雷獣来りて真相さぐる――ヤンチャはほどほどが良い理由

 源吾郎は雪羽と萩尾丸の顔を交互に見つめていたが、何をどう言えば良いのか解らなかった。言葉は出てくるだろうが、雪羽を納得させる事は出来ないと思っていたのだ。叔父に、保護者に迷惑をかけたくない。源吾郎自身が強くそう思った事は殆ど無いからだ。


「おやおや雷園寺君。聞き分けの無いワガママを言っちゃあいけないなぁ。まぁ、君位の子供なら、多少のワガママも可愛らしくて良いんだけど」


 笑みを崩さぬ萩尾丸の言葉に、源吾郎も雪羽もまず目を丸くした。雪羽の言動をワガママと評した事に源吾郎は驚いていたのだ。それはきっと雪羽も同じだろう。


「聞き分けを良くしようと思ったから、俺はああ言ったんだよっ!」


 萩尾丸を睨みつけ雪羽は鋭く吠えた。放電していない事が奇跡的であるほどの剣幕だった。


「叔父貴にはもう俺の事で心配してほしくないんだ。そもそも俺が萩尾丸さんの許で修行する事になったのも、俺が遊び過ぎていて、それがマズい事だって大人たちに咎められたからだし。

 それに叔父貴は今、月姉つきねぇの事で頭がいっぱいなんだ。ずっと先だけど、二人の間には本当の子供が出来るんだよ。なのに、それなのに、俺の事なんかで叔父貴が心配するのは駄目なんだ」

最大級のワガママじゃあないか」


 耳朶を紅くして力説する雪羽に対し、萩尾丸は笑みを浮かべながら言い切った。


「良いかい雷園寺君。君くらいの歳の子供はだね、妙な気兼ねなんかしないで親に甘えても構わないんだ。それに新たに生まれる二人の子供の事について君があれこれ気をもまなくても良いじゃないか。君がヤンチャするのと、三國君たちの間に子供が出来る事とは別問題なんだからさ」

「…………」


 萩尾丸のある種ドライな物言いに対して、雪羽も源吾郎も何も言えずにいた。門外漢である源吾郎はもとより、当事者である雪羽も面食らっているようでもあった。


「もしかして、これ以上迷惑をかけたら三國君に見捨てられるかもしれない……君の心配事はそっちなんじゃないかな?」


 笑顔のまま、萩尾丸はえげつない事を言ってのけた。あの三國が、甥をベッタベタに甘やかしていた三國が雪羽を見捨てるだって……! 源吾郎は驚き目を瞠ったが、雪羽は微動だにしない。その面に苦い表情が広がるだけである。

 だがそれが答えそのものでもあった。


「安心したまえ雷園寺君。三國君は何があっても君を見捨てないだろう。ちょっとした事で引き取った甥を見捨てるような手合いだったら、そもそも君を引き取りはしなかっただろうからさ――解るよね」

「……解り、ましたよ萩尾丸さん」


 たどたどしく返事を返した雪羽は、萩尾丸を見上げながら言い足した。


「萩尾丸さん。昨日僕が言った事は、僕の母が蠱毒で死んだって事は叔父には言わないでくださいね。きっと、とても、驚いて困ってしまうと思うから」

「解ったよ雷園寺君。約束しようじゃないか……島崎君も、うっかり言わないように気を付けるんだよ」


 話を振られ、源吾郎はぼんやりしつつ頷いていた。雪羽の想いや考えに直に触れ、戸惑いが強くて仕方なかったのだ。甘える事に対して、両者のスタンスの違いはあまりにも大きすぎるのだ、と。


「島崎君。三國君と対面して色々と問いただされるかもしれないけれど、私たちもついているから心配は要らないわ」


 気付けば紅藤が源吾郎に声をかけていた。その声音は優しく、眼差しには心配そうな色が浮かんでいる。思案顔の源吾郎を見て、三國との対面を恐れていると思ったのかもしれない。

 そのように紅藤の考えをひとり解釈していると、彼女は微笑みながら言い添えた。


「今回の件は蠱毒が絡んだ事故であり、島崎君が悪意を持って雷園寺君を傷つけた訳ではないのですから。もちろん、島崎君も気を付けるべき所はあったと思いますが、ええ、強く糾弾されるべき事はしてないわ。もしも三國君がヒートアップしてきたら、私たちの方で説明しますから」


 紅藤たちはあくまでも源吾郎を庇いだてする方針のようだ。その事にありがたさと戸惑いを感じていると、今度は雪羽の視線を感じた。雪羽は少しだけ顔を上げて源吾郎を見ている。不機嫌そうな気配はなく、むしろ気遣うような笑みさえ浮かべていた。


「良かったですね島崎先輩。叔父貴は頭に血が上るとしがちなんだけど、紅藤様たちが先輩を庇ってくれるんなら心配ないよ」


 雪羽の言葉にどのような真意が籠められているのか、源吾郎には判然としなかった。彼はただ、雪羽の視線から目を逸らすのがやっとだった。


「心配して下さっていますが、僕は大丈夫です。言うべき事、言わないといけない事は僕の中で定まっていますから……」


 紅藤らの話によると、三國への事情聴取にて雪羽が参加するのは最初の数分だけなのだそうだ。ありていに言えば、三國と顔合わせをして様子を見て貰う為だけに参加する形になるという。込み入った話は雪羽抜きで行うという事だ。

 源吾郎はその時に、三國に言うべき事を言おうと思っていた。雪羽が途中で離脱するというのも、源吾郎が言いたい事を鑑みれば都合のいい話でもあったのだ。

 その話を聞いて、或いは三國は動揺し腹を立てるかもしれない。それでも言わねばならない事柄が源吾郎にはあった。


 三國たちとの会議は混沌とした研究センターの事務所ではなく、大会議室で行われた。新人である源吾郎はその部屋にはほとんど足を踏み入れた事が無く、ひどく新鮮な気分を味わっていた。会議室があるのか、と子供らしく驚いてもいた。もっとも、深く考えれば研究所であっても会議をせねばならない状況があるのはすぐに解る話ではあるけれど。

 萩尾丸や紅藤の予告通り、三國は側近の春嵐しゅんらんを連れてきていた。妻であり側近である月華がいないのは、彼女の体調を慮っての事であろう。どちらもクールビズ仕様のスーツ姿だが、それでもワイシャツの柄だとかベルトだとか小物等々で彼らの個性がくっきりと浮き上がっていた。


「紅藤様たちから話を聞かされた時は気が気でなかったが……元気そうで何よりだよ雪羽!」


 雪羽の姿を見るなり、三國は喜びの声を上げて両手を広げた。感情を包み隠さず露わにする雷獣らしい振る舞いだと源吾郎は思っていた。前々から思っていたが、やはり雪羽は叔父である三國に似ている。

 さて雪羽はというと、大げさな三國の態度に一瞬だけ面食らっていたが、すぐに気を取り直したらしく笑みを作って叔父に向き直る。三國の笑顔に実によく似ていた。


「見ての通り、俺は元気そのものだよ、叔父さん」


 あれだけ叔父に会う事を渋っていた雪羽だったが、いざ三國と対面してみるとそのような素振りはおくびにも出していない。余裕の笑みさえ浮かべているように見えたが、或いはそれこそが雪羽の強がりなのかもしれない。

 余談だが今の雪羽はきちんと修道服めいた白衣を着こみ、ついでに紅藤が用意した護符も右手首に巻いている。ふいに妖怪に襲撃されても、ある程度の威力までならば防護できるような出で立ちだ。


「引っ掻き傷とは言えそこそこ力の強い妖怪……それも蠱毒に侵蝕された相手に襲撃されたと聞いていたから俺も気が気ではなかったんだよ」

「気が気じゃあないだろうと思って、僕もずっと三國君には連絡も入れてたんだけどねぇ。雷園寺君の写真も見たでしょ?」

「連絡があったと言えども、やはり自分の目で確認しないと気が済まない性分なんですよ、俺は。しかも写真って寝てる所ばっかりだったじゃないですか」

「ははは、起きている時は撮影を嫌がったからねぇ」


 萩尾丸の説明に三國は渋い表情を浮かべた。雪羽は勝手に撮影されていた事に驚いていたが、すぐに気を取り直し三國に向き直る。


「引っ掻かれたのも腕だけだし、その傷ももう完全に治ってるんだ。結構前の……カマイタチのやつにバッサリ斬られた時の方が大事だったし」

「確かにその通りだな」


 カマイタチにバッサリ斬られた。その文言を聞いた三國は目をすがめ、雪羽の全身を観察していた。雪羽の様子を観察した三國の顔には安堵の色が浮かんでいる。しかし今度は側近の春嵐が眉をひそめた。


「お坊ちゃま。あんまりそう言う事を得意げに言う物じゃあありませんよ。力がある事を尊ぶ妖怪が多いのは事実ですが、そう言う話を嫌う妖怪も一定数いるのですから」


 春嵐の指摘に、雪羽はふてくされこそしなかったが微妙な表情となった。三國の信頼篤いこの風生獣を、雪羽は叔父や兄として慕いつつもやや煙たく思っている事を源吾郎は知っていた。雪羽自身が春嵐の事についてあれこれ打ち明けてくれていたし、何より源吾郎も春嵐のひととなりをうっすらと把握していた。

 正式な保護者ではないものの、折に触れて子供を指導しようとする年長者。その存在が心強くも時に厄介に思う心情は源吾郎もよく知っている。

 とはいえ、源吾郎自身は春嵐に対する悪感情は特に無い。むしろいいひとだと思っているくらいだ。戦闘訓練の見学に時々足を運んで雪羽を応援する一方で、源吾郎の事も何かと気遣ってくれる、そんな妖怪だった。別にこっそりちょっとしたお菓子を貰ったから尻尾を振っているとか、そう言う事ではない。

 むしろ春嵐みたいなしっかりとした考えのある妖怪を側近にしているにもかかわらず、雪羽の乱痴気騒ぎを止める事が出来なかったのか。それが最大の謎である。


「それに前々から言ってますが、若いうちに傷を負ったり沢山の血を流したりするのはあんまりよくありません。妖力が多ければ傷はいくらでも再生するでしょうが、傷を負う頻度が多ければ、身体が成長する事に悪影響がありますからね。

 ましてやお坊ちゃまは、妖力こそあれど、まだ身体の方は成長途中ですし」


 春嵐の言葉に源吾郎は強く驚き、瞠目していた。妖怪の妖力と再生能力の相関関係についてはもちろん知っている。しかし、傷の再生を繰り返す事が若すぎる妖怪には悪影響をもたらすという話は初耳だった。


「でも春兄、血みどろになるくらい大怪我したのはまだ二、三回くらいだよ。それでそこまで悪影響が出るなんて大げさじゃないか……」

「簡単に言えば、お坊ちゃまくらいの年齢だと傷を負って再生ばっかり繰り返していたら、他の妖怪たちよりも立派に成長出来ないか、立派に成長するのに時間がかかるという事ですよ。

――要するに『かっこよくて逞しい男の人が好き!』という女性妖怪のハートを掴むチャンスを失ってしまう可能性もあるって事ですかね」

「そっか。それは大変な事じゃないか。それじゃ、俺これから気を付けるよ」


 先程まで恨めしげに春嵐を睨んでいた雪羽も納得の声を上げた。あまつさえ気を付けるという言質まで引き出した始末である。

 源吾郎はというとそんな春嵐と雪羽とを交互に眺めていた。春嵐の事を三國が参謀として大切にするのも納得だと思ったり、女妖怪の目を気にする雪羽のチョロさ加減に半ば呆れたりしていたのだ。

 それにしても……気付けば源吾郎は呟いていた。色々な考えが頭の中で巡り、それが言葉として飛び出してきたのだ。源吾郎はそのまま言葉を続ける事にした。独り言で片づけられる声の大きさではなかったし、源吾郎自身も質問したい事があったからだ。


「妖怪の妖力が生命力になる事は知っていましたが、まさか傷の再生や回復が、若い妖怪の成長に悪影響をもたらすなんて驚きました……僕は、そんな事は知らなかったので」


 春嵐の説明について、源吾郎は特にこだわりなく知らなかったと白状した。知らない事を知らないと素直に白状するのは、最近ではさほど恥ずかしいとは思わなくなっていた。紅藤や萩尾丸などと言った成熟した大妖怪と一緒にいると、おのれが未熟で無知である事をまざまざと思い知らされるからだ。

 知らないと言い放つ源吾郎に対して、驚きの視線を向ける者はいない。研究センターの面々はもとより、三國や春嵐、雪羽に至るまで半ば納得したような表情を見せるのみだった。


「知らなかったのはきっと、身内から教えられていなかったからだと私は思うんだ」


 穏やかな口調で応じたのは春嵐だった。身内から教えられていない。その言葉に半ば動揺する源吾郎に対し、彼の表情は相変わらず落ち着いている。


「島崎さんは今でこそ妖怪として振舞っているけれど、元々は人間として暮らしていたんでしょ。私は詳しい事は知らないけれど、ご家族は島崎さんが人間として暮らす事を念頭に置いて教育なさっていたんじゃないかな。島崎さんは人間の血を引いているし、何より半妖であるはずの兄君達や姉君は人間として暮らしているのだからさ」

「……はい。恐らくそう言った意図があったのでしょうね」


 人間。おのれに向けて無遠慮に放たれたその言葉を前に源吾郎は視線を伏せた。半妖であっても強い意志と妖力があれば純血の妖怪と変わらない存在になる事は可能である。しかし、人間の血を引き人間として暮らすように育てられた事実から逃れる事は出来ない。春嵐の言葉は、その現実を源吾郎に突き付けてきたのだ。

 春嵐の言葉は真実だと思った。振り返ってみればいくらでも心当たりがあるからだ。確かに兄姉たちは人間として暮らしている。源吾郎は幼い頃から妖怪としての生き方に強く関心を抱いていたが、身内から教えられる妖怪の知識は貧弱な物だった。しかも得られた知識が貧弱だったと最近になってから気付いたくらいなのだ。

 白銀御前の子孫の誰かが一人、紅藤の配下になる。この盟約を源吾郎の母は知っていた。しかし末息子である源吾郎が人間として育つ事を母は望んでいたのだろうか。

 今となってはその真相は解らない。よしんば解ったとしても、源吾郎が妖怪として生きていく事には変わりない。

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