【春007】春の姫君

 春の森があった場所には、小さなお城とその城下町があったと伝えられています。その周辺もそのお城の土地だったのだと。

 穏やかな気候と綺麗な水に恵まれて、植物がよく育つこの土地は、小さいながらも豊かな国だったそうです。

 ある日、お城の王妃がご懐妊なさいました。王も王妃もたいそうお喜びになりました。

 そして王妃は自分のお腹をおさすりになってこうおっしゃいました。

「春のような子になりなさい。春のように暖かく、優しく、愛し愛され、花を咲かせるような、そんな子になりなさい」

 王妃のそのお言葉は、この国を見守る女神様に届いたのでした。

 女神様は王妃のご出産の際に、精霊をお遣わしになりました。折しも、それは春の始まりの日でございました。

 王妃の赤子が大きな産声をあげますと、精霊は花びらをお降らしになりました。そして、赤子の元に降りていらして、赤子の額にキスをなさいました。そして、次のようにおっしゃったのです。

「この子は春のように花を咲かせ、愛し愛され、優しく、暖かな、春のような子になるでしょう。けれど、その心が凍りつくようなことがあれば、姫君の春は呪いに変わる。さあ、目一杯の愛情をこの子に。心を凍りつかせないように」

 ええ、ええ、精霊のお言葉はすぐに城中の者、国中の者の知るところとなりました。王と王妃はもちろんのこと、国中の誰もが、この新しい命を喜び、愛しました。

 精霊のお言葉の通りに、赤子は生まれてからずっと、目一杯の愛情を受けない日はございませんでした。

 その赤子が春の姫君でございます。

 春の姫君は何不自由なく、お育ちになりました。暖かいお心を持ち、どのような者にも優しく、誰にも愛され、誰をも愛し、そして微笑めば周囲に春の花が咲くのでした。ですから、姫君の歩いた後にはいつも花が咲いておりました。

 そして、とても美しくお育ちになりました。ええ、まさしく精霊のお言葉の通りに春のような姫君でございました。

 国は相変わらず小さいけれど、穏やかで豊かでございました。本当に、春のような国だったのでしょう。

 ところが、姫君が十六になった年、隣国の王子が姫君に結婚をお申し込みになりました。

 そして、その手紙にはこう書かれていました。

「姫君が私の妃になるのであれば、貴国に攻め込まないと約束しよう。そしてまた、姫君が私の妃である限り、私の国は貴国を守るであろう」

 隣国は、作物があまり育たない土地でしたが、戦が上手な国でございました。姫君に結婚をお申し込みになった王子は、特に戦上手としてその名を轟かせておいででした。

 隣国の王子はもしも春の姫君が結婚を断れば、この国と戦をするおつもりでした。戦をすれば勝った者が負けた者を好きにできるでしょう。そうやって、春の姫君を妃にすれば良い、とお考えだったのです。

 隣国の王子のその思惑は、王と王妃には伝わっておいででした。この国は小さく穏やかで、戦上手の隣国と戦えば、きっと負けてしまうでしょう。負けてしまえば、この穏やかな国はきっと穏やかなままではいられないでしょう。

 けれど、愛し愛され、花を咲かせる春の姫君を隣国の王子と結婚させることは、もっと心配なことでした。

 春の姫君。春のような姫君。穏やかな姫君は隣国に行って、戦を見ればきっと心を凍りつかせてしまう。そうすれば姫君の春はきっと、呪いに変わってしまうでしょう。

 隣国の王子への返事は、ついぞ出されなかったと言われております。

 そして王と王妃は溜息ばかり。お優しい春の姫君は、お二人の様子を見てたいそうご心配でした。けれど、王と王妃の溜息は収まりません。

 それどころか、しまいには姫君を抱き締めて、お泣きになるのです。

 その頃には、国の誰もが隣国との戦を心配して、嘆くようになってしまいました。噂では、隣国の王子がたくさんの兵を引き連れて、今にもこの国を攻め込もうと進軍しているのだとか。

 穏やかな国を捨て、逃げ出す人たちもいました。

 すっかり変わってしまった国の様子をご覧になった春の姫君のご心配は、いかばかりだったでしょうか。けれどまだ、そのお心は凍りついておりませんでした。

 そして隣国の王子がとうとうこの国までいらっしゃったのです。もちろん、たくさんの兵を引き連れておいででした。

 王と王妃は、春の姫君を国中の一番高い塔の上に隠しました。姫君には侍女を一人供につけました。そして侍女に向かってこうおっしゃいました。

「塔の窓は決して開けないように。姫君に戦の様子を決して決して見せないように」と。

 それは、春の姫君のお心を凍りつかせないためのご配慮だったのでしょう。

 侍女は最初のうちはその言いつけを守っておりました。けれど、春の姫君がおっしゃるのです。

「外はどうなっているの? わたしたちの国は、どうなっているの?」

 一度目と二度目、侍女はそのお言葉にただ首を振るだけでしたが、三度目になると、侍女も自らの不安のために窓を開けてしまったのです。

 ああ、そして春の姫君は、穏やかで豊かだった国が攻め込まれ、滅ぼされる様をご覧になってしまいました。

 春の姫君のお心はついに凍りついておしまいでした。

 涙を流しながら、春の姫君はお歌いになりました。側にいた侍女が木となり、花を咲かせました。

 隣国の王子も兵も、この国の人も、生者も死者も、全てが木になりました。たくさんの春の花が咲きました。

 それでも姫君はお歌をお辞めになりませんでした。地面には草花が育ち、建物を呑み込みました。そして、美しく、花を咲かせたのです。


 ええ、それがあの春の森。いつでも春の花が咲き乱れ、蝶が舞い、訪れた人を呑み込んでしまうという呪いの森。

 春の花咲き乱れる美しい景色を一目見ようと、森に入る者もおります。ですが、森に入った者は誰一人、戻ってくることはございません。

 春の森に近付くと、今でもその姫君の歌声が聞こえると言います。けれどお気を付けて。歌声を辿って森に入れば、あなたも森に呑み込まれ、その一部になってしまうでしょうから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る