貴族妖怪のなやみごと

 ネズミ妖怪の親玉であるという真琴は数十分ほど研究センターに滞在したのち、配下であるというネズミたちと共に去っていった。配下のネズミたちとは源吾郎が捕獲したネズミたちである。彼らは源吾郎や雪羽が適切に捕獲した事もあり、ストレスも無くのんびりと籠の中で過ごしていたのである。


 真琴が帰った後も研究センターの面々は未だにテーブルを囲んで集まっていた。紅藤が注視するのは雷園寺雪羽である。

 雪羽は恥じ入るように俯いていた。色々な感情が蠢いているのは、しっかりと握った拳がはっきりと物語っている。


「雷園寺君。この研究センターの中では無闇に放電しないように気を付けてね」


 紅藤は雪羽の頭や首周りを眺めながらそう言った。彼の放電は既に収まっている。しかし確かに、あの時はかなり放電していた。


「もちろん、真琴様のお話で戸惑ったりおかしいと思った事は私にも解るわ。雷園寺君もまだ若いし、思わず頭に血が上っちゃったんだろうなって。

 だけどね、それとは別にこの研究センターには高価な機器が色々と揃っているの。お高くて精密な機械程電撃や雷撃に弱いって事は、雷獣である雷園寺君もご存じでしょう?」

「はい、確かにそうですね」


 紅藤にたしなめられる雪羽の声は弱弱しかった。今は顔を上げて紅藤を見ているが、その顔にはあからさまな当惑の色が見え隠れしている。

 それを見て微笑んだのは萩尾丸だった。


「君の叔父上の三國君は確かにパソコンとかに電撃を加えてデータを加工したり抹消したりする仕事もやってるよ。だけど、だからと言って雷園寺君は真似しちゃだめだよ。あれは相当な訓練とセンスが必要だからね」

「そんな仕事をやってるんですか、三國様って」


 パソコンに電撃を与えてデータを加工する。末席と言えども幹部職である三國がそのような事をしているとは。源吾郎は驚きのあまり声を上げてしまった。今は雪羽にあれこれと話しかけているのだという事は知りつつも、である。

 しかしそうして話題に口を挟んだ源吾郎は咎められなかった。むしろ萩尾丸などはにこやかな笑みを見せて頷いてくれるくらいだ。


「そうだよ島崎君。雷獣は雷撃や電撃を放って攻撃するだけだと思われがちだけど、彼らの能力は何もそれだけでもないんだ。ぶっちゃけた話、雷撃電撃なんて雷獣の使う術で最も単純な術の一種に過ぎないくらいさ。僕らが三國君に仕込んだ……いや覚えさせた術はかなり高度な物だけど、電気で動く物に干渉する位の事は、普通の雷獣でも出来ると思ってくれればいい」


 萩尾丸はそこまで言うと、意味深な笑みを浮かべた。


「まぁ、天狗である僕からつらつらと説明しなくても良いかもしれないね。何せ今ここには雷獣である雷園寺君もいるし。雷獣の力の真価とやらは、島崎君が興味を持てば雷園寺君が直々に教えてくれるからさ」

「…………」


 源吾郎は黙ったまま萩尾丸や雪羽を眺めるだけだった。雪羽が教えてくれる。その言葉に若干の不穏さを感じてしまったのだ。ちなみに雪羽は顔を上げ、源吾郎と目が合うと微笑んでいる。先程までのしおらしい態度は嘘のようだ。

 笑っている雪羽を見やり、萩尾丸は言い添えた。


「そうそう。言い忘れてたけど雷園寺君。今回の事は始末書に書いてもらおうか」


 やはり始末書案件だったのか……源吾郎が妙に納得する傍ら、雪羽は一変して渋い表情になった。萩尾丸はというと、表情を変える雪羽の事などまるで気にせず軽やかに言葉を続ける。


「始末書の方は、終業時間の一時間、二時間ほど前から書いてもらおうか。雷園寺君には色々と僕の方からもやってもらいたい事もあるしね。それに雷園寺君は元々は三國君の許で書類の承認とか妖事の仕事をやってくれてただろう? 書類慣れしてるからそんなに時間も取らなくて大丈夫だと思うんだけど……大丈夫、かな?」


 決定事項であるのに選択肢があるように見せかけ、その上で圧をかける。成程萩尾丸らしい問いかけ方である。三國の許で書類の承認をやっていたから慣れているだろう。この言もある種の皮肉であると思うのは勘繰り過ぎであろうか。

 外野である源吾郎がああだこうだ考えているうちに雪羽は頷いた。承ります、などと気取った文言を口にしながら。


「うーん。若いから、だと思うけど。島崎君も雷園寺君も、心のすきま、ちょっと大きいかも」


 心配げにそう言ったのはサカイ先輩だった。彼女はすきま女であり、色々な隙間を好む性質を持つ。だからこそ他の妖怪の持つ心の隙間に敏感だったし、また心の隙間が厄介事を呼び寄せる事を知っているらしい。



 昼休憩はたっぷり四十分あった。食べ盛りな源吾郎が昼食に勤しんでも、半分以上は自由時間が余っている。その自由時間で源吾郎は敷地内をブラブラしたり自販機で飲み物を買ったり同じく休憩している工員と世間話をしてみたりと、まぁ文字通り自由に過ごしていた。時々部屋に戻ってホップの様子を見る事さえある。(紅藤の許可を取った上の話だが。とはいえ紅藤はおおむね快諾してくれる)

 そうやって自由に過ごせるこの休憩時間だったが、この日の源吾郎がまず向かったのは同じく休憩している雪羽の許だった。繰り返すが源吾郎は雪羽に親しみはさほど抱いていない。喧嘩や乱闘さえしなければ良いと思っている程度だ。

 だというのに雪羽の許に向かったのは何故なのか。自分でもよく解らなかった。

 雪羽もまた、既に昼食を終えている所だった。雷獣は妖狐や狸よりもやや草食の傾向が強い雑食性だという。しかし雪羽の昼食が何か――萩尾丸が作ったのか雪羽自身が作ったのか或いは出来合いの物を購入したのか――は定かではない。

 彼の食事が何であったかはさておき、雪羽は日中でありながらもたそがれていた。机に向かうように座り込み、ギリシャ神話か金瓶梅かの文庫本を広げているのだが明らかに上の空である。


「……退屈そうだな、雷園寺さん」


 丁寧とも砕けているともとれる物言いで源吾郎が声をかけると、雪羽は小さく声を上げた。驚いてはいないが、声をかけられて源吾郎の存在に気付いたと言わんばかりの表情だ。

 驚いてぼんやりしていたのはほんの一瞬の事だった。声の主が源吾郎だと知ると貴族的な笑みを浮かべたのだから。

 

「退屈というよりも考え事をしていただけだよ。始末書、書かないといけなくなったし」

「それは気の毒なこった」


 気の毒。源吾郎の言葉は社交辞令的だったが、わずかにそう思っている節もあった。雪羽が身内の話には敏感である事は、源吾郎も多少は知っているからだ。家柄にこだわる雪羽はもしかすると、自分以上に実母を敬愛していたのかもしれない。むしろ実母への郷愁が家柄への執着になっているとでもいうべきか。

 真琴は恐らくは自分の一族のスタンスを語ったに過ぎないが、まさか雪羽の家庭事情について知らない訳ではあるまい。仮にも情報処理係なのだから。いやもしかすると、解った上であの言葉を放ったのではないか。テスト放たれたネズミを捕獲できたか否かだけではなく、真琴のあの言動にどう応じるかまでだったのではないか。そのような考えが脳裏をかすめる。

 全くもって大妖怪様は厄介で恐ろしいお歴々ばかりだ……源吾郎はそう思って軽く身震いしてしまった。


「まあしかし、始末書を書くのは夕方だろう。気晴らしにちょっと外をぶらついて見ないか? 雷園寺さんと同い年の工員もいるし、それこそ若い娘とかもいるんじゃないかな」


 源吾郎がそのような提案をしたのは、ほんの親切心からだった。取り巻きの若手妖怪とつるんでいた所を知っていたから、若い妖怪と関わりたいと思っている事は知っていたためである。研究センターに併設する工場にも、若妖怪は大勢働いている。多少ヤンチャな妖怪が多い気もするが、むしろ雪羽とは気が合うかもしれない。源吾郎は無邪気にそう思ったのだ。

 しかし雪羽の返事は色よいものではなかった。彼はフードで顔を覆い、小さく首を振るだけだった。


「工場の……他に働いている妖怪たちとは今は会いたくないんだ。萩尾丸さんや、紅藤様にもその事は話してるけどな」


 それから雪羽は、この白衣を着こんでいるのも、他の妖怪たちから自分が雷園寺雪羽であると気付かれないようにするためだと丁寧に説明してくれた。


「島崎君はさ、俺が雷園寺家の当主候補だって知ってるだろ? それが不祥事を起こしてこんな所で働いていると庶民たちに知られたら、何と言われるか解らないじゃないか。俺はそれが怖いんだ。だから、表向きは誰か解らんようにしているんだ。萩尾丸さんの許で働いている妖怪たちだって、ほとんどが俺が誰か知らないしな」


 貴族の血統なのだからもっと堂々としていてもばちは当たらないだろうに……源吾郎はそう思ったが無駄口は叩かなかった。不祥事を起こし、それを糾弾されるのは恥ずかしい。その気持ちは源吾郎も理解できた。それに雪羽は思った以上に幼い。多少情緒不安定なのも致し方なかろう。

 源吾郎は自販機に向かおうと思っていたが、雪羽の分も何か買ってやろうか。親切心なのか何なのかはさておき、そんな考えがひらめいたのだった。

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