【春017】東の龍と春の島



 の国が有する五つの島。

 その一つである東の島は、今日も柔らかな光に包まれ花が咲き鳥達がさえずり、人も獣も心柔らかに睦み合っていた。


 この美しい島の上空を、ゆったり揺蕩たゆたう龍がいた。龍は、の国を治める帝より、東の島の守りを頼まれ、東守ひがしのもりと呼ばれていた。


 暖かなそよ風と戯れつつ、東守は視線を北に向ける。その視線はとても鋭いものであった。


 東の島の北端からは大きな橋が伸び、太の国が有する北の島につながっている。そこには、太の国の者が使う鎧とは形が全く違う板金鎧ばんきんよろいに身を固めた者達の大軍があった。明らかに他国の大軍である。東守の鋭い視線は、大橋に押し寄せてくる板金鎧達を捉えていた。



 東守ひがしのもりの元へ帝の使いが息せき切って訪ずれたのは昨日のことであった。


「帝の使い、東守ひがしのもり様へ申し上げます」


 龍は、桜の木々の下にとぐろを巻き、膨らみゆく蕾を見上げていた。

 使いの声にゆっくりと瞬き息を吐く。


「許す」

「北洲にて突如とつじょわざわいの侵攻あり。北守きたのもり様は禍により封印されましてございます」

「……詳しく話せ」


 使いの話では、あの板金鎧達が北の島を占拠し、次はこの島に侵攻してきているのだという。龍は使いの報告を聞きながら、北の島の守り神に心中で歯噛みする。北守は、守りこそ優れているものの、不届き者を打ち払う力が不足していた。そこを突かれたのであろう。



 わざわいの大軍が大橋に辿り着いた。

 東守は地上にいる東の島の者達を見る。一晩で出来うる限りの戦の仕度を進めさせた。戦人いくさびとを招集し、そうでないものは別の島へ避難している。


 龍は大きく息を吸い込んだ。

 そして声を乗せて吐き出した。


「この太の国へ侵攻するは何者だ」


 空気はビリビリと揺さぶられ、禍の進軍が止まる。

 ざわざわと禍の軍が割れ、馬に乗った将が前に進み出てきた。


「我等は、神の使命を受け正義を成しにきた者である」


 将の言葉に龍は思案する。

 どうやら話をする気はあるようだ。こやつは此度の侵略には正義があると言いたいらしい。北の島へは問答無用で攻め込んだような話であったが、さて。……真っ向から問うとするか。

 龍が言葉を投げかける。


なんじの正義とはなんぞ」


 再び将が答える。


「正義とは力だ。力の強さは分かりやすい。比べればいい」


 龍は頷く。

 力が全て。そんな禍の軍が立ち止ったのは、こちらの声に恐れを抱き、力の程を探ろうという魂胆だろう。


「では、力に押しつぶされた側はそれで納得するのか」

「是である。力で負けたなら力不足、それが全てである」

「そうか、汝にとっては力が全てなのだな」

「そうだ、話は終わりか」


 当たり前の問答なら切り上げるぞ、と言いたげな将の声色も構わず、東守は続ける。


「太の国では徳を重んじる。力で押し潰すだけでは人は付いて来ぬ。汝は自身の子をも力で押さえつけるのか?」

「ああ、力が全てだ。全てを撥ね退ける強さこそが生きていく上で最も重要だ」

「力は重要だ。それは間違いなかろう。力がなければ守るものも守れぬ。だが力が全てではない。強さだけでは人心は摩耗する。見よその軍を、北にて消耗しておる」


 将が僅かにたじろぎ、言葉を絞り出す。


「……それでも強さを示せば皆着いて来るものだ」

「そうか、ではより強いものが顕れれば汝へは誰もついて来なくなるのだな」

「どういうことだ」


 龍は答えず、空中で身を翻した。


 龍がこの島を守るのは、守り神を任されているためだけではない。この島を心より慈しみ守りたいと願う気持ちがためである。


 龍が吠える。空気を揺らし大地を震わせ橋がきしむ。

 そして衝撃波に押さえつけられ動くことのできない禍の軍に龍は降った・・・・・。巨大な水柱が起こり、橋と北の島の一部が飲み込まれた。そこにいた者達も諸共に。


 それは、一瞬で命を奪われる恐怖だった。国に残してきた家族も友人も愛する者すらも思い浮かべるまもなく意識を失う恐怖だった。突き付けられたのは禍の巨大な力に付き従うことで自らを守っていたという誤解だった。


 誰もが出陣を後悔し受け入れられない死に身を委ねようとしたとき、大地を穿つ水柱の衝撃は収まった。

 目を開けると青空が広がっていた。禍の軍に安堵が広がる。生きていた。否、生かされただけなのかもしれない。


 何が起こったのかわからないままに将が口を開く。


「……今のは」


 空中の先ほどと同じ場所にて東守が答えた。


「貴殿らへの猶予だ。有り体に言えば幻覚だ。汝らにも国に大事なものがおるであろう。引くなら許す。だがそれでも進むなら今見たことをしかと顕現させよう」


 その言葉に、先程の為す術もなく水に飲み込まれる恐怖を突き付けられる。軍は既に崩れていた。我先にと引き返す者達を見て、将も馬を返した。

 北へ、北へ。さざ波のように禍の軍は引いていった。


 そのさなか、龍の傍らへ帝の使いが顕れた。

 当然のように空中に片膝をつき、龍へ頭を下げる。


「帝の使い、東守様に申し上げます」

「許す」

「東守様の武勲を帝へ奏上いたします。何か言伝てのございますれば……」

「此度はうまく退けられたが、次は通用するまい」


 あの水柱の嚇しは、こちらの手の内を見せたも同義だった。あれに抗う策を編み出せば、禍の大軍は再びやってくるだろう。


「畏み承りてございます」


 深々と頭を下げ、帝の使いは立ち去った。

 龍は東の島を見下ろす。今日もまだ柔らかな光が島全体を包み、花が咲き、鳥達がさえずっていた。桜のつぼみはあと数日で開くだろう。


「願わくは、憂慮なく花の盛りを見守りたいのう」


 龍の呟きは、柔らかな風に溶けて消えた。



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