若狐 助言求めて街に出る

 土曜日に源吾郎は港町で事務所を構える叔父の苅藻に会う事を計画していた。

 別にこれは、今回も叔父の許で過ごす事が決まっている雪羽に張り合っての事ではない。源吾郎が雪羽と張り合っている部分は戦闘訓練のみ、それもタイマン勝負での勝敗の行方と限定的な物だった。

 そもそも源吾郎が叔父の許を訪ねるのも、雪羽とのタイマン勝負で勝利を得るための手掛かりを求めての事だった。ここしばらく会っていない叔父に姿を見せて近況を伝えるという目的も含んでいるのは言うまでもない。

 苅藻が腕の立つ妖怪である事は甥の源吾郎もよく心得ていた。二百歳強と比較的若い物の既に三尾を有しているし、術者として血の気の多い妖怪たちと渡り合っている実績もある。何より雪羽の叔父である三國さえもが彼に一目を置いているのだ。源吾郎がお願いすれば、雷獣と闘って勝つ方法を気前よく教えてくれるだろう。源吾郎は素直にそう思っていたのだ。もちろん代金は支払わねばならないだろうが、負け戦の悔しさを払拭できるのならば安い物である。


 余談だが源吾郎がそう言った目的で苅藻に会う事は雪羽も知っていた。週末の予定を彼に聞かれ、うっかり口にしてしまったためだ。自分を打ち負かすための対策として叔父に会いに行く。その事を聞いても雪羽は気を悪くはしなかった。それどころか叔父に会う事は良い事だと推奨したくらいだった。

 実母に死なれ実家を離れざるを得なかった雪羽は、身内との交流という物にひどく敏感だった。それまで親兄姉に構われて育った源吾郎は、今や彼なりに自立して悠々と過ごしている。しかし雪羽の目には、親族たちと距離を置きすぎているように映っているらしかった。

 そうでなければ、折に触れて「先輩には大事にしてくれる身内が大勢いるんだから」と言った言葉は出てこないだろう。

 かつて源吾郎は三國が雪羽の悪事を隠蔽しようとしているのを見て、叔父なのに甘やかすなんて……と嫉妬しまた羨望の念を抱いていた。しかしそれはとんでもない話だった。雪羽には頼れる肉親は三國しかいないのだから。



 叔父の経営する便利屋、もとい総合事務所の入り口には「本日貸切」と記された看板が吊るされていた。源吾郎はそれを一瞥すると、特に気にする素振りもなく入り口の扉に手をかける。源吾郎が来訪するから貸切になっているのだ。そのように計らってくれるであろう事を見越して、源吾郎は苅藻にアポを取っていたのだ。雷獣の少年を打ち負かす方法を教えて欲しい、と簡潔な依頼内容と共に。


「久しぶりだな源吾郎。約束の時間よりちと早い到着のようだが……お前らしいじゃないか」


 苅藻は扉の向こうに控えていたらしく、源吾郎を見て朗らかに笑った。約束の時間よりも早く来るであろう源吾郎の気性と動きを、この叔父は完全に見抜いていたらしい。

 源吾郎も気を許す叔父の笑顔につられて笑った。およそ数か月ぶりに再会した叔父と甥は、互いに笑い合っていた。

 そうしていると苅藻が今一度口を開いた。


「それにしても直接顔を合わせるのは久しぶりだな。連休前の入社祝いぶりじゃあないかな。まぁ会いに来ないと言っても変な噂も特に無いから元気にやってるだろうと思って安心してはいたよ。ほらさ、源吾郎ももうこっちの界隈では有名だろう? だから何かやらかしたり何かに巻き込まれれば、必ずやその噂は立つだろうし」

「本当はもっと早めに叔父上に会いたかったんだけど、色々と忙しくて時間が取れなかったんだ」


 別に構わないよ。源吾郎の弁明を苅藻はサラッと笑い飛ばした。


「源吾郎が仕事をこなすのに精いっぱいで忙しいって事は俺もちゃんと解ってるよ。何せこの春入社したばっかりなんだからさ、仕事も一から十まで全部が初めての事で覚えないといけない事なんだろ? ましてや源吾郎は一人暮らしも始めた所だから、尚更大変だろうに」


 一人暮らし。この言葉に源吾郎は一瞬反応した。苅藻が入社祝いを携えて源吾郎の牙城(アパート)を訪れたあの時は純然たる一人暮らしだった。

 しかし今は一人暮らしと言っていいのかどうか微妙な状況である。使い魔十姉妹・ホップの事を考えて研究センターの居住区にこっそり引っ越していたからだ。今や本宅となっている居住区の一室は、一応一人部屋という体になっている。だが紅藤や青松丸の監視下にある場所である事もまた事実だ。

 なお源吾郎の本宅が変化した事は身内らには報告していない。報告したら報告したで、小言とかが飛んできそうでややこしいと感じているためだ。

 叔父に新しい本宅の話をするべきかと考えあぐねている間に苅藻が源吾郎の名を呼び掛けてきた。声のトーンが今までとは違う。ハッとして顔を上げると、苅藻の顔からいつの間にか笑みが消えていた。真顔で源吾郎を見つめていたのだ。


「それにしても源吾郎。雷獣の打ち負かし方を教えて欲しいって話だけど、その前に幾つか質問しても良いか?」

「もちろん、大丈夫だよ」


 源吾郎が頷くも、苅藻は真剣な表情を崩さない。むしろそこはかとない苦みも混じっている。


「雷獣を打ち負かすっていうのは、お前がその雷獣と闘うって事だよな?」

「タイマン勝負なんで、まぁそんな感じかな」

「タイマン勝負なんかやるのか……」


 タイマン勝負。その言葉を耳にし自らも口にした苅藻は、苦り切った表情を浮かべていた。


「まぁそんな感じってさっきは言ってたけど、タイマン勝負だったらガチの闘い、殺し合いじゃないか……そんな事を仕事で命じられて、それで慌てて俺の許に来たって事なんだな?」

「いやいや叔父上。そんな殺し合いだなんて物騒な話じゃないですよ」


 苅藻の問いに源吾郎は思わず声を上げていた。雷獣を打ち負かしたい。源吾郎の相談事を苅藻は真摯に受け止めてくれた。しかし殺し合いだという前提で話を進めようとするのは流石にやり過ぎだ。


「別に殺し合いとか、悪さをする雷獣がいるからそいつをやっつけて欲しいとか、そんな殺伐とした話じゃないんだ。

 ただその……戦闘訓練って言うのを紅藤様の所でやってるんだ。俺は妖怪としての力に恵まれているけれど、妖怪としての術の使い方とか闘い方はてんで知らないからさ。

 それで最近は雷園寺と……雷獣の子供を相手にタイマン勝負をやってるんだけど相手がもうえげつないほどに強くてさ。俺もあれこれ考えてあいつを打ち負かしてやろうと思ってるよ。でもそれ以上に強いから俺一人で策を練っても良くない気がして……」


 苅藻は静かに源吾郎の言葉に耳を傾けてくれている。源吾郎はやや上目遣い気味に苅藻を覗き込んで言い添えた。


「三國さん――雷園寺君の叔父なんだけど――はさ、苅藻叔父上には頭が上がらないって言ってたんだ。それでもしかしたら、叔父上は雷獣の弱点とか色々知っていて、それでなのかなと思って今回相談に来たんだ。

 俺、叔父上が強い事は知ってるし」


 源吾郎の話が終わると、苅藻の面にははっきりと笑みが浮かんでいた。犬の仔猫の仔を見るような眼差しを源吾郎に向けているではないか。

 成程そう言う事だったのか。苅藻の言葉は朗々としたものだった。


「電話ではかなり切羽詰まった感じだったからどんな相談だろうと思ってこっちも身構えていたが、なかなかどうして可愛らしい相談じゃないか」

「可愛らしいなんて、そんな……」


 可愛らしいという言葉に反応する源吾郎を見やりながら、笑みのまま苅藻は言い添えた。


「源吾郎。三國君の事も甥っ子の雷園寺君の事も俺は知ってるよ。雷園寺君とはあんまり会う機会には恵まれないが、三國君とは結構交流があるからね。さっき源吾郎が言ったとおり、あいつが俺に気兼ねして頭が上がらないのは事実だ。

 だけど――妖怪としての強さで言えば。三國君が本気を出したら、俺なんぞすぐに殺されておしまいさ。というか、俺もそんなに強い妖怪でもないしね」


 三國は苅藻に頭が上がらないが、三國の方が妖怪としては強い存在である。相反するように思える事柄を、ごく当たり前の事のように苅藻は言ってのけたのだ。

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