雷獣は狐の変化に何を見る ※戦闘描写・女体化表現あり

 戦闘訓練は午後十三時から開始される事となった。休憩時間は準備に充てられて無くなってしまったようなものであるが、それについてとやかく言う手合いは一人もいない。

 紅藤や萩尾丸は研究職・営業職として特に休憩とかを度外視して働いても苦にならない性質であるし、若妖怪たちはそもそも発言権が薄い。

 当事者である源吾郎はと言うと、若干緊張していたから休憩が無くてもどうという事は無かった。何故ここまで緊張するのかは解らないが、緊張しているのだから仕方ない。

 一方で対戦相手である雪羽からは緊張している素振りは全く見えなかった。叔父の三國たちと会ったからなのかもしれないし、自分の圧倒的優位を信じて疑わないからなのかもしれない。雪羽の真意は源吾郎には解らないが、ともあれ肝が据わっている事だけは事実だった。



 時間となり、源吾郎と雪羽は会場に入る事になった。ある程度の広さを持つ円周の中に入るや否や、薄青く光る膜が会場の外側を覆うように姿を見せる。その膜は一瞬で溶け込むように見えなくなった。

 紅藤様が結界を張ったのだ、と源吾郎はすぐに思った。もちろん賓客への安全確保だろう。訓練と言えども血気盛んな中級クラスの妖怪が二匹揃って暴れまわるのだ。妖狐と雷獣であるからどちらも好んで飛び道具を使うから、こうした対策が無いと観客たちも安全とは言えないのだ。


「準備は良いかな、島崎君」

「おう、もちろんだ」


 にこやかな笑みを絶やさぬ雪羽をねめつけながら源吾郎は問いかけた。準備は出来ているはずなのだが、まだ緊張はほぐれていない。雪羽はこの度獣の姿は取らず、普段見せている人間の少年の姿を取っていた。これもまた珍しい話だった。萩尾丸が部下たちを連れてくるときは、好んで大きな獣の姿を取って源吾郎と相争っていたのだから。

 それはさておき雪羽の今の態度は中々に様になっていた。お世辞にも洗練されていると言い難い訓練着を身にまとっているにも関わらず、である。そこはまぁ見目の良さとか落ち着いた態度とか見目の良さとかが絡んでいるのだろう。

 やっぱり美形はポテンシャルが違うなぁ……そう思いつつ源吾郎はポケットから護符を取り出して用意していた。前に人間の術者が営んでいたお店で購入した代物である。妖力に似たエネルギーの籠ったその護符を、人間の術者は簡易的な武器として用いるらしい。しかし自身も妖力を潤沢に持つ源吾郎は、これを変化術の補助具に使うつもりだった。

 雪羽は電流を操り源吾郎の思考に介入できる。彼の性格上源吾郎の考えを読んでいる訳では無かろうが、変化術の行使を妨害するには十分すぎる能力だった。

 変化術は使い手の思考と妖力が緻密に組み合わさって実現する術である。思考が多少妨害されても、妖力のブーストで発現を速めれば問題は無かろう。それが源吾郎の考えだった。


「制限時間は三十分。それでは、はじめ!」


 萩尾丸の鋭い声が鼓膜を震わせる。雪羽はすぐには動かない。源吾郎がどのように動くのか見定めているのだろう。もっとも、その割には緊張した様子は無さそうだけど。

 源吾郎はまず護符を放った。その数は三枚。いずれも変化術に用いるための物だ。ゆったりと宙を舞う護符を眺めながら、源吾郎は顕現させる変化のイメージを大まかに考えていった。護符が相手の攻撃から身を護ってくれると言えども、雪羽の使う妨害術に有効なのかどうかは解らない。だから手早く考える事にした。

 大きくて、丈夫で尚且つ雪羽の足止めが出来るやつを、と。


 顕現した変化のうち、二体は馴染みの存在だった。すなわち一対の角を持つ巨大狼と、火焔を吐くイヌワシの翼を持つドラゴンだった。

 そして三体目は植物的な羊だった。羊と言っても野生の猪ほどの巨躯の持ち主だ。だがそれ以上に緑がかった体色と、植物のツタカズラに似た触手が特徴的である。


「行け、襲え――!」


 幻影に下した源吾郎の指令は短く簡潔な物だった。珠彦との戦闘訓練で柴犬を繰り出して以来、源吾郎は何度も変化術・幻術を扱うようになっていた。回数を重ねるうちに、手早く見映えの良い幻術を繰り出す方法、これらを効率よく操る方法を源吾郎は体得していった。

 幻術を操るには、シンプルかつ的確な指令こそが最適である。源吾郎は幾度も幻術を操る事でその事を知ったのだ。なまじ術者の方から攻撃方法などを指定してしまうと、幻術はその動きに縛られてしまう。それよりも大局だけを示し、彼らに自由に動いてもらう方が良いのだ。

 そんな源吾郎の意図を組み、三体の幻影は三方から雪羽を攻撃する事となった。ドラゴンはさっと舞い上がって上空から様子を窺っている。その間に角を持つ巨狼は雪羽の背後に回り込んでいた。正面から迎え撃つはツタ状の触手を生やす植物羊である。

 雷獣である雪羽は素早く、尚且つ持久力も高い。その上雷撃を放って源吾郎の攻撃を相殺できるほどの攻撃力も持ち合わせている。雪羽の肉体そのものの防御力はどれほどかは定かではないが……正面切って闘うには厄介すぎる程雪羽は強かった。攻撃のゴリ押しでどうにもならない相手である事は、源吾郎も初回の訓練で痛いほど解っている。しかもスタミナもあり身体能力も高いから、誰かのように戦闘訓練の最中にバテて戦闘不能になる事もまず考えられない。

 ならばどうするか――動きを封じてから攻撃をぶつければ良い。源吾郎はそのように思っていたのだ。生憎自分はパワフルな雪羽を上回るだけの身体能力はない。彼の攻撃をかわしながら彼を追い詰める事は叶わないのだ。

 しかしそれならば、術を用いて雪羽の動きを止めれば良いのではないか? そのような考えに思い至った訳である。さしもの雪羽であっても、動きを封じられれば大人しく攻撃を受けるしか無かろう。源吾郎は身体能力も機動力も雪羽より劣ってはいる。とはいえ妖力の保有量そのものや攻撃力自体は雪羽よりも勝っているのだ。妖狐らしい策を用いれば自分とて勝ちをもぎ取る事が出来るのではなかろうか。

 幻術で雪羽の動きを封じる。いかにも妖狐らしい策を弄した戦術である。そう言った術に頼らねばならないおのれの弱さは少し恥ずかしかったが、それもこれも勝つためなら致し方なかろう。

 源吾郎は少しだけ、自分が大人になったような心持でいた。


「――へぇ、先輩も中々手数が増えましたねぇ」


 さて雪羽と言うと、相変わらず余裕そうな表情である。またそんな態度や表情も様になっているのが何とも言えない所である。

 雪羽はじりじりと近付く幻術たちを眺めていたが、ふいにゆらりと身体を動かした。既に放電が始まっている事に源吾郎はここで気付いた。



「あはは。やっぱり結局はそうなるんですかね、島崎先輩」


 数分後。散り散りになった幻術たちを見やりながら、源吾郎は雪羽の雷撃から逃げまどっていた。結果論として、源吾郎が繰り出した幻術たちは雪羽の足止めにはならなかったのだ。死角も含めた三方から繰り出してみたものの、殺し合いごっこを嗜んでいた雷園寺家次期当主にはほんのお遊戯みたいなものだったらしい。

 苦し紛れにチビ狐の大群を差し向けてみたものの、これも大体雷撃で打ち消されてしまった。

 結局は源吾郎が単騎で立ち向かうほかなかったのだ。応戦して狐火などを放つものの、バテるので連射は難しい。そうなるとやはり雪羽の方に形勢が傾いていったわけである。

 というか源吾郎も何度か雷撃をよけ損ねた。攻撃術を受けた、というシグナルはきちんと衝撃として源吾郎に伝わっていたのだ。あと数発受ければ源吾郎の負けになるのかもしれない。

――やっぱり今回も力及ばずか……

 源吾郎は心中でぼやき、奥歯を噛み締めた。無論この戦闘訓練は、分が悪い方が投降する事で終了も出来る。投降して深手を負う前に闘いを終えるのも英断の一つだと萩尾丸は前に言っていた。しかし今の源吾郎はそんな気分ではなかった。せめて少しでもあがいて雪羽を一泡吹かせてやりたいと思っていたのだ。


「…………」


 源吾郎は雪羽の隙を見て変化術を行使した。何かを顕現させたのではない。源吾郎自身が変化したのだ。


「…………!」


 変化を終えた源吾郎の姿を見て、雪羽の顔に驚きの念が浮かぶ。源吾郎はここにきて少女に変化してみせたのだ。この美少女変化には特段深い意味はない。別に魔法少女でもない訳だし、この姿になったから攻撃力がアップするわけでもない。とはいえ雪羽を驚かし、困惑させる事くらいならできるだろう。何せ雪羽は女子に興味津々な男子なのだから。まぁ女子に興味があるのは源吾郎も変わりないが。

 もっとも、生誕祭の折に雪羽に絡まれた挙句女装趣味の変態、と呼ばれた事への意趣返しの意味もあるにはあるが。


「雪羽君。どうしたの、私と闘うんじゃあないの?」


 女子っぽい口調を心掛けながら、源吾郎は少女の姿で雪羽に問いかける。口調はあんまりあざと過ぎないように心がけるのがポイントだ。声については変化でどうとでもなるし、そうでなくとも素でも裏声で女子っぽい声は出せる。

――これはしめたぞ。

 偽りの姿で偽りの笑みを浮かべながら、源吾郎は内心ほくそ笑んだ。雪羽の顔にはもはや笑みは無い。強い驚きと当惑がその面にははっきりと浮かんでいた。

 勝敗はさておき雪羽を驚かせることが出来た。その事に源吾郎は気を良くしていた。皮肉にもその様は、変化で相手をたぶらかす凡百の妖狐そのものだったのだが、源吾郎は全く気付かなかった。

 立て続けにおのれの胸や腹のあたりに何発か軽い衝撃が走る。能面のごとき表情の雪羽が雷撃を放ったのだと、源吾郎はその時気付いた。その時にはもう変化は解け、源吾郎は元の青年の姿に戻っていたのだ。



 結局のところ、今回も源吾郎は負けてしまった。やはり無表情で放った雪羽の雷撃が決定打になってしまったのだ。

 それにしても妙な事だと源吾郎は思っていた。雷撃を受けたのは結界越しではあったのだが、あの雷撃たちは本気で放たれたものではない事は源吾郎も気付いていた。それに雪羽の態度も何となくよそよそしい。

 源吾郎はだから、幹部たちのやり取りが終わったのを見計らって雪羽に近付いていった。普段は雪羽の方から源吾郎に近付いていく訳だから、普段とは逆の動きである。


「雷園寺君。やっぱり君は強いねぇ。俺も色々と考えて策を練ったんだけど……まぁあの体たらくさ」


 強いというおのれの言葉は、むしろ本心ではなく美辞麗句のように空々しい響きしか伴わない。雪羽もその事に気付いているのだろう。乾いた笑みを浮かべて源吾郎を見据えていた。普段は輝きいたずらっぽく光るその翠眼は、冷え冷えとした輝きを見せるだけである。


「そりゃあまぁ、俺は強くならないといけないもん。この戦闘訓練だって、あと六回は俺が勝ち越すつもりだよ。あと六回勝てば……そうすれば……」


 あと六回。その言葉で源吾郎は萩尾丸の言葉を思い出した。雪羽との戦闘訓練は、最低でも十回はタイマン勝負を行うという話である。他ならぬ雪羽が望んでいた事だとも言っていた。そんな事を源吾郎はふと思い出したのだ。

 雪羽の発言からするに、十回勝ち続ける事に対して、雪羽は何か意味を見出しているらしかった。それが何なのか源吾郎には解らない。萩尾丸なら何か知っているのだろうか。


「それにしても島崎先輩。あなたも中々えげつない事をなさるものですね。あなたが変化術に長けていて女の子に化けるのが得意なのは知ってましたよ。ですがまさか、戦闘訓練の最中にあんな姿になるなんて……」


 敬語で話しかけてくる雪羽を前に、ただならぬ事だと源吾郎は思った。相変わらずその顔その眼差しに表情が浮かぶのを押さえようとしている。しかし頬や耳は火照り、妙に興奮している事を示していた。


「やっぱり俺の変化術が効いたんですか。あの雷撃は割と優しい雷撃でしたからね」

「まさか島崎先輩が、ミハルそっくりの姿に化けるなんて、思ってもみなかったんだよ」

「……一体ミハルって言うのは何処のどなたなんですか?」


 雪羽の口から飛び出してきた名前の主が誰なのか、源吾郎は気取らず素直に問いかけた。普段であればガールフレンドの一人か、などと軽口を叩いていたかもしれない。しかし今の雪羽の様子から、そう言った事は危険だと判断していたのだ。


「ミハルは向こうの本家にいるの事だよ。まぁ、言うて叔父貴の許に引き取られてから一度も会ってないけれど。でも今頃はあんな感じになってるだろうなって言うイメージと先輩の変化した姿が似通ってたからさ……」

「そう言えば、雷園寺君の弟さんたちや妹さんは本家にいるって話だったね」


 源吾郎の変化が雪羽の妹の姿に似ていたかもしれない。とんでもない発言に源吾郎も驚き戸惑っていた。だから別に言わなくても良い事を口にしてしまったのだ。

 雪羽は微妙な家庭事情を口にした源吾郎に対し怒りはしなかった。その代わり、冷え冷えとした笑みを口許に浮かべただけだった。


「弟妹達は俺と違って似ているからさ。母さんが死んだ後に結婚したも、別に手許に置いて育てても構わないって思ったんだろうね。

 俺はミハルや弟たちよりも母さんに似ている所が多いからね。あの人もそれで俺だけ追い出したのかもしれない。そう思う時があるんだ」


 淡々と言ってのける雪羽の言葉に源吾郎は慄然とした。文脈からしてあいつとは雪羽のであの人とは継母の事であろう。雪羽は多くは語らないが、雷園寺家現当主である実父に対してどのような思いを抱いているのか、それを知るには十分すぎる話だった。

 或いはもしかしたら、保護者であり叔父である三國の考えが雪羽にも浸透しているだけなのかもしれないが。

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