【夏003】オレオ【レ要素あり】
「あーもしもし、オレオレ……」
気だるい炎天下の日射しを建物で避けながら、男はスマホを口元に寄せた。電話番号の相手が資産家の老人であることは、事前の調査で突き止めてあった。
「おい爺ちゃん、助けてくんねぇかな。さっき車で事故やっちまってさ」
『なに、事故だと?』
電話口の老人は声を強張らせる。しめた、と男は口元に笑みを引いた。釣り針に獲物が引っ掛かった。実際のところ、男の周りには事故現場もなければ車もない。
『お前は大丈夫だったのか』
「ああ。けど相手がすげぇ剣幕で、今すぐ弁償しろってうるさくて……」
『それで、どうしたんじゃ』
「手持ちの金がないって頼み込んだんだけど聞かねぇんだよ。頼むよ爺ちゃん、助けてくれよ。オレ、いま口座の中にも金がほとんど入ってねぇんだ。あとで必ず返すから、とりあえず必要な金額、爺ちゃんから借りてもいいかな……」
最後はきっちり神妙な口ぶりを装う。大概の高齢者は泣き落とし作戦で同情を誘える。あとは振込先の口座を指定してしまえば、こちらのものだ。
悪いな、どこの誰かも知らねぇ爺さん。
ほくそ笑む男の耳元で、老人が溜め息をこぼした。
『……お前は』
「お前は?」
『お前はそれでもわしの孫か! この腑抜けが!』
窮鼠猫を噛むがごとき反撃に男は
「な、なに言ってんだ爺ちゃん。おかしなこと言ったか」
『バカもん! 頭を下げたらこっちの負けじゃ! そういう時はどうすればいいか、口酸っぱく言い含めてきたじゃろうが!』
むろん男に思い当たる節はない。なかば本心混じりに「そんなもん覚えてねぇよ……」と返したら、いよいよ老人はヒートアップした。
『いいか、今すぐ相手のところにいってオレオを食わせるんじゃ。それで万事うまくいく』
セミの合唱が邪魔で聞き間違えたのかと男は思った。
「は? え? あのオセロみたいな菓子?」
『そうに決まっておろうが!』
そうは思わなかったから尋ね返したのである。
『黒のクッキー二枚で白いクリームを挟み込む、米国ナビ〇コ製の菓子。あれを嫌いなどと抜かす輩はどこにもおらん。きっと食う。そしてお前に友好的になる』
「待てよ爺ちゃん、意味が分かんねぇよ」
『いいか、オレオは古来より世界平和の証じゃ。オレオを挟めば揉め事は起こらん。上から読んでも下から読んでもオレオ。そのうえ上から食べても下から食べても同じ味がする』
「当たり前だろ……」
『オレオの二つの円盤は善と悪、天と地、この世に
男は暑さにやられて悪い夢でも見ているような気分になった。
『まさに至上の菓子じゃ。名前の由来も『美しい』を意味するギリシア語から取られているほどにな。せっかくあやかろうと思ってお前の名前にも使ってやったのに、忘れてしまうとは
老人の語りは収まらない。ああ、違う。男は周回遅れの気づきを得た。おかしくなっているのは自分自身ではない。この老人が初めからおかしいのだ。お菓子の名前を孫の命名に使うくらいには。
「つか、オレ、まだ名乗ってねぇし……」
思わずツッコミを入れてから、しまった、と男は
『真っ先に口にしとったぞ。それとも何か? お前はわしを騙しとるのか』
その通りである。
「いやいや、騙してねぇって……。ちゃんとオレだよ。どうしたら信じてくれる」
嫌な汗を掻きながら追いすがると、老人は電話口でうなった。
『わしの普段のオレオの食べ方を当ててみろ』
これほど
「え……。ミキサーにかけて粉々にして舐める、とか……」
『それはお前が昔やっておった食べ方じゃろうが!』
老人は理不尽に怒りだした。爺が爺なら孫も孫だと男は思った。
『神聖なオレオを粉々になどしてはならん! オレオに対する冒涜じゃ! やめろとあれほど言ったのにまだ続けておったのかっ』
「や……やめてるよ。本人だって分かったならそろそろ金を……」
『ならん。わしの食い方を当てろと言ったじゃろうが。いいか、わしは開封したオレオを神棚へ一週間ささげたのち、牛乳に漬けてふやかし、タバスコで味を調えていただいておる』
老人の食べ方のほうがメーカーを冒涜していると男は思った。
一息つく気になったのか、はたと老人が嘆息をもらす。セミの声が街並みに染み入る。うだるような夏の熱気の底で男はげんなりした。もはやこの狂人、もとい老人からは金を巻き上げられそうにない。時間の無駄だった。
「もういいよ。分かったよ。爺ちゃんは一生そうやってオレオでも食っててくれ」
『なんじゃ。金は要らんのか』
退屈げに老人が尋ねた。「要らねぇよ」と男は吐き捨てた。
「初めからオレをおちょくってただけなんだろ。今だって結局、自分から正解を話したじゃねぇか。タバスコだか何だか知らねぇけど、でたらめばかり口走りやがって」
『ふむ。確かに自分から話した。しかし嘘は言っとらんぞ』
電話口の老人がほくそ笑む。セミの鳴き声が大きくなった。
『まぁ、お前もそろそろ捕まることじゃし、答えを知りたいじゃろうと思ってな』
「は?」
すっとんきょうに返した男の背後で、けたたましいサイレン音がセミの合唱を蹴散らした。
● 〇 ●
老人は初めから男の電話を詐欺と見抜いていたらしい。そこで、周囲の環境音を頼りに男の居場所を探り出し、通話中に通報を済ませていたのだという。
連行された警察署で男はすべてを白状した。オレオの食べ方だけは白状しなかった。「普通に食ってます」と言ったら刑事に殴られそうな気がした。ついでに老人の孫の名前も教えてもらった。
「自己紹介の仕方が普段と違ったから不審に思ったそうだ。本物のお孫さんは『オレ、オレオレオ~!』と名乗るんだと」
「……お
冷房の効いた取調室の片隅で男は愕然とこうべを垂れた。
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