訪れたるはネズミの親玉

 研究センターに青松丸あおまつまるが訪れた時、自分たちはかなり長い時間放置されていたのだと源吾郎は思っていた。しかし時計を見ると、自分が出社してからまだ十分ほどしか経っていなかったのだ。緊張のために、時間の流れがいびつに感じられたのだろう。


「おはよう二人とも……あ、どうしたの」


 小走りに近寄ってくる源吾郎と雪羽を見、青松丸は目を白黒させた。一人の先輩に二人して駆け寄ってくる。別にこれは二人で示し合わせた行動ではない。むしろ示し合わせずに思い思いに動いたから、このような事態になったのだ。


「青松丸さん。研究室とか僕の部屋にネズミが入り込んでたんです」


 源吾郎が状況を告げると、負けじと雪羽もバケツを指差した。


「研究室ではネズミなんて使ってないのにおかしいですよね? とりあえず、見つけたネズミは僕らで回収してバケツに放り込んでいるんですよ」

「バケツって、あのバケツだね?」


 呑気な声を上げる青松丸の動きを妨げぬよう、源吾郎たちは左右に道を開けた。逃げるから蓋をしておかないと……そんな事を言い、青松丸はバケツの中を覗き込んだ。ネズミたちは未だに思い思いに動いているのだろう。中を見なくても彼らが立てる物音や微かな啼き声ははっきりと聞こえる。


「ああ、ネズミたちはみんな元気そうだね」


 良かった、と青松丸が短く言い放つのを源吾郎ははっきりと耳にした。青松丸の顔には既に驚きの色はない。腑に落ちたような表情で源吾郎たちに向き合っている。彼はただネズミらを一瞥しただけであるが、源吾郎たちのあずかり知らぬ何かに気付いたらしい。


「紅藤様の研究センターにネズミが入っているから何事かなと思ったけれど、多分この子たちは真琴まこと様が従えているネズミたちだろうね」

「真琴様って誰ですか?」


 源吾郎は思わず質問を投げかけていた。雪羽が少し呆れたような表情を見せている気がしたが、それはスルーしておく。

 一方の青松丸は苦笑いしながら言葉を続けた。


「あ、そうか。島崎君は真琴様の名前を聞くのは初めてだったかな。真琴様というのは、僕ら雉鶏精一派の構成員で、今は峰白様の許で情報収集とか、諜報活動を行ってくれているんだ。あ、もちろん本性はネズミの妖怪だよ」

「それはまたすごいお方ですね……」


 源吾郎は半ば驚きつつ呟いた。峰白と言えば第一幹部であり、雉鶏精一派の中で巨大な権限を持つのは言うまでもない。構成員などと言っているが、峰白の直下にいるとなればそれこそ重臣と呼んでも差し支え無かろう。

 

「元々は王鳳来様にお仕えしていた時期もあるらしいんだ。かなり昔の事だから僕も詳しい事は知らないけどね。年齢も、峰白様と同じくらいか少し上だったかな」

――ネズミ妖怪で琵琶精である王鳳来様にお仕えしていたという事は、相当に力のある妖怪だったんだろうなぁ。ネズミ妖怪というのは琵琶と縁がある者もいるわけだし。


 胡喜媚の義妹・王鳳来の名が出てきたところで源吾郎はぼんやりとそんな事を思っていた。妖怪化したネズミは巨大化して猫や犬などを喰い殺す話が有名である。ネズミ妖怪は妖怪化してもせいぜいはおのれの天敵を喰い殺すのが関の山だろうと思われている節もある。

 しかし年数を経たネズミ妖怪の中には、巫女や術者のように振舞うものもいるそうだ。大陸で年数を経たネズミ妖怪は、琵琶を弾きながら占いを行うようになるらしい。そのような伝承を知っていたから、源吾郎は真琴が王鳳来と接点があると聞いて納得したのである。


「やはりこのネズミたちは高貴な出自だったんですね」


 さも感心したように言い放ったのは雪羽だった。その面には見た目相応の無邪気な笑みが浮かんでいる。いや、笑みの仮面であろうか。


「いやはや、ネズミが出てきた時には驚きましたが、きっときちんとした出自のネズミだろうと思い、生け捕りにして傷つかないように気を配っていたんです。何しろ見た目も良いですし、病原菌も持っていないみたいですからね」


 心にもない事を。弁舌爽やかに言い募る雪羽をじっとりと眺めながら、源吾郎は心の中でぼやいていた。名のある妖怪の使いであると知っていたからネズミを殺さずに回収したという言葉が、即興の嘘である事を源吾郎は知っていた。

 あっさりと捕まったから殺したり傷つけたりしなかった。雪羽は源吾郎と二人でネズミを監視していた時にそう漏らしていたのだ。気位の高い彼の事だ。はなから大妖怪の使いであると知っていたならばその事を源吾郎に吹聴しているだろう。


「それにしても青松丸さん。色々と腑に落ちませんね」


 雪羽に対する感情を押しとどめ、源吾郎は言葉を紡いだ。雪羽の言動も無論気になる所はあるが、それ以上に不審な点がネズミたちにはあった。


「真琴様とやらが、雉鶏精一派で重要な役回りであろう事は僕も理解しました。何せあの峰白様の配下なのですから……ですがそれならば、何故わざわざ自分の使いであるネズミを放ち、あまつさえそれを僕たちに見つけ出すような事をしたのでしょうか?」


 それにですね。源吾郎は一呼吸置いてから言葉を続ける。


「この件に関しては、紅藤様や萩尾丸先輩もあらかじめご存じだったと僕は思うのです。今ここに紅藤様はいらっしゃりませんが……離れた所で術を展開し、侵入者が入り込めないようにする事だってあのお方には出来る筈です。だというのに、こうしてネズミたちが入り込んでいる状況は妙ではありませんか」


 矢継ぎ早な源吾郎の問いかけに対して、青松丸は笑うような形で息を吐きだした。多分図星なのだろうなと思った。

 僕も詳細を知っている訳ではないけれど。そのような前置きを行ってから青松丸は説明してくれた。


「しいて言うならば、島崎君たちを試すためにネズミを放ったのかもしれないね。真琴様ももちろん、島崎君が紅藤様の許に弟子入りした事はご存じなんだ。ネズミたちを見つけ出せるか、見つけたネズミらをどうするか。その辺りをチェックしたかったんじゃないかな」


 そこまで言った青松丸は、何かを思い出したと言わんばかりに首を揺らした。


「そうそう。今日は真琴様がお見えになるらしくってね。今まではあんまり表立って活動なさるお方じゃあなかったけど、状況が状況だから雉鶏精一派の重臣として動くようにって色々と幹部たちの間で話が合ったみたいなんだよ。まぁ僕は、幹部職じゃないから詳しい事までは知らないけどね」

「やっぱり試されていたんですね、僕たち。しかも話の流れからして紅藤様もぐるじゃないですか」

「まぁまぁ島崎先輩。そんなにいきり立たなくても良いじゃないですか」


 感情が昂った源吾郎をなだめにかかったのは何と雪羽だった。彼は馴れ馴れしく源吾郎の肩に手を添え、訳知り顔で源吾郎を見つめている。


「先輩。僕らのような名門の若手妖怪が、年長の妖怪たちに手を替え品を替え色々とテストされるのは致し方ない事ですよ。名門の許で育ったのだから実力はあるだろう、しかしまだ若いしよそ者みたいなものだから力量を知ってみたい――彼らはおおむねそのような事を考えているんですよ。

 島崎先輩とて例外じゃあないですよ。いやむしろ、多くの妖怪たちがテストしたくなるんじゃあないですかね。何せ玉藻御前の末裔という看板はデカいですからね。それこそ、僕の背負っている雷園寺家が霞んでしまう程に!」

「そういう物なのか……」


 源吾郎が呟くと雪羽はさも愉快そうに笑っていた。



「皆様おはようございます。少し遅れてしまって申し訳ないわ」


 紅藤がそう言って研究センターの面々に挨拶をしたのは、始業時間の五分前だった。始業時間前だから遅れるという表現を使わなくても問題はない。しかし彼女としては遅れたと表現するのはある意味辻褄が合っているのだろう。何せ紅藤は研究センターのすぐ傍に住んでいて、普段は始業時間のうんと前からセンターの中にいるのだから。

 紅藤が挨拶をする中、研究センターの面々は当然のように集まっている。その中には第六幹部で一番弟子になる萩尾丸の姿もあった。

 ちなみにネズミたちは小ぶりの籠に収められ、ミーティング用のテーブルとは別の作業机に置かれている。何かあれば源吾郎か雪羽が抱え持ち、運んでくる予定だ。


「普通なら連休明けの挨拶で始めたいんですが……まずはお越しいただいた真琴様を紹介いたします」


 紅藤の言葉を合図に、傍らに控えていた女性が半歩前に出てきた。紅藤と同じく、見た目は二十代半ば程に見える。但し茶褐色の髪を肩の中ほどまで伸ばし、ゆるくウェーブがかかった状態で遊ばせている。真琴がネズミの妖怪であると聞かされていたために、その風貌もネズミの面影があるように源吾郎には思えた。別に彼女が出っ歯であるとかそう言う意味ではない。落ち着いた色味のワンピースドレスはネズミの目立たない色味の毛皮を、胴回りを結ぶウロコ模様のベルトはネズミの尻尾を想起させた。それだけである。


「お久しぶりのヒトと、初めましてのヒトがいるわね。私は真琴っていうの。知ってるヒトは知ってると思うけど、第一幹部の峰白様の許で、情報処理係として働いています」


 これからよろしくね。気安い調子で言い放つ様に、源吾郎は一瞬面食らってしまった。しかし考えてみると、彼女も紅藤や峰白と同じくらい長い年月を生きた妖怪だという。案外こうした気さくでライトな態度というのも、ある意味老齢な妖怪らしいのかもしれない。

 年数を経た妖怪がその見た目に関わらず老人臭い発言をする。このステロタイプも実は嘘だったりする。何百年と生きた妖怪は、それこそごく自然にその時代にふさわしい言動を身に着ける事が出来る。勿体ぶって老人めいた物言いをするのは、むしろ生後百年程度かそれ以下の、若い妖怪の方が多いというデータもあるらしい。

 さて真琴の挨拶が終わると、研究センターの面々は自己紹介をする事と相成った。結局のところ、真琴と初対面なのは源吾郎と雪羽だけだった。サカイ先輩は研究センターの中で若手に類するのだが、すきま女という種族である事と年功をそれなりに積んでいるという事もあり、真琴とは面識があるらしかった。


「今までは情報処理係、裏の諜報係として私自身は表立って活動する事は無かったんだけど、紅藤ちゃんや峰白さんの要望もあって、八頭衆の補佐としていつも以上に働く事になったの。少し前までその件に関して軽く打ち合わせしていたんだけど、今年はニューフェイスもいるって事で挨拶に来ました」


 八頭衆。その言葉を耳にした源吾郎は特段驚かなかった。紅藤や峰白の事を気安く呼ぶ事の出来る彼女が、その態度や言動からして重要な存在であろう事は察していたからだ。王鳳来にも仕えていた真琴が、それこそ八頭衆に収まっていたとしても源吾郎は驚かないだろう。

 そんな事を思っていると、真琴のつぶらな瞳が源吾郎たちを捉えていた。それから遠方にあるネズミの入った籠にも視線を向けている。


「あ、新人君たちもネズミちゃんたちには気付いてくれたんだね。これから私も表立って働く事になるから、挨拶代わりにあらかじめ放しておいたんだ」


 真琴はさらりとネズミの事について言及した。紅藤や萩尾丸も、この発言にはさして驚いていない。青松丸の考察通り、やはり紅藤たちもネズミの件は知っていたようだ。


「やはりあの子たちは真琴様のネズミだったのですね。今お返しいたします」


 源吾郎はそう言って立ち上がると、ネズミが入っていた籠を抱えてテーブルに戻った。ネズミらは新たに入れられた餌や水を貰っていて落ち着いていた。彼ら自身は妖怪かどうかは解らなかったが、落ち着きぶりは凡ネズミとは一線を画している。

 ありがと。真琴は礼を述べつつ籠を受け取ってくれた。


「少し驚いたのならごめんね。私もさ、紅藤ちゃんが気合を入れて面倒を見ている子だって聞いていたからどんな子か気になったの。このネズミたちを放って気付くかどうか。気付いたとしてどうするかってところをね」


 やっぱり俺たちはテストされていたのか。笑顔のままネズミを眺める真琴を見ながら源吾郎は密かに思った。雪羽をちらと見ると、彼も無言で真琴を見ていた。相変わらず愛想の良さそうな表情を見せているが、渋い思いを抱えているに違いない。

 そんな源吾郎たちの心中に気付いたのか、真琴が笑って言い足した。


「あ、でもあなた達の性格について参考にしたいなって思っただけで、今回の事で評価とか業績とか査定に響くって事は無いから安心してね。

 どういう結果になっていても、ああ成程って私が思いたかっただけに過ぎないの。仮にネズミたちに気付かなくても、気付いた上でネズミたちを殺していたとしてもね」

「真琴さん、でしたっけ」


 ネズミのテストの事について言い終えた真琴に対して雪羽が声をかける。口調そのものはまだ穏やかなものであるが、源吾郎はそこはかとない剣呑さを感じていた。あらどうしたの。大妖怪らしい鷹揚な鈍感さでもって真琴が問いかける。


「さっきのお言葉ですが、それは真琴様の本心ですか」


 雪羽の物言いは相変わらず平板だ。しかし身体のあちこちからまたしても小さな放電が起きている。剣呑な気配を感じ取ったのは気のせいではなかった。

 ネズミのテストに関して源吾郎は呆気にとられるのみだった。しかし雪羽は違う。彼はあからさまに怒りを露わにしていた。それはある意味、気短で気位の高い彼に似つかわしい振る舞いなのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る