【夏028】白妙さん【ホラー要素あり】
両親の都合で夏休みの間だけ、ばあちゃんの家で暮らすことになった。
おれはばあちゃんが苦手だった。
「あそこは近寄っちゃいけない家だ」
「どうして?」
「嫌われてるのさ。金持ちの別荘でね。夏の間だけやってきて、あんな服を偉そうに干したりする」
本当の苗字なんか誰も知らないのに、ここらの人は『
今日は何が干してあるだとか、あのワイシャツは高いだとか、村の人たちは声高に白妙さんの悪口を言い募る。おれは自分の部屋へ閉じこもりがちになった。冷房の効かない部屋で宿題を片付けて、スイカを頬張りながらゲームに勤しんだ。
どうしてみんな、見ず知らずの存在に冷たいのだろう。おれも陰口を叩かれているのかな。迷惑だ、両親が無責任だ、とか。こういうところが昔から苦手なのだ。ばあちゃんも、この小さな村も。
いっそ思いきり嫌がらせをしてやろうと、靴を履いて玄関を飛び出した。二十分も経つ頃には山道を駆けのぼって、白妙さんの屋敷の前まで来ていた。人間、ダメって言われたらやりたくなるもんだ。くだらない言い訳を飲み込んで、閉ざされた門の中を覗き込む。
古びた家だ。玄関前には車も停まっていない。けれどもベランダには人影があった。おれと同じくらいの年頃の女の子がひとり、退屈げに本を読んでいる。
「そんなとこで何してんだよ」
声をかけたら、女の子は驚いておれを見た。
「お留守番。みんな出かけてるの」
「ついて行けばいいのに」
「わたし、身体が悪いから」
女の子はたしかに細くて、顔立ちも青白い。もしかすると、別荘へ遊びにきたのではなくて、何かの病気を治しにきたのだろうか。興味と同情心がいっぺんに湧いて、おれは一生懸命に声を張り上げた。
「おれも置いてかれたんだ。父さんも母さんも仕事が忙しいってさ」
「じゃあ、同じだね」
「いつまでいるの」
「しばらくいるよ」
「またここへ来てもいい?」
女の子は顔を輝かせた。座椅子から腰を浮かせて、「うん。来てよ。待ってるよ」と叫び返してきた。
ああ。
おれ、この子のために明日も山を登ろう。
そう思えた。退屈なおれの田舎暮らしに、そのときはじめて一輪の花が咲いた。
おれは毎日、白妙さんの屋敷へ通った。
本当の名前はおれも知らない。女の子が名乗ってくれないから。
生まれつきの病を抱える彼女は、炎天下では倒れてしまうらしい。ばあちゃん家でのおれの過ごし方を聞かれて、おれは答えに迷った。ほとんど会話もせずに部屋に引きこもっている、だなんて言えなかった。
白妙さんの屋敷へ通っているのも、半分は苦手なばあちゃんへの当てつけ。残りの半分は好奇心と、ほんのわずかな同情心だ。
「今日もいないの、親」
「うん。忙しいんだって」
「なら、ちょっとは外に出ておいでよ」
「無理だよ。死んじゃう」
「外は楽しいよ」
さして愉快でもない自分の日常には目をつぶって、励ましの言葉を叫んだ。女の子は薄く笑って「死んじゃうよ」と首を振った。アイスみたいに色白な彼女は、実際、外へ連れ出せば溶けてしまいそうだった。
仕方がないから、おれたちは話をした。
来る日も来る日も。
自然と、話を盛る癖がついた。夏祭りにも行かなかったのに、さも盆踊りに加わってきたような顔で、それらしい踊りも披露してみせた。女の子は滑稽なおれのそぶりを笑ってくれた。
「ずっとこうしていたいね」
そういわれるとおれも有頂天になって、ずっと一緒にいたいと願う。けれども頑丈な門がおれの行く手を阻んでいるから、中へは決して入れない。もどかしい思いを振り払って、おれは彼女を笑わせた。うだるような夏の日々の経過も忘れるほどに。
夏も終わりに差し掛かった頃。
退屈な朝食のさなかに、ばあちゃんがおれを見た。
「白妙さんの屋敷に行っとるな」
おれは虚を突かれて箸を落とした。
どうして、バレた。
ばあちゃんの面持ちは鬼気迫っていた。
「二度と近寄るんじゃない。関わっちゃいけないよ」
「どうしてだよ。あの女の子、可哀想だろ」
「女の子?」
ばあちゃんは目をむいた。
「あそこに女の子がいるだなんて話は聞かないよ」
「誰も会ったことないんだろ」
「……ともかく行っちゃいけない。いいね」
ばあちゃんは一方的に言いつけて、席を立ってしまった。
いつものことだ。孤独なおれへの心配りなんかこれっぽっちもない。おれは冷めてしまったご飯を掻き込んで、静かに玄関へ向かった。ばあちゃんはどこかに電話をかけていて、おれの脱走には気づかなかった。
いやに肌寒い朝だった。
山道を登ったおれは目を見張った。屋敷の門が開いている。
おーい、と呼びかけても返事がない。ベランダには女の子の姿がない。洗濯物は干されているのに。もしや、知らない間に帰ってしまった? 胸にぽっかり穴のあいたような心持ちで、いざなわれるようにおれは中へ踏み込んだ。
嫌だよ。
置いて行かないで。
きみがいたから退屈な夏を乗り切れたのに。
もっと話したい。もっと遊びたい。きみの手を取って村に戻ったら、きっとばあちゃんもみんなも白妙さんを見直すはずだ。だからどうか出てきてよ。一緒に山を下りようよ。
「置いてかないよ」
頭上から声がした。
無人のはずのベランダから。
「わたしはずっとここにいる」
そうはいっても姿が見えない。焦ってドアを開けた途端、いるはずのないばあちゃんの声が脳裏に響いた。
「開けちゃいけない!」
かび臭い匂いが鼻を抜けた。背後で勢いよくドアが閉まった。暗闇の中で女の子が笑った。バイオリンみたいな甲高い声で。
「待ってたよ」
「門を開けておいてよかった」
「これでずっと、ずっと、一緒に遊べるね」
「絶対に逃がさないから」
何も見えない。
何かが身体を掴んで引きずってゆく。
薄れゆく意識の中で、おれは初めてばあちゃんの声を懐かしく思った。
……ああ。
ごめん、ばあちゃん。
まだ訳が分からないけど。
あの忠告、素直に聞いていればよかったな。
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