呼んだ。


「アンタの相手は白梅しろうめ。今日で勤めあがりの娘だ」

「そうかい」


 少しして現れた女は、青白い手で梅作を手招きした。

 勤めあがりというのは、借金を返し終わったり、金銭を必要なだけ得ることができたりと、理由は様々だが円満に宿を辞めることを指す。岩結は、稀にそういう娘を梅作につけていた。


 これまで梅作の相手をした勤めあがりは、どの娘も程度の差はあれ晴れやかな顔をしていた。だが、この白梅しろうめは物憂げな表情だった。娘と言うには歳を取りすぎているように見える。しかし梅作は別段気にせず白梅の後ろをついて歩いた。


「こちらへ」


 ある部屋の前で、白梅は中に入るよう促した。梅作はそのときはじめて白梅の声を聞いた。ハリのない低い声は、たった一言であったが、白梅のそれまでの苦労がにじみ出ていた。


 部屋には行灯あんどんが一つと煙管置きが一つ。そして布団が一組。必要なものだけが置かれた寒々しい部屋だった。

 今までに梅作が買った娘の部屋には、花や調度品が飾られ香が焚かれていた。白梅には興味がないのか、今日でしまいだからと片付けてしまったのか。梅作は前者ではないかと思った。白梅の雰囲気がそう思わせた。


 部屋に入り、少し考えてから、梅作は煙管置きの脇に座った。懐から煙管を取り出して火をつけ、一口吸う。梅作の後から入った白梅は、しずしずと梅作のそばに歩み寄り、そっと隣に座った。そらから、何かするわけでも、話すわけでもなく、ただ座っていた。

 静寂の中、煙がゆらゆらと登り、天井にあたってゆるゆるとほどける。障子の隙間から冷たい風が吹いてきた。


「俺はなあ」


 梅作は煙と一緒に言葉を吐いた。


「お前さんをどうこうしようとは思ってないのよ」


 全くもって、梅作は女を知らぬわけでも女に食指が動かぬわけでもなかったが、欲が沸かぬのに女に手を出すほど若くもなかった。


「だが、友人に付き合って一晩お前さんを買ったからねえ」


 こん、と煙管の中身を煙管置きの中に落とす。


「お前さんの身の上でも聞かせてくれんかね」


 白梅の顔を覗き見る。

 白梅は、何の感情もなかった。


「私の話になど面白いことはなにもないかと存じます」


 話したくないのか、本当に言葉通りなのか。


「それでも宜しければお話しましょう」


 低い声で白梅は言葉を続けた。

 そらからぽつりぽつりと、白梅は華宿へ来た経緯と今日までのことを話した。


 白梅は、借金のために売られ華宿へ来た。客を取るのは辛かったが家族のためと耐え忍んだ。ようやく返し終えて故郷を訪ねてみれば、前の年に大飢饉にみまわれ、土地を捨てた者達が野盗となって村を襲い、村は無くなっていた。周囲の町や村を訪ねて、同郷の者達を見つけるも、その中には家族も縁者もいなかった。天涯孤独で妙齢を過ぎた女を養うような物好きもなく、白梅は華宿に戻るしかなかった。自分の食い扶持を稼ぐ日々。それでもまとまった蓄えができたので、宿を辞め、街の片隅で一人気ままに生きようかと考えているのだという。


「小さな庭で野菜を育てて、猫でも買ってネズミ除けにしようかと思います」


 そう語る白梅の顔は暗く、これからの日々を楽しみにしているようにはとても見えなかった。


 ◇ ◇ ◇


 翌朝、寒さに目を覚ました梅作は、布団ではなく畳の上に寝転がっていた。体に掛けられていた綿入れ半纏はんてんに身を包みなおし、部屋を見回す。布団も行灯も煙管置きも全て綺麗に引き払われ、部屋には半纏に身を包む梅作だけがいた。傍に、昨日懐から出した煙管が転がっていた。手に取る。煙管の羅宇らうに一片の紙が巻かれていた。開くとそこにはところどころ掠れた墨で一首の歌が綴られていた。



『身をたへて春売りはてしその末のくらけきけふを思はざりけり』(死んでしまうかと思うような辛いことを絶えて、身体を売ってしまったその先が、こんなに暗い今日だとは思いませんでした)


 梅作はその紙を暫くじっと見ていた。そしてふところから筆を出し、白梅の歌の横に力強い字で書きつけた。


『春すべて売りはてしけふはくらからずなつともきとも思ふままなり』(貴女は身体を売ってしまったといいますが、その今日は暗いものではありません。懐かしく思うことも何も思わないことも、すべては貴女の心の思うままなのです)

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