【夏026】一夏の……

 小諸こもろって地名が今でも頭に残ってやがる。長野県のどっかなのは間違いねえが、詳しい地理は知らねえ。カーナビとに言われるがまま、俺はハンドルを握ってただけだからな。

 一夏の恋なんてキレイなもんじゃねえさ。俺とあの子のカンケーは、そうだな、セフレって言うのともちょっと違う。そーいうコトがあったのは最初の一回だけで、あとは何にもナシさ。思い返せば、短い間にずいぶん頻繁に会ってたもんだが、メシを奢ろうが部屋に上がろうが、そっちは二度とヤラせちゃくれなかったな。

 地元にいた頃に男関係で色々あったらしくて、そっちの方面がトラウマなんだって言ってたからなあ。今思えばそれも、しつこい俺にヤラせないためのホーベンってヤツだったのかもしれねえが、あの頃は俺も若かったからよ。あの子の話を結構素直に信じまってたんだよな。

 だから、もうヤラせてもらえねえと分かってても、毎日メールして、事あるごとに会いに行ったよ。ガラにもなく、あの子がミクシーで新しい日記書いてないか、数時間に一回確認しちまったりな。そうそう、あの頃は俺らの世代はみんなミクシーやってたんだよ。今じゃインスタだっけか、俺はもう全然付いてけねえが。

 不思議なもんで、会うこと自体はイヤがらねーし、部屋に上げて手料理まで振る舞ってくれんのに、とうとうカノジョにはなってくれなかったんだよな。あの子も一人でこっちに出てきて、話し相手が欲しかっただけだったのかな。

 歳は俺の二個か三個くらい下だったかな。声優かなんかの専門学校に通ってて、カワイイ子だったよ。髪なんかツヤツヤのお姫様系でさ。当時ちょうどエーケービーが流行ってて、あの「まゆゆ」って子に似てたのは覚えてるな。いや、似てるって言われるって自分で言ってたんだったか。

 だから、そう、俺みてえなのとは釣り合わねえ子だったんだよ。地元でも結構ヤンチャな連中と付き合いはあったらしいが、本人は全然そういう雰囲気に染まってなかったしな。リズリサってブランドが今もあるのか知らねえが、ああいうワンピースとかが好きでよ、俺もいっぺん買ってやったもんさ。テイよく貢がされてただけだろって言うヤツもいるが、あの子から奢ってくれだの服買ってくれだの言われたわけでもねえし、俺が好きでやってたことだからよ。

 まあ、なんだ。惚れてたんだな、割とガチで。ヤラせもせず振り回されても、それを楽しいと思えるくらいにはよ。たった二、三ヶ月の短い付き合いだったけどさ。

 その頃ちょうど夏休みの時期で、その子が地元に帰省するって言うからよ。俺から結構ゴーインに言って、車で片道だけ送ってったんだよ。例の小諸まで何時間も掛けてな。途中で安曇野あずみのってとこに寄って、ナントカ農場って有名なとこがあんだろ、そこでワサビ味のソフトクリームかなんか食べたのを覚えてるよ。向こうからすりゃ、片道のバス代が浮いてラッキーくらいの気持ちだったのかもしれねえが、イヤ、ちょっとはあの子も楽しんでくれてたと思いてえな。

 そんで、その子の地元に着いて、よく行ってたっていう洋食屋で一緒に晩メシ食って、そのまま俺はトンボ返りさ。俺も泊まって一緒に観光、なんて流れになるほどの関係でもなかったからよ。向こうは夏休みでも、俺は仕事もあったしな。まあ、それでも楽しかったんだよ。

 だから結局、小諸ってのがどんなとこだったのか、俺はイマイチ知らねえままでよ。リンゴが有名だって知ったのは、もうあの子に会えなくなってからさ。

 運命ってのはああいうのを言うのかねえ。知っての通り、色々とヒトサマに言えねえ生き方をしてきた俺だがよ。その時期、チンケなケーサツ沙汰に巻き込まれてよ。ほとんど言いがかりな容疑でパクられちまって、まあそれ自体は別にいいんだが、その時たまたま俺が仲良くしてた相手ってことで、あの子にもケーサツやらから呼び出しがあったらしいんだな。俺の容疑が女絡みだったもんだから、俺とヤッただのヤラないだのの話までその子も根掘り葉掘り聞かれたみたいでよ。フツーの子がそんな目に遭ったら、俺とまた会いたいとは思わねえわな。

 国選で来てくれた弁護士が優しいヒトでよ、あの子にも連絡を取ってくれたんだが、会いたくないって言ってるって話で、それで俺の恋は終わりさ。それから無事に不起訴で出ては来れたが、あの子と連絡がつくことは二度となかったよ。無理やり会いに行ったらストーカーだしな。

 ……たぶん、人生で起きることに全部意味があるんなら、あれは俺にあの子を諦めさせるためにカミサマが決めたことなんだよ。あのくらいどうにもならねえ切っ掛けがなきゃ、俺はあのままズルズルあの子に言い寄り続けて、諦めようにも諦めきれなかっただろうからな。

 そうそう、小諸のことは、留置場で読んだ十津川とつがわ警部の小説に出てきたのさ。たまたま独房だったのもあって、取り調べがねえ日は暇で暇でしょうがなくてよ。このシリーズは文章がナンカイじゃなくて読みやすいからって、担当さんに勧められて何冊か読んだんだよ。

 一冊で一つの話になってるのやら、短い話がいくつか入ってるのもあった。その短い方の話の一つに、小諸が出てくるのがあったんだよな。リンゴ農家のトラックがどうたらって話だったと思うが。最後、十津川警部が部下だか奥さんだかに、「リンゴの季節になったら、小諸に行ってみようか」とか何とか言うんだよ。なぜかそれで泣けてきちまってよ。

 だからかな。あの子の顔がハッキリ思い出せなくなっても、その地名だけは未だに記憶から消えねえんだ。長野のことなんか他になんにも知らねえのによ。

 最後にあの子を見たのはフェースブックだったな。結婚して東京に住んで子供を産んでたよ。変わった後の名字を覚えてねえから、もう検索することもできねえ。まあそれでいいのさ。あの子がマトモな相手とくっついて幸せに生きてんなら、それ以上俺が気にすることは何もねえよ。

 でも、コロナが収まったら長野に旅行に行きたいって嫁が言ってんだよなあ。あの子の地元の方面に行く機会があるかは知らねえが、ガラにもなくおセンチな顔しちまって何か勘繰られやしねえか、それだけが心配ってワケよ。

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