叔父が始める雷獣話――三國と雷園寺家の関係

 結局のところ、三國が苅藻に頭が上がらないのは個人的な弱みを握られているから、という事に帰結するようだと源吾郎は思った。

 それにしても一人の男として考えれば恐ろしくもあり色々と考えさせられる話でもある。まず三國の立場で考えれば中々に恐ろしい話であろう。無論色欲を募らせてよこしまな事を企むのは悪い事であるとは思う。しかしそれを気にしている娘の兄にその事を見抜かれた挙句、ああいう形で灸を据えられるとは。源吾郎は知らず知らずのうちに身震いしていた。

 苅藻が化身した娘というのは三國には非常に魅惑的な存在だったのだろう。美女に化身したとき、男が化身したほうが男を籠絡しやすいであろう事は源吾郎も知っている。実在する女として化身するのではなく、男が理想とする女に化身しやすいからだ。その事は、しばしば女子に変化する源吾郎もよく心得ていた。

 その一方で、苅藻の気持ちもおおむね理解できた。妹の身を案じていたがために、小生意気な弟分を懲らしめるために御自ら女に化身して三國を籠絡してみたのだろう。……やり過ぎ感は否めないが。


「それにしても因果な話ですね。三國さんも雷園寺君も叔父上や俺の変化に惑わされていたなんて」


 様々な考えが心中でせめぎあっていたが、まずは強く思った事のみを源吾郎は口にした。当初源吾郎は、グラスタワーの一件で雪羽と因縁が出来たと思っていた。しかし二人の因縁そのものは叔父の代からあったという事なのだ。その上三國も苅藻の変化に一杯食わされた過去がある。因果な話と評せずにはいられなかった。


「変化って……ああ、あの生誕祭での事かな」


 生誕祭。雉鶏精一派の割と私的なイベントの単語を苅藻がさらりと口にしたので、源吾郎は面食らってしまった。いや、よく考えれば外部の賓客も少数ながらいたのかもしれないけれど。

 今年の生誕祭で雪羽が引き起こした騒動は有名な話題である。苅藻はすまし顔で源吾郎にそう告げた。


「内容自体はウェイトレスに絡んで事故を引き起こしかけたって言う地味なものだけどさ、何分関係者たちが有名だからね……もらい事故で巻き込まれた源吾郎は言うに及ばず、雷園寺君とて名が知れている妖怪だ。雷園寺家の看板を背負っている事もあるけど、三國君の重役でもあるからね、彼は」


 雪羽が幼いながらも第八幹部の重役である事は事実だった。実際に横文字の長くて仰々しい役職(意味合いとしては総務部長らしい)を肩書として雪羽は持っている。萩尾丸の許で修行中の現在はその役職がどうなっているかは定かではないが。

 とはいえ、第二幹部の直弟子ながらも平社員である源吾郎とは大きな違いである。


「ニュースにこそならなかったけど、噂好きの若いたちはあれこれと話に尾ひれを付けたがってたからねぇ。そう言う話は俺の耳にも入っていたよ。やれ玉藻御前の末裔が男ながらもコンパニオンに化けてたとか、不祥事が積もりに積もっていた雷園寺君は、責任追及の後に行方をくらましたとかね……とはいえ、俺も彼らの噂を真に受けていた訳ではないよ」


 苅藻は笑みを絶やさぬまま言葉を続ける。


「特に雷園寺君のその後については色々な噂が立っていたからね。行方をくらませたその後についても、雉鶏精一派に粛清されてしまったとか、色々あって怪しい組織に引き渡されたとか、悪趣味な人間の許で見世物にされているとかね……しかし、源吾郎と戦闘訓練をやっているという事は、三國君の許から引き離されはしたけれど、雉鶏精一派で身柄を預かっているという事でしょ?」

「う、うん……」


 源吾郎はためらいがちに頷いた。一瞬ためらったのは、雪羽が自分の所在を隠そうと躍起になっていた事を思い出した為だった。しかし今では正体を明かして戦闘訓練に臨んでいる訳だし、雪羽との戦闘訓練に勝つために相談しているのだからと源吾郎は思い直したのだ。

 というよりも、庶民妖怪たちに自分が再教育を受けているという事を知られたくないと思っている雪羽の感性はいささか疑問が残る所だ。自分の所在を隠しているから代わりに妙な噂が立ちまくっているのだが、そっちに関してはどう思っているのだろうか。


「もちろん、雷園寺君は生誕祭の場で幹部たちに断罪されたんだ。元々からしてヤンチャな事ばっかりやってたんだけど、玉藻御前の末裔であるこの俺にちょっかいをかけたのが決定打になったみたいでさ。

 でもまだ雷園寺君は若いからって事で、保護者の三國さんから引き離されて萩尾丸先輩が面倒を見る事になったんだよ。だから戦闘訓練の相手にもなってるし、最近はほぼ毎日のように顔を合わせる形になってるんだ」

「そういう事だろうと思ってたよ」


 源吾郎の言葉を聞くや否や、苅藻はそう言って笑った。


「雷園寺君が変な所に売り飛ばされたとかそんなのは、全部ゴシップ好きの連中がでっち上げたに過ぎないなんて事は、俺はとうに解っていたんだよ。三國君の気質と言動を知ってる奴だったら、きっとしょうもない噂だって笑い飛ばすだろうさ。

 あの三國君の事だ。もし本当に噂通りの事が起きていたとすれば、三國君は必ず何がしかの行動を起こしていただろうさ。それこそ雉鶏精一派の制止を振り切ってでも特攻をかましていたかもしれない。しかしそんな事は起きてないだろ?」


 源吾郎は無言だった。だが内心ではその通りだとも思っていたのだ。というかあの会合の際も三國はかなり警戒し、戦闘も辞さない態度だった。あの時三國がひと暴れしなかったのは、彼以外の八頭衆の面々がオトナだったからに他ならないのだ。

 源吾郎の脳裏の中で、しばし生誕祭での三國の姿が浮かんだ。苅藻から若い頃の三國の考え方を教えてもらった源吾郎であるが……やはり疑問はまだある。


「叔父上。三國さんは反体制派だったという事ですが、雷園寺君が雷園寺家の当主を目指す事には肯定的なんですよ。それってどうしてなんですかね」

「……どうしても何も、それを雷園寺君が望んでいるからだよ」


 源吾郎が放った最大の疑問に対し、苅藻はごく自然な様子でこれを受け止めた。しかも何と言うか、幼子でも解る道理を語り聞かせるようなノリだった。


「雷園寺君は雷園寺家次期当主になる事をよすがにして生きているんだ。三國君もその事を知っているから、保護者としてあの子の意志を尊重しているんだよ。

 三國君は保護者だから、雷園寺家当主を目指すという彼の希望を潰す事だってできたんだ。しかしそうすれば雷園寺君の心が壊れてしまう……三國君はだね、おのれの心情よりも甥の希望を優先したんだ。結果はどうあれその判断は素晴らしいものさ」


 妙にしんみりとした様子を漂わせる苅藻を前に、源吾郎は目を瞠った。三國と雪羽の事しか苅藻は語っていないのだが、三國が雷園寺家をどのように思っているのかを暗に示しているからだ。


「やっぱり、三國さんは――」

「三國君は元々雷園寺家にはそれほど関心は無かったんだ。むしろ権力の象徴として敬遠していたくらいじゃないかな」


 源吾郎の疑問を先読みしたかのように、苅藻が告げる。


「そりゃあもちろん姻族だから細々とした行事には参加していたみたいだよ。だけど、兄姉たちが大勢いるから自分はそんなに出席しなくても良いって言ってたくらいだったからね。少なくとも兄が雷園寺家の婿だとか甥姪が雷園寺家の子供だなんて吹聴して回るような事はなかったよ。もしそう言った事が出来る手合いなら、そもそも野良妖怪として活動していた時にもっと立ち回っていただろうからね」

「……やっぱり、そうだったんですか」


 源吾郎の口からは、呟きが吐息のように漏れ出していった。三國は雷園寺家そのものはよく思っていない。そう言った認識が源吾郎の中にはあったのだ。

 三國の口から雷園寺家の事が語られたのは、蠱毒の一件があった直後の事である。雪羽を引き取るまでの経緯を語る三國の言動からは、雷園寺家や雷園寺家を奉る兄姉たちへの冷ややかな嫌悪と憎悪があからさまに漏れ出ていたのだ。きっとその思いは、雷園寺雪羽も気付いているか知っているはずだ。そうでなければ実父の事をアイツなどと呼びはしないだろうから。


「三國さんはヤンチャだったり色好みだったりするのかもしれませんが、立派なお方なんですね。自分の考えを押さえて、きちんと雷園寺君の夢を応援できるんですから」

という事だよ、源吾郎」


 感嘆する源吾郎とは対照的に、苅藻の言葉はあっさりとしていた。


「三國君も若かったしヤンチャな所も目立つ妖怪だった。だけど思いがけず雷園寺君を引き取る事になって、しっかりしないといけないと思い始めたんだろうな。

 源吾郎。誰しも護るものが出来たら強くなるものだし、強くならなきゃあいけないものなんだよ。今のお前には難しいかもしれんが、いずれ解る時が来るよ」


 護る者を持つが故の強さ。源吾郎にはそれが何か何となく解る気がした。使い魔のホップを見ている時に感じるものに近いのかもしれない。違っていたら恥ずかしいからと口にはしなかったけれど。


「それにもしかしたら、三國君は雷園寺家の連中に対して少し躍起になっていたのかもしれないね」


 思案に暮れていると、苅藻が思い出したように呟いていた。


「三國君が雷園寺君を息子のように思って愛情を注いでいる事は俺も疑わないよ。だけどもしかしたら、雷園寺家から追放されたあの子を雷園寺家の当主として育てる事が出来れば、兄姉たちや雷園寺家の連中を見返す事が出来るかもしれない。そんな考えがもしかしたら三國君の中にもあったのかもしれないと思うんだ」

「それも確かにあるかもしれませんね」


 甥を使って自分の意見の正しさを証明する。その行為は大人の行為とは言い難いかもしれない。しかしある意味三國らしい考えであるように源吾郎には思えてならなかった。


「とはいえ、雷園寺君は三國君のようにはなれなかったけどね。だがそれも仕方ない事なんだよ。妖怪は妖力や気質はある程度遺伝するけれど、三國君が持っていたカリスマ性なんかは遺伝で決まるような物じゃあないんだ。

 ましてや雷園寺君は……苦労したと言えども三國君に引き取られてからは割合安楽な地位にいたからね。雷園寺君は三國君を目指していたのかもしれないけれど、彼の立場では真の意味で三國君のような妖怪になる事は難しいんだよ。何しろ、集まってくる妖怪たちは、雷園寺君そのものではなくてその背後にある雷園寺家の看板や財力にばかり目が移ってしまうからね。

 三國君も雷園寺君もその事を見落としていたみたいだけど、それも仕方ない話だったんだ。二人とも必死だったからね」


 苅藻はつらつらと、三國の失敗について語っているはずだった。しかし彼の言葉にはそこはかとない優しさがこめられているようにも感じる。

 何だかんだ言いつつも、苅藻は三國たちを気にかけているのだ。源吾郎はそんな風に解釈していた。

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