鴉柱と身内ばなし

 昼休み。源吾郎は集まっていた鴉たちが一斉に飛び交うのを目撃した。彼らはらせん状に飛び回り、高度を上げつつも研究センターから離れる気配は見せない。黒い鳥柱は、見えない巨大なミキサーのように源吾郎の目に映った。


「そろそろ八頭衆の皆様がお見えなんでしょうね。もちろん――あの鴉たちのボスもさ」


 雪羽はさも当然のように源吾郎の隣に並び立っていた。源吾郎と同じく訓練用の運動着に着替えていた。日頃着込んでいる修道服めいた衣装は身に着けていない。


「雷園寺君。その衣装で構わないのかい?」

「戦闘訓練だから良いんだよ。紅藤様の護符は、俺らが放つ攻撃でもびくともしないし」


 言いながら、雪羽は身に着けている護符を源吾郎に見せた。手首や足首に巻いている護符は、不可思議な術でもはや外せないようになっていた。正規の護符を外したがために蠱毒に侵蝕されかけた事故が起こらないようにという紅藤なりの配慮である。

 余談だが紐の部分は高い伸縮性を持たしているため、巻いている部分を圧迫し血行障害を起こさないようにもなっている。まぁ何というか至れり尽くせりである。

 しかし、雪羽が修道服を着こんでいない事への源吾郎の懸念は、防御力云々ではなかった。


「そうじゃなくてさ、その姿だったら君が雷園寺雪羽だって皆に知られるんじゃないか。それは大丈夫なのかい?」


 雪羽が身に着けていた修道服は、防具というよりもむしろ認識阻害に特化した物だった。あれを着込みフードで顔を覆えば、雪羽は妖怪であるという事しか解らなくなってしまう。雪羽は今まで修道服を着こみ、自分が研究センターで修行している事を押し隠していた。

 その雪羽が修道服を脱ぎ捨てて戦闘訓練に挑もうとしている。そこが源吾郎の気になる所だった。

 別に大丈夫だよ。雪羽は少し目を細めてから言った。


「そりゃあ昔は俺だって悪さしてこんな所でシコシコ修行してるってみんなにバレるのは恥ずかしいって思ってたよ。だけどさ、今はもうそんな事を言ってられない状況になってるし」


 そう言うと、雪羽は翠眼をこちらに向けた。


「俺と先輩が巻き込まれたあの騒動で、下手人を捕まえるために地元の皆が動いただろう。あの時萩尾丸さんが皆を焚きつけたって言ってたけど……多分その時に俺の事も話してたんじゃないかな。それにそもそも萩尾丸さんの部下たちの中には、この町で暮らしてる妖怪もいるだろうし。

 だからさ、もう下手に正体を隠し立てしても逆効果だと思うんだよ」


 確かに雪羽の言うとおりだと源吾郎も思っていた。あの日萩尾丸がどのような内容を周辺住民に連絡したのかは定かではない。しかし少なくとも錯乱した源吾郎が他の妖怪を襲ったという話くらいはしているだろう。一人で錯乱して一人で腕や尻尾を噛んでいただけであれば単なる間抜けに過ぎない話だし。

 雪羽がそこまで言うのならそう言う事だろうと思う事にした。少しだけ雪羽の事を心配していた源吾郎だったが、雪羽は雪羽なりに腹をくくったという事なのだろうから。



 タイマン勝負形式の時、戦闘訓練のルールはかなり緩いというかフリーダムだ。お互いに術を使い策謀を凝らし、相手を戦闘不能にした方が勝者となるというシンプルなものである。防具や武器の持ち込みの規制は特に無い。むしろ互いに護符を用いる事を運営側(紅藤たち)は推奨しているくらいだ。武器云々については特に何も言わないが……源吾郎たちは武器に頼る事は殆ど無いのでスルーされている案件でもある。

 一応この戦闘訓練では使い魔や配下と言った他の妖怪を使う事は明らかに禁止されていた。だがやはり源吾郎たちが行う事に影響が出る案件ではない。源吾郎は使い魔としてホップを養っているが、彼をおのれの戦闘に使う事は考えていない。そして雪羽は取り巻きたちと縁が切れてしまったのだから。もっとも、使い魔等の使用が許可されていたとしても、源吾郎はおのれの力で闘う所存だ。それはきっと雪羽とて同じだろうと思っている。

 

 新たな護符は性能が上がっているためにより強力な攻撃術であっても持ち主を護り抜けるようになっていた。要するに攻撃を受けても実質的なダメージにはならない。ダメージにならないという事は、攻撃を受けても特にデメリットにならない反面、相手に攻撃をぶつけてもメリットにならないのではないか。源吾郎はそんな疑問を抱いていた。

 しかし紅藤によると、新たな護符になった事により勝負の付き方も新たなルールが付加される事になった。攻撃を受けても肉体の損傷はないが、代わりに衝撃が伝わるからくりになっているのだそうだ。さらに言えば攻撃を受けた場合はダメージを受けたと見做され、戦闘不能になる水準まで攻撃を受けた側が負けになるという事らしい。

 確かに安全性は向上したが、ある意味今までと変わらないとも言えるだろう。



 まだ昼休みだったが、源吾郎は研究センターの外を出て訓練会場の近辺をぶらついていた。その傍らには、さも当然のように雪羽がくっついている。

 八頭衆の幹部たちはまだ到着していないようだ。しかし、萩尾丸の部下である若妖怪たちは既に集まり始めていた。重役出勤という四字熟語が脳裏をかすめる。役職的な案件もあって、若妖怪たちの方が先に集まっているのかもしれない。


「お、見ろよ。島崎君の隣にいるのは雷園寺殿じゃあないか」

「本当だ。しかもなんかくっついてるし。めっちゃ仲良さそうじゃん」

「あの二人が仲良いって意外だなぁ」

「そうか? どっちも貴族妖怪のボンボンだから、仲良くなると思うけど」

「貴族妖怪のボンボンだから、互いに張り合って喧嘩するんじゃないかって思ってたんだよ」

「そういや前も変態だのドスケベだの言い合ってたしなぁ」


 セッティングの傍ら紡ぎ出される彼らの言葉は、源吾郎の耳にばっちりと入っていた。それはきっと雪羽も同じであろう。

 集団行動する中学生よろしく雪羽は源吾郎に追従している。そんな雪羽の様子を源吾郎はちらと見やった。口許にうっすらと笑みが浮かんでいたが、顔は妙に火照っていた。

 

 ややあってから、ひそひそこそこそと話していた若妖怪たちが一斉に口をつぐんだ。その理由は源吾郎にもすぐに解った。年長の妖怪たち――八頭衆の幹部とその配下たちが訪れたからだ。周囲を威圧するように妖気を放っているのは三國だけであったが、姿を見るだけでも若妖怪たちは緊張したらしかった。

 さて第八幹部の三國はと言うと、雪羽の姿を見ると小走りにこちらに駆け寄ってきた。服装は見るからにクールビズ対応のワイシャツとスラックスであるが、走りにくいとかそのような事はまるきり度外視している。そんな三國に追従するように、獣妖怪の若者も小走りにこちらに向かってきていた。匂いと見た目で獣妖怪の男性である事は解ったが、見慣れた春嵐ではない。ゴボウのような尻尾を揺らし、歩を進めるたびに彼の周囲では小さなつむじ風が巻き起こっていた。


「叔父さんに堀川さん。今日は来てくれてありがとう」

「いつも戦闘訓練は見に行きたいと思っていたんだけどな、ちょうど仕事の調整が出来たんだよ。この前家に戻って休んだけれど、雪羽の元気な姿も見たかったしね」


 春嵐は外回りの営業があるから同席できなかった。三國がそんな事を説明するのを聞きながら、源吾郎はそっと三國たちから離れていた。別に後ろ暗い所がある訳ではない。しかし三國と雪羽の醸し出す身内らしい空気をおのれが損ねるのではないか、と彼なりに気を回していたのだ。


「おや、不思議な歩き方をすると思ったら玉藻御前の末裔・島崎君じゃあないかね」


 早々に立ち去ろうとした源吾郎であったが、背後から声をかけられたので歩を止めて振り返る。思わず驚いて声を上げそうになり、口許に手を当てようとして中途半端な所で動きを止めていた。

 源吾郎に声をかけてきたのは、第四幹部の灰高だった。彼はさも当然のようにそこにいた。生誕祭の時にあった時と同じく、その顔には余裕たっぷりの笑みが浮かんでいる。にこやかで穏やかな表情であるが、真意の読めない顔つきともいえる。

 側近と思しき女妖怪が、無表情ながらも鋭い眼光で源吾郎たちを観察しているのも、余計に灰高の不気味さを際立たせているように思えた。


「は、灰高様。お久しぶりですね。生誕祭以来ですがお変わりないようで」

「君も色々あったみたいだけど元気そうで何よりです」


 灰高の声は深みがあり口調も穏やかで優しげだった。しかしそこに彼の心情がこもっているのようには源吾郎にはどうにも感じられなかった。心にもないリップサービスを行っているのではなかろうか。そのような考えがどうしても浮かんでしまうのである。

 それはまぁ、雪羽同様源吾郎も灰高へのステロタイプがこびりついているからなのかもしれない。


「お気遣いありがとうございます。見ての通り、僕は元気そのものです」


 源吾郎の口から出てきたのは、中学生でも言いそうな言葉でしかなかった。もっと気の利いた事を言えば灰高をもう少し感心させる事が出来たのではないか。そんな考えを抱きつつ、源吾郎はそれとなく灰高が連れている女妖怪を観察した。

 驚くべき事に、灰高が従えている女妖怪は鴉天狗ではなかった。そもそも鳥妖怪ではない。引き締まった臀部から飛び出す尻尾は、明らかに彼女がイヌ科の獣妖怪である事を示していた。

 犬系統の天狗と言えば狗賓ぐひん天狗か白狼はくろう天狗のいずれかであろう。暗い灰褐色の毛並みから狗賓天狗であろうと源吾郎は密かに思った。

 灰高たちに愛想笑いを浮かべていた源吾郎であったが、その心中では様々な考えが脳裏を駆け巡っていた。

 鴉天狗は天狗の中でもとりわけ同族意識が強い。狗賓天狗などの位が低い天狗や山中の獣妖怪を従える事も珍しくないが……重臣や腹心はおおむね同族である鴉天狗になるのが決まりらしい。従って灰高が連れている狗賓天狗の女性も、灰高の部下の中ではそう高い地位ではないのかもしれない。そんな彼女をわざわざ連れてきたという所に何か意味があるのだろうか。このイベントに重臣を連れてくるまでもない、と言う灰高の考えの裏返しなのだろうか。

 とはいえ、源吾郎は灰高のツレを軽く見ている訳ではなかった。むしろ動物的な本能を揺さぶられ多少委縮してもいた。大妖怪の子孫と言えども狐は狐。上位の補色者である狼を前にすくんでしまうのも致し方ない所であろう。

 しかも向こうは油断ならない相手だと見做しているみたいだからなおさらだ。


「灰高のお兄様。お見えになっていたのですね」


 一人源吾郎が緊張を募らせる中で、その状況を打破するきっかけが唐突に生じてくれた。灰高をお兄様と呼び声をかけてきたのは確認するまでもなく紅藤だった。彼女は敷地の外にいながらも白衣姿だったが、ともあれ師範の姿を見て源吾郎は落ち着きを取り戻していた。何のかんの言いつつも、源吾郎は彼女を頼りにしていたのだ。

 源吾郎はさりげなく紅藤の方ににじり寄る。その動きを灰高たちは見ていたが特に何も言いはしなかった。


「お忙しい中お越しいただいたのに、挨拶が遅れて申し訳ありません」

「別に構いませんよ、雉仙女殿」


 相手が年長者であるからなのか、紅藤は丁寧な態度を崩さない。そんな彼女を前に灰高は鷹揚に笑っていた。


「お忙しいのは雉仙女殿とて同じ事ではありませんか。いやむしろ、私よりもあなたの方がここ一月ばかり大変だったと存じます。何しろ雷園寺殿の再教育を皮切りに、色々な事が立て続けにありましたようですし」


 灰高はそこまで言うと笑っていた。彼が鴉の姿をしていたら、それこそ相手を小馬鹿にしたように上半身を揺らしていただろう。そんなシーンが源吾郎の脳裏には鮮明に浮かんでくる。

――全くもって空々しい。言い方は悪いけど、雪羽が悪し様に言うのも仕方ない話だ。

 源吾郎もまた無言のままそんな事を思っていた。ちなみに雪羽たちはいつの間にか灰高がいる所からさりげなく離れていた。きっと三國か堀川さんが気を回して移動したのだろう。


「それよりも雉仙女殿。気難しい兄上であるこの私よりも、可愛がっている姪御どのの紫苑殿を放っておいて良いんですか。あなたの事です。内心は彼女が来た事を喜んでおいでなのでしょうから」

「その心配はございませんわ、灰高のお兄様」


 灰高の言葉を正面から受け、紅藤は涼しい顔で応じている。


「紫苑さんとは先程まで話し込んでいた所ですから。いいえ、むしろ話し込んでいたからお兄様への挨拶が遅れてしまったのです。兄よりも姪を優先する未熟者と詰っていただいても構いませんわ」

「雉仙女殿も面白いですな。私がそんな事で腹を立てるとは思っていないでしょうに」


 灰高は笑い声交じりに鼻を鳴らしている。


「頭目である胡琉安様を第一に思っているあなたであれば、頭目の従姉であり自分の姪に当たる紫苑殿に親しく接するのは当然の摂理でしょう。叔父叔母が甥姪を優遇する事例は他にもある訳ですし」


 灰高の視線は一瞬だけ三國たちに向けられた。確かに彼らも叔父と甥の組み合わせであるし。


「それに雉仙女殿。あなたは私を兄と呼び兄妹の関係でいようと思っておいででしょうが、鴉である私はあなたとはかけ離れた種族です。それに引き換え紫苑殿は山鳥の妖怪です。雉仙女殿とは直接血は繋がっておらずとも、同族と見做せるわけですし」

「紫苑さんは確かに山鳥の妖怪ですが、私は雉妖怪ですよ。そこは間違えないでくださいませ」


 紫苑と紅藤が同族と見做せる。その言葉に紅藤は思いがけないほど鋭く反応した。山鳥妖怪と雉妖怪。その部分を紅藤は殊更に強調していたのだ。


「確かに私の羽の模様を見れば、山鳥の妖怪かもしれないと思う方もいらっしゃるかもしれません。ですが私は雉妖怪ですわ」

「ああ、これは失敬。ついつい口が滑ってしまいました。申し訳ありません」


 灰高はそれほど悪びれた気配は見せていなかった。


「雉仙女殿。別に私はあなたが山鳥の妖怪だと言いたいわけではありませんよ。むしろ、紫苑殿は山鳥の妖怪だそうですがそれほど山鳥らしい感じはないと常々思っているほどですし。

 彼女は見た感じおっとりとしておりますが、その実勤勉ですし洞察力にも長けている。山鳥と言えば陰険で相手を陥れたり惑わしたりする事ばかり考えているみたいですが、彼女はそうでもなさそうですし」


 灰高の言葉に気を良くしたらしく、紅藤は何度か頷いていた。その顔には笑みが戻っている。


「ええ。紫苑さんは本当に気立ての良い娘だと思っているわ。元々は胡琉安様の身内という事で私たちが引き込んだという所もあるけれど、自分の立場をきちんと見定めて頑張ってくれているし……

 今回だって島崎君が蠱毒に侵蝕された事をとても心配していたの。あの蠱毒には、どうやら恐るべき邪神の成分も一部入っていたかもしれないってね」

「そうだったんですか、紅藤様……」


 紫苑が心配していた。その話を聞いた源吾郎は胸がじわりと暖かくなるのを感じていた。自分は何だかんだ言いつつも、色々な妖怪に心配されているのだ、と。

 さて灰高はというと、紅藤の言葉を聞いて興味深そうに息を吐いているだけだった。狗賓天狗の側近と目配せしていたが、その眼差しが妙に鋭かったのは気のせいだろうか。

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