その推論は優しさに向かう
※
親族たちが集まった雷園寺家の本家を、二人の雷獣が足早に立ち去ろうとしていた。厳密に言えば、早足で進んでいたのは一人だけである。もう一人は幼子であり、足早に進む雷獣――三國に抱えられていたのだから。
先代当主の息子だった雪羽の処遇をどうするか。雷園寺家にとっても重々しく重苦しいその打ち合わせはもう終わった。と言うよりも三國が強制的に終わらせたようなものだ。俺が引き取る。そう言って雪羽を抱え込んだのだから。
他の弟妹達を引き取る事が出来なかったのは心苦しいが――しかし雪羽を引き取る事が出来たのは良かった。あのままではこの子はどうなっていた事か……三國は腕の中に収まる甥の頭をそっと撫でた。母親譲りの翠眼はキラキラと輝いていたが、表情はやはり暗い。不安がっているようにも見えた。
「大丈夫だよ、雪羽……今日から俺が、叔父さんがお前のお父さんになるからな」
そうだ。俺がこの子の親になるのだ。三國は静かに決意していた。雪羽の母は死に、雷園寺家の傀儡である父は再婚した挙句にこの子を放り出した。とりあえず自宅に戻ってこの子を落ち着かせよう。部下たちにも、月華にも説明せねばならないし。
ともあれもう雷園寺家には用は無い。
「――もう行くのかい、三國」
だからこそ、行く手をふさぐように佇む雷獣の姿に、三國は驚き目を剥いたのだ。
しかもその雷獣は雷園寺千理だった。雷園寺家の当主の座に収まる男であり、三國が抱える雪羽の実父なのだから。
「この期に及んで何の用だ千理の兄貴。まさか、父親の情とやらが急に目覚めたとか、そんな事を言うんじゃあなかろうな」
そうではない。唸り声を上げる三國とは対照的に、千理は穏やかな口調で否定した。
「互いにそうすると決めたらもはや覆せないのは解っているだろう? 私は君の行動を止める手立てはないし……逆もまた然りだ。
ただね、その子を君が引き取るにあたり、言っておきたい事があってね」
勝手に言ってろ。そう言わんばかりに三國は千理の隣を通り過ぎる。だが、千理も千理で弟の行動を気にしていないらしく、すでに口を開いていた。
「三國。君は弟妹達の中でも雷園寺家への恩恵に無頓着だったよね。その君が、よりによって雪羽を引き取るとは……」
それとこれとは話が別だろうが。そんな思いと共に千理を睨みつける。千理は口許にうっすらと笑みをたたえていた。穏やかでありながら、腹立たしさを掻き立てる様な、そんな笑顔である。
「その子は雷園寺家から放逐されると言えども、それでも雷園寺家に連なる雷獣である事には違いない。この私と違ってね。その子を引き取り、育て上げる重みをゆめゆめ忘れぬように」
「糞がっ……! 千理の兄貴、テメェはそんな事を言う為だけに俺たちを追いかけてきたのか」
「おじさん……」
腕の中の幼子が、雪羽が不安げに声を上げる。三國は一瞬そちらに視線を向け、それから再び千理を睨んだ。
「そんな事を宣っていたとしても、結局は雪羽を棄てる事には変わりないんだろう。雷園寺家なんかくそくらえだ。千理の兄貴、後々になってから息子を手放した事を後悔しても知らんからな」
「私はこの事で後悔などしないさ」
糞野郎が。短い罵りの言葉は二重の響きを伴って千理に向かって投げかけられた。三國を倣い、幼い雪羽もまたその言葉を口にしたからだ。
「そうだとも。私はもう迷わないし後悔しない――我が息子を頼むぞ、弟よ」
背を向けた千理が何事か呟いたようだが、その言葉はもう三國にも雪羽にも届かなかった。敷き詰められた玉砂利の上に、山茶花の花びらが散っているのが印象的だった。千理がいた所からは、そして何故か血の香りが僅かに漂ってもいた。
かくして雷園寺雪羽は三國に連れられて雷園寺家をあとにした。雪羽が再び雷園寺家を訪れたのは、それから三十年後の事である。
※
大丈夫かい。一人過去を思い出していた雪羽は、天水の呼びかけでふと我に返った。叔母の一人である天水は、何故か申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「すまないね。千理兄さんの事を急に言えば、君だって戸惑う事は解っていたよ。だけど……私だって君らに対しては申し訳なく思ってもいたんだ。言い訳がましくなるけれど、当時の私には君をどうにかする力なんて無かったから」
力と言うのは何の事だろうか。雪羽は密かに思った。妖力や武力ではなくて、権力や財力をも示しているのではないか、と。
ともあれだ。天水は真面目な表情に戻って言い添えた。
「千理兄さんは確かに雪羽君を手放さなければならなかった。だけどそれは、雪羽君を疎んで棄てたからじゃあない。むしろ、雪羽君の身を護るための事だったのかもしれない。実際に、三國は雪羽君を護り抜き、大切に育て上げてきた。そうだろ雪羽君」
「…………」
天水の言葉に、雪羽はすぐに応じる事は出来なかった。気を抜けば腑に落ちそうな話ではある。だがそれ以上に疑問や反論したい点もいくつかあったのだ。
もちろん、三國が保護者として雪羽を護り、三十年も養育してくれた事は事実だ。だが、千理の意図を叔父が知っているようには思えなかった。三國はずっと千理の事は息子を棄てた糞野郎だと思っているみたいだし、実際千理と相対した時に怒りを露わにしていたではないか。雷園寺家の当主に居座るだけの能無し、子供を増やすだけでマトモに面倒を見る事すら出来ない屑である、と。これらは千理の真意を知っていれば出てこない言葉たちだ。
更に言えば、現在雪羽は三國から引き離されて再教育の最中でもある。これはまぁ三國ではなく雪羽自身の所業によるものなのだけれど。
「先代当主が、君の母親が不審死を遂げたのは知ってるだろう? 実はね雪羽君。あの時は雷園寺家の内部も安全とは言い難かったらしいんだ。それこそ、雷園寺家の次期当主として育てられていた君だって、生命の危険があったくらいにね。
だからこそ――千理兄さんは雪羽君を外に出す事を決めたんだろうね」
その一方で、と天水は話の流れをそれとなく変えていた。
「結局のところ、君は末弟の三國が引き取った事になったんだけど、それが結果的には良かったんだ。千理兄さんの身内や、ある意味信頼のおける存在でありながら、雷園寺家への権力闘争に対して無関心。そしていずれは強くなるであろう雪羽君を畏れずに扱えるほどの強さ……三國はそれらの条件を満たしていたからね。まぁ確かに荒っぽい所とか若すぎた事とかは不安要素だったと思うけれど、それでも策謀を巡らせる雷園寺家の分家の面々や、年長の兄さんたちに託すよりは安心できたんじゃあないかな」
天叔母さん。考察をつらつらと重ねる天水を見据え、雪羽は声を上げた。
「現当主がそんな事を……でも天叔母さん。叔父貴は多分、現当主がそんな事を思っていたなんて知らないと思うんだ。だってその……叔父貴は今でも……」
「うん。三國は千理兄さんの考えは知らないだろうね。意地の悪い言い方をすれば、千理兄さんは何も知らない弟を利用したという事にもなる」
「叔父貴を利用するなんて。でも、何で叔父貴にもその事を伏せていたのさ? 叔父貴だけでも良いから、本当の事を伝えても良かったんじゃないの?」
「残念ながら、それは私にも解らないよ」
天水は呆れたような諦めたような表情で長く息を吐いた。
「三國はあれで優しい所があるからな。事情を話せば千理兄さんの一家の事を……雷園寺家の事を必要以上に気に掛けると思ったのかもしれない。もしくは単純に、事情を知ったとしても三國が激怒するのが解っていたから伏せていただけなのかもしれないしね。ただまぁ……あの時冷静じゃあなかったのは三國だけじゃないんだよ。千理兄さんだって、十二分に取り乱していたはずだし。
或いは、弟や息子に憎まれ恨まれても構わない。むしろその事こそを千理兄さんは望んでいたのかもしれない――その可能性だってあるかもしれないね」
いずれにせよ、愚かしい事だと言わざるを得ないけどね。天水は深く考え込む様子を見せながらそう言った。いっそ哀しげでもあった。雷園寺千理の実妹である彼女が、雷園寺千理の事をどう思っているのか。雪羽は少しだけ気になってしまった。
「ともあれそんな風に考えたら腑に落ちないかい? この前時雨君が拉致された事件を別にして、君は雷園寺家の面々と不必要な接触を迫られる事なく暮らす事が出来ただろう? それは三國が雷園寺家の面々との交流を断ち切っていて、しかも断ち切るだけの力量を持ち合わせていたからに他ならないんだ。
三國は三國のやりたいようにやっていただけではあるけれど……君はその三國から護られていたんだよ。雷園寺家絡みの、そして私ら親族間のごたごたからね」
「うん……そうかもしれないよね」
雪羽はゆっくりとした動作で頷いていた。三國が雪羽を護ろうとしている事は十二分に知っている。だからこそ三國は闘う術を教え、強い妖怪として雪羽を鍛えてくれた。雪羽がヤンチャをするたびに良い感じに周囲を収めてくれたのも、三國や月華たちだった。まぁヤンチャや不祥事は行ってはいけない事であるし、その懲罰を今雪羽は受けてもいる身分なのだけど。
「でも俺、ヤンチャすぎて不祥事ばっかりだったから、今は罰として叔父貴から引き離されて再教育の最中なんだ。まぁ最近は萩尾丸さんも、週末とか連休は叔父貴の家に戻してくれるし、そもそも今の俺の処遇も自業自得だし」
三國よりも強い妖怪に身柄を確保されている。その事を話すつもりが、ついつい長い話になってしまった。しかも内容が内容なので恥ずかしいことこの上ない。天水はまたもため息をつき、しかしそれでも言葉を探りながら口を開いた。
「不祥事ねぇ……まぁ確かに君も色々とヤンチャだったみたいだもんね。流石に私らも、雉鶏精一派の方で正式に処罰が下ったと聞いた時にはあちゃー、と思ったね。
だけどさ、そうして過去を顧みて反省しているんだったら大丈夫だと思うよ。雪羽君がヤンチャだったかもしれないけれど、今はもう真面目にやろうとしているんでしょ?」
「少しずつ、だけど……」
「だったら上等じゃないか。君の世話係だって大天狗様だし、ついでに九尾の子とも仲良くなったんでしょ。島崎君だったっけ、九尾の子は真面目な良い子だって聞いてるから、私はそっち方面ではもう心配していないんだ」
肩の荷が下りたと言わんばかりに微笑む天水を前に、雪羽もほんのりと笑みを浮かべていた。親族の間では噂が広まるのもあっという間なのだなと思いながら。萩尾丸が教育係であるという事はさておき、九尾の子孫である源吾郎と親交を深めている事まで知られているとは。だがよく考えれば、源吾郎と雪羽の関係性は救出作戦の折に大々的に打ち出されてもいた。繁栄の象徴でもある九尾の狐、その子孫が雷園寺家次期当主たる雪羽に憑いている、と。天水も救出作戦に参加していただろうから、その時に知ったのかもしれない。
ありがとう、天叔母さん。雪羽はひとまず感謝の言葉を述べ、今一度天水を見やった。
「ねぇ天叔母さん。どうして現当主がこう思っているかもしれないって事をわざわざ俺に伝えたのかな? 何だかとっても不思議な話だったから」
「――君は色々と変わってしまったけれど、それでも優しい気持ちだけは昔から変わっていなかったからね」
天水はそう言って僅かに目を伏せた。過去を懐かしむような表情がその面に浮かんでいる。元々雪羽は、荒々しく乱暴な子ではなかった。子供らしい活発さを見せる事もあるものの、むしろ繊細な子ではなかったか。天水はそう言っていた。
「やっぱり貴族の生まれだから小さい時から落ち着いているんだなって、私は妙に感心しちゃったりしていたんだよね。すぐ上の兄さんたちや、弟の三國とは結構派手にじゃれあったり喧嘩したりしていたからね。
雷園寺家にいた雪羽君はそんな感じじゃなかったんだ。そりゃあもちろん子供らしくはしゃぐ時もあっただろうけれど、ずっと弟たちや妹の気を配って、喜ばせようとしていた優しい子だったんだ。その事は私も知ってるよ」
「……」
天水の言葉を聞く雪羽は、相槌こそ打てど無言のままだった。過去の事とはいえ、手放しに褒められて気恥ずかしかったのだ。三國よりも年長の叔母であるのだから尚更だ。島崎先輩ならばこうした事にも慣れているのかもしれない。緊張のあまり、妙な事さえ考える始末だった。
「それでね雪羽君。君にはおよそ三十年ぶりに再会したんだけど……優しい所は昔と同じだって確信したんだ。千理兄さんから聞いたよ。あの日病室で時雨君と再会したとき、本当の兄弟、いや……仲睦まじい兄弟みたいに振舞っていたってね。時雨君の事は、次期当主の座を狙うライバルだとかそんな事を抜きにして、兄としての情をあの子に向けていたんだろう?
しかもそれだけじゃなくて、君は弟妹達にプレゼントとかお年玉の工面もしてくれたみたいだし。三國君の許でお金とかの融通が利く身分じゃあないのにわざわざ、ね」
だから雪羽君。天水の力強い呼びかけに、雪羽は居住まいを正した。妖力云々を抜きにしても、天水からは強さを感じ取っていた。大人としての強さなのだと雪羽は思っていた。
「君が憎しみとか怒りとかに囚われずにいて欲しいって、叔母として思ってしまったんだ。ましてや月華ちゃんももうすぐ子供を産んで……君の許には新たに弟妹が出来るだろう? ただそれだけだよ。エゴに過ぎないと言われればそれまでだけどね」
「そんな事は無いよ、天叔母さん」
雪羽はそう言って静かに微笑んだ。視界を潤ませる涙が、喜びの涙なのか悔悟の涙なのか……雪羽には解らなかった。
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