【秋021】醤油とポテトと満月と

 炊き込みご飯を作る。

 といっても、ご飯を三合洗って丸美屋の五目ご飯の素を入れるだけ。うちはずっとこれだ。とても簡単で美味しくできるからいい。炊飯器をいつもと違って普通炊きにセットしたら、冷蔵庫へ。

 じゃがいも、人参、白滝、牛肉……あれ、玉ねぎがなかった。まぁ……いいか、砂糖を多めに入れよう仕方ない。白滝の下ゆでのために軽くすすいで小鍋を火にかける。肉じゃがだ。

 引き出しからピーラーを取り出す。今度は野菜の皮剥き。

 私はピーラーで皮を剥くのが少し苦手だ。小さい頃、初めて使ったピーラーで自分の皮を剥いてしまった。皮が薄く剥けたまあるい泉からじわりと赤が湧く痛みが忘れられず、いつも身構えてしまう。ちょっと不器用なのだ。

 おっと、お湯が沸いた。白滝を放りこんで、また皮剥きに集中する。じゃがいも、人参を剥き終わって水に浸けた。牛肉は外国産の見るからにパサパサ味なので、アイラップに入れ替えて酒とごま油でもんでおく。

 誰に教わったわけでもないけど、日本産のに比べると水分と油分が足りない気がするから。適当すぎるかしらん。

 白滝をお湯から上げて、シンクのざるへ。

 深鍋に油をしいて火にかける。忘れてた、にんにくあったかな。あったあった、よかった。急いで輪切りにして放つ。

 おっと温めすぎて焦げちゃった。お肉入れて……あぁお肉のいい匂い。

 そうね、しょっぱいものばかりだからさっぱりしたのも作ろうか。


 ――もう秋といっても、陽射しが強い。北側の台所には、網戸越しに少しだけ風が吹いてくる。でも火の側にいる私はすでに汗だくだ。肉じゃがはいい具合。

 時折の涼しさに鍋をかき混ぜて、落とし蓋をした。炊飯器はあと十分。

「ただいまー! あ、母さんなに作ってるの」

 手も洗わずに幸生ゆきおが台所に入り込む。

「肉じゃが。あと炊き込みご飯」

「やったぁ。あとさ、フライドポテトも!」

 えぇ? きゅうりを切っていた手を止めた。

「だって肉じゃがにじゃがいも入ってるでしょ」

 それに揚げ物は面倒。

「いいじゃん食べたいよー」

「だめ。いいから手を洗ってきなさい」

 はぁい、といがぐり頭が洗面所に走って行く。この前私の妹と初めてマクドナルドに行ってから、ポテトポテトとうるさい。新しいショッピングモールに入って、大賑わいだという。じゃがいもを切ってあげる、とは聞くものの本当にそんなに美味しいのだろうか。細切りは苦手。

 ふむ。私はひとつきゅうりの浅漬けを口に放り込んで考える。しゃくしゃくと塩味が丁度いい。手を洗ったらしい幸生が居間のテレビをつけて、何かのアニメの歌が流れてきた。今度、家族三人で食べに行ってみようか。

「ねぇ母さん、明日お月見なんだってー」

「うん」

「団子食べられるの? ぼく、みたらしがいいなぁ」

「はいはい」

 やったぁ! まったくもう、食べることしか頭にない。

 宿題は? と尋ねても、返事がない。盛り付け終えて、もう一度声をかけてもだめだ。

「幸生!」

 聞こえなくなった耳を引っ張り上げてやる、と私はエプロンで手を拭った。


『今日は九月十日、中秋の名月です。二年連続の満月ですね』

 つけっぱなしにしていたニュースからそう聞こえて、今日は満月か、と最近覚えたキャベツの酢漬けを味見した。うん、さっぱりして美味しい。

 ――あの日、幸生は遊んだ疲れでテレビを見ながら朝までぐっすりだった。そして慌てて出かけた登校中、車にはねられた。そしてそのまま息を引き取った。

 あせもが痒くなるからとシャワーを浴びせて時間がなく、ろくに朝ご飯も食べさせてやらなかった。大好きな炊き込みご飯の、あと一口ぐらい食べさせてあげればよかったのに。自分は夜も朝もたらふく食べて幸生には……。

 ぐずぐずと鼻をすすった。何度も後悔している、何回も十何年も。

 玉ねぎがなくてよかった、と思う。あれで涙が出てしまえば、つられていつも止まらなくなるから。

 ピー。炊飯器が呼んだ。「はいはい」しゃもじを取り出して、蓋を開ける。もわっと顔中が醤油のいい匂いになった。あぁ美味しそうにお焦げもできてる。かき混ぜて蓋をして、深鍋の火も止める。さっさと洗い物をして、シンクの上を片付けた。

 ――秋風がふぅ、と額の汗を撫でた。

 青い網戸越しに、裏の家のススキが揺れていた。今日は幸生の命日。

 幸生、今日はお月見だってさ。ついでだから父さんにお団子も買ってきてもらおうか。

 私は居間にスマホを取りに戻って、夫にラインを送った。ニュースはまだお月見の特集が続いていて、色とりどりの団子が画面に大写しになっている。

「なにがいいだろ、胡麻と餡子かな」

 ごまとあん、まで入力したとき、ピー、ピーと炊飯器が鳴った。あれさっき蓋は閉めたのにと思いつつ、台所へ向かう。

 開いていた。やだ忘れるなんて、とぎゅっと蓋を閉め、やっぱり片付けたと思っていた醤油差しを定位置に戻す。もう年かな。苦笑して台所に立ちこめた醤油の匂いを吸い込んで――はっと思い出した。

「ぼく、みたらしがいいなぁ」

 そうだ、そうだった! 

 私は居間に走った。

 入力途中の文字を消して消して、『みたらし』と打った。送る。あぁばか、それじゃなんのことか分からないじゃない。

 でも、手が震えてもう字を打てなかった。忘れていた幸生の声を思い出したことが嬉しくて、嬉しくて私は畳に膝をついた。そうだみたらしだ。涙があふれて止まらない、どうしても止まらなかった。


「ただいまー」

「おかえりなさい。……買いすぎじゃないの?」

「いやだって、お月見セールって言うから」

 夫の手には満月の絵がかいてある紙袋と、団子屋のビニール袋が提げられていた。団子が三パック!

「食べきれないでしょ」

「まぁまぁ」

 私は口をへの字にしてそれを受け取り、袋の口からもれた香ばしい油の匂いにお腹を鳴らした。幸生がいなくなって、初めてポテトを食べてから、私も夫もすっかり夢中なのだ。Lサイズなんて胃もたれしちゃいそう、と思いつつ居間に出した皿にざざっと空ける。いい匂い。

 炊き込みご飯と肉じゃがと、ポテト。

 ふと庭を見ると、レースカーテン越しに大きな満月が輝いていた。

 ほら、幸生団子だぞ、有名店のだ美味いぞ。手も洗ってないのに、夫が仏壇に団子をあげた声が聞こえた。


(了)

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