当主の真意に手を伸ばす
自室に戻った雪羽は、そのまま倒れ込むような形でベッドにダイブした。しばらく猫のようにゴロゴロと転げまわり、そのまましばらく眠ってしまおうと思った。夕食の前に眠るという事は普段行わない事であるが、それでも誰かが起こしてくれるだろう。そう言う期待に雪羽は少し甘えてもいたのだ。
ここは再教育の場ではなく、正式な保護者である三國の家なのだ。そう言う甘えも許されると雪羽は解釈してもいた。
だが眠気は訪れなかった。気分が昂っていたのだ。のみならず、脳裏には弟妹達の顔がやけにはっきりと浮かんでくる。穂村たちと言った母を同じくする弟妹は言うまでもなく……時雨を筆頭とした異母弟やこれから生まれるであろう三國の子供らもまた、雪羽にとっては弟妹だった。
兄である雪羽との再会を待ち望んでいた穂村。次期当主の座を相争う未来に在りながらも、自分を優しい兄だと慕ってくれる時雨。幼い頃は気弱だったのだが、逞しく快活に育った開成……弟妹達の事を一人一人雪羽は思い返し、静かにため息をついていた。彼らには幸せに過ごしてほしい。月並みな事しか思い浮かばなかったが、雪羽の切実な思いである事には変わりはない。
この年末は弟妹達の傍にいる事が出来ないのがちと残念であるが、月華がお産を迎えているのだから致し方ない。月華とお腹の仔の事ももちろん心配であるし、本家の弟妹達には早ければ五月の連休に会えるだろうし。
雪羽はのろのろとベッドの上を這い、スマホを手に取った。源吾郎に連絡を入れようとは思わなかった。互いに忙しいだろうから、あんまり連絡は入れられないし入れてあっても返事が遅れるかもしれない。前もって雪羽と源吾郎はそうした話をしておいたのだ。
その源吾郎はもう既に荷物をまとめ、白鷺城近辺にあるという実家に戻っているはずだ。末っ子である源吾郎の事だから、親兄姉に甘えながら過ごすのだろう。だがそれこそが源吾郎の家族サービスであるのだ。聞けば源吾郎の兄姉らも何かと面倒見が良さそうだし、歳が離れているので源吾郎は未だに仔狐扱いされてもいるらしい。そんな源吾郎が戻って来るのを、彼の親族らも心待ちにしているのは言うまでも無かろう。
「あ……」
手慰みに調べ物でもするか、しょうもない動画でも見て過ごそうか。そう思っていたまさにその時、スマホが低く震えた。着信の報せである。
この年末に一体誰からだろうか……詐欺とかなら怖いしなぁ。そう思いつつも雪羽は画面を弄る。そして誰から連絡が入っているのかを見て、その瞳が大きく見開かれた。
着信は、弟の雷園寺穂村からの物だったのだ。
「……もしもし穂村。兄ちゃんだよ。どうしたんだこんな年末に」
『こんばんは雪羽兄さん。急に電話かけちゃってごめんね。驚いたかな』
そりゃあ驚いたよ。雪羽の声には、早くも喜色が混じり始めていた。年末の夕方に電話をかけてきたのだから、何かあったのではないか。一瞬だけそのような心配がよぎったのだ。だが、穂村の声を聴いているうちにその心配も綺麗に霧散した。穂村もまた、喜びに弾んだ声音で電話をかけていると解ったからだ。
「それにしてもどうしたんだい穂村? 何、兄ちゃんは仕事も終わったし休みだから暇だ。話したい事なら何でも話すと良いぞ」
雪羽は腹ばいになったまま、しかし三本の尻尾で敷布団を叩きながら穂村との通話を続けていた。
※
その日の夕食は鍋だった。雪羽は弟妹達との電話でやはり話し込んでしまい、ダイニングに向かった時にはもう既にスタンバイされている所だったのだ。客人にして三國の姉である天水、同居妖である春嵐は言うに及ばず、家主である三國とその妻の月華も揃っていた。
「おう雪羽。呼んでも来なかったから、どうしたんだろうって思ってたんだよ。鍋だし、もうちっと待っても来なかったら先に食べようかって話してたところだったんだ」
雪羽にそう言ったのは三國だった。食卓に遅れた雪羽をしかりつける事は無く、ただただ笑みをたたえて雪羽に視線を向けている。三國は雪羽には優しくて甘かったのだ。
「ごめん叔父貴。料理の手伝いもほっぽっちゃって……」
「料理なんて良いんだよ雪羽。今日は俺と天姉さんで準備したんだからさ! それにしても、仕事ばっかりの天姉さんが料理もちゃんとできるって知って感動しちゃったぜ」
「仕事ばっかりと言っても、コンビニとかがすぐ傍にある所ばっかりでもないから、どうしても料理とかもやらないといけないの。と言うか今回は鍋だから、切ったりゆでたり出汁を取ったりしただけだし……」
三國と天水は姉弟でそんな事を言い合っていたが、やはり言葉が途切れると雪羽の方に視線を向けた。何のかんの言いつつも大人妖怪たちの関心は雪羽に向けられているらしい。
「実はさっき、穂村たちから電話があったんだ。それでちょっと話し込んでいて遅くなっちゃったの。ごめんね」
「穂村たち……あのチビ連中から電話があったのか!」
「それは良かったね雪羽君。雪羽君、ずっと穂村君たちの事気になってたみたいだから……」
雪羽は自分の席に着き、穂村たちとどんな話をしていたのかを三國たちに伝えた。要はお年玉をもらった事へのお礼と近況報告である。親族たちが本家に集まっている事以外は特に変わった事もなく、向こうも向こうで平和との事だ(もっとも、それこそが雪羽としては嬉しい報告なのだが)
次期当主候補の対立や異母兄弟と言う事もあって若干ぎこちないものの……穂村たちと時雨たちも徐々に兄弟姉妹として打ち解けつつあるのだという話でもあった。特に開成が時雨を可愛がり、深雪は異母姉のミハルに懐いているのだという。
無論そうした報告も嬉しかったが、穂村以外の弟妹達、特に時雨の声を聞けたのが雪羽にとっては嬉しい出来事だった。
「そんな訳で、弟妹達も元気に仲良くやってるみたいだから、俺も安心して年末を過ごせるよ」
「そっか、それは良かったな雪羽」
機嫌よく微笑む三國の隣で、月華があっと短く声を上げる。箸を置いたその手は、膨らみの目立つ腹部に添えられていた。
「今赤ちゃんが動いたわ。赤ちゃんも、お父さんやお兄ちゃんたちに会いたいんですって」
かくして、鍋を囲んだ食卓は和やかに進んでいったのだった。
※
夜過ぎ。雪羽は入浴を終えてさっぱりした気分でダイニングをうろついていた。そのまま自室に直行しても良いのだが、喉が渇いたので何か飲もうと思っていたのだ。寝る前は身体の水気が抜けてしまうのは、妖怪でも同じ事なのだ。
鍋を囲んでいたテーブルはすっかり片づけられており、その余韻は匂いだけだ。だが、客人である天水が椅子に腰かけ、持参したらしい炭酸ジュースをちびちびと飲んでいた。雪羽君。目が合うと天水は微笑み、こちらに小さく手招きした。
雪羽は普段使っているコップを棚から取り出し、天水の対面に腰かけた。
「もちろんこれはお酒じゃなくてジュースだから、安心して飲みたまえ」
「本当にお酒じゃなくて良かったよ。俺、今は萩尾丸さんの術でお酒は飲めなくなっているからさ……」
「おいおい。さっきのは冗談で言ったんだよ。まさか本当に飲んでたなんて……」
天水はちょっと困ったような表情を浮かべ、結局苦笑いを見せた。雪羽も笑ってみたものの、頬が何となく引きつってしまった。雪羽がこれまでお酒を飲んでいた事も、萩尾丸の術で飲もうとしたお酒が酢になる事もまぎれもない事実なのだが。
「それはそうと雪羽君。ちっちゃくてフワフワの毛玉だって思っていたけれど、本当に立派な雷獣に育ったねぇ」
「言うて俺はまだ子供ですよう」
「まぁ年齢的にはまだ子供かもしれないけどさ。私が知ってるのは、本家にいた頃の雪羽君だから……」
あの頃に較べれば見違えるようだよ。天水の言葉を、雪羽は黙って聞いていた。耳を傾けながら、遠い過去の事を思い出してもいたのだ。雷園寺家の本家にいた時の事をだ。両親が揃っていて、兄弟たちの数は今よりもうんと少なかったが、それでも幸せな日々だった――もっとも、あの頃は幸せという物が何なのかすら知らないような子供だったのだけど。
そしてあの頃は、もはや雪羽たちの記憶にしかない。既に何もかもが変わった後で、もはや戻れない日々でもあった。
「今の雪羽君は、随分と三國そっくりに育ったんだね。毛並みとか目の色とか、後は妖気とか雰囲気は君の母親に似ているのかなって思ってたけどね」
「叔父と甥が似る事って珍しくないんですよ、天叔母さん」
雪羽はやや食い気味に天水にそう言った。注がれた炭酸ジュースをぐっと呷り、更に続ける。
「それに、叔父貴は叔父貴の生き方ややり方を俺に教えてくれましたし、俺も俺で叔父貴みたいな
「そう……まぁそう思うよね」
天水は何故か少し戸惑ったようでもあった。だが雪羽に追求させる暇を見せずにそのまま笑みで応じたのだ。弟はあれでカリスマ性もあるし、何と言ってもカッコいいんだから。
「それで雪羽君。君は三國程とは言わずとも、強さも受け継いだんだよね」
「はい! 叔父貴はずっと俺に、闘う事とか強くなる事とかも積極的に教えてくれましたからね」
強さに関しては引けを取らないぜ……久しぶりに自身の強さについて思いを馳せて良い気分になっていた雪羽であったが、その気持ちは長続きしなかった。強さに慢心し、増長する事は妖怪らしからぬ態度である。グラスタワーの一件で大妖怪たちに釘を刺された事を思い出したからだ。
それ以来雪羽は萩尾丸の監督下で真面目に過ごしている。だがどうしても、かつての傲慢な考えが首をもたげる事があったのだ。今回とてそうだった。
そんな雪羽の心境の変化に気付いているのかいないのか、天水は微笑みながら言い足した。
「ふふふ。流石に私も雪羽君が強くなるって事は昔から解ってたよ。君の母親は、それはもう強くて見事な雷獣だったからね……途中から三國の許で暮らす事になったけど、三國がべらぼうに強いのは私たちも知ってるよ。
元より雪羽君は強い雷獣になる定めだったのかもしれないね。母親からは妖力を、叔父からは闘い方や闘志を受け継いだんだから」
「――それに俺は、必ずや雷園寺家に舞い戻る。そう心に決めているんだ。強くなるのは当たり前の事だし、俺は強くならなければならないんだよ」
雷園寺家の先代当主、そして彼女の子供らであり俺の弟妹達のために――雪羽は半ば興奮し、その身を震わせていた。のみならず小さく放電さえしていた。天水は特に怯む様子もなく、醒めたような眼差しで甥を眺めているだけだった。
「そうだった。そうだったね雪羽君。君の心はもう、雷園寺家の次期当主の座を掴む事でいっぱいだったんだよね。穂村君たち弟妹のために――そして現当主への復讐のために、かな?」
天水の言葉に雪羽は軽く首を傾げた。最後に呟くように放たれた言葉が奇妙なニュアンスを伴っていたからだ。雷園寺家現当主への復讐のために。そう言った時天水は声のトーンを落とし、しかも疑問形だったのだ。
雪羽君。コップを握りしめながら天水が呼びかける。その表情は真剣そのもので、笑みは既に消えていた。
「君がこれからやろうとする事を、私は止めたりはしない。いや……止められないと言った方が正しいかもしれないね。
雪羽君。別に私は千理兄さんを……雷園寺家の現当主を追い落とそうとする君らの目論見を止めないし、咎める事もしないよ。ただね、これだけは言っておきたいんだ。千理兄さんは、君の父親は、雪羽君が心底憎んだり軽蔑したりしていると知っても絶望する事はまずないとね。もちろん、千理兄さんとて雪羽君が自分をどう思っているかくらいは知っているはずさ」
「息子を勝手に棄てておいて、それでも父親として認められると思うのはムシのいい幻想ってやつですよ」
雪羽はそう言って、ふっと鼻で笑った。思いがけぬほど乾いた笑いだったために、自分でも驚くほどに。
それでも心の中で想いと考えが駆け巡り、それが口をついて流れ出てきた。
「それにしても現当主殿も俺の気持ちを知っているとはね。となると天叔母さん。現当主殿はそれでも何も思っていないって事なんでしょうか」
「まるで千理兄さんが棄てた雪羽君の事をもはや顧みない輩だとでも言いたげな口ぶりだな」
天水はいつの間にか前のめり気味になり、雪羽の顔をじっと眺めていた。ただならぬ叔母の雰囲気に、雪羽は一瞬気圧される。それでもその気持ちをぐっと飲みこんで、天水を見つめ返した。
だってそうじゃないか……言い募ろうとした雪羽の言葉はそこで遮られた。
千理兄さんはそれでも雪羽君を息子として愛していたし、それは今でも変わらない。そのような事を天水は言い放ったのだから。
「別にだな、私は面と向かって千理兄さんの真意を探った訳じゃない。そもそも私だってあの日から雷園寺家から遠ざかってもいたからね。
だけど……あの事件があってから千理兄さんや雪羽君を見て、そう思うようになったんだ」
雷園寺千理がこの俺に対して身内の情を抱いているだと……? その言葉はにわかには信じられなかった。だからこそどのような話なのか、聞きたいという欲求が膨らんでいったのだ。
年末の夜はまだ始まったばかりだった。
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