【春023】もう一度、春を巻く

 干し椎茸を水で戻し、春雨を短く切ってお湯で戻す。戻した椎茸、ニラとタケノコと豚コマを同じような大きさの細切りになるように切っていく。

 フライパンにごま油と生姜チューブを豚コマを入れて色が変わったら切った野菜をどんどんいれて、火が通ったら椎茸の戻し汁を入れて片栗粉でとろみをつける。

 粗熱を取り、小麦粉を水で練って薄く伸ばした皮に適量のせて、ふちに水溶き片栗粉を塗って折りたたむ。これを繰り返し、長方形の白い包みをどんどん作っていく。



 春巻きは、元カノの大好物だった。


「春巻きならお腹いっぱいなんて関係なくいくらでも食べられる」


 そう、常々言っていた。実際に、中華バイキングに一緒に行ったとき、僕がもう食べられないと音を上げても彼女は美味しそうに春巻きを食べ続けていた。


 付き合って最初の誕生日、僕は手製の春巻きを振る舞った。料理は全くの素人だった僕が、春巻きの作り方を調べ、誕生日当日までに何度も練習を重ねたんだ。最高に美味しい春巻きを作ったと自負している。その、何度も僕の作った春巻きを食べたいとねだってくれていたから、きっと彼女も気に入ってくれていたはずだ。


 ある日の夕方、僕は春巻きを包みながら彼女に聞いてみた。


「春巻きってなんで春を巻くって書くか知ってる?」


 それは、春巻きの作り方を調べていた時に偶然知ったことだった。

 彼女は事も無げに答えた。


「知らない」


 彼女の返事を予想していた僕は自分の問いに自分で答える。


「立春の頃に新芽を出すものを具にしていたことから春巻きというんだ。みんなで春野菜を巻いたものを食べて、新春を祝い、無病息災を願ったんだよ。だからほんとは年中食べるものじゃないんだよね」

「ふうん」


 彼女は興味なさそうに頷いた。

 それも想定していたことだったから僕は特に何も言わず春巻きを包み続けた。彼女は、好きなものを好きと言うし、そこまで深く知ろうとはしない。ただ好きと言うだけだ。

 次に口を開いたのは彼女だった。


「春巻き、年中食べてもいいじゃない。美味しいんだから。知識をひけらかすのは、貴方の大好きで大嫌いなところよ」


 僕には彼女の言う意味が分からなかった。

 春巻きを年中食べてもいいという彼女の主張はいいとして、問題はそのあと。

 なんだよそれ、大好きか大嫌いって。どちらかにしてほしい。

 困惑する僕に彼女は事も無げに言った。


「いろんなこと知ってて分かりやすく話してくれるのは、かっこよくて大好きだけど、褒めたら延々とどや顔で話されると嫌になるのよ」


 刺さる。なんてことない感じで言われると余計に刺さる。

 今まで、彼女は僕のことをどや顔で蘊蓄を垂れているウザいやつだと思っていたというのか。そしてそれを今まで特にどうとも思わず黙っていたのか。




 春巻きを包む手に力がこもり、皮が破けて中身が出てきた。

「あっ」

 やってしまった。僕は、誰もいない部屋を見回す。一人でいくつもいくつも春巻きを包んでいると、ついあの日のことを思い出して春巻きをダメにしてしまう。




 結局、あの日は最悪な気分の中で春巻きを食べた。

 僕の話に辟易していたんなら早く言ってくれたらいいのに。そんなことをぐるぐる考えながら食べていたから、僕は彼女の話に適当に相槌を打つ以外何も話さなかった。勿論、春巻きの味なんて全く分からなかった。


 その日、僕は自宅に戻る彼女を送らなかった。

 僕の話に辟易している人と一緒にいて、何を話せばいいというんだろう。

 そう考えたらとても送る気になれなかった。


「じゃあね」


 彼女はそんな僕の様子を気にした風もなく、あっさり玄関から出て行った。意地なんか張らずにすぐ追いかければよかったと、心底思う。

 その帰り道、彼女は交通事故にあった。

 僕が送っていたらもしかしたら避けられたかもしれない。




 そこまで思い返して手元に目をやる。また春巻きの皮を破いてしまっていた。破けた皮はあとでまとめてあげて僕の分にする。僕は春巻きだったものを脇へ避けた。


 鍋に油をたっぷりと入れ、火をつける。温度が170度まで上がったら、先ほど包んだ春巻きをどんどん入れていく。三分ほどできつね色にこんがり揚がった春巻きをすくい、あげ網にのせていく。


 ピーンポーン。


 揚がった春巻きを次々すくっていたらチャイムが鳴った。僕はインターホンに向かって話す。


「いらっしゃい。鍵、持ってるんだから勝手に入って来なよ」

『えー、開けてもらうのがいいんじゃん』

「いや揚げ物してるから出られないんだよ」


 ガチャリ。音がしてドアが開く。


「ちぇー」


 脹れながら、彼女が入ってきた。春巻き好きの元カノだ。

 彼女とは、今でも友人として交流がある。彼女が事故にあったあと、どうしても自分が許せなかった僕がけじめとして別れることを提案したら、何故か友達に戻ることになって今に至る。


「揚げたて、あるよ」

「ほんと!? 食べる食べる!!」


 少しだけ足を引きずりながら傍らに来る。足は、交通事故の怪我が原因だ。リハビリを続ければいつかは引きずることもなくなるらしい。


「塩? タレ?」

「どっちも!!」


 元気よく答える彼女に苦笑しながら、僕は彼女のために椅子をひく。

 春巻き、ご飯、中華スープにサラダ、青椒肉絲、麻婆豆腐。

 いつの間にか得意料理になっていた品々をテーブルに並べて座った彼女にうながす。


「召し上がれ。春巻きはまだまだ揚げるからたくさん食べてね」

「ありがとう!! いただきます!!」


 手を合わせたあと、満面の笑顔で春巻きにかぶりつく彼女を見ながら、僕は追加の春巻きを包み始めた。彼女と一緒なら春巻きをダメにすることもない。


「やっぱり貴方の春巻きが一番好き!!」

「そう? よかった」


 その笑顔だけで作ってよかったと思うよ。

 幸せそうな笑顔で彼女が言う。


「ね、一緒に食べようよ」

「いいよ、君が全部食べて」


 そのために作ったんだから。


「え、だって……」


 次の春巻きにかぶりついて彼女が言った。


「これ、みんなで食べて健康を願うものなんでしょ? 貴方も一緒に食べよ?」

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