勝負の終わりは一つの幕開け ※戦闘描写あり

 会場には萩尾丸が引き連れた若手妖怪たちが数十名いたが、皆無言だった。源吾郎と雪羽。二人の若妖怪が闘う様に釘付けになっていたためだ。

 いや、それは厳密には戦闘ですらなかった。

 対戦車ライフルの弾丸すら可愛く思えるほどの威力を秘めた、源吾郎の狐火ラッシュを皮切りに戦闘訓練は始まったのだが、そのラッシュが終わるころには既に両者の力量差と形勢は明らかなものになっていた。

 優勢な方は余裕の笑みをその面に浮かべ、相手に攻撃術を放っている。

 劣勢な方は必死の形相をその面に浮かべ、相手の術を回避するのがやっとだった。回避と言っても地面の上を駆けずり回り、時におのれを身を護るように身体を丸めて転がったりするところである。

 明らかに勝敗は目に見えていた。それでもこの戦闘訓練が続いているのは、ひとえに劣勢の方が仕留められずに駆けずり回っているからだ。往生際が悪いと取るか、根性があると取るかはひとそれぞれであろう。


「ぐっ……」


 逃げ惑うのがやっとなその妖怪は、息切れを起こしたのかふいに立ち止まった。首を垂れ肩で息をしている。スタミナが切れかけているのは明白だ。

 しかし次の瞬間には首を持ち上げ、斜め上に獣の瞳を向けた。彼の視線の先には、優雅に宙を舞う対戦相手の姿があった。

 その姿を見るや否や、彼は奇妙なフォームで斜め横に飛んでいた。受け身の体勢もお世辞には上手とは言えず、また反動でゴロゴロと転がっていく。

 彼が先程まで立っていたところに、白銀に輝くが落ちていた。が放たれるのを察知し、すんでの所で回避したのだ。


「ははっ、はははっ」


 雷撃を放った妖怪――雷園寺雪羽は、高度七メートル程の上空を浮遊しながら高笑いしていた。源吾郎はむくりと身を起こし、ホコリを払いながら静かに見上げた。

 雪羽もまた、浮遊した状態でもって源吾郎を見下ろす。見下ろす方は獣そのものの口許に笑みをたたえ、見上げる方は密かに唇を噛んでいる。

 この戦闘訓練は、という状況でもって進んでいたのだ。



 源吾郎が威勢よく攻撃を仕掛けていたのは、実は序盤の狐火ラッシュの時だけだった。最初に狐火を放った時、雪羽は微動だにせず雷撃で迎撃していた。それを見た源吾郎は、「少しの攻撃なら迎撃できるが、沢山の攻撃ならば迎撃しきれないだろう」と思い込んだのだ。だから自身の妖力の消耗を度外視し、狐火での攻撃に文字通り力を入れた。力を入れ過ぎた。

 結果として、源吾郎の攻撃は雪羽を損ねる事は叶わなかった。雷撃を使った迎撃によって、雪羽は狐火を全弾防ぎ切ったのだ。源吾郎はある意味、雪羽の能力を読みそこなっていたとも言えるだろう。

 源吾郎の名誉のために付け加えておくが、彼の放った狐火の威力が小規模な物であるという事ではない。何せ威力面では対戦車ライフルのそれを上回る代物なのだ。普通の動物や人間にこれが命中した場合どうなるかは言うまでもない。それは妖怪が相手でも同じだった。ある程度妖力蓄えた者であればかすり傷程度で済むかもしれない。しかし若手妖怪であればやはり致命傷になり得る可能性もあったのだ。

 ともあれ源吾郎が狐火を撃ち終わってから攻防が一転した事には変わりない。萩尾丸は「島崎君の方が雷園寺君よりも強い妖怪なんだよ」などと言っていたがとんでもない話だ。自分でもオーバーキルかもと思っていた狐火の攻撃だったが、雪羽には全くもって通用しなかったのだ。

 さらに言えば、術が通用しないばかりかスタミナ面でも段違いだった。数分のインターバルを置かねば攻撃術を発動できない程に消耗した源吾郎に対し、その狐火を迎撃した雪羽は余裕そのものだった。だからこそ、狐火ラッシュ後に攻防の逆転劇が成立したのだ。

 戦慄すべきは未だに雪羽が本気を出している気配が見えない所である。流石に片手間ではなかろうが、宙に浮き雷撃を放つ雪羽の姿は余裕そのものだった。

 源吾郎の事をぽっと出だのなんだのと言って笑っていた雪羽であったが、そうやって笑い飛ばせるだけの力を持っている事もまた事実だったのだ。


 攻撃用の術が有効ではないと悟った源吾郎が出来るのは、ただひたすら相手の攻撃をかわし、防御する事のみだった。反撃を考える暇は無かった。最大の威力を持つ狐火が通用せずに源吾郎は困惑していたし、何より回避するのがやっとだったのだから。

 雪羽の放つ雷撃も、相当な威力を秘めているように思われた。何しろ紅藤の護符が構築する結界術をも打ち破ってしまう程なのだから。源吾郎も自分で結界を作る事は作るのだが、護符のそれに較べて貧弱であるから足しにもならない。雷撃の威力は護符が弱めてくれているのだろうが、それでも直撃すれば静電気を受けたような不快感が源吾郎を襲った。そうでなくても閃光と共に雷の槍が襲い掛かって来るのは結構怖い。

 時々自作の結界が避雷針のような形状になるときもあるにはあったが、それもやはり攻撃を回避する手段に過ぎず、決定打にもならなかった。


「うごっ!」


 足許が奇妙に凹んだ。雷撃が源吾郎にほど近い場所で炸裂したらしい。源吾郎はバランスを崩し前のめりに転がった。さほど痛みは無いが……戦闘訓練が始まってから転がってばかりである。


「うっ……ぬっ」


 動こうとした源吾郎は、ふくらはぎのあたりに圧を感じた。首を曲げて後ろを見た時に驚いて思わず硬直してしまう。先程まで飛び回っていた雪羽は、何を思ったか着陸し、源吾郎のすぐ傍ににじり寄っていたのだ。厳密に言えば、右前足を源吾郎の脚に載せている。猫に似て丸い足先は、しかし釘のように鋭い爪が飛び出している。爪の鋭さは服越しにも伝わってきた。


「そろそろ追いかけっこも飽きてきたんでね……逃がしませんよ島崎先輩」


 言葉を紡ぐその口からは小さな牙が見える。声音や口調が屈託のない少年のそれであったから、一層源吾郎の恐怖心をあおった。逃れようとするものの身体が動かない。というか何となく痺れる感じもする。電流を流されているのだとすぐに気付いた。感電死という言葉がある通り、電流は生物の動きに影響をもたらすものだ。無論それは肉体を持つ妖怪とて例外ではない。

 それ以上に、電流を流されているという恐怖心で怯んだ、という所もあるにはあるが。


「そこまでだ」


 ほとんど物音の無い中、声を上げたのは萩尾丸だった。気付けば彼は席を立ち、会場の間際にいた。雪羽の喉が小さくなり、源吾郎から足を退ける。源吾郎は反射的に匍匐前進し、雪羽から少し距離を取った。


「雷園寺君の勝ちだ。というか、あの先まで続ければ島崎君の方が危なかったからね。動けなくなったら、もう相手のなすがままになっちゃうわけだし。それこそ、とどめを刺そうとしてもね」

「……」


 萩尾丸の笑みは普段通りに見えたのだが、普段通りだからこそ一層凄味があった。雪羽も一瞬大天狗に怯んだように見えたが、源吾郎から離れると三尾をピンと立てて紹介される競走馬よろしくゆったりと会場の中を歩き始めた。取り立ててはしゃぎはしなかったものの、勝利した事に喜び、それを見せつけているかのような振る舞いである。



 未だに撤去されていないパイプ椅子を三脚ほど使って、自分は寝そべっていた。少し眠っていたのかもしれない。萩尾丸や青松丸に半ば支えられる形でここに向かったのは覚えているが……その後の記憶が抜け落ちている。やはり寝ていたのだろう。

 半身を起こすと、当然のように萩尾丸たちがいた。何やら話し込んでいたようだが、源吾郎が動いた事に気付いたらしい。視線は源吾郎に向けられていた。


「すみません萩尾丸先輩。仕事中に寝てしまうなんて。しかも椅子の片付けもほっぽっちゃってますし」

「別に良いよ島崎君。君も今日は頑張ったんだからさ」


 恥ずかしさのあまり謝罪する源吾郎に対し、萩尾丸は鷹揚に告げるだけだった。


「ああ島崎君バテバテだなって僕も既に気付いてたからさ。それに椅子の片付けなら、雷園寺君が頑張ってくれてるし」


 萩尾丸が指し示す先では、若手妖怪たちがパイプ椅子を折り畳んでいる。確かに彼の指摘通り、修道服姿の雪羽がいた。余談だがあの状態の雪羽の事は「シロ」と呼んでいるらしい。


「……惨敗でしたよ。手も足も出ませんでした」


 源吾郎はそう言って深々とため息をついた。雪羽の姿を見ていると、苦い思いが胸の中に広がっていく。

 今までの戦闘訓練でも、うまくいかないと感じたり歯がゆさを覚えた事はある。しかし今以上の気持ちを抱いた事は無かった。それは相手が相手だからなのかもしれない。相手を見くびっていたのは源吾郎の方だったのだ。玉藻御前の血を一族の中でも色濃く引いている。雪羽よりも妖怪としては強い。その言葉と過信こそが招いた結果だった。


「……失望されましたか。玉藻御前の末裔として、幹部候補になる身として修業を積んできたのにこんな醜態をお見せしてしまって」

「別に、僕らは君に失望などしていないから安心したまえ」


 おそるおそる紡いだ源吾郎の言葉に、萩尾丸はすぐに反応した。安心しろと言われたが、源吾郎は素直に安心できずにいた。萩尾丸のその面に笑みを浮かべていたが、あからさまに含みのある笑みだったからだ。


「というよりもむしろ、そもそも今回の結果で僕らが君に失望すると思ったのかな?」

「…………」


 畳みかけるような萩尾丸の問いかけに、源吾郎は黙して応じなかった。聞いている事の意味は解るし、答えも自分の中にはある。しかしそれを口にしてしまうのが恥ずかしくて仕方が無かったのだ。

 そんな源吾郎の様子を見ていた萩尾丸がふわりと笑みを浮かべた。先程とは笑みの質が違っている。


「島崎君。君に才能がある事、他の妖怪たちよりも強い事そのものは事実なんだよ。現に僕の部下たちも、君らのえげつない強さに驚いて何も言えないでいる位だったんだから。

 しかし、君はまだ生まれてから四半世紀も経っていないんだ。人間の血が多いからまぁそれなりに育っているようには見えるけど、本当の妖怪だったらまだ子供と言っても遜色のない年齢だしね。

 ましてや、妖怪らしい生き方を始めてまだ半年も経っていないだろう? いかな雷園寺君が子供じみていると言えども、負けてしまったのは致し方のない事さ」


 源吾郎は頷く事も忘れて萩尾丸の言葉を噛み締めていた。今でこそ妖怪らしく振舞っていると言えども、人間としての暮らしを長らく続けてきたのもまた事実だからだ。それもこれも、源吾郎が両親の許で育ったからに他ならない。両親、特に母は源吾郎が妖怪としての素質を多く持っている事を見抜いていたはずだ。見抜いたうえで、人間として暮らせるように教育したのだ。大妖狐の血を引きつつも人間として暮らせる事は、源吾郎の兄姉らが立証していたからなのだろう。

――ああ、やっぱり才能があっても経験が無ければどうにもならないのが妖怪の世界だよな。そう思うと、俺が妖怪らしい所って妖力が多くて妖術を使いこなせるって所だけになるか。だってまぁ、高校を出るまでは母様も叔父上たちも兄上たちや姉上も、人間として育つようにって思ってみたいだし。そうでなきゃあ、わざわざ人間の学校に通わせたりしないよな。

……いや待てよ。もしかしたら、うんと小さい頃に親から引き離されて妖怪の許で育ったら、俺はもっと強くなっていたかもしれないって事かな? その事は多分、いや絶対に紅藤様も萩尾丸先輩も解っているはずだ。でも紅藤様はそう言う事とか気にしないのかな? 長く妖怪業をなさっているからあんまり焦ったりなさらないし……


「凹んじゃっているから言うけれど。島崎君。君は能力面では同年代の、いや訓練していない大人の妖狐と同等の力を持っているんだよ。あれだけの威力の狐火を何十発も放つなんて、同じくらいの年代の狐には無理だからね。第一妖力切れを起こして狐襟巻になりかねないし。

 それにまぁ根性も並み以上あるって事は前々から解っていたけれど、今回の戦闘訓練ではそれがはっきりとなってたね。

 ただまぁ……戦略を立てていなかったのと、君の今回の攻撃方法が雷園寺君には通用しなかった。そこが敗因かな。まぁ、雷獣と妖狐とは身体の造りも違うからね」


 源吾郎は身を乗り出し、萩尾丸の顔を覗き込んでいた。戦略云々の件では痛い所を突かれるかもしれない。そう思っていたが、その緊張とは別の意味のドキドキが、源吾郎の心を支配していたのもまた事実である。

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