目指すは兵卒にあらず ※戦闘描写あり
「……不戦敗が使えるって、一体どういう事でしょうか?」
源吾郎は半ば声を張り上げ、萩尾丸に問いかけていた。闘わずして勝敗が決まる。それらを不戦勝・不戦敗と呼ぶ事は漫画で知っていた。
しかしその事柄がおのれの戦闘訓練に絡む事が不思議でならなかったのだ。
萩尾丸はちらと源吾郎を見た。物憂げな眼差しも白目の蒼さも気にせずに源吾郎は言葉を続ける。
「勝てそうになかったら引き下がるだなんて、今まで仰らなかったですよね? そんな事を急に仰るなんて……」
「確かに、前に君は『相手を殺しても構わないから全力で攻撃しろ』と僕たちに言われていたね」
萩尾丸のゆったりとした言葉に源吾郎は身を震わせる。殺しても、という物騒な文言に怯んでしまったのだ。
「あんな事を言ったのに、今は全く真逆の事を言っているじゃないか……大方そんな事を思っているんでしょ? 矛盾した事をと戸惑っているかもしれないね。だけど矛盾なんて何もない。変わったのは僕らの教育方針ではなくて君の意識の方なのだから」
俺の意識が変わっただと……源吾郎は言葉もなく萩尾丸を見据えていた。源吾郎の探るような視線を受けつつも、萩尾丸は悠然と構えている。
「全力で攻撃しろ、それが出来なければ故郷に戻れと言ったのは、確か初陣の時だったよね。あの時は君に対してああいうのが適切だと思ったんだ。あの時必要だったのは、とにもかくにも妖力を操る事に慣れる事と、闘いがどのような物を知る事だったからね。才能や妖力に恵まれていても、闘う術を知らず闘う気概が無ければ戦士としての成長は望めないからね」
あの言葉は発破をかけるための物だったのか。源吾郎が頷いている間に萩尾丸は言葉を続ける。
「戦闘訓練が始まってもう四ヶ月近く経つけれど、その間に君は使える術が増えただけではないんだ。もちろん使える術が増えたというのも重要だけど、それ以上に君には用意された場所で闘いに励む心構えもできた。何より戦闘訓練から離れたところであっても、適切に術を使う判断力も養われつつある。
――その最たるが、あの生誕祭の出来事だったんじゃないかな?」
生誕祭の出来事。唐突に出てきたその言葉に源吾郎はすぐに反応できなかった。グラスタワー崩落の事を言っているのは解るが、まさかここでその話題に言及されるとは思っていなかった。ちらと様子を窺うと、雪羽もさりげなく視線を逸らしている。あの件は彼も彼で思う所があるらしい。
ところで。萩尾丸はそんな源吾郎たちを見ながら表情を改めた。
「改めて聞くけれど、君らは他の妖怪に使われる兵卒ではなく、組織の長、一国一城の主を目指しているんだよね?」
「雷園寺家ってのが組織だと、城だと思ったらその通りです」
「僕もまぁ……その問いにはイエスです」
おのおのの返答を耳にすると、萩尾丸は更に問いを重ねる。
「それじゃあもう一つ。組織の主として君臨するために、闘いの場で最も大切な事は何かな?」
源吾郎たちは萩尾丸の顔を見ていたが、数拍置いてから互いに顔を見合わせた。仰々しい物言いとは裏腹に、至極簡単な質問だと思ったからだ。
愚問じゃないですか。案の定雪羽が口火を切った。
「長として君臨するのに必要なのは強さですよ! 要するにずっと勝ち戦の負け知らずになれる程の強さがあればいいんですよね?」
「はいブー。不正解だからね雷園寺君」
島崎君は? 言いながらこちらを向く萩尾丸に対して源吾郎は首を揺らすのがやっとだった。自分も雪羽と同じ考えであり、同じ答えだったからだ。
「最も大切な事と言えば、何にもまして死なない事だよ? そりゃあまぁ確かに強さとか闘いのセンスとかも大切かもしれないけどさ……そんなのがあろうとも死んだらどうにもならないわけだし」
わかるよね? 幼子に問いかけるような物言いの萩尾丸を前に、源吾郎はいくばくかの気恥ずかしさを覚えた。あからさまに子供扱いされていると思った。しかし源吾郎以上に子供らしい雪羽は、いつの間にやら腑に落ちたと言わんばかりの表情を見せている。
「死なないために、深手を負わないために退却したりそもそも闘いを回避する事そのものも必要なんだ。君らが命令に従って動くだけの兵卒ならばいざ知らず……ゆくゆくは組織の長を目指しているんだろう? だからこそ今回からは不戦勝・不戦敗の制度も取り入れたんだよ。
何、君らが相手を見て闘わない事を選んだとしても腑抜けなどと評したりはしないから安心したまえ。それにそもそもこれは訓練に過ぎないから、結果がどうであれ喪うものは無いからね。用心して負けを選んだとしても、おのれの実力が追い付かず負けたとしてもね」
源吾郎はゆっくりと瞬きしながら萩尾丸の言葉を咀嚼していた。別に源吾郎自身は理解力が低いわけではないが、今回の萩尾丸の言葉はすぐに飲み込める内容ではなかった。自分がある程度闘えるようになったから、退却する判断も見るようになった。その判断が、真に強くなるために必要だから――そのように理解するのがやっとだったのだ。
ちなみにだけど。萩尾丸の主張を噛み締めているまさにその時、当の萩尾丸が言葉を続ける。
「君らはかなり闘る気満々みたいだけど、別にタイマン勝負じゃなくても良いんだよ。それこそ、どっちの変化が巧いかとか、そんな術較べでも良いわけだし。何も、武力でぶつかっていくだけが戦闘じゃあないんだからさ」
「俺は別に、タイマン形式で構いませんよ」
鼻息荒く応じるのは雪羽だった。どういう原理か首周りの毛が逆立ち、それこそライオンのたてがみのようになびいた。
「萩尾丸さん。俺は天下の雷園寺家の次期当主なのはご存じでしょ。玉藻御前の血を引いているとはいえ、ぽっと出の変態野郎にこの俺は負けたりしませんよ」
「おい、誰が変態野郎だって!」
前足で源吾郎を指し示す雪羽に対して源吾郎は吠えた。半妖だの坊ちゃん育ちだのと言われるのはまだ笑って流せるが、変態呼ばわりされるのは癪だった。しかも相手がドスケベの雷獣少年なのだから尚更だ。
だが雪羽は怯まず喉を鳴らすだけだ。
「だって変態じゃないっすか。正体を隠すために変化するのはまぁ良いとして、男なのにわざわざ美少女に化身するなんて。モテないからってそんな事をして誘惑するなんて変態の所業ですよ」
「俺は別に男を誘惑するために女子に変化してるんじゃないよ!」
源吾郎はまたも吠えた。血圧が上がっているのを自分でも感じていた。それくらいブチギレているという事なのだ。何せドスケベの雪羽は曲解の末に源吾郎を変態扱いしているのだ。それも、大勢の妖怪がいる前で。
「そりゃあまぁ俺がモテねぇのは事実だよ。常日頃女子と交尾する事ばっかり考えてるどっかのドスケベ雷獣と違ってな。だがな、別に俺は誰かを誘惑したくて美少女に変化してるんじゃないよ。
女子に変化してるのはだな、モテ道のためなんだ! 女子の好みをリサーチするには、女子に変化するのが一番手っ取り早いんだよ。警戒されにくいし」
突き刺さるような周囲の視線をものともせず、源吾郎はうっとりと笑みを浮かべていた。今しがた雪羽に変態呼ばわりされたが、今のおのれの発言でそれが覆ると思っていたためだ。ついでに言えば、雪羽がいつでもどこでも交尾の事を考えているドスケベある事を知らしめるチャンスだし。
「てか、俺が変態だったらお前はドスケベだろうが。俺はだな、あの時仕事のためにウェイトレスになってただけだよ。それをスケベ目的で捕まえたのは他ならぬお前だろうが」
どうなんだよ。雪羽に言い募るも彼は何も言おうとしない。源吾郎はここでやにわに観衆の方に向き直った。みんなはどう思いますか。事もあろうに意見を募ったのである。
噂好きな若妖怪たちは、源吾郎の期待に応え、意見を口にし始めた。
「変態もドスケベもどっちもNGなんですけど。個人的には」
「まぁなんか五十歩百歩感あるよなぁ」
「つーかさ、それって素直に島崎君が男子に変化してたら回避できた案件じゃね?」
「あ、でも男が好きって妖もいるからさ。うちのボスみたく」
「おい拓馬。そんなんいったら掘られるぞ」
「……まぁどっちもどっちな気がするわ」
若妖怪たちの率直な意見は、ただいたずらに源吾郎の心を抉るのみであった。雪羽を糾弾してくれる妖怪はいなかったのだ。厳密に言えばどっちもろくでなしじゃないか、という意見が大半を占めていたと言えるだろう。
そんな事を思っていると、春嵐と目が合ってしまった。彼は死んだ魚のような目でこちらを睥睨すると、大儀そうに咳払いをした。
「雷園寺のお坊ちゃまも島崎殿も……血の気が多いとは聞いていましたが恥ずかしくないのかい? 相手の事を悪く言い合う上に交尾だの変態だのドスケベだのと……仮にもあなた方は貴族、それも上に立つ事を目指しているんだろう」
春嵐はそこまで言うと、萩尾丸に視線を向けてぼそりと言い添える。
「むしろこの光景を見ている私の方が、恥ずかしさで死にそうですよ」
「あはは、こりゃあまた巧い事を言ってくれますね」
※
さて若干のひと悶着はあったのだが、結局のところタイマン勝負で力較べをする事になった。初回であるし、そもそも互いの力量を直接見てみたい。雪羽も源吾郎もその考えに揺らぎはなかった。
「先手は譲りますよぉ、島崎先輩」
獣姿の雪羽は源吾郎から数メートルばかり距離を取ると、そう言った。
「島崎先輩は俺よりも強いと仰ってましたよね。それが本当かどうか、きちんと確かめたいのですよ」
先程の変態発言とは異なる穏やかで丁寧な声音である。しかしこれもまた雪羽なりの挑発だった。少なくとも源吾郎はそのように解釈している。
源吾郎は微笑みながら狐火を生成し雪羽にぶつける。野球選手並みの速度で飛ぶ火球は、しかしデッドボールの比ではない殺傷能力もとい威力を秘めていた。
雪羽は正面から向かってくるそれを回避しなかった。鼻先まであと数センチ、と言った所で異変が起きた。雪羽の前方で小さな白い爆発が起こったのである。白い爆発の眩さに源吾郎は一瞬目がくらんだが……すぐに源吾郎は何が起きたのかを悟った。雪羽に向けて投げた狐火は決定打にはならず、寸前のところで爆散したのだと。
「言いましたよね島崎先輩。俺は雷園寺家の次期当主だと。大妖怪の子孫だろうとぽっと出の相手には負けないってね」
雪羽の全身は、彼を護るように幾重もの稲妻が取り巻いている。狐火の威力を放電でもって相殺したのか……慄然たる思いを抱えながらも、源吾郎は狐火を生成した。
――いくら護りを固めていたとしても、数の暴力にはかなうまい。
源吾郎はおのれの妖力でもって数十発の狐火を生成し、それらを全弾雪羽に向けて放つ。威力は先程の狐火よりも強めだ。源吾郎もこの狐火たちを作るのに妖力を消耗した。しかし、おのれの力を知ってひれ伏する雪羽を見れるのならば安い対価だと思っていたのだ。
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