妖怪もステロタイプを抱え持つ

 さて、源吾郎は雪羽の態度にしばしの間戸惑っていたが、気を取り直して萩尾丸の部下たちと共に椅子の片づけをする事にした。戦闘直後に源吾郎に話しかけてきた八頭衆の面々も、幹部同士で集まってあれこれ話し合ったり研究センターの外観を眺めたりとてんでばらばらの動きを見せている。

 そんな中で雪羽は灰高に捕まっていた。捕まっていたなどというのは聞こえが悪いが、そう表現するのが妥当であると思えてならなかった。

 雪羽は少なくとも灰高をよく思ってはいない。であればわざわざ雪羽の方から灰高に接近していったとは考えにくい。確かに灰高は雪羽が雷園寺家当主になる事を望み、応援しているとも言った。だからと言ってその事を踏まえて老獪な鴉天狗に媚を売るような真似をする手合いとも思えない。


「島崎君、今日は戦闘訓練お疲れっすー」


 パイプ椅子を何脚かたたんでいると気さくな声がこちらに投げかけられた。見ればすぐ傍に珠彦狐が作業をしていた。妖怪として生きる事を決意した源吾郎が初めてタイマン勝負を挑み、何やかんやあって友達になった妖狐の若者である。

 彼は相変わらずイタチのような顔に懐っこそうな笑みを浮かべていたが、源吾郎はそれを不思議な気持ちで眺めていた。屈託のない笑顔に見える半面、こちらを気遣うような気配が見え隠れしているように感じられたのだ。珠彦は俺が思っているよりも大人なのかもしれない。そんな考えさえ浮かんでいた。


「久しぶりだな野柴君。最近こっちも忙しくて会えなかったけれど、元気そうで何よりだよ」

「俺はもう元気そのものっすよ、おかげさまでね」


 源吾郎の言葉を受け珠彦は尻尾を振り回した。戦闘訓練の後に二尾になった彼は、興奮するとこうして尻尾を回転させる癖があった。

 しばらくすると珠彦は尻尾の回転を止め、やや身をかがめて源吾郎を見やった。今回ははっきりと気遣わしげな表情を見せているではないか。


「島崎君がここ最近大変な事になってるって知ってたっすよ。ボスの萩尾丸さんから教えて貰ったんすよ。あの人、話好きだから……」


 珠彦が源吾郎の事を心配している。その事を知った源吾郎の心中は嬉しさよりもむしろ申し訳無さで満たされていた。


「心配してくれてありがとう。見ての通り、俺ももう元気になったからさ」

「それは良かったっす。まぁ元気なのは解ってたけれど。さっきの戦闘訓練も、めっちゃすごかったし」


 すごかったって言われてもそんな事ないよ。俺、結局負け戦だったし……謙遜してそう言おうと思った源吾郎だったが、結局口には出さなかった。すごかったと言った時の珠彦が、とても寂しそうな表情をしている事に気付いたからだ。最近源吾郎と会っていないからとか、そう言った単純な事で寂しがっているのではないだろう事は源吾郎にも何となく解る。

 そんな事を思っていると、珠彦はそっとこちらに顔を近づけた。周囲を窺うような雰囲気を漂わせながら。


「それにしても島崎君。雷園寺さんは何処かで修行してるって聞いたけれど、まさかボスの許で修行してたなんて驚きっすね」

「あ、やっぱりそこは驚くんだな、皆」


 おそるおそると言った体で珠彦が言及したのは雪羽の事だった。萩尾丸の部下である珠彦であったが、自分のあるじが雪羽を密かに預かり稽古づけている事は今の今まで知らなかったのだ。雪羽自身がその事を隠したいと望み、周囲の大人妖怪がその意図を汲んだが故の事であった。ゆくゆくは雪羽も珠彦たちと共に仕事をする事があるのかもしれない。しかし貴族としての気位が高く、尚且つ同年代の妖怪と馴染む機会が無かった雪羽にしてみれば、萩尾丸の部下たちの中にいきなり溶け込むのは中々大変な事だったのかもしれない。特に小雀の若妖怪集団は、概ね庶民妖怪が多いから尚更であろう。


「その様子じゃ、島崎君は知ってたんだ」

「ま、まぁな」


 はっきりは断定せず源吾郎は言葉を濁す程度にとどめた。雪羽はもう自分の素性を隠す事をやめていた。しかしだからと言って源吾郎が雪羽の事を他の妖怪に吹聴するのは筋違いだろう。


「思えば八月とか見慣れない子を連れてるなって思ってたんすけど、あれが雷園寺さんだったわけっすよ。でも萩尾丸さん自身もこっちのオフィスにはあんまり来てなかったし……やっぱり雷園寺さんは殆どこっちで仕事をやってたんすね?」


 源吾郎は何も言わなかったが、珠彦にはおおむね答えは解っているみたいだった。


「島崎君。雷園寺さんとは上手くやってるの?」


 何を思ったのか、珠彦は源吾郎に対して質問を投げかけた。唐突かつ直球な質問に一瞬戸惑った源吾郎だったが、この問いは源吾郎にもこたえられるものだった。


「そうだなぁ……最初はまぁお互い距離を置いてはいたけれど、今はまぁつかず離れずって所かな。少なくとも向こうは悪くは思ってないみたいだし。俺も最初は……いや何でもないよ。雷園寺君も雷園寺君で頑張ってるし、案外悪いやつでもないんだよ」


 源吾郎の答えを聞き出した珠彦であったが、彼はすぐには何も言わなかった。黙って何かを考えこんでいるようだったのだ。

 だがややあってから、淡く微笑んで言葉を紡いだ。


「それなら良かったっす。実は雷園寺さんの事はちょっと怖かったんすけど、よく考えたら俺はあの人の事はそんなに詳しくないし。

 それに考えてみれば、島崎君と雷園寺さんは似てる所もあるから気が合うのかも知れないっすね」


 似ている所があるから気が合う。その言葉に源吾郎は軽く驚いてもいた。かれこれ一か月近く職場で雪羽と顔を合わせているが、お互い違う所ばかりに目が言っていたからだ。純血の雷獣と半妖の妖狐と言った塩梅に、血統や種族と言った根幹の部分がまず違う。戦闘スタイルや戦闘の心構えも真逆だし、好きな女子のタイプなども源吾郎と雪羽では対照的でもある。

 似ている所と言えばどちらも女子が好きでややスケベな事と、貴族妖怪としての矜持ゆえにプライドが高い事くらいしか源吾郎には思いつかなかった。



 昼下がりとも夕方とも言い切れない中途半端な時間帯に突入した。普段ならば眠くなったり集中力が途切れる所なのだが、今日ばかりは昼一で運動した事も相まって頭はすっきりと冴えていた。

 それよりも源吾郎はまた研究センターの事務所内で雪羽と二人きりになっている事に気付き、若干戸惑っていた。護符に護られている二人だ。まさか急にどちらかが狂暴化する事も無いだろうしあったとしても大抵の攻撃は護符が護ってくれる。それに今回は二人とも刃物を使っている訳でもない。だから別に身構えなくても良いのだ。紅藤や兄弟子たちも込み入った打ち合わせをしている訳でもない。ただ偶然が重なって二人きりになっただけなのだから。

 とはいえ何となく気まずいような緊張感が源吾郎の心中にはあった。源吾郎の変化が妹に似ていると言ってからというもの、源吾郎と雪羽は距離を置いたままだったのだ。


「…………」


 相手の様子を窺っていると、視線を向けている事が雪羽にバレてしまった。視線を逸らしてごまかそうとしたがそれももう通用しない。気付いたら雪羽はすぐ傍まで来ていたのだ。


「どうしたんです島崎先輩。俺に何かあるんですか?」

「……さっきは悪かったな、雷園寺」


 源吾郎の変化を見て気を悪くしたのだろう。そう思ってまず謝罪したのだが、雪羽はきょとんとした表情を見せていた。少ししてから何の話か思い出したらしく、はっきりとした表情がその面に浮かぶ。


「あ、もしかして先輩の変化の事ですかね。別に大丈夫だよ。ほらさ、先輩の変化がミハルに、妹に似たのは単なる偶然だろうし」

「そうだな。雷園寺家なんて奈良の奥地にあるって聞いてるし。そりゃあ確かに遠足とかで奈良に行った事はあるけれど、雷獣の名家があるって知ったのは本当につい最近だよ」

「島崎先輩。雷園寺家があるのは奈良じゃなくて大阪ですよ。山奥だけどあすこはギリギリ大阪府内なんですから……だから俺は大阪出身なんです!」


 雷園寺家の所在地について力説する雪羽を見て、源吾郎は明るい気持ちになった。普段の雪羽の態度と変わりないからだ。言うて長らく亀水たるみで暮らしてるから大阪府民では無かろう、いやいや港町に連なる亀水に暮らしているからシティ・ボーイだのと二人はしばし他愛のない話をしていた。

 話をしている間に、いつの間にか話題は戦闘訓練の後の事になっていた。源吾郎は雪羽が灰高に捕まっていた事を思い出し、それとなく尋ねてみたのだった。


「灰高さんは俺の事を褒めてくださりました。まぁあの人は俺が雷園寺家の当主になる事を望んでいますし、俺が真面目にやってると思って気をよくしたんでしょうね」


 ある意味灰高らしい事だと源吾郎も思った。生誕祭の会合の時、雪羽のおイタと三國の態度を鋭く糾弾した灰高であったが、その一方で雪羽を雷園寺家の当主になるという野望をバックアップしたいという意見を示してもいた。あからさまに雉鶏精一派の繁栄に利用するつもりである事をちらつかせてはいたけれど。

 それよりも灰高は九尾の末裔である源吾郎を混沌の使いだと疎んでいるようでもある。だから雪羽が勝ち戦なのは彼にとっても都合がいいのかもしれない。

 そんな事を思っていると、雪羽があいまいな声を上げて言葉を続ける。


「そう言えば灰高さんは、って言ってましたねぇ」

そんな事を仰ってたんですか、あの人は」


 山鳥。その単語にそこまで固執していたのか。源吾郎は呆れと若干の憤慨をその言葉に込めてぼやいた。


「実は戦闘訓練の前にも、山鳥がどうっておっしゃってたんですよ。紫苑様は山鳥妖怪だけど他の山鳥と違って陰険じゃないって」


 源吾郎が山鳥の話について覚えていたのは、山鳥が人を惑わすという習性を熟知していたからではない。山鳥と言った時の、紅藤の反応の強さが印象的だったからだ。

 そして眼前の雪羽も、山鳥が陰険という言葉に反応していた。


「何か昔に、山鳥女郎って言うメスの山鳥妖怪がいたって灰高様はおっしゃってましたね。山鳥らしい山鳥で、人や他の妖怪を化かすだけでは飽き足らず標的の骨の髄までしゃぶる相手だって言ってたよ」


 そう言いながら、雪羽は急におどけたような表情を作った。


「もっとも、山鳥女郎が怖いって灰高様が力説したのは、その山鳥が女で、俺たちが男だからなのかもしれんけどな」

「昔話まで持ち出して山鳥の事をあれこれ話すだなんて、灰高様も……」


 耄碌しているのだろうか。思わず出てきそうになった言葉を源吾郎はぐっと飲みこんだ。


「灰高様。よっぽど紅藤様や紫苑様の事がお嫌いなんだろうね。紅藤様は自分が山鳥に似ている事を気になさっているし、紫苑様なんかまんま山鳥妖怪じゃないか。いや待てよ……そもそも胡琉安様のお祖父様も山鳥妖怪だろうし」

「頭目の祖父さんが山鳥妖怪って何で解るのさ?」


 源吾郎の言葉に雪羽は首をかしげる。それを見ながら源吾郎は得意げに言葉を続けた。


「よく考えて見たまえ雷園寺君。山鳥妖怪の紫苑様は胡琉安様の従姉なんだぜ。従姉弟だったらさ、元を辿れば祖父母は同じ存在に行き着くものなんだ」

「ああ、確かに言われてみればそうかも」


 源吾郎の解説に雪羽は納得の声を上げている。


「ともあれ山鳥の妖怪に執着するのは変な話だよな。山鳥女郎って言う強烈なのがいて、灰高様はそいつが怖かったのかもしれない。だけど同じ種族だからって性格が同じってのは暴論じゃないか。

 現に雉妖怪で較べてみれば個性豊かな面々が揃ってるしさ。なぁ雷園寺君。峰白様と紅藤様が同じ性格だって言われて誰が信じると思うかい?」


 成程確かにその通りだ。雪羽は一つ頷くと、何かを思い出したらしく短く声を上げた。


「雉妖怪で思い出したけど、この前朱衿あかえりって名乗る雉妖怪に出会ったんだよ。でも紅藤様や峰白様とも雰囲気は全然違ったよ。大人しくって控えめな感じでさ……雉鶏精一派の話を出したら何かとっても恐縮しちゃってたし。野良妖怪だから暮らしも大変だろうって思ったんだけど、あんまし権力とかには興味無さそうな感じだったなぁ。

 でも純血の雉妖怪じゃなくて、山鳥の血も入ってるって言ってたかも。それだったら尚更、山鳥が危険だって言う灰高様の話は言いがかりめいてるなぁ」


 山鳥が危険である。灰高の言葉の意図はどのような物か源吾郎にも解らなかった。

 ともあれ山鳥や山鳥女郎について調べろという事なのだろう。源吾郎はそのようにひとり解釈していたのだった。

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