【冬021】僕がサンタだった一週間【暴力描写あり】

「聞いてんのか、湯島」


 担任の二宮先生が、眉をひそめて「どうなんだ」と僕を問いただしている。

「バイト、やってんのか?」

「やってないです」

 そう言って僕は頭を下げ、社会科準備室を出た。

 自転車に乗りこみ、バイト先へと急ぐ。

 先生には悪いけれど、僕には僕の事情がある。

 生みの親がろくでもない人たちだったので、小五の時親戚に引き取られた。それからずっと、小遣いをくれなんて言えたことがない。


 現場に到着して早々、僕はサンタのコスプレをさせられ、道端でティッシュ配りをすることになった。この時期は大体こんな仕事ばかりだ。


 感情を無にしてティッシュを配り続け、一時間。ふと、子供が物陰からこちらを覗いていることに気付いた。


 僕は怪訝に思いながら、「どうぞ」とティッシュを差し出してみる。子供はティッシュを受け取り、いきなり歓声を上げ走り去っていった。




 次の日も同じように子供が現れたので、僕はまたティッシュを手渡した。子供は見るからに興奮した様子で、ティッシュを両手で掴んでじっと見つめている。

「そんなにティッシュが好きなの」とうっかり声をかけてしまったのは、単なる気まぐれだったと思う。


 名前を尋ねると、子供は“純平”だと答えた。親はどうしているのかと訊けば、純平と名乗る子供は逃げて行ってしまった。


 僕はぼうっとその後ろ姿を見て、これまた一瞬の気の迷いで、子供の後をつけた。


 純平は子供の足でも五分くらいのアパートに入っていった。自分でもこんなところまで見ているのは気持ち悪いなと思いながらも、しばらくその部屋を見ていた。純平が入っていった部屋は真っ暗で、そしていつまで経っても暗いままだった。


 引き返した道で、コンビニの前を通る。

「あれ? お前、湯島?」

 僕は正直飛び上がるほど驚いて、声の主を見る。コーヒーを片手に声をかけてきたのは、二宮先生だった。

「お前、その格好……」

「趣味です」

 呆れ顔の先生が「それ、かなり目立つぞ」と肩をすくめた。




 次の日も純平は来た。「サンタさん……」とはにかんでいる純平の頬が、心なしか赤く膨らんでいる。「どうしたの、ほっぺた」と尋ねると純平はにこにこ笑っているだけだった。

「叩かれたの?」

 純平は不思議そうな顔で「たたくよ」と当たり前のように言った。

「おとうさんは、おとうさんだからぼくのことたたくよ。でも、ぼくがいい子ならたたかないよ。みんなそうでしょ?」

 なんと言っていいかわからなかった。「おまえは、」と呟いて言葉を詰まらせる。

 そんな僕の反応が面白くなかったのか、やがて純平は帰っていってしまった。僕は立ち尽くし、その背中を見送る。


 その後も毎日純平は姿を見せた。時々傷が増えたりして、たとえば腕をまくらせれば痣がいくつも見つかったりして、僕はそのたびにひどく嫌な気分になった。純平のために怒っているのか自分のために怒っているのかわかったものじゃなかった。


 純平といると、色々なことを思い出す。


 思えば僕のところにサンタクロースなんて一度も来なかった。

 来てほしかった。

 プレゼントなんて何もなくていい。あの大柄でもじゃもじゃの髭で、僕のことを力いっぱい抱きしめに来てはくれないかと、僕は毎年そう思ったものだった。


 気づけば、先日訪れたアパートの、純平が入っていった部屋の前に立っていた。今日は部屋の灯りがついていて、中から怒鳴り声が聞こえている。

 僕は口から飛び出しそうな心臓を押さえつけ、インターホンを鳴らした。


 しばらくして、ドアが開いた。現れた男は、最初から「何の用?」と喧嘩腰だった。

「純平くんと会わせてください」

「なんで?」

 僕は歯を食いしばり、男の脇をすり抜けて中に入る。男が「おい」と叫んだ。


 純平は部屋の隅で、泣きながら自分の頭を守っていた。


 僕は男に肩を掴まれて、殴り飛ばされる。ほとんど腰を抜かしながら、僕は純平に近づいた。純平、と呼べばびっくりしたように子供が顔を上げる。


「お前は……、いい子だよ」


 そう言って、僕は純平を抱きしめる。

「お前はいい子だよ。叩かれる理由なんてないよ」


 ふと、床が軋んだ。振り向けば、男が僕たちのことを見下ろしている。怒っているというよりはひどく面倒そうな顔で、重そうな灰皿を振り上げていた。


 僕は純平を抱きしめながら、目をつむる。しかしいつまでも覚悟していた衝撃はなく、恐る恐る目を開けた。男の腕が誰かに掴まれている。


「何してんだ、あんた。相手は子供だぞ」


 僕は驚愕し、力の抜けた声で「二宮先生……?」と呟いていた。


「……勝手に部屋に入られた」

「そうだとしても、そんなので殴ったら過剰防衛でしょう」


 一瞬の沈黙の後で、男は二宮先生のことを灰皿で殴った。先生はふらついて、「湯島、奥に行ってろ」と叫んだ。


 僕は震えながら純平を腕に抱いて、奥の寝室らしき部屋に入る。まるで子犬のように小刻みに震えている純平を抱きしめていた。


 俯いたまま、どれだけ時間が経っただろう。


 突然ドアが開き、僕は身構えた。

「お前たち、怪我はないか」

 自分はこめかみから血を流しているくせにそんなことを言いながら、二宮先生は僕と純平を抱きしめた。




 それから数日後、休日に先生に呼び出された僕は膝を抱えていた。「何も出来なかった、震えてるばっかりで」と呟く。先生は「何言ってんだ」と苦笑する。

「子供が子供守って死ぬなんて、美談でも何でもないだろう。ああいうのは大人に任せろ」


 そうして先生は、僕に何かを差し出してくる。何だろうと思って見ると、それは棒付きチョコだった。

「なんですか、これ」と僕は尋ねる。先生は笑った。

「馬鹿野郎。お前、サンタさんなんだろ。プレゼントの一つくらい、持ってなくてどうする」

 そう言って、どこかを指さした。


 僕は顔を上げ、ハッとする。

 そこには、大人の人に連れられた純平が立っていた。純平は俯いたまま、なかなか顔を上げようとしない。


 先生に背中を押されながら僕はゆっくり近づいて、純平と視線を合わせる。

 人の褌で相撲を取るみたいでこっぱずかしかったけれど、チョコを差し出した。「メリークリスマス」と言う声は照れ臭さで小さくなる。

 顔を上げた純平が糸でも切れたように泣き出して、僕の首に抱き着いた。

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