【冬009】うれしはずかしドッキリ帰省
十二月二十九日、夕方。
ホームで列車を待っていると、彼氏のヒロくんからメッセージが届いた。
【本当に帰省しないの?】
【両親とか悲しまない?】
【おれも悲しいんだけど……】
切符を握りしめ、にんまりと私は笑った。
お土産の紙袋を足元へ置いて【しないよ】と返信を打ち込む。それから、自分の席を確認する。のぞみ五〇号、博多発東京行き。愛くるしい顔の新幹線が、滑るようにホームへ入ってきた。
一日早く仕事を納めて、新幹線で故郷に帰ります!
ただし、彼氏には秘密で。
彼氏のヒロくんは私と同い年だ。就職したての二十三歳の夏、故郷の東京で知り合った。たくさん一緒に過ごして、互いのことを知るたび愛情が深まって、このまま結婚してもいいと本気で想う相手だった。
それを、悪魔みたいな私の勤務先が引き裂いた!
今年の頭、地方への転勤を言い渡された。彼氏がいるんですと抗議しても人事は聞き入れてくれなかった。当たり前だけど会社は私の私生活なんか斟酌してくれない。かくして私たちは今、千キロもの遠距離恋愛を余儀なくされている。
会えなくなってもヒロくんのことは好きだ。毎晩、帰宅したら電話して、顔が見たければオンライン会をして、帰省のたびに会いに行くほど好きだ。だから、ちょっぴり
今のところ、万事は上手くいっている。
指定席を取って正解だった。込み合う車内に自分の席を見つけて、お土産の紙袋を荷物棚へ押し込んだ。駅を出た新幹線は速度を上げ、矢のように街を駆け抜けてトンネルに突入する。こんなに速いのに、東京までは五時間近くもかかる。
暇つぶしの相手はもちろんヒロくんだ。
このためにわざわざ飛行機じゃなく、通信のできる新幹線を選んだのだから。
【色々行きたいところあったんだけどな。初詣とか……】
ヒロくんは本気で凹んでいる。込み上げる可笑しさを隠して、私も半泣きのスタンプを連投する。
【しょうがないよ。早く出世して東京に戻るためだし】
【美英の栄転を祈るしかないか】
ヒロくんの機嫌が少し回復する。流れゆく黄昏の景色を見つめながら、私は【何時に仕事上がり?】と話題を変えた。海を渡った新幹線はグングン速度を上げ、本州の
【残業あるから遅いかも。九時半に東京駅って感じ】
ちょうどいい。この新幹線も九時半過ぎに東京着だ。腕時計を見やったら急に実感が湧いてきて、緊張で身体が硬くなった。
あと四時間もすればヒロくんに会える。
どんな顔で迎えられるかな。
ドッキリなんか仕掛けるなって叱られるだろうか。
叱られてもいいけど、そのあと頭をわしゃわしゃされたい。遠い町で一年間、よく頑張ったねって褒められたいな。
【仕事納め、大変?】
【大変だよ。後回しにしてきた課題が山積みでさ】
【私のところも山積み。みんな考えることは同じだよね】
残務の山に埋もれるヒロくんを想像しつつ、他愛のない雑談を重ねる。私の存在が少しでも仕事の励みになればいいな、と思う。
たったそれだけでもヒロくんに必要とされたら、忘れられずに済む気がするから。
新幹線は一目散に東京を目指して走る。
一時間、二時間と経つにつれて、いやに頭が重みを増してきた。
乗り物酔いだろうか。さすがに五時間の長旅は
夢の中でも私はヒロくんに会っていた。
付き合いたての頃のように、仕事の愚痴を吐き出して、好きなことを語らって、気が合うねって笑い合っていた。
ヒロくん、もとい
ああ。
全部、夢物語になってしまったな。
私が東京へ戻れる見込みは今も立たない。
あのとき願った未来は、私の胸中では少しも変わらない。でも、ヒロくんのなかで変わってしまっていたらどうしよう。遠距離に耐えられなくなったヒロくんが、こっそり誰かに乗り換えていたらどうしよう。そうならない保証なんて私にはできない。自信が持てないのだ。
「ヒロくん……」
塩辛い声が垂れて、はっと私は覚醒した。
新幹線は東京の一つ前の駅を出たところだった。
ヒロくんからのメッセージが殺到している。【やっと終わりそう】【まだ忙しい?】【終わったら電話したいな】──。慌てて返信の放置を詫びつつ、高鳴る胸を私は深呼吸で懸命になだめた。
宵闇の都会を新幹線は疾走する。
ドッキリ実行まで、あと五分だ。
退勤したヒロくんが早速電話をかけてきた。駅のアナウンスを聴かれないかとヒヤヒヤしながら、私は電話に出た。
『美英も仕事上がり?』
「うん。やっと帰ってきたとこ」
『家に? なんか後ろがうるさいね』
どっと胸が弾んだのは、家にいないことを悟られたからじゃない。駅前の雑踏にヒロくんの背中を見つけたせいだ。
そうでしょ、ヒロくんも後ろに気をつけなよ──。そう言い捨てて背後へ駆け寄るつもりだったのに、声が引っ掛かってしまった。懐かしい人の姿が涙で霞んだ。異変に気づいたヒロくんが、電話越しに『どうしたの』とオロオロする。
私は走った。
そうして、まだスマホを握ったままのヒロくんに飛びついた。
「美英!?」
渾身のドッキリを食らったヒロくんが、真っ赤な顔で私を見つめ返す。
ああ。この匂い、この声の重み、この温もり。二年前から何も変わらない、私の大好きな人のそれだ。涙があふれて収まらない。驚かせに来たのも忘れて、私はヒロくんを夢中で見上げた。
「ただいま……っ」
ヒロくんはたちまち訳知り顔になった。
それから、呆れ果てたように笑って、少し鼻をすすって、お利口だった私の頭を優しく撫でてくれた。
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