鍛錬で雷獣強みを見せつける

 昼休みが終わると源吾郎は早速鍛錬に励む事になった。他の妖怪と力較べや術較べをするわけではない。紅藤や青松丸が用意した的を狐火などの妖術で撃ち抜くという比較的簡単なものである。

 余談だが的の形は蛇の目模様が記された丸くてシンプルなものである。人型だったり妖狐の形だったりすると、源吾郎も躊躇ってしまい命中率が著しく低下してしまうのだ。


「ふう……はぁ……」


 白衣姿の紅藤が静かに観測を続ける地下室にて、源吾郎は息を弾ませていた。地下室そのものはむしろ肌寒いほどに冷えているはずなのだが、源吾郎自身は顔を火照らせていた。額や頬には汗の玉が幾つも浮かんでいる。


「少し気張りすぎかもしれないわね、島崎君」

「そう、ですか……」


 紅藤の講評を聞きながら、源吾郎は首に巻いたタオルで汗をぬぐった。紅藤は黙ってそれを眺めたのち、その面にほのかな笑みを浮かべた。


「だけど元気そうで何よりね。もしかしたら、連休明けだからまだお疲れ気味かなって思ってたから」

「連休中はじっくり休みましたからね。なので僕は元気です」

「島崎君も若いものね……」


 元気です、と言い切る源吾郎に対して紅藤は笑みを深めた。人間は若者ほど体力があって元気だという事になるが、妖怪の場合はどうなのだろうか。妖怪ももちろん年老いる事はあるが、それ以上に妖力の恩恵がある。老いも若きも元気いっぱいなのではないか。そんな取り留めも無い考えが源吾郎の脳裏をよぎった。

 その考えを一旦振り払い、源吾郎は的を指差した。妖術を使っている的は源吾郎が撃ち落さない限り動き続けている。


「ですが、今回の的当ては僕にはちょっと難しいですね……何分動きが素早いもので」


 未だに動き続ける的を見ながら源吾郎は目を細めた。妖力を込めれば追尾式の狐火を撃ち出す事も出来るのだが、敢えてその術は使っていない。めちゃくちゃ早いわけではないから普通の狐火で撃ち落とせるのではないか。そう思っていたがそれが中々難しかった。真っすぐに動くのではなく、軌道が読めないから難しいのかもしれない。


「島崎君には難しい速度だったのね」


 紅藤は手許のタブレットを見やり、それから少し首を傾げた。


「他の若手妖怪なら特に問題なく撃ち落せるって萩尾丸は言っていたんだけど……まぁ島崎君は鍛錬も始めたばっかりだから……」

「……ま、まぁそんな感じですかね。要因は他にも色々ありますが」


 他の若手妖怪。珠彦や文明などと言った若狐たちの姿を思い浮かべ、源吾郎は密かにため息をついた。「小雀」と呼ばれる組織の若手妖怪たちよりも、妖力的には源吾郎の方が圧倒的に強い。しかし経験不足云々以前に、人間の血を引いているという部分が源吾郎の弱みとして作用していた。

 妖力が多く妖怪的に振舞う源吾郎であるが、身体能力は鈍重な人間よりもやや優れている程度に過ぎない。動体視力もそれを起点とした反応も純血の妖怪よりも格段に劣っていた。それは本気の訓練ではなく、オフの際にじゃれ合って遊ぶ時ですら感じる事がある事柄だった。

 無軌道に動く的を撃ち落せるか否か。その違いはそう言う部分に現れていたのだ。

 源吾郎は妖怪になりたいと思っているが、人間の血を引いているという事から完全に逃れられはしないのだ。

 さてああだこうだと思案を巡らせていた源吾郎であるが、後方に気配を感じて振り返った。案の定というべきか、ローブ状の白装束をまとった妖怪が一人、源吾郎からやや離れた所で佇立していた。鍛錬用の地下室は殺風景であり、そこにぽつねんと立つ白装束の妖怪の姿は妙に現実離れしたものにも見える。

 源吾郎はばつの悪そうな表情を浮かべこそすれ驚いたり怯えたりはしなかった。良くて不審者、悪くて亡霊に見えるその妖怪が何者であるか、源吾郎ははっきりと把握していたからだ。


「誰かと思ったら雷園寺さんじゃないか。何だよじろじろとこっちを見てくるなんてさ。そんななりだからお化けか何かかと思ったぜ」


 源吾郎が軽口を叩くと、雪羽は頭を覆うフードを取った。顔をあらわにした彼は笑いながら源吾郎に少し近付いた。


「島崎先輩が鍛錬をなさるって聞いて見に来たんですよ。あ、もちろん萩尾丸さんからは許可は貰ってますよ。むしろ勉強になるから是非とも見学するようにって言われたんです」


 そう言う事か……萩尾丸の名を出され、源吾郎は納得するほかなかった。雪羽は今萩尾丸の管轄下で動いているからだ。

 その雪羽は、源吾郎を見ながらニヤリと笑った。


「それにしても島崎先輩。先輩ってお化けが怖いんですか。可愛い所があるじゃないっすか」

「おい、俺に向かって可愛いなんて言うな。勘弁してくれよ」

「まぁまぁ熱くならなくて良いじゃないですか。ちなみに僕はお化けなんて怖くないですけどね。幽霊だろうと何だろうと、逢えるものなら逢ってみたいもんですよ」


 こいつ俺の事を弟扱いしようとしているな……話題を逸らして笑い続ける雪羽を見ながら源吾郎は冷静に思った。

 実のところ、源吾郎は誰かに「可愛い」と言われる事は嫌ではない。それ以前に末っ子であり幼さの抜けぬ所があるから、好む好まざるをお構いなしに可愛いだの子供っぽいだのと言われがちなのだ。実の兄姉ではない相手から弟扱いされる事もままある。正直な話、友達だと思っている珠彦や文明も、源吾郎を弟と見做している節が見え隠れしていた。

 大人相手にそのように見做される事は源吾郎も許容できる。しかし、まるきりのがそのような態度を取る事には違和感があった。

 実年齢はさておき、雪羽は自分よりも格段に幼いと源吾郎は思っている。だというのに兄貴分のように振舞おうとしているから妙な気分になったのだ。お前はむしろ俺の弟ポジだろう、と。

 あれこれと思う所はあったが、源吾郎はその事はおくびには出さなかった。幼いわりに気位の高い雪羽であるから、源吾郎が思いのたけをぶつければそれこそ喧嘩になるだろうと踏んでいたのだ。

 それに自分は玉藻御前の末裔であり、最強を目指すために邁進している男である。そんな自分が、雪羽みたいな相手に喧嘩を吹っ掛けるのも幼稚だと考えていたのだ。自分は雪羽と違ってなのだ、と。


「熱いと言えば、そんな白装束を着込んでて暑くないのかい?」


 源吾郎はちらと雪羽の装束を見やり、質問を投げかける。おのれの身元を隠すためにと新調したらしい雪羽の白装束は、袖も裾も長く、素肌があらわになる部分が一切ない。修道士の修道服に似ていると言えば良いだろうか。


「平気平気。実はこれ、特別素材だからむしろ涼しい位なんだ」


 雪羽は得意げに微笑みながら、装束の裾をつまんで内側を見せつけた。まさかこいつ白装束の下は全裸ではないか……ドスケベ雷獣を前に一瞬そう思って気構えた源吾郎だったがそんな事は無かった。雪羽はきちんと、装束の下にも服を着こんでいた。

 白装束の裏側は淡い水色の生地でできていた。よく見るとやや濃い水色の部分がヒョウ柄を示しているようにも見える。

 ヒョウ柄、青系統、そして熱に強い。源吾郎はそこまで確認し、驚きのために瞠目した。雪羽が着込んでいる衣装の素材の検討が付いたためだ。


「凄いなぁ、風生獣ふうせいじゅうの毛皮を使ってるなんて。裏地が風生獣の毛皮だったらさ、熱くもなんともないよなぁ」


 嘆息交じりに源吾郎は言葉を紡いだ。風生獣とは大陸や日本の一部に住まう妖怪である。ヒョウ柄模様の青い毛皮と狸やハクビシンに似た体躯の持ち主であるが、彼らの最大の特徴は丈夫さと再生能力の高さである。風生獣は焔に焼かれず刃物によって傷つく事も無い。鈍器で頭を潰されれば一時的に死ぬが、口から新鮮な風を取り込めばまた復活するという。その脳髄は食したものに長寿をもたらし、はぎ取った毛皮を加工すれば焔知らず刃物知らずの衣服になるという。

 脳髄はおろか、風生獣の毛皮もまた、妖怪たちの中でも入手しがたい品の一つであった。風生獣を仕留めても加工が難しく、そもそも風生獣自体が用心深い性質を持つからだ。

 源吾郎が驚いたのはその事を知っていたためである。

 ところが雪羽は、一人で嘆息する源吾郎を前にムッとした様子を見せた。


「島崎先輩! 風生獣のだってのは間違いですよ。毛皮じゃなくて刈り込んだを使って裏地にしてくださったんですから」


 雪羽の叔父である三國の配下の一人に風生獣の青年がいるのだという。雪羽が狂暴な妖狐と相対したとしても大丈夫なようにと、わざわざ自身の毛を刈り込み、素材として提供してくれたのだそうだ。


「そうか。それは俺の思い違いだったよ。ごめんな」


 雪羽の言葉を聞いた源吾郎は素直に謝罪した。三國が風生獣の毛皮を手に入れたか自ら仕留めたのだろうかと無邪気に思っていたのだが、仲間として風生獣を従えているというのも中々興味深い話である。

 また、配下と言えどもわざわざ風生獣の毛を使う所にも、三國が雪羽をどのように思っているのかが伝わってくるようでもあった。風生獣の頑健さは毛にも宿っている。毛皮ほどの効力はないにしろ、ある程度の熱や凶器から持ち主を護る事は事実なのだから。


「紅藤様。僕も的当てをやってみたいんですが、良いでしょうか?」


 さて源吾郎が三國や雪羽の事について思いを馳せていると、当の雪羽は紅藤に声をかけていた。無邪気な様子でもって、彼は源吾郎がやっている鍛錬を自分も行いたいと言ってのけたのだ。

 紅藤の視線は一瞬源吾郎に注がれ、それから雪羽に戻った。彼女は相変わらず笑みをたたえたまま、ゆっくりと頷いた。


「もちろん構わないわ。島崎君もいる所ですし、少しやってみましょうか」


 雪羽に向かってそう言うと、紅藤は今再び源吾郎を見やり、声をかけた。


「島崎君。雷園寺君に代わってくれるかしら。ちょっと休憩になるけれど、雷園寺君が撃つのを見るのも勉強になると思うわ」


 はい……源吾郎は紅藤を見て頷き、後ずさって見学に回る事にした。



 白装束姿の雪羽は、細長い三尾を扇のように広げていた。斜め後ろからそれを観察している源吾郎は、雪羽が放電する所もしっかり観察している。真琴を前にした時とは異なり、身体全体ではなく放電が繰り返されているのは右手の周辺のみだった。

 放電が最高潮になった時、雪羽は腕を振るった。野球選手がボールを振りかぶる動きによく似ていた。乾いた音が響き、移動していた的の動きが一瞬鈍る。数瞬の後には的は動き出していた。しかしその的の中央を示す黒点には、小さな風穴が開いていた。雪羽の動き、雷撃を放った瞬間は目視で捉えられなかった。しかし雷撃が標的をたがわず撃ち抜いた事は紛れもない事実だ。しかも雪羽の様子からして、渾身の一撃では無さそうだ。むしろ片手間やウォーミングアップだと言わんばかりだ。


「僕の雷撃はこれだけじゃあないですよ……あ、紅藤様。もう一度お願いします」


 わざわざ思わせぶりな笑みを源吾郎に見せた雪羽は、今度は細長い布で目許を覆った。目隠しした状態で雷撃を放ったのである。こちらも当然のように的の中央を雷撃が射抜いていた。

――威力どころか精密さも段違いじゃないか! しかも、見えない状態でもその精密さを損ねないなんて……


 続けざまに何度も雷撃を放つ雪羽を見ながら、源吾郎は彼の能力の高さに恐れおののくほかなかった。態度や素行面で色々と問題があるように見える雪羽であるが、才能面では一目を置かざるを得ない、とも思っていたのだ。

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