叔父が始める雷獣話――三國のヤンチャな過去話

 驚いて目を瞬かせる源吾郎の耳に、ひそやかな笑い声が入り込む。苅藻は源吾郎の姿を見つめ、事もあろうにくすくすと笑っていたのだ。


「そこまで驚かなくて良いじゃないかわが甥よ。雷獣の三國君が俺よりもうんと強い妖怪だって事は、深く考えずとも解る話じゃないか」


 三國が苅藻より強い。その事を当然のように語ろうとしている苅藻だったが、源吾郎はにわかに信じられなかった。無論三國が大妖怪の域にいる事は知っている。しかしそれ以上に実の叔父である苅藻を強者として尊敬し一目を置いていた。その信頼と親愛のために源吾郎は戸惑っていたのだ。

 苅藻はそんな源吾郎を見つめつつ、相変わらず笑みを浮かべている。


「そもそも雷獣と妖狐じゃあ身体能力からして違うんだ。君も雪羽君とタイマン勝負したのなら解るだろう? 雷獣は雷撃を放てるだけじゃあない。獣妖怪でありながら悠々と空を飛び回る事も出来るし、電流で何でも読み取ることができる。やつらが電流で読み取れるのはその場にある物質だけじゃない。相対する敵の思考や次の手も脳波から読み取れるはずだ。脳波も突き詰めれば電流の一種だからな。

 源吾郎。そんなわけでだな、雷獣はかなりハイスペックな生物なんだよ。そんな雷獣に妖狐が闘いを挑むって言うのはジェット機に普通車が喧嘩を売るみたいな話に似ているんだ」

「ジェット機と普通車って……」


 源吾郎は力ない声でツッコミを入れていた。最後の一文の例えはめちゃくちゃで何とも理解しがたいものである。しかし、雷獣の身体的能力的スペックが高いという話は納得できた。それはやはり源吾郎も雷獣である雪羽の事をよく知っているからに他ならない。タイマン勝負は四度行っているし、そうでない場面でも雷獣の身体能力というのをまざまざと見せつけられていた。

 それから苅藻は、背後にあるおのれの尻尾を意味ありげにゆすった。源吾郎のそれとは異なる、黄金色の毛並みに覆われた三尾である。親族の中で一番玉藻御前の毛並みに似ていると言われる色味だった。


「見てみろ源吾郎。俺の尻尾の数は何本ある?」

「三本ですね」

「それじゃあ三國君の尻尾は?」

「……七、八本はありました」


 源吾郎の二回目の返答はやや戸惑いの入り混じった物であった。雪羽絡みの事でこのところ三國に会ったり見かけたりする頻度は増えている。しかし尻尾の数までは注意が向いていなかった。最初に七、八本はあると思ったきりであり、それ以降は詳しく見ていなかったのだ。

 人間は一度に確認できる数が三か四が限界である、という通説が脳裏をよぎりもした。

 そんな源吾郎の考えをよそに、苅藻は言葉を続ける。


「一部の獣妖怪では、尻尾に妖力が蓄えられる事は源吾郎も知ってるだろう? もちろん雷獣の八尾と妖狐の八尾が同じ妖力を保有しているとは単純には言えない。

 けれど三尾である俺よりも八尾の三國君の方が、保有する妖力の量は多い事は明らかなんだよ」


 それから苅藻は意味深に微笑み、源吾郎に視線を移す。厳密には源吾郎の腰回りで蠢く四尾に。


「ついでに言えば、現時点でお前の妖力量は俺よりも上回っている。妖力の多さを強さだと思うのならば、既に源吾郎の強さは俺を超えているという事だよ」


 おめでとう。淡々と告げる苅藻を前に源吾郎は喜ばなかった。むしろその面には苦い当惑の念が広がるばかりである。妖力面でと限定的な話ではあるが、それでも自分が苅藻より上回っているという事がにわかに信じられなかった。

 苅藻は叔父である。自分よりも色々な事を知っていて出来る事も多い頼れる存在だった。その叔父を追い抜いているとはどうにも思えなかったのだ。


「……妖力の多さではその通りでしょうけれど、実質的な強さでは叔父上には敵わないよ。先輩の萩尾丸さんも、妖力だけで勝敗は決まらないって常々言ってるし」

「ははは、お前がそんな事を言うようになるなんてなぁ。やっぱり紅藤様の許で修行して、少しずつでも成長してるって事だな。可愛い甥っ子の成長を見る事が出来て俺は嬉しいよ」


 冗談なのか本気なのか解らない物言いの苅藻を見ながら、源吾郎は唇を舐めていた。かつての自分の考えを思い出しかけたからだ。年長者というのは頼りになるが、過去の未熟な考えを突き付けようとする事がかなり多い存在でもある。

 それよりも。源吾郎は叔父を見据えながら声をかける。


「三國さんが叔父上に頭が上がらないという理由について教えて欲しいんだ。やっぱり叔父上は術者だから、雷獣の弱点とか知ってそうだし」

「三國君が俺に頭が上がらない理由だな」


 苅藻が問いを反芻したので源吾郎は間髪入れずに頷いた。


「話しても構わないけれど、若干昔の話になるけど構わないかな? 俺も三國君とは付き合いも長いし、端折るとはいえ話すべき事も幾つもあるだろうからさ」

「構わないよ。むしろ俺も三國さんの事で色々と不思議に思ってた事があったんだ。若い頃は反体制派だったとか、それなのに俺の事を密かに気にかけてるとか、その辺が気になる所なんだ。まぁ、全部雷園寺から聞いた話なんだけど」


 三國が若い頃反体制派であり、反体制派だったから源吾郎の事を気にかけている。この話は考えるだに不思議な物だった。反体制派ならば、貴族妖怪の子孫たる源吾郎の事を敵視していてもおかしくないはずだ。あるいは、反体制派だったが考えが変わったという事なのだろうか。

 また、この情報をもたらしたのが雷園寺雪羽であるという事も意味深だ。雪羽は誰あろう三國の甥である。しかし彼は雷園寺家の次期当主を標榜し、三國もこれに乗っかる形をとっている。ますますもって反体制派らしくない態度だ。だからこそ、三國の心中がどのような物なのか気になったのだ。


「三國君は元々野良妖怪だったんだよ。今でこそ雉鶏精一派の第八幹部としての地位と権力を得ているけれど。まぁ、三國君は元々権力という物を白眼視していたから、実は雉鶏精一派に取り込まれるのも不本意な事だったそうだ」


 三國は元々野良妖怪であり、その頃から仲間の弱い野良妖怪を集めて組織を作ろうとしていたと、苅藻は説明を続ける。


「弱い妖怪が怯えず不安を抱えずに済むようにしたいと三國君はあの頃思っていたんだ。当時から三國君は力と才能に恵まれていたけれど、仲間や友達のように思っていた妖怪たちは弱かったり理不尽に晒されていたと感じて、義憤を感じ理想に燃えていたんだろうね。

 まぁアレだ。人間の世界で言えば学生運動に燃えていた若者という感じだな。ああ、源吾郎にはSNSで色々と思想を発信して啓蒙しようとしている学生と言った方が伝わるかもな。ともあれ三國君は頑張っていたんだよ。その態度は実に立派だった」


 今の苅藻の解説は、前に雪羽が教えてくれた反体制派だった頃の三國の事だと源吾郎は確信していた。立派だったと呟く苅藻の言葉には皮肉も含みもない。素直に若者に対する称賛の念がこめられていた。


「今いる三國君の部下たちも、ほとんどが野良妖怪時代に彼の意見に賛同した仲間たちなんじゃないかな。だから三國君の部下たちは若い子ばっかりなんだ」

「……確かに三國さんの所の妖怪たちは若いと思うよ。ついでに言えば妖狐とか化け狸みたいな妖怪じゃなくて、マイナーどころの妖怪が多い感じかな」


 雪羽が色々と話してくれるお陰で、三國がどのような妖怪を従えているのかを源吾郎も知る事が出来た。マイナーどころの妖怪が多い、というのが源吾郎の感想だった。鵺は都にもいる有名な妖怪であるが、有名どころは逆に鵺くらいだった。

 後はカマイタチの出来損ないだとか黒𤯝しいだとか毛羽毛現けうけげんなどといった、力も弱いし表立った勢力を持っていないような妖怪ばかりだった気がする。


「源吾郎。マイナーどころだなんてそんな事を言うもんじゃない」


 しばし考えこんでいた源吾郎は、急な苅藻の叱責にびくっと身を震わせた。見れば苅藻は真面目な表情で源吾郎を睨んでいる。眼差しにはかすかな怒りと呆れが浮かんでいた。


「軽い気持ちで言ったとしても、相手は侮辱として受け取るに十分すぎる言葉なんだぞ。源吾郎、お前は玉藻御前の看板を進んで背負っているのだろう。それなら言葉には注意したまえ。名門妖怪の末裔だからと言って失言は見過ごしてもらえるなんて思っていたら大違いだ。むしろお前の言動がお前の背負う看板を穢す事になりかねんからな」


 苅藻はそこまで言うと、僅かに表情を緩めて言い添える。


「お前とて賤しい半妖だと言われたらどうにもならんだろう? だがそんな事ばかり言っていたら、相手からそうやって後ろ指を指されかねんのだよ」

「気を付ける、気を付けますよ叔父上……」


 ついつい調子に乗ると失言してしまうのだな……おのれの癖を恥じ入りつつも源吾郎は叔父に視線を向けていた。


「ともあれ、三國君は理不尽に思った事は放っておけなかったんだよ。きっと彼の事は相当なヤンチャだって聞かされてるんじゃないかな。そういう感じに見えたのは事実なんだよ。実際彼は、権力を持ってそうな妖怪や密かに悪事を働く術者に歯向かう事も辞さない妖怪だったからね――俺たちが三國君と知り合ったのも、仕事上での事だったんだよ」


 そう語る苅藻の表情は懐かしそうであり、それでいて何処か楽しげでもあった。


「俺たちに対しては、三國君も割と好印象だったんだ。側近の春嵐君の入れ知恵のお陰で丸くなり始めていたからなのかもしれないし、もしかしたら半妖である俺たちの境遇をあいつなりに憐れんでいたのかもしれない。

 いずれにせよ、俺たちと三國君との交流が始まったんだよ。俺も弟分が出来た気がして嬉しかったが、妹は俺以上に喜んでいたよ……妹が、いちかが弟妹を今も密かに欲しているのは知ってるだろ?」

「そりゃあもちろん」


 苅藻の問いかけに、源吾郎はむっつりとしながら応じた。叔母のいちかが弟妹を欲している。この事について源吾郎は常々思う所があった。甥姪がいるのだから、甥姪を素直に弟妹と見做せばよかろうと。しかしいちかは頑として甥姪を弟妹と見做す事は無かったのだ。あくまでも甥姪たちには叔母として振舞い続けている。源吾郎などがうっかり姉のように接すると、割と厳しい様子で態度を改めるよう指摘するほどの徹底ぶりである。


「俺も最初は、三國を犬の仔みたいな弟分だと思ってたよ。あれでも俺らの方が五十以上も年上だし、ほんの子供だと思ってたんだ」


 源吾郎は相槌を打ちながら不思議な気分を抱いていた。苅藻と三國の間に横たわるのは、妖力の差だけではなくて年齢差もあるのだとこの時になって気付いたのである。

 だがそんな源吾郎の考えをよそに、苅藻は険しい表情を浮かべていた。


「三國のやつはだな、俺たちと親しくなるにつれていちかの事を女として見るようになり始めたんだよ。そりゃあまぁいちかは可愛らしい娘だから男妖怪がクラっと来るのは解らんでもない。しかしまぁあの小僧は妙に知恵を巡らせていちかをモノにしようとしていたからな。それで俺が灸を据えてやったんだ」


 灸を据える。やや物騒な言葉に源吾郎が目を瞠っていると、苅藻は薄い唇を引いてにんまりと笑った。


「手始めにあいつの気を逸らそうと思って若い娘に化けて近付いてやったんだが……俺の演技にコロっと騙されてすぐにのぼせ上っちまったんだよ。それでもいちかの事は狙い続けていた訳だしさ。

 まぁちゃんと後で変化を解いて叱責してやったんだけど」

「それで三國さんは頭が上がらないんですかね」

「その通りだよ源吾郎」


 苅藻は実に明るい調子で源吾郎の問いに応じた。源吾郎はここで、三國が苅藻に頭が上がらず一目を置いている理由を知った。それとともに、三國が源吾郎の変化を見抜けたのもそのためだろうかとも思っていた。

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