条件ありきの戦闘訓練

「島崎君に雷園寺君。次の戦闘訓練は二人の勝負と行こうじゃないか」


 夜。雪羽の始末書を受け取った萩尾丸は、源吾郎と雪羽を集めてそう言った。二人の若き貴族妖怪が正面からぶつかり合う。それを命じた萩尾丸の口調はにこやかで、いっそ軽ささえあった。


「勝負ですね。やったぁ」

「……僕も入社してからずっと鍛錬してきました。できる所まで頑張ります」


 戦闘訓練という言葉に雪羽は無邪気に喜んでいる。血の気の多い性質だからなのかはたまたおのれの能力に自信があるからなのか。

 一方の源吾郎はというと、控えめとも殊勝とも取れる物言いをしただけに留まった。雪羽と戦闘訓練を行う。内心ではその事に戸惑いを覚えてもいた。雪羽の能力の高さに驚き、戸惑ってもいたのだ。こいつはタイマン勝負しても負けるんじゃないか、と。

 まぁそもそも雪羽が相当強いのは生誕祭の時から知っていたし、及び腰になっている事を悟られるのも恥ずかしい。だからこうして、落ち着いた様子を見せておいたのだ。

 そんな源吾郎たちの心中を気にしているのかいないのか、萩尾丸は笑みを浮かべたまま言い添える。


「それじゃ、そう言う事で話を付けておくよ。今回はちと準備が必要だからさ」

「準備って何ですか?」


 含みある萩尾丸の言葉に不穏な物を感じ取った源吾郎は即座に質問を投げかける。今までの戦闘訓練は、萩尾丸が部下を連れてきたり来させたりして用意していた。しかし雪羽は今萩尾丸の管轄で働いている。わざわざ準備に気を使う必要はないのではなかろうか。


「準備って、そりゃあ観客の準備さ」


 観客。萩尾丸のその言葉に、源吾郎の心臓が強くうねった。とっさに胸に手を添えつつも、萩尾丸の言葉を待つ。


「最初に野柴君と訓練をやった時みたいにね、小雀のメンバーに見学してもらおうと思ってるんだ。あの子らも君らと同じ若妖怪だからさ、若くて尚且つ自分よりもうんと強い妖怪同士が闘う所を見るのは、彼らにも勉強になるんだよ。ただまあ、あの子らも有給とか用事とか色々あるから、日程の調整もしないといけないし」


 それにね。源吾郎たちの反応の暇を与えずに萩尾丸は言い足した。


「今回の戦闘訓練には第八幹部の三國君か、無理なら三國君の配下も来てもらおうと思ってるんだ」

「ほんとう!」


 第八幹部の三國。その言葉に反応したのは雪羽だった。プレゼントをもらった子供のように目を輝かせ、無邪気に喜んでいるではないか。それを見守る萩尾丸の表情は、まさしく年長者のそれだった。


「三國君はずっと雷園寺君の事を心配しているからね。僕の管轄下では初めての戦闘訓練だし、声を掛けたら来てくれるんじゃあないかな……まぁ、三國君じゃなくて三國君の部下が来たとしてもがっかりしないようにね」

「そこの所は大丈夫ですよ、萩尾丸さん」


 期待に添えず三國が来ないかもしれない。その宣言に対して雪羽は堂々とした態度で応じている。これには源吾郎も少し驚いた。雪羽が叔父にして保護者である三國の事を慕っている事は知っている。だから彼が来ないという所で若干ごねるのではないかと思っていたのだ。源吾郎以上に演じるのが得意な雪羽だから、本心を隠しているだけなのかもしれないけれど。

 そう思っていると、真剣な表情で雪羽は言い添えた。


「今は叔父さんも、月姉の……叔母の事で色々と気にしている所だと思いますし」

「雷園寺、月華さんの事で何かあったのか?」


 生誕祭で三國たちと出会った時の事を思い出しながら源吾郎は思わず問いかけた。雪羽の言う月姉というのは月華の事だろう。三國の仕事を支える存在であり、尚且つ妻である事も源吾郎は知っている。

 その月華の事を三國は心配しているという事だが、一体何があったのか。他人事ながらも源吾郎は気になっていた。


「おめでたなんだ。来年には子供が生まれるって」

「そっかぁ……」


 軽い調子で応じつつ、源吾郎は密かに驚いていた。今懐妊しているという事を雪羽が知っているという事は、もしかしたら既に生誕祭の時にはできていたのかもしれない。月華も三國の妻としてあの時色々と力を振るっていたが、健康面では大丈夫なのだろうか……他人事と解りつつも、源吾郎は少し心配でもあった。


「従弟なら他にも沢山いるけど、叔父貴の子供だったら仲良くなれると思うんだ。叔父貴の子供だし、本家とのややこしい話とも無関係だしさ」


 まだ見ぬいとこを思い浮かべる雪羽の顔は明るいものだった。源吾郎はその姿を静かに眺めるだけだった。いとこという存在は、源吾郎にしてみれば近しい存在ではなかった。母方の親族は叔父たちや叔母ばかりでいとこはいないし、父方の親族とは疎遠だからだ。仮に父方の親族と交流があったとしても、父方のいとこらと源吾郎の年齢差は大きく、世間で言う所の兄弟みたいなやり取りは不可能であろう。

 何しろいとこらは長兄の宗一郎よりも年長であるどころか、むしろ父である幸四郎の弟妹と言っても通用するほどの年齢なのだから。

 ともあれ、家の事情や親族関係は人それぞれなのだ。それは妖怪であっても変わりはない。



 さて物々しい様子で宣言された雪羽との戦闘訓練であったが、日程は案外あっさりと決まった。源吾郎も仕事に励んだり鍛錬を頑張ったり少し筋トレをしたりモテ道について考えたりホップと戯れたりして過ごしたのだが……とうとう雌雄を決する日が来てしまった。


「やぁ島崎君。気合が入っているみたいだね」


 訓練用の運動着に身を包んだ源吾郎を出迎えたのは萩尾丸だった。その後方では小雀の若妖怪たちがチマチマと動いているのが見える。パイプ椅子を運んでセッティングしているようだった。


「そりゃあ相手が相手ですからね……」


 言葉尻を濁し、源吾郎は遠方に視線を送る。椅子運びを手伝った方が良さそうだと思っていたのだ。


「椅子運びの方は気にしなくて大丈夫だよ」


 源吾郎の心中を察したのか、先回りして萩尾丸が答える。


「あれもまぁあの子らの仕事だからね。君はこれから闘うだろう。少しでも体力を温存しておいた方が良いんじゃないかな。もし運びたいのなら、戦闘後にやってくれても構わないよ」


 萩尾丸の言葉に半ば戸惑いつつも、源吾郎はそうする事にした。よく見れば、修道服めいた白衣に身を包んだ雪羽の姿も見当たらないし。ついでに言えば彼の叔父である三國の姿もだ。


「萩尾丸先輩。雷園寺は何処にいるんです?」

「彼なら彼で準備をしているよ」


 そう言う萩尾丸の顔にはおかしなものを見たと言わんばかりの笑みと、若干の呆れが浮かんでいた。


「雷園寺君はあの変装した姿を僕の部下たちに見られているからね。そのまま登場したら面が割れると思って用心しているんだ。

 別にだね、叔父上が来なくて拗ねてるとか、そう言う事じゃあないから安心したまえ。うん、三國君も来れない代わりに自分の部下をこっちによこしているし」


 萩尾丸は今回見学に来ている三國の部下について説明してくれた。春嵐しゅんらんと呼ばれるその妖怪は、部下というよりもむしろ三國の右腕とか相棒と呼ぶに相応しい立場の男であるらしい。取り立てて強い妖怪では無いそうだが、用心深さと賢さを持ち合わせており、三國からの信頼も篤いらしい。

 だが源吾郎の関心を引いたのは、その春嵐こそが風生獣であるという話だ。雪羽が日頃身に着けている白衣の裏側に使われた風生獣の毛というのは春嵐の物であろう。口には出さなかったが源吾郎は密かに思った。



 雪羽が姿を現したのは、戦闘訓練開始五分前の事だった。源吾郎はそれより前に会場でスタンバイしていた。その間に親しい珠彦たちと会話したり三國の腹心であるという春嵐と挨拶を済ませたりする事が出来たのである。

 まだもうちょっと時間があるな。源吾郎がそう思っていた丁度その時に、雷園寺雪羽は華麗に登場した訳だった。


「おおーぅ、みんな、雷園寺家の次期当主、雷園寺雪羽様のお出ましだぜ!」


 羞恥心で悶絶必至の文言を臆面もなく吐き出しながら、雪羽は浮き上がるように会場に現れたのである。恐らくは術で姿を隠していただけなのだろう。

 それよりも、源吾郎は彼の姿を見て絶句した。

 雪羽は人型に化身するのをやめて、四足歩行する獣の姿を取っていた。所々金色に輝く銀色の毛皮に細長い三尾や猫めいた面立ちは彼本来の特徴を具えていたが、本来の姿ではないと源吾郎は看破していた。まず大きかった。秋田犬などの大型犬よりも二回りほど大きな獣の姿を取っているからだ。源吾郎は生誕祭の後の幹部会議で、変化の解けた雪羽の姿を見た事がある。猫ほどの大きさのあの姿こそが彼の本性なのだろう。

――多少は変化していると言えど、相手も本気のようだな

 雪羽の姿を観察しながら源吾郎はそう思った。変化術は覚えれば簡単に行使できる術の一つではある。しかし行使し続けている間妖力を一定量消耗する事もまた事実だった。妖怪が十全に妖力をぶつけられるのは、本性に戻った時なのだ。

 今の雪羽は実体よりも大きな姿に変化しているが、人型を取っている時よりも消耗ははるかに少ないだろう。日頃変化に充てている妖力を戦闘に使うつもりのようだ。

 堂々たる姿の雪羽の登場に、若手妖怪たちもどよめく。


「雷園寺、生きとったんかワレェ!」

「おいおい、調子こいてそんなん言ってたら雷が落ちちまうぜ」

「あ、でも確かに雷園寺さんってどうなってたか気になってたのよ。不祥事を起こしてから行方不明になってたし」

「うん。何か変な所に売り飛ばされたって噂もあったしさ」

「言うて雷園寺さんって第八幹部の養子だろ? 不祥事の果てに売り飛ばされたってのは流石に盛り過ぎだと思うなぁ。俺はどっかの地下街で強制労働させられていると思ってたんだが」


 若手妖怪たちが思い思いに意見を述べるのはもはや恒例行事のようだ。話題の標的ではない源吾郎はもちろんの事、標的になっているはずの雪羽も涼しい顔だ。むしろ渋い表情で彼らの言に耳を傾けているのは風生獣だった。ああだこうだ言いはしないが、首筋に血管が浮かんでいる。まぁ色々と堪えているようだった。


「はははっ、どうやら俺の事を気にしてくれていたみたいだな。しかし心配ご無用さ。今はちょっと色々あって……修行中だからな! 何処で修行しているかはお前らには教えないけど!」


 雪羽が言い放つと、やっと若妖怪たちのざわめきも収まった。売り飛ばされただの強制労働されているだのとあれこれと噂をしてみたものの、真相が判って急に面白くなくなったのかもしれない。修行というのも何か地味だし。


「――何はともあれ、元気そうで安心しましたよ、雷園寺殿」


 ここでようやく風生獣の春嵐が口を開いた。こちらは完全に人型に化身しており、異形丸出しの姿ではない。水色の作業着姿の上にヘルメットを被った姿は観衆たちとは明らかに異なっていた。細面の青年であり、萩尾丸の情報も相まって神経質で理屈っぽい雰囲気を醸し出しているように見えた。


「しかし雷園寺殿。私が見る限りあなたは防具を身に着けていませんな。私と月華様が用意した衣服も、雉仙女様がおつくりになられた護符すらも」


 他の物も用意してあるんだ。そう言いつつ彼が取り出したのは水色の薄い布である。バンダナにも見えるが、これもまた風生獣の――彼自身の毛が使われた一品だろう。


「安心して下さい春嵐さん。そこの狐相手にこの僕が後れを取る事なんてありませんよ」

「しかし相手は単なる仔狐じゃあないんだ。もし、万が一の事があれば……」


 雪羽に物申す春嵐の表情は真剣そのものだった。本心から相手を心配している者の目である事は源吾郎にも十分に解る。そこに彼なりの情がある事も。


「まぁまぁ春嵐殿。三國君の甥っ子が心配なのは解るけれど、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。万が一の事があっても、こっちにはドクターがいますのでまぁ大丈夫でしょう……死ななければね」

「最後の一文を付け加えるあたりが萩尾丸様らしいですね……ですが、そう仰るのならばその言葉を信じましょうか」


 春嵐は物騒なワードについてツッコミを入れつつも口を閉ざした。


「私たち妖怪の生き死にはその直前まで判らない事が多いですが、私どもも安全性については十分配慮しておりますわ」


 萩尾丸の説明ではちと難ありだと思ったのだろう。紅藤がすかさずフォローを入れてくれる。とはいえやはり生き死になどと言っているので物騒な気配はぬぐえない。

 それでも当の紅藤はさして気にせず言葉を続ける。


「雷園寺君も折角訓練で力試しをしてくれるのに、そこで事故に遭ってしまったら保護者である三國さんやあなた方に申し訳が立ちませんし……もちろん、島崎君の安全についても配慮しております」


 そうそう。紅藤の言葉が終わったところで、萩尾丸は今再び口を開いた。


「今回の戦闘訓練の勝敗の決め方を言っておこうか。どちらかが戦闘不能になった時に勝敗が決まるのはもちろんの事だけど、これ以上闘っても勝ち目がないと一方が判断した時も、その時点で勝敗が決まると考えてくれれば良いかな。或いは、僕らが判断して続ければ危険があると解った時もこちらから打ち切りもあるからね」


 萩尾丸は一呼吸置くと、意味深な笑みを浮かべて源吾郎と雪羽を交互に見た。


「場合によっては、闘わずとも『自分では到底かないそうにない』と思ったら遠慮なく言ってくれても良いよ。その場合は不戦勝・不戦敗になるだけだからね」

「…………」

「…………?」


 源吾郎は萩尾丸の言葉に首をひねった。紅藤や萩尾丸が戦闘訓練や術較べにて危険が無いように配慮しているのは既に知っている。しかし、戦闘前に戦闘を放棄するという話が出てきたのは今回が初めてだった。

 それが源吾郎には不思議でならなかったのだ。

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