【春003】ハルを告げる男
島の中心地にある山には、男が一人住んでいる。
その男は一年に一度、家具や、農具、道具といった物品を売りに山から下りてくる。
売ると言っても代価は貨幣じゃない。
米や味噌、魚の干物などの食料品と物々交換だ。
「お前さん、サワラって言うのかい。まさしく一年に一度、ハルを告げる男なんだね」
昔聞いた、近所のばあちゃんと男の会話はよく分からなかった。
サワラ、そしてハル。
昔の人はいろんなことを知っているけど、もう無いものは知る必要がないと言い、細かいことや詳しいことは教えてもらっていない。
その男のことも、下りて来た時だけ会ってもいい。山に登って会いに行くことは駄目だと言い聞かされていた。
それでも山に登ろうとする子どもは多く、村の大人に見つかってはこっぴどく叱られた。
オレも実は途中まで登ったことがある。
たぶん、誰よりも一番上まで登ったが、切り立った崖に阻まれ、それ以上登れなかった。
男はどこに住んでるのかと大人に聞いても「ガイリンザンの内側だ」としか教えてもらえなかった。
オレは何度目かの登山で、崖の中腹にある隧道を見つけた。
その隧道の中は真っ暗闇で、松明でもない限り先には進めなかった。
じゃあ松明を持ってもう一度登ったかというと、そのまっすぐな暗い穴が怖くて、それ以来そこに行こうという気は起きなかった。
いつしかオレは他の子どもたちと同じように成長し、田畑を耕し、家畜を育て、海で漁をして、穏やかな毎日を過ごしていた。
そして、今年もハルを告げる男がやってくる。
今年から男の対応を任せられたオレは、集落の端にある古民家の掃除を済ませ、訪れを待った。
雪の季節が終わり、静かな長い雨季が来る。
それが彼の現れる合図の季節。
ツルツルした外套で雨を凌ぎながら、背嚢や肩掛け鞄を身にまとい、男はゆっくりとした足取りで現れる。
荷を解く姿を眺めながら、よくこれだけの荷を背負いあの山を下りて来れたものだと感嘆しながら声をかけた。
「今年、世話係になったナツです」
「……サワラだ。よろしく頼む」
男の背丈は大きくまっすぐで、ヒゲの無い顔は精悍だった。
他の村人たちと見比べても歳の加減が分からずに、なんだか別の生き物のような薄気味悪さを感じた。
それでも雰囲気的には、死んだ父と同じくらいの年齢だろうか。
オレは村長に指示されたサワラに渡す物品を、
検分もせずひとつ頷いたサワラは、自身が持ち込んだ荷を畳の上に並べる。
木製の小物入れ、刺繍の入った鮮やかな袋、彫の装飾が施された手鏡といった、これまで見たこともない品々が現れる。
他にも、樹脂製の箱、金属製の筒、色の付いた紐といった用途が分からないものから、独楽や竹とんぼといった遊具もあった。
最後に鎌や鍬といった金属製の農具を並べ終えたサワラは、それぞれに紙製の荷札を括り付けた。荷札には知ったいくつもの名前が書いてあった。
「聞いていると思うが、村長から順にこれらを取りに来る。その順番で並べてあるが、きみの役目はその順番を守らせること」
「取りに来ない人がいたら?」
「荷札の名前で、死んだ人がいるかい?」
ざっと眺めた限り、村の上役の名前ばかりだ。代替わりはあっても家名が途切れているということはなく、村長からも問題ないと聞いていたのでそれを話す。
サワラは頷いた後、別の荷物を持って中庭に面した縁側に向かう。
村人に向けた市のためだ。
料理用の包丁、漁のための銛先、矢じりなど金属製の物が多い。それと、子供向けの衣類、ふわふわした手ぬぐい、真っ白な紙の束、筆、など、どの家にもある物だが、そのどれもが新品に思えた。
サワラの到着はすでに報告済みなので、もうしばらくすると村人がたくさん押し寄せる。オレはその人たちを適切に捌く役割も担っている。
合計で五十世帯ほどが訪れただろうか、大きな混乱もなく、小さな市は日が暮れる前には完売となった。
村長たちの品々も無事に引き渡しが済み、夕食の準備を整える。
米の飯、鶏団子の味噌汁、焼き魚、漬物といった何の変哲もない食事にも、サワラは一つも不平を零さず、きれいに平らげた。
ただ彼は静かな男だった。語ることが罪である、そんな気配すら漂わせていた。
時折、炭の爆ぜる小さな音を聞きながら、囲炉裏を挟み就寝するまで、オレがサワラと交わした言葉はほとんどなかった。
会えば聞きたいことは山ほどあったはずなのに、彼からはどんな言葉も引き出せないと諦めを感じていた。
「頼みが、ある」
朝食後、持ち帰る荷をまとめながらサワラはポツリと言った。
「なんでしょう?」
「荷物を、少し運んでもらえないだろうか」
思いがけない提案だったが、反射的に快諾していた。
山への道は、静かな歩みだった。
オレが持ったのは、嵩張ってはいたが軽い物ばかりで、無理をすれば彼一人でも十分運べたに違いなかったが、敢えてその疑念は口にしなかった。
やがて隧道に到着した。
彼は首にかけていた箱のようなものを取出し操作する。驚くほど眩しい光が溢れ、闇に支配されていた隧道はその形を表す。
まっすぐな灰色の石を思わせる壁が、四方を彼方まで構成していた。
人が五人くらい並んで歩けるほどの幅を、サワラは何も言わずまっすぐ進む。
突き当りの壁は、金属製だった。その一角に、人が一人通れるほどの扉。
サワラは扉の握りに金属片を差し入れ、ゆっくりと開ける。
流れ込む自然光と爽やかな空気と入れ替わるように、オレは彼に続いて扉を潜る。
そこは山に囲まれ、大小の四角い建物が立ち並び、黒い板が所狭しと並ぶ異様な光景があった。
「大戦前に作られた人工気象装置の実験施設さ。戦争による世界的な気候変動は、こんな施設じゃ大したことはできないけど……それでも俺はまだ諦められなくてね」
サワラが何を言っているのか理解できなかったし、彼も本気で説明するつもりではないと気付く。島生まれの年若いオレならば見ても分からない。そんな対象だから連れて来て、話をしたかったのだろう。
だから聞いてみる。
「何を諦められないのですか?」
「失った春を取り戻すことさ」
彼は言いながら少年のような顔で笑った。
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