方便は激昂おさめる手段なり

 人型ながらも獣じみた表情で怒りを露わにする雪羽に対し、源吾郎は強い疑問を抱いていた。彼が幾分短絡的で怒りっぽく、尚且つプライドが高い事も知っている。ある意味彼らしい振る舞いであるとも思えるのだが、何に対して怒りを露わにしているのか、源吾郎には解らなかった。

 雪羽の様子が一変したのは、放ったネズミが真琴によるテストであると聞いた直後である。しかし雪羽自身はその前に「若手の貴族妖怪がアレコレと年長者に試されるのは当たり前の事」と笑いながら言い放っていたではないか。他人事だと思えば笑い飛ばせる案件だが、わが身に降りかかると笑い事では済まないと思うタイプなのだろうか?

 それなら単なるワガママ小僧という事で話が付く。しかしそう結論付けるのも短絡的に思えた。それに源吾郎自身、雪羽が単なるワガママな若妖怪ではないと思っていた。無論素行のよろしくない所もあるにはある。だが貴族妖怪としての矜持も持ち合わせていると感じる部分もままあった。


「雷園寺……」


 源吾郎は呟くほかなかった。雪羽をなだめて落ち着かせようにもなす術が無かった。そもそも雪羽が何に怒りを覚えているのか判然としないし、何より放電を繰り返す雪羽に半ば怯んでいた。妖怪同士の勝負もまた、気合などと言った精神的な部分が左右する所は大きい。怯んでいる源吾郎が雪羽を大人しくさせるのはどだい無理な話なのだ。

 しかも紅藤や真琴を筆頭に、年長者たちはただ様子を窺っているだけだ。彼らが雪羽を恐れているとは考えにくい。むしろ雪羽の主張を聞こうと構えているようにさえ感じた。


「真琴様。そのネズミたちはあなたの配下、場合によっては眷属ですよね。確かに妖力らしい妖力は持ち合わせていないようですが……今回のテストで殺されても構わないと言い放ったのは一体どういう事なのですか?」


 真琴を見据える雪羽の翠眼は冷え冷えとした光を放っていた。雪羽の怒りは未だに烈しさを保ったままであるが、源吾郎は腑に落ちた思いで雪羽を眺める事が出来た。彼が何に怒りを感じたかを知った事、その怒りがもっともな事であると解ったためだ。

 雪羽は自分が試された事に怒っていたのではない。「あのネズミは別に殺されても構わない」と言い放った事に激していたのだ。に怒りを覚えるのももっともな事だと源吾郎は思った。妖怪たちには色々な考えがあると言えども、従者の生命を捨て石に出来ると聞いて戸惑う者がいてもおかしくない。ましてや雪羽は身内が死んだり他の身内に迫害されたりした事があるのだから。


「雉鶏精一派の構成員ならば、頭目が一族を護る事の大切さは真琴様もご存じかと思います。なのにそこのネズミらの生死は気にしないという言い草は――」

「雷園寺君、だっけ。確かに君の主張にも一理あるわ」


 雪羽がまだ言い切らぬうちに真琴が口を開く。一理ある。軽い調子で放たれた肯定の言葉に、雪羽は呆気に取られていたようだった。


「頭目は従者を護る必要がある。それは雷園寺君が持っている考えよね。もちろんそんな考えを大切にする事は善い事だと思うわ。

 だけど私たちと君は色々と違うの。君は力の強い雷獣の一族でしょ? そして私たちはネズミの一族なの。中には強い仔も出てくるけれど、ネズミたちはお世辞にも強いとは言えないわ。だけど殖える力は雷獣たちよりも強いの。弱いけれどどんどん殖えていく事ができる……そうなるとね、一匹一匹の安否について気にする余裕なんてないの。もちろん、死なない方が良いのでしょうけれど」

「……」

「……」


 真琴の言葉もまた一理あるもの、なのだろう。ネズミ算と呼ばれるネズミの繁殖能力やネズミの弱さを知っている源吾郎だから、真琴の言い分もまぁ理解は出来た――頭で理解するのと、心の底から納得するのは別問題だが。

 真琴の言い分はあまりにもなものだった。もちろん、魚や虫のように子育てをしない生物がいる事を源吾郎は知っている。多くの仔を残すのは死亡率の高さの裏返しである事も何処かで聞いた事がある。しかし人間に近い姿をした真琴がそう言ってのける事が衝撃的だった。

 そこまであれこれと考えながら、やはり自分には人間的な側面が多く残っているのだとも思った。しかしこの主張に激したのは雪羽だ。源吾郎とは異なり、純血の妖怪である雪羽だったのだ。

 して思うと妖怪と人間の隔たりはやはり薄く脆い物なのだろうか……奇妙な方向に源吾郎の思考はうつろい始めていた。

 そんな源吾郎の思考を現実に引き戻したのは、獣の唸り声だった。いや、唸り声と思ったのは雪羽の立てる笑い声だった。

 何を笑っているのだろう……ちらと視線を向け、源吾郎はぞっとした。先程までたぎっていた怒りの色は薄らいでいる。しかしその翠眼には、底冷えするような侮蔑の色が浮かんでいた。


「要するにあなた方は僕たちとは違うと仰るのですね。ですが確かにその通りかもしれませんね。あなた方はネズミ。所詮は弱いちく――」

「ああすみません真琴様っ」


 侮蔑と嫌悪と悪意の籠った雪羽の言葉は、真琴に対する萩尾丸の呼びかけによって遮られた。雪羽もこれには虚を突かれたという様子で首をかしげている。萩尾丸はさほど焦った様子は見せていなかったが、困ったような笑みを浮かべていた。

 

「実はですね真琴様。雷園寺のやつは寝る前に酒を飲んでしまったんですよ……僕が見ていたんでまぁ大丈夫かなと思ったんですが、やはりちょっと多かったみたいですね。ええ、まだ彼はちょっと酔っているんですよ」

「……?」


 萩尾丸の言は誰も遮ろうとしない。それを良い事に彼は言い添えた。


「なので先程の言葉は、それこそ酔いどれ小僧の繰り言だと流していただきたいのです」


 申し訳ありません。それらしく頭を下げる萩尾丸を前に、源吾郎は首をひねるほかなかった。よく見れば雪羽もだ。

 雪羽が驚き戸惑うのも当然の事だろう。何しろ雪羽は素面なのだから。源吾郎の嗅覚をもってしても、雪羽が酒を飲んだ気配は感じ取れなかった。そもそも萩尾丸とて雪羽が酔ってトラブルを起こした事を知っているから、みすみす飲酒するのを見過ごすとも思えない。

 要するに萩尾丸は嘘を使い場を収めようとしたのだ。嘘というよりも方便であろうか。過去に源吾郎がぱらいそでやらかしたのをスパイとして潜入していたのだと皆に伝えたのと同じ事が行われているだけの話なのだから。


「うふふ。別に私は大丈夫よ、萩尾丸君」


 大丈夫、という真琴は笑みを浮かべていた。明らかに笑みだとは思うのだが、細めた両目にどのような表情が宿っているのかは解らない。


「私らもネズミって事で弱いって思われているから、他の妖怪からああだこうだ言われるのには慣れっこなの。まぁそれに、雷園寺君も若いし酔っていたんならしょうがないし。

 本気で私らの事を心配してくれているんだったら、私や配下たちの栄養源になってくれても良いかなって思ったんだけどね」


 真琴の放った最後の言葉が本気だったのか冗談だったのかは定かではない。ただ少なくとも、源吾郎は驚きいくばくかの恐怖を感じた。

 一方の雪羽は無言を貫き、俯いていたのだった。

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