兄弟半妖 家路をたどる

 時間は僅かに遡る。十二月二十八日の夕方。島崎源吾郎はキャリーケースの取っ手をひしと掴みながら、列車の中で揺られていた。参之宮から乗り付けたものの、時間が時間だったので座席に座る事は叶わなかったのだ。

 源吾郎はしかし、周囲の人たちに迷惑にならぬよう身を縮め、不満も特に感じずに立ち続けていた。既に夜が近い時間帯でもあるから、車内が混んでいるのは致し方ない。それに自分は若いし半妖でもあるし、立ちっぱなしでもそれほど問題はないからだ。

 更に言えば源吾郎が乗車しているのは新快速である。参之宮から赤石を抜けるまではほぼ各駅停車に近い快速とは異なり、神戸を抜ければほとんどの駅を素通りするので姫路まではあっという間である。

 新快速に乗れてよかった……その感情は早く実家に戻れることへの喜びなのだと、源吾郎は軽い驚きと共に悟った。齢十八で実家を出たのは源吾郎自身の意志だった。勤務地が遠いという事もあるが、それ以上に仔狐扱いされたり親兄姉たちの干渉から逃れるためでもあった。その辺りは雪羽とは完全に違っていた。彼の場合は、外的な要因のために親や保護者から引き離されてしまったのだから。

 その雪羽も、今はもう既に三國の許に戻っているはずだ。教育係である萩尾丸が雪羽を家まで送り届けた事は源吾郎も知っていた。彼もまた年末年始はべったり三國の許で過ごし、年始の仕事初めから萩尾丸の屋敷に戻る事が決まっていた。雪羽が三國の許に戻れる事で狂喜乱舞したのは言うまでもない。過去の境遇ゆえに家族との結びつきを大切にしたい思いが強かったし、何より雪羽はまだ精神的には子供なのだから。

 車内に流れるアナウンスを聞きながら、源吾郎はぼんやりと窓の外を眺めていた。外は既に暗く、ガラスの向こう側に広がる景色よりも、源吾郎自身の像の方がやけにはっきりと見えてしまう。暗いガラスはある種の鏡の役目を果たすのだ。

 ロングコートとマフラーで暖を取る、大人しそうな風貌の青年。薄暗いガラスの像はそんな風に源吾郎の姿を映し出していた。半妖と言えども三大悪妖怪・玉藻御前の血を引く異形には思えないような、ごく平凡な姿だった。

――俺が玉藻御前の子孫だって思うヒトはいないだろうなぁ

 同じ車両に詰め込まれた乗客を見ながら、源吾郎は密かにそう思っていた。玉藻御前の末裔だとは思われていない事に落胆せず、安堵の想いを抱えながら。

 仕事中や他の妖怪たちと会っている時と異なり、源吾郎は人間の姿に擬態していた。漂う妖気をご自慢の四尾ごと押し隠しているのだ。普通の人間や妖力が極端に少ない妖怪であれば、源吾郎を見ても単なる人間だと思うだろう。仮に本性がバレても、実はそんなに大した事にはならなかったりする。妖怪は血気盛んな連中ばかりではないし、人間に擬態している者はみだりに攻撃してはいけないという不文律があるからだった。

 そうと解っていながら源吾郎がいらぬ警戒心を抱いてしまうのは、単に彼が臆病だったからと言うだけではない。今年は源吾郎の身辺で妖怪絡みの出来事や事件が色々と起きた年でもあった。その事件の厄介さや恐ろしさを思い知っているからこそ、どうしても臆病風に吹かれてしまったのだ。


 駅を出て家路に向かう丁度その時、進む先に黒い人影が佇立しているのを源吾郎は目ざとく発見した。いつかの時とは異なり、謎の九尾様などではない。人間にほぼ近い存在であると、源吾郎はその嗅覚や相手の気から察知していた。半妖であるが故に、嗅覚や気を探知する能力は純血の妖狐たちよりもやや劣る。とはいえ、どちらの能力も十分人間離れした代物である事には変わりない。


「宗一郎兄様!」


 源吾郎はキャリーケースの取っ手を強く掴み、声を上げながら人影の方に向かって行った。人影は長兄の宗一郎だったのだ。人影のように見えたのは黒いロングコートを背広の上に着こんでいたからだ。それとは対照的に手には食材の入った白いレジ袋を提げている。

 その宗一郎は、ともすれば息子のように扱っていた末弟の姿と声を認めると、頬を火照らせたまま微笑んだ。


「お帰り源吾郎。こっちには今着いたところかい?」

「お帰りって……まだここは家の中じゃないよ。でも、こんな所で兄上に会えるなんて凄い偶然だなぁ」


 源吾郎の言葉に、宗一郎は声を出して笑っていた。寒くないように首許をマフラーで温めているも、やはり頬の赤みがやけに目立った。


「ははは。確かに偶然って奴だろうな。僕だって母さんたちに頼まれて買い物をして、それでこれから帰ろうと思っていたからね。何、源吾郎の姿だって見かけただけだよ。とはいえ、合流出来たのは都合が良いな」


 あ、兄上はをついている。長兄の話を聞いていた源吾郎はすぐに気付いてしまった。宗一郎は偶然源吾郎が帰って来るのを見かけたのではない。源吾郎がここを通るまでのだ。その真相を源吾郎は察知してしまったのだ。

 宗一郎の頬の火照りは源吾郎に会った興奮と喜びに染まっているだけではない。寒さにさらされたが故の物なのだろう、と。

 源吾郎はしかし、真実に気付きつつも気付かないふりをする事にした。宗一郎の考えや思いは源吾郎にも手に取るように解る。息子のような末弟を心配しつつも、重く深く心配している事を悟られたくはないのだろう。さもなければ素直に「源吾郎が来るまで待っていた」と言うはずだろうし。


「それにしても、年末と言えども全員揃うのは珍しい事だから嬉しいよ」

「兄上たちも姉上ももう戻ってるの?」


 頓狂な声を上げて源吾郎が尋ねると、宗一郎はゆったりと頷いた。当然のようにその面には笑みが浮かんでいる。


「今回は庄三郎がきちんと戻ってきたからなぁ。あいつ、自営業で一番身軽なはずなのに、製作だのなんだのと言って実家に戻らない事が多かったんだよ。連絡を寄越しても源吾郎みたいにマメに返事もしてくれないし……とりあえず一安心だよ」


 画家って自営業の一種になるのか……宗一郎の言葉を聞きながら、源吾郎はほんの少し首をかしげてもいた。まぁ宗一郎は根っからのサラリーマン、それもお堅い総務か人事の仕事に就いているから、画家と言う職業についてそのように解釈してしまう物なのかもしれない。

 源吾郎はそれよりも、庄三郎の心境が気になってもいた。恐るべき妖狐の能力を受け継ぎながらも、しかしそれ故に世捨て人みたいな生き方を選んだ庄三郎は、そもそも他人と関わる事を好まない性質であった。それは身内に対しても多少は働いており、美大生だった頃から親兄姉たちとは距離を置いて暮らしていたのだ。他ならぬ宗一郎とて、庄三郎からは中々連絡が返ってこないと言っていたではないか。

 弟である源吾郎とは比較的積極的に交流を図る庄三郎であるが……それは源吾郎が弟であり、尚且つ庄三郎の魅了の力が効かないからであるらしかった。源吾郎が生まれるまでは末っ子だった庄三郎であるが、兄姉らには彼なりに遠慮したり、素の自分をさらけ出せない部分もあるらしかった。

 まぁ末の兄の思惑については今考えるべきでは無かろう。源吾郎はそこで考えをいったん打ち切った。どの道家に戻れば庄三郎に会える訳だし、彼とて話したい事があれば源吾郎に打ち明けるだろうから。

 そう思っている間に、宗一郎は再び口を開いていた。


「あとは双葉と誠二郎はもう既に職場の忘年会は終わっていて、それで仕事納めの今日からこっちに来れたみたいでな。忘年会があると、どうしても夜遅くなるだろう?」

「そりゃあそうだろうね。双葉姉様も誠二郎兄様も良い歳だし。あ、でも誠二郎兄様はギリ二十代だったか」

「そう言えば源吾郎。君の所は忘年会はあるのかい?」


 ぐっとこちらを向いて問いかける宗一郎に対し、源吾郎は半ば反射的に首を振った。


「ううん。今年は特に無いんだ。まぁ何というか……うちの職場も今年の年末は色々と込み入った事があってね。忘年会は抜きにして、その代わりに新年会を豪勢にやろうって事になってるんだ」


 詳しい事情は話さなかったが、源吾郎の言葉には嘘はない。

 元々確かに、紅藤たち研究センターの面々も、忘年会は予定していたのかもしれない。しかし研修生である雪羽の事を考慮して忘年会を取りやめにしたような物だった。雪羽の養母である月華がいつ子供を産んでもおかしくない状況下であるから、雪羽もそれどころでは無かろう。これが忘年会取りやめの直截的な理由なのだ。

 上の、恐らくは紅藤か萩尾丸の下した判断に源吾郎は異存はなかった。義理の息子として月華の事を雪羽がひどく気にしていた事は源吾郎も知っていたし、上がそう判断するのならばやむなしと思って受け入れてもいたのだ。

 それに考えてみれば、源吾郎も源吾郎で、実家に帰る事やその間ホップをどうするかなどで頭が一杯でもあった。飲み会のような場を苦手とするわけでもないが、集まる面子が研究センターの面子ともなれば、場の雰囲気も大体想像できてしまう訳であるし。

 そんな風に呑気に考えていた源吾郎であるが、隣を歩く宗一郎はいつの間にやら思案顔となっていた。


「そうか、まぁ源吾郎の所の上司たちは……結構ベテランと言うかもんなぁ。そりゃあ年末だから忘年会、と言うルーチンにも飽きてらっしゃる可能性もあるだろうし」


 妖怪の許で働いている事を知りつつも、宗一郎はと言う単語は使わなかった。通行人に聞かれる事を考慮しての事であろう。もっとも、源吾郎がこっそり認識阻害の術を使っているので、誰かに聞かれたとしても取り留めもない雑談として処理されるはずなのだが。

 結構なベテランで長く働いている。そのように紅藤たちの事を評した事に、源吾郎は密かに感嘆していた。物は言いようだな、と。

 宗一郎はそれから、窺うような眼差しでもって源吾郎の瞳を覗き込む。光る筈のない黒目が光ったようにも見えた。


「ともあれ源吾郎。新年会では無礼講と言う事で盛り上がるかもしれないが、くれぐれもお酒に手を出さないように。君は社会人と言えどもまだ未成年なんだからね。

……田舎の職場だから、或いは上司の方から飲むように勧められるかもしれないが……」

「そこんとこは大丈夫だよ、兄上!」


 既に来年の事、新年会の事を心配し始めている宗一郎の言葉を遮り、源吾郎はポメラニアンよろしく声を上げた。


「実はその……本社の方でお酒絡みのトラブルがあってね。それはもう研究センターの上司たちもバッチリ知ってるから、俺らがうかうかお酒を飲むなんて事は紅藤様も萩尾丸先輩も承知しないはずさ」

「そうか。それなら良かったよ」


 思わず雪羽のグラスタワー事件の事をチクってしまった源吾郎であったが、宗一郎が安心したような表情を浮かべたので胸をなでおろしてもいた。だがまぁあの一件で研究センターの面々が若妖怪の飲酒や乱痴気騒ぎを警戒している事には違いない。

 そうでなければ雪羽の護符に、飲んだ酒が片っ端から酢になるなどと言うまだるっこしい細工などしないだろう。もしかしたら知らないだけで、源吾郎の護符にもそうした細工が施されているかもしれないし。

 さてそうこうしているうちに、二人は実家の門前までたどり着いていた。門灯は橙色に輝き、暖かく兄弟を出迎えているようだった。


※源吾郎が未成年:物語の舞台が2017年であるため、18歳の源吾郎は未成年と見做される。宗一郎が未成年と言ったのはそのためである(筆者註)

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