鉢合わせたるは来訪者

 明日から年末休みだけど、もう今日は大掃除も終わっているから実質休みが始まったみたいなものだよなぁ。雷園寺雪羽はそのように思っていた。

 その雪羽は既に、萩尾丸の手によって三國たちの暮らす一軒家に送り届けられていた。日頃は再教育のために萩尾丸の屋敷にて寝起きしなければならない身分であるが、休暇中は三國の許に戻されていたのだ。もちろんこの年末年始の休暇も例外ではない。

 そうでなくとも、叔母に当たる月華のお産がそろそろ近付いており、雪羽としても気が気ではなかった。一番大変なのは、当事者である月華とその夫である三國なのだけれど。


「あ……天姉、じゃなくて天叔母さん」

「おお、雪羽君じゃないか。お帰り。しばらくぶりだね」

「雪羽お坊ちゃまも早く帰って来れて良かったですね」


 玄関から入ってすぐのリビングにひとまず向かった雪羽は、春嵐が先客をもてなしているのを発見した。彼女は三國の姉・天水てんすいだった。実のところ、雪羽は三國以外の叔父叔母の名前や顔は殆ど覚えていない。しかし、今回は天水が来訪すると事前に聞かされていたから、彼女が三國の末の姉であろうと判断し、声をかけたのだった。

 穏やかに微笑む春嵐に笑い返した雪羽は、そのまま天水をしげしげと観察していた。若い女性の姿ながらも、大人らしい、落ち着いた雰囲気を彼女は漂わせていた。末の姉と言ってもやはり三國よりも年長である事には変わりはない。もちろん月華よりも年上だ。

 青みがかった濃灰色の髪をポニーテール気味にまとめており、身にまとっている衣裳もカジュアルながらもきちっとした印象を与えてもいた。弟である三國に会いに来たというよりも、義妹である月華や甥の雪羽のサポートをしに来たからだと思うと、彼女のきっちりとした出で立ちもうなずける。

 そして尻尾の数は二尾だった。カワウソのような、根本は太くて先端はやや細くなっているような尻尾がずるりと伸びている。彼女から殆ど妖力を感じなかったのはそのためであるらしかった。まぁ二尾も二尾でそこそこの力を持っている訳なのだけど。


「天叔母さん。随分早く来てくださったんですね。びっくりしましたよ」


 天水の様子をひととおり観察してから、雪羽は思っていた事を口にしていた。叔母がやって来るのは明日以降だろうと雪羽は思っていたのだ。今日は仕事納めの日であり、世間的に年末休みに入るのは明日からであると思っていた。

 別に叔母が早くやって来た事を咎めたり、嫌だと思ったりしている訳でも何でもない。


「そりゃあ月華ちゃんや雪羽君の事が気になったからね」


 天水は雪羽の呟きに即座に反応し、さも当然のように言葉を紡いだ。その顔にはほんのりと笑みが浮かんでいる。


「もちろん今日も仕事だったけれど、社会妖ならば有給を駆使すれば休みなんてねん出できる。雪羽君だって知ってるだろう?」

「俺、今年度の有給は全部使い果たしちゃったから……」


 図らずも雪羽の有給事情を聞き出した天叔母さんは「そうだったのかい」と言って明るく微笑んだ。話し方も仕草も中性的で、何ともざっくばらんでサバサバとした雰囲気の持ち主である。

 そして有給の使い方に関しては、真面目に計画的に使う事もできるんだなと雪羽は思っていた。その上で過去を顧みて反省してもいた。雪羽は休みたい時に有給を使うというスタイルを貫いていたからだ。本来ならば家族の用事や急な病気などの際に使う訳であるが、雪羽は頑健な体質の持ち主であり、言うまでもなく独身だった。三十日ばかりある有給休暇は、ほぼことごとく夜遊び等々に消費していた訳である。

 もちろん、今はそのような事は出来ないし、行おうとも思わないのだが。


「まぁ雪羽君もまだ若いもんね。と言うか君くらいの歳だったら遊び呆けていてもおかしくないんだ。だからその……羽目を外さなければ別段大丈夫だと私は思うけどね」

「あはははは。天叔母さん。俺はもう羽目を外したりしないよ。雷園寺家の次期当主候補に正式に決まったもん。弟妹達にも示しがつかないし」


 口早に雪羽は言うと、春嵐と天水を交互に見やりながら今再び口を開いた。先程の話の流れを変えたかったし、何より先程から気になる事があったからだ。


「ところで春兄。叔父貴……三國叔父さんと月姉は何処にいるの? 天叔母さんを呼んだのは叔父貴なのに」

「安心しなよ雪羽君。君と弟たちは単に入れ違いになっただけだからさ」


 雪羽の問いかけに即答したのは天水だった。彼女はドアの辺りに視線を向け、微笑みながら言い足した。


「そもそも私も雪羽君が帰ってくる前にここに到着したからね。弟も月華ちゃんも出迎えてくれたよ。まぁ、私を呼びつけたのは弟なんだから当然の事だけど。

 それで今、弟は月華ちゃんと一緒に寝室に戻ったよ。月華ちゃんが休みたいって言っていたからね」


 弟が月華ちゃんを大分気にかけているのは、私よりも君の方が詳しいだろう? 一呼吸おいてから天水はそう言った。甘酸っぱいような、苦々しいような思いを抱きながら雪羽は頷く。


「見ての通り月華ちゃんも大変な時期だし……夫として妻の様子が気になるのは無理からぬ話と言う奴さ。

 年長の姉さんたちなら子供もいるからそっち方面でも月華ちゃんにアドバイス出来るかもしれないが、私はそれも出来ないから……」


 子供にはちと難しい話だったかな。天水はそう言ってごまかすように微笑んだ。天水は子はおらず、それどころか独身で特段付き合っている妖怪がいるというわけでは無いらしい。確かに彼女は三國の姉ではあるが、二百歳未満であり年齢的にはやはり若者に振り分けられる。従って彼女が独身であろうと特におかしな事は無いのだ。むしろ三國はかなり早く所帯を持った方だと言えるかもしれない。


「ともあれ、弟もこれを機に私ら兄姉とも交流するようになってくれれば良いんだけどね。兄さんたちも姉さんたちも、弟の事はそれなりに心配しているんだ。確かに三國は良いやつだ。仲間思いだし良き夫良き父親になろうと努力している。雪羽君だって立派に育て上げたんだからさ」


 そう言われると恥ずかしいですねぇ。冗談めかしてそう言いかけた雪羽であったが、その言葉は天水の眼差しを前に霧散してしまった。


「――だけど、三國はちと排他的すぎるんだ。博愛主義的な仲間思いとは違うからね。お人好し過ぎて割を喰うのも問題だけど、無闇に敵と見做して孤立するのも問題なんだよ」


 このひと。雪羽は目を見開き、静かにそう思った。長兄である雷園寺家現当主におもねり、三國を異端視する顔のない雷獣共、そして――雪羽を見放し顧みなかった叔父叔母たちである、と。


「そうはいっても叔母さん。敵と敵として認識しなければやっていけないと、三國の叔父貴は俺に教えてくれたんですよ」


 雪羽お坊ちゃま! 春嵐が慌てたように声を上げる。天水はそちらを見やって微笑んでから、今一度雪羽に向き直る。雪羽に顔を向けた時には笑みは消えていた。


「敵を敵として認識する、か。であれば雪羽君。は、異母弟である雷園寺時雨君になるという事かな?」


 雷園寺時雨。もう一人の次期当主のフルネームを聞いた雪羽は、ぐぅっと喉を詰まらせた。確かに彼とは、異母弟とはゆくゆくは次期当主の座を巡って相争う運命にある。だが雪羽の中では時雨は敵などではない。母親は違うがだ。

 雪羽が言葉を詰まらせているのを良い事に、天水は言葉を続けた。


「他の弟妹達、穂村君とかミハルちゃんが雷園寺家の次期当主の座を狙っていたらどうするんだい? ?」

「……卑怯ですよ天叔母さん。弟妹達の事を持ち出すなんて」


 雪羽はそう言うのがやっとだった。天水は何も言わなかった。だが心の中で解っただろう、と雪羽に問いかけているかのようだった。


「穂村たちにしろ時雨にしろ俺の大切な弟妹だ。打倒すべき敵じゃない。俺が打倒すべきなのは、雷園寺家の現当主だ。それとあいつを祭り上げている老害共だけだよ」


 天叔母さん。天水が無言を貫くのを良い事に、雪羽は静かに呼びかけていた。自身の顔に笑みが広がるのを感じながら。


「あ、でも安心してください。すぐに現当主を雷園寺家からたたき出すとか、そんな事じゃありませんから。あんな屑でも穂村たちや時雨たちの父親です。特に時雨や深雪ちゃんたちはまだ小さくて、無邪気にあいつの事を慕っていますからね……ですが五十年後、百年後ともなれば状況は変わるでしょう。

 時雨たちだってあいつの過去の所業を知って軽蔑し、見限ってくれるに違いありません。あいつを雷園寺家次期当主の座から引きずり下ろし、取り巻き連中を一掃するのはそれからでも遅くない……俺も三國の叔父貴もそう思っているんですよ」


 雷園寺千理よ、育てていた息子らに軽蔑されて雷園寺家から追い出されて、惨めな末路を迎えるが良い……遠い未来におのれが成すであろう事を思いながら、雪羽ははばからずに高笑いしていた。


「雪羽お坊ちゃま……」

「雪羽君」


 そんな雪羽に対し、春嵐と天水はほぼ同時に呼びかけていた。何か言いたげな様子を見せていた春嵐だったが、天水に目配せすると小さく首を縦に揺らす。その仕草を一瞥し、天水がここでようやく口を開いた。


「雪羽君が千理兄さんの事を烈しく憎んでいる事はよく解ったよ。まぁ確かに、私も千理兄さんのやった事には色々と思う事はある。だけど……雪羽君が千理兄さんの事をそんな風に言うのはちょっと勘弁してほしいんだ。あれでも私や三國の兄だからね」


――千理兄さんはであり、雪羽君にとってはに当たるんだよ。天水は内心ではそう思っているに違いない。その事を察知した雪羽は鼻を鳴らしながら言い添えた。


「俺には父親なんていないんだ。強いて言うならば三國の叔父貴が父親みたいなものさ」


 元より父の方から自分を手放したんだ。今更誰が何を言おうとも、あの男を父親だとは認めない。そんな事を思う雪羽を、天水は静かに眺めている。何処か哀しそうな眼差しだった。


「雪羽お坊ちゃま」


 次に口を開いたのは春嵐だった。気遣うように、しかし意を決したように雪羽を見つめ、語り掛けてきた。


「今日は業務ではなくて大掃除だったんですよね。恐らくはお坊ちゃまもお疲れで、それで気が立っているのでしょう。夕食までまだ時間もありますし、部屋で休んだ方が良いのではないでしょうか」

「――うん。そうするよ春兄」


 春嵐の言葉に小さく頷き、雪羽はリビングを後にした。部屋で頭を冷やせと春嵐にたしなめられたようなものだ。反発せずに従ったのは、叔母も春嵐も穏やかな様子でこちらを眺めていたからであるし、自分も言い過ぎたと反省していたからだった。

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