【冬035】冬ごもりの攻防

 雲ひとつない冬空に、二筋の煙が昇っていきます。

 出所は五本もの煙突が伸びる黒い屋根の家。軒下には幾束かハーブが吊るされていて、さらにその下、鮮やかな碧色をした、大きな水瓶がありました。

「ふんふふーん、ららん、らん」

 台所に立ち機嫌よく鼻歌を歌っているのは、若い魔女です。丁寧に研がれた包丁を手にし、飛竜の肉を捌いていました。硬いはずのそれがみるみるうちに部位ごとに分けられていきます。

(飛竜のおかげで、今年の冬も飢えることはなさそうね)

 実のところ、町では飛竜の出現に大騒ぎだったのですが、強大な気配に昼寝から飛び起きた魔女が、氷魔法であっという間に捕まえてしまったのです。仕留めればその体を全てもらうことができますし、凍らせておけばいつでも新鮮な肉を食べられるからです。魔女は、とても食欲旺盛な魔女でした。

 肉を捌き終えると、使う分を残して再び凍らせ、貯蔵庫に入れておきます。ついでに、秋の間に集めておいた木の実とキノコを取り出しました。

「おー鍋に水を張っりまして!」

 魔女がパチンと指を鳴らすと、「ヨッ!」と合いの手を入れながら浮かんだ鍋に水が注がれ、火にかけられます。

「サルマ茸をっ、ぐっつぐっつと。煮ます煮ますっ」

 鼻歌は自然と料理歌に変わっていました。魔女がまだ子供の頃、師匠の魔女に教わった歌です。

 飛竜を仕留めるたびに作っている料理ですが、魔女はいまだに師匠の味を再現することができていません。どんな強者と戦うことよりもずっと、魔女にとって難しいことでした。魔法の腕より料理の腕のほうがほしかったとすら思っていました。今のままでも、魔女はそこらの料理人と同じくらい、料理上手なのですけれど。

「タッタの実ーを、じゅっ粒と。ナロの実ーを、ひーとつーまみっ」

 すり鉢に木の実を入れてぐりぐりと潰します。もう何年も、何度も作ってきたので、手順はすっかり覚えています。それでも、魔女は毎回、歌うのでした。「ぐーりぐり」「ぶせぶせつーっぶせ」と、鉢と棒のハーモニーも息ぴったりです。

 そのあとも、魔女は歌詞の通りの分量だけ、スパイスや、乾燥野菜や、キノコの煮汁などを足していきました。


「さてさてここでー、飛竜さま!」

 細長くしぼんだミルク色のそれは、飛竜の腸です。手のひらの大きさくらいに切っていき、片側をしなやかな髭で縛りました。巾着のような可愛らしい形に満足しつつ、魔女は先ほどの木の実のペーストを詰めていきます。

 そこで魔女は歌を止め、窓を開けました。冷気が入ってきて、ぶるりと身を震わせます。ついでに海を称える歌声に気づき、季節外れだなと苦笑いしました。

「魔魚ちゃーん! 出番よ!」

 すると、ピシャリと水の跳ねる音とともに、一瞬、歌声が止まります。しかしすぐに再開して、今度は近づいてきました。

「主はホント、魚遣いが荒いよなッ」

 ぶつくさと文句を言いつつ姿を見せたのは、透き通るヒレを動かして空を飛ぶ、一匹の魔魚です。不満げな様子を隠しもせず、魔魚はエラのあたりを膨らませて窓から入ってきます。魔女はぴしゃりと窓を閉めました。

「だって、あなたの鱗の触り心地が、お師匠さまの作る飛竜料理と、一緒なんだもの」

「だからって毎回呼ばれちゃア、番魚の名が廃るってモンよ」

 美しい鱗を持つこの魔魚は、魔女の家で、番犬ならぬ番魚の任を与えられていました。魔女によくない感情を抱く人間や魔物が近づくと、水瓶からにょきりと顔を出し、せっせと追い払うのです。

「あら。別にあたしが頼んだわけじゃないわ。そんなに嫌なら食べたっていいのよ」

 魔魚自身もその昔、魔女に戦いを挑んだのでした。魔魚はそれなりに強い力を持っていましたが、相手は飛竜をも一撃で倒してしまう魔女。ほんの攻防もなく決着がつき、せめて命だけはと、自ら番魚となることを申し出たのです。

 脇に置いていた包丁にチラリと目を向ける魔女に気づいて、魔魚は慌てて左右に頭を振りました。

「イヤそれはッ! どうぞどうぞ心ゆくまで……」

 恭しく差し出された体を、魔女は「ざーんねん」と楽しそうに呟きながら指の腹で触っていきます。虹色に光る鱗は、ほどよく弾力があり、不思議と温かく感じられます。

(こんなにも似てるなら、もしかすると、魔魚を隠し味に入れてたのかも)

 魔女の考えを見透かしたのか、魔魚がびくりとしました。それから「平常心平常心……」なんて口の中で呟き始めるものですから、魔女はおかしくなりました。

「あはは! 大丈夫よ、試すなら鱗一枚からにするわ」

「エッ」

「でも今日はやめとく。なんだか上手く作れる気がするもの」

 いつもそう言ってるよなァ、と魔魚は思いましたが、黙っていることにしました。魔女の食べ物に対する執着心を、嫌というほど知っていますから。


 再び歌い始めた魔女は、鱗の触り心地を確認しながら、花の種からとった油を腸の表面に塗っていきます。それから同じ花の葉を何枚か広げ、火をつけました。火は燃え広がることなくすぐに消え、しかし煙が出続けます。

(ここからが勝負よ)

「飛竜は火っの中、花咲っかすー!」

 咲けっ咲け、と歌いながら、魔女は琥珀色の酒を飛竜の肉に振りかけます。そしてパチンと指を鳴らし。

 ぼうっと火のついた肉はまるで亡霊のように浮かび、腸の中に一つずつ、飛び込みます。肉がペーストに身を沈めて火の消える瞬間を逃さず、飛竜の髭で口を縛りました。こちらの結び目は輪っかになっていて、たちまち天井から下りてきた金具に吊るされます。そこはちょうど、煙の当たる位置。

 手際のよさに、ただの一度も料理をしたこともない魔魚も、毎度のことながら感心します。

 それから、数刻後。

 魔女はしっかり燻された飛竜の詰め物を下ろし、皿に盛りつけました。

(今日こそは、美味しくできていますように)

 ナイフを使わず、かぷりと噛みつきます。とろとろの舌触りを堪能してから歯を突き立てると、たっぷり旨味が溶け込んだ木の実のペーストが、弾けるように口内で広がりました。

 常人であれば絶賛するのでしょうが、魔女は首をかしげます。

「うーん。やっぱり、お師匠さまみたいにはいかないみたい」

 まだまだ、魔女の飛竜に対する挑戦は続きそうです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る