【春002】春画踏襲

「おーい、春川宮古はるかわみやこ

「……」

春宮しゅんぐう

春宮しゅんぐうって呼ぶな!」

「じゃあ返事しろよ」


 春川宮古はるかわみやこは少し怒っていた。ついでに機嫌も悪かった。

 そのため、気の許せる幼馴染みの同級生に声をかけられていても、それを敢えて無視していた。いや、気が許せる故にそんな態度をしているのは、これまでもわがままな行為を許してもらっていたり、無意識な甘えだったりすることに起因する。


「つーかなんでフルネーム呼びなのよ」


 宮古は追いついて隣に並ぶ春日丈一郎かすがじょういちろうを横目で睨む。


春宮はるみやって呼ばれたくないと思って」

春宮はるみやって呼ぶな」

「じゃあどうすりゃいいんだよ。高校入学した時には、宮古って呼ぶなって言うから春宮はるみやにしたら、数日も立たず呼ぶなって、わがまま過ぎんだろ?」丈一郎は苦笑いで頬を掻く。

「……原因を知っててそう言うのね」


 宮古は凍ってしまえとばかりに冷えた視線を丈一郎に送る。


「まあ、好きに言わせときゃいいんだよ。すぐに飽きる」


 事件は今日の古文の授業。

 老齢の教諭が、江戸の風俗文化として挙げた春画の逸話がきっかけだった。


「なにが古代中国からの由緒ある文化よ。わざわざ黒板に文字まで書いて」


 宮古の怒りが再燃する。

 黒板に“春画の由来は古代中国の春宮画”と書かれ、春画は江戸のエロ本などと思春期の若人を焚き付けた教諭のおかげで、休み時間は検索大会が開催され、その異様な文化に名前で関連付けられた宮古は大いに居心地の悪い時間を過ごした。


「読みだけなら春の宮で『しゅんぐう』なのにな」丈一郎は笑う。


 何がおかしい! と宮古はいきり立つが、そもそも、周りにからかわれるのが嫌で宮古呼びから春宮はるみや呼びに変えさせたのは自分自身なのでグッと堪える。


「それにしてもさ、春って字が付いてるだけで、なんか脳内がピンク色っぽく思われるのは癪だよな」


 丈一郎も春日という名前で、小春日和だのぼんやりしてるなどといわれのない揶揄やゆに晒されたことを思い出す。


「そうね……売るだの本だの画だの、なんでかしら」

「HARUってローマ字って話もあるな」

「Hがあるって? こじつけ過ぎよ」

「真面目な話、野生動物で言えば春は発情の季節、繁殖にはちょうどいいんだろ」

「人間には関係ないでしょ」

「逆に言うと人はいつだって発情期なんだ。それじゃあまりにも無節操だから、とりあえず生命力に溢れる春って文字が浮かぶんだと思うぞ」

「じゃああたしたちってエロい二人だとか思われてる?」

「まあ、入学式から仲良く話してるのは事実だな」

「幼馴染みってだけじゃない」

「でもイメージってのは厄介だな。このまま春=エッチとか思われるのも面白くない」

「……どうすんのよ」


 丈一郎はしばしの思案の後、指を鳴らす。


「本来さ、春宮画って房中術ぼうちゅうじゅつの一環みたいなヤツだと思うんだよ」

房中術ぼうちゅうじゅつ?」

「そこは説明すると面倒なので省略する。で、その大元がさ養生術ようじょうじゅつってヤツなんだ」


 丈一郎はスマホで語句を入力して宮古に見せる。


「それがどうしたのよ」

「養生術ってのは要するに健康になるためのいろいろでさ、簡単に言っちゃうと、春宮画も男女のあれこれで健康になりましょうってことなんだ」

「……それが、どうしたのよ」


 宮古は、握りこぶしで力説する丈一郎に嫌な予感を覚える。


「俺たちがそれを実践してみればいい」

「バカじゃないの!」

「ああ、別にまぐわう必要はないよ。ほら、ヨガとかそんな感じでさ、そもそも春画なんか見てみるとどうすりゃこんなポーズになるんだ? って驚くけど、あれが局部を見せる為だけじゃないとしたら、あのアクロバティックなポーズにこそ中国の養生術の思想が受け継がれてると思わないか?」


 まぐわう? 局部? 宮古の脳裏に意味は分かるが想像の埒外な言語が飛び交う。


「ね、熱弁は結構だけど、具体的になにするのよ」

「春画をモチーフに、俺たちが絵と同じポーズをしてさ、これはイヤらしいものじゃなくて養生術。春は生命力、健康になろう! って話にすり替えるんだ。ちょうど今は健康ブームだしな」

「春はイヤらしくない、健康の春……なんか、いいかも」


 春の名誉を回復するために! 宮古も拳を握りしめる。


「よし、じゃあさっそく俺ん家でやってみるか」

「ちょ、その前にどんなポーズがあるのよ。あたしスカートなんだけど」

「まあそうだな。俺も言うほど詳しくないから、ちょっとネットで調べてみるか。そう言えばさ、日本の浮世絵師って写楽以外みんな春画描いてたんだってさ。日本人って昔からエロには半端ないよな」

「浮世絵師かぁ、あたし北斎くらいしか知らない」

「お、じゃあ北斎で見てみるか“春画、北斎”っと」


 二人は立ち止まりスマホの画面を凝視する。


「海女と……」

「蛸か……俺、まずは人を辞めなきゃってことか……」


 汚名を挽回するどころか、数百年前に描かれた画像の境地に二人が辿り着くには、越えなきゃいけないごうが深すぎるようだった。

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