思惑絡みて失言飛び出す

 戦闘訓練は昼休み明けに開始されるという事だった。昼休み明けに戦闘なんかやるのかよ……源吾郎はついついそんな事を思ってしまっていた。

 学生だった頃、体育の授業が五限目に配置される事がしばしばあった。すきっ腹を抱えて運動するのもまぁしんどいが、満腹に近い形で授業に臨むのもあんまり楽しい物ではない。そもそも昼食を消化している最中だから眠いわけであるし。

 源吾郎はもちろん、表立ってその事を抗議したりはしない。しかしにやにや笑みを浮かべる萩尾丸は、源吾郎の心中を見抜いているようだった。


「島崎君。今回は戦闘訓練だけどね、実際の戦闘が都合のいい時に起こるなんて思っているのかな?」


 神出鬼没と言っても過言ではない登場をした萩尾丸を見て、源吾郎はすぐには何も言えなかった。いや――人心掌握術を会得している萩尾丸であれば、源吾郎の目線の動きだけで何を思っているのか既に見通しているのだろう。

 源吾郎が視線をあちこちに向けているうちに、萩尾丸は言葉を続ける。真顔だった。


「良いかね島崎君。闘いなんてものはこちらの都合などお構いなしに始まる事なんて珍しくないんだよ。食後だろうが腹痛の最中だろうがボーイフレンド、いやガールフレンドとイチャコラしてようがそんな事は向こうの知った事ではないのだよ」

「萩尾丸さんの言うとおりっすよ、島崎先輩」


 雪羽は萩尾丸の言葉にしれっと付和雷同していた。その面には得意げな笑みさえ浮かんでいる。


「俺もヤンチャしている時とかさ、その辺の野良妖怪たちが徒党を組んでやって来るとかそう言うのを見た事もあるしね。それこそ、仲間とのんびりまったりしている時に襲撃してきた奴らだっていたよ」


 そこまで言うと雪羽は源吾郎にぬぅっと近寄ってきた。顔を近づけてくるから、彼の翠眼が何がしかの期待で輝いているのが見て取れた。


「先輩もちょっとずつ訓練して不測の事態に備えるようにした方が良いっすよ。先輩は確かに強いんでしょうけど、その辺りの経験が大分少ないみたいですし」


 雪羽の率直な指摘に源吾郎は喉を鳴らすほかなかった。おのれの経験がまだまだ足りない事、非情になり切れない甘さを多分に内包している事はしばしば萩尾丸たちから指摘されていた。しかし、それを雪羽に言われるとそれはそれで堪えるものだった。

 したり顔でそんな事を言う雪羽を見ていると、やはり彼は年上なのだと思える。そもそも妖怪は性別を問わず年長者が敬われ、生きてきた年数を誇示したがる習性がある。雪羽は妖怪としては相当に若いものの、実年齢的に年下である源吾郎を前にそのような習性が首をもたげたのだろう。

 源吾郎は年長者の年長者ぶった態度には慣れっこではある。しかし雪羽が兄っぽく振舞うのを見ると違和感で満たされてしまうのだった。


「まぁまぁ雷園寺君。ああだこうだ言っても島崎君も困ってしまうからね」


 そんな雪羽を制したのは何と萩尾丸だった。


「島崎君は確かに玉藻御前の末裔ではあるよ。しかし半妖である上にここに就職するまでは人間として育てられ人間として暮らすようにしつけられてきたんだ。妖怪としての生き方・闘い方を勉強して習得しているのは彼も解っている事だから、あんまりそこを行ってやらない方が良いよ。

 そりゃあまぁ、島崎君は既に中級クラスの妖力を保有しているからその事実を見落としてしまうのは仕方ないけれど」

「全くもってその通りですね」


 呟いたものの、それこそ強がりみたいな感じになってしまいばつが悪かった。妖怪としての生き方を模索中なのも事実だが、何より源吾郎は争いごとに慣れていない。人間でも中学・高校でチンピラと相争う手合いは存在するが、そうした闘争とも源吾郎は無縁だったのだから。何となれば女子ばかり多い部活に所属していた事もあり、「ちょっと変だけど割と安全な子」と思われていたくらいでもある。


「それはさておき二人とも。今日はお客さんが多いけれど、普段通りに闘ってくれれば良いからね。かっこつけようとか、そういう事は考えずにね」

「お客さんって、萩尾丸さんの部下たちだけじゃなくて八頭衆の人たちも来るんですよね?」


 そうだよ。雪羽の問いに萩尾丸は頷いた。


「本来ならば内々でやるような事なんだけれど、まぁこっちもこっちで色々あるからね。君らの実力を見るって事で来てくれる事になったんだよ。

 あ、でも八頭衆が全員集まる訳じゃないよ。今回お見えになるのは第四幹部の灰高様、第五幹部の紫苑様、第七幹部の双睛鳥殿……そして雷園寺君の叔父上殿だ」

「叔父貴……いや叔父さんも来てくれるんですね!」


 雪羽の顔は既に喜色満面となっていた。敬愛し頼りにする叔父に自分の晴れ姿を見て貰う事を夢想しているからなのかもしれないし、そもそも叔父が来てくれる事自体が嬉しいのかもしれない。いずれにせよ無邪気な反応だった。

 良かったじゃないか雷園寺……素直に雪羽の喜ぶさまを眺めていた源吾郎であったが、ややあってからやってくる八頭衆の面子に急に関心が向いた。


「萩尾丸先輩。灰高様もお見えになるんですね」


 様付けしたものの、灰高の名を呼ぶ源吾郎の声音は冷え冷えとしていた。萩尾丸の前だから取り繕ってはいるものの、灰高の事を疎んでいた。生誕祭の場で源吾郎の変化を解いた挙句、会議の場を引っ掻き回した老天狗への心証は、初対面の雪羽よりも悪かった。しかもこの度の蠱毒騒動で鴉を使って監視しているのだからなおさらだ。


「そりゃああの老いぼれの鴉ジジイも来るだろうね」


 源吾郎の言葉に反応したのは雪羽だった。しかも、灰高を老いぼれジジイ呼ばわりしながら。


「毎日毎日鴉を飛ばして俺たちを監視してるんだぜ。そりゃあまぁ、俺らの事は気になって出てくるだろうさ。あの老いぼれが何を考えているのかは知らんけど――」

「口を慎みたまえ、雷園寺雪羽君」


 萩尾丸はいつになく厳しい口調でぴしゃりと言ってのけた。雪羽は一瞬驚いて目を丸くしていたが、すぐに自分の非に気付いたらしくバツが悪そうに視線を落とした。


「炎上トークは一世紀にしてならず、という言葉を知らないみたいだね。君も僕の許で暮らしているから、炎上トークをやってみたいなんて思ったのかな? それとも、君の叔父である三國君が、常々そんな事を君に吹き込んでいるのかい?」

「…………」


 雪羽は何も言わず、指を絡めるのがやっとだった。萩尾丸は表情を和らげ、先程よりも優しい口調で続ける。


「灰高様に君らも思う所があるのは僕も何となく解るよ。しかしその不満だとか怒りをやすやすとぶつけて良い相手じゃあないんだ。雷園寺君。君の事は僕が護っているようなものだけど、灰高様相手では流石に僕も分が悪い――あの生誕祭での一件を忘れたわけではないだろう?」


 萩尾丸の問いに、雪羽のみならず源吾郎も戸惑いつつも頷いた。分が悪い。真正面から萩尾丸がそんな事を言うのは珍しい話だ。萩尾丸はおおむね鷹揚に構えており、おのれが強くて何でもできるのだ、というオーラを見せているのが常だった。だから源吾郎も、萩尾丸が強大な力を持ち負け知らずだと思い込んでいたのだ。

 だが実際には、源吾郎は萩尾丸が本気で闘っているのを未だ見た事は無かったのだけど。


「それに雷園寺君。灰高様は君を雷園寺家の当主に導いてあげようってわざわざ言って下さってもいるんだ。雷園寺家の威光は君の誉れであり、当主の座に収まる事こそが君の望みだろう? それならば、わざわざ灰高様の怒りを買うのは賢いやり方とは言えないね」

「は、はい……萩尾丸さんの仰る通りです」


 気を付けます。そう言った雪羽の顔は青ざめていた。雷園寺家の当主の座に雪羽が固執している事は源吾郎もきちんと知っている。玉藻御前の血を誇る源吾郎の気持ちが真実ならば、雷園寺家を誉に思う雪羽の考えも真実であろう。源吾郎は常々そう思っていた。

 しかしだからこそ、敢えて雪羽を雷園寺家当主に育て上げようともくろむ灰高や萩尾丸の態度にはそこはかとない不気味さと違和感を抱いてしまうのだけど。


「とはいえ、君らは今回戦闘訓練をするだけであり、八頭衆のお歴々はそれを遠巻きに観察するだけさ。であれば妙な事は起きないと思うんだけど……」


 そこまで言うと萩尾丸は何かを思い出したらしく源吾郎たちから離れていった。

 緊張の糸が解けた源吾郎は思わずため息をついた。それは雪羽も同じ事だったようだが、息をつくタイミングが重なったのが何ともおかしなものだった。


「まぁ、観察されるだけにしても、先輩にしてみれば八頭衆の皆にお会いできるのは良い事なんじゃないかな?」

「それもそうかもな」


 雪羽の言葉に源吾郎は静かに頷いていた。春に就職したばかりの源吾郎は、紅藤や萩尾丸以外の幹部たちと顔合わせしたのは二回だけである。入社してすぐの時と、あの生誕祭の場での事だ。

 流石に全員揃っている訳ではないが、ひととなりを今再びチェックするのに丁度良いだろう。


「今回来るのは灰高様と三國様の他に、紫苑様と双睛鳥様だったよな……まぁ、紫苑様は紅藤様の姪御さんだから大丈夫そうな気がするなぁ。双睛鳥様も、割合フランクな感じだったし」

「双睛の兄さんは、結構気さくだよ。俺の事も可愛がってくれるし。それに紫苑様は何も心配する事ないよ。紅藤様の事だって、ずっと伯母上様って慕ってるしさ」

「本当だな、それなら心配ないよなぁ」


 雪羽の説明を聞き、源吾郎は朗らかに笑った。双睛鳥についてはフランクなお兄さん妖怪とだけ思っていたが、雪羽も懐いているのならば優しい妖物じんぶつなのだろうと推測していた。


「紫苑様は第五幹部だけど、よく考えれば胡琉安様の従姉でもあるお方だもんねぇ……それにあの方は俺が八頭怪に出くわした時に相談に乗ってくれたし」


 源吾郎は妖怪の紫苑の姿を思い返していた。華美な雰囲気の持ち主ではないが、控えめで気立てがよく感じのいい妖物じんぶつであると源吾郎は評していた。胡琉安の従姉であるからあの地位に就けたのではないかと思われるが、それ以上に紅藤に可愛がられている所も大きいであろう。

 雪羽の指摘通り、紫苑は紅藤を叔母上様と慕っている。実際には紫苑の母親と胡琉安の父親が異母姉弟であるから、紅藤と紫苑は直接血縁である訳ではない。

 それを承知の上で叔母上と紫苑は慕い、紅藤は実の姪のように彼女を可愛がっているのだろう。紅藤は身内やそれに準じるものに甘い所があるのだから。

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