禍福伴う親類のくびき

「お兄ちゃん……」


 甘えと若干の不安の籠った深雪の声に反応する時雨の姿は実に兄らしい物だった。時雨はやって来た深雪を半ば抱きとめるような形で腕を回していた。ちょうど、親鳥がひな鳥を護るように。


「そうだね深雪。お母様の言うとおりだよ」


 呟くような声音で告げると、時雨はゆっくりとした動きで彼の母の方に向き直った。雷獣らしからぬ緩慢な動きは、兄だと知った雪羽と別れる事の名残惜しさなのだ。そのように雪羽は思いたかった。

 深雪はそんな時雨の様子は特に気にせずに、しれっと手を繋いで並び立っている。白っぽい一尾はピンと立ち上がり、小刻みに揺れている。兄と合流出来た事を無邪気に喜んでいるらしい。そんな深雪の尻尾に時雨の一尾が沿うように近付いたのが雪羽には見えた。


「時雨さん、深雪さん。病室に戻りましょうね」

「はい……」

「うん! おかーさま」


 兄妹の母親が時雨の手を取り、そそくさと雪羽の病室を後にした。継母は細長い四尾を床に着くのではないかという程に垂らしていた。だがそれよりも、雪羽は継母の背にしがみつく小さな毛玉が気になった。時雨たちは実は三兄弟であり、一番下に産まれて二、三年の末弟がいるという。あの毛玉みたいな雷獣がそうだったのだろう。

 病室のドアが閉まる音が静かに響く。時雨たち兄妹とその母親は立ち去っていた。しかし時雨の父親に当たる雷獣は立ち去る気配はなく、変わらずそこにいた。

 自分にとっても父親に当たるその雷獣を、雪羽は目をすがめつつ眺めていた。すらりとした体躯と柔和そうな笑みが特徴的な、しかし何となく風采の上がらぬ男である。垂らした尻尾は三本のみ。奇しくも雪羽と同じ本数だった。ある程度力のある妖怪なのだろうが……大妖怪と呼ぶにはすぎる。

 おのれの抱くイメージと実際の姿との大きな違いに、雪羽は軽く戸惑ってもいた。入り婿ながらも現当主としての地位に居座る雷園寺千理らいおんじせんりは勇ましさと冷徹さを併せ持つ男である。雪羽はそのように思っていたのだ。


「……ついさっきトイレに行きたいと言い出しましてね。中々戻ってこないと思っていたら、どうやらこちらにお邪魔していたようなのですよ。雪羽君も静養中だというのに、申し訳ありません」


 現当主の言葉は柔らかく丁寧な物だった。大天狗に八尾の雷獣、そして鵺。大妖怪が居並ぶ事もあって畏まっているのかもしれない。或いは本心から申し訳なく思っているだけなのかもしれない。

 いずれにせよ、雪羽君と呼びかけた時の他人行儀な気配は雪羽もしっかりと感じ取っていた。に向けた呼びかけとは何となく違った。もっとも、雪羽も雪羽で現当主が父親であるという認識は薄いのだが。

 ふざけた事を。鼻を鳴らしながら言い捨てたのは三國だった。座席や現当主の位置関係上、三國の表情は雪羽には見えなかった。しかしそれ故に、嫌悪と嘲りに歪んでいるような気もした。


「お前の息子はついこの間勝手に家出して、それで今回の事件に巻き込まれたんだぞ。だというのにトイレに行ってから中々戻らないなんてふざけた事をぬかしやがって。ちょっとの隙に子供が何処かへいなくなるという心配はしなかったのか。どうなんだよ、雷園寺家の当主殿よぉ」


 三國の声には明らかに怒気が籠っていた。荒っぽい三國の怒りを間近に感じつつも、雪羽はしかし穏やかな気持ちだった。三國なりに時雨の身を案じている事が解ったからだった。

 まぁまぁいきり立ちなさんな。困ったような笑みを浮かべて現当主は三國をいさめていた。三尾で、実力的には三國に劣る筈の雷園寺千理の顔からは、三國への畏れの念を見出す事は出来なかった。むしろ余裕めいたものさえ漂っている。


「良いか三國。私たちだって時雨に何かあってはならないと気を配っていたんだ。だから実際について行かずとも電流で時雨の行き先を探って様子を窺っていたんだよ」

「それなら別に良いが」


 それにね。現当主は何故か笑みを深め、言い足した。


「元より時雨が雪羽君の所に向かうだろう事は想定済みだったからね。だから敢えて泳がせたんだ。家内の前では、時雨もそんな事を言えないだろうからさ。

 そもそも私としてもと話がしたかったから」

「成程。そういう事だったのか千理の兄貴。そっちの事情はよく解ったぜ」


 現当主の言葉が終わるや否や、三國はそう言った。先程までとは打って変わり、非常に明るく朗らかな声音である。もしかしたら満面の笑みでも浮かんでいるのかもしれない。

 しかし雪羽には解っていた。見せている笑みは単なる仮面に過ぎないであろう事を。

 直後、ガタリと烈しい音がすぐ傍で響く。三國は勢いよく椅子から立ち上がっていた。


「どの面下げて雪羽に会いに来たんだこの野郎!」


 三國は二歩ばかり雷園寺現当主に近付くと遠慮なく怒鳴りつけた。それこそ雷鳴か、猛獣の吠え声のような声音と剣幕である。


「そもそも貴様は雪羽を……を棄てたんだろうが! 旗色が悪くなったから雪羽に泣きついて、後から何食わぬ顔でやって来るとはどういう神経をしてるんだ千理の兄貴よ!」


 三國は一息つくと、獣じみた笑い声を上げて言い添えた。


「いやまぁ、千理の兄貴が恥知らずなのは知ってたけどな。そうでなけりゃあ、雷園寺家の当主でございなんて面なんざ出来ねぇよ。ただ単に雷園寺家の女に仔を生ませただけのたね……」

「みーくん」


 嘲笑と侮蔑の入り混じった三國の言葉が途中で遮られた。のみならず、彼の身体にはひも状のものが巻き付いている。所謂縛妖索の類だった。妖怪と闘うための道具になる訳であるが、無傷で相手を捕縛できるので、妖怪たちが所持している事も珍しくはない。源吾郎も縛妖索を携えて雪羽と闘った事もあるのだから。

 雪羽のみならず、当の三國も戸惑った表情を見せていた。一体何が起きたのか。誰がこんな事をしたのか。

 だがすぐに、縛妖索を放った相手は判明した。三國に絡みつく縛妖索の一端を握っていたのは月華だった。

 これはどういう――問いただそうと三國の唇が動く。それを遮る形で月華が口を開いた。


「お義兄様とここで喧嘩するなんて駄目でしょう。病院にも雷園寺家の皆にも迷惑がかかるし、何より子供に悪いわ」

「月華…………」


 先程までの憤怒は何処へやら、三國はしおらしい表情で目を伏せていた。三國は妻である月華に頭が上がらないのだ。月華はそのまま現当主に三國の非礼を詫び、それから三國を拘束していた縛妖索をほどいた。


「ねぇみーくん。もうすぐお昼が近いでしょ。私ね、お腹が空いてきたの。下に食堂があったから一緒にお昼を摂りましょう。みーくんだって、お腹が空いていたからイライラして千理お義兄様に当たっちゃったのかもしれないし」

「俺はまだ……あ、いやそうだな……」


 唐突な月華の申し出に三國は目を白黒させていたが、応じる事に決めたらしい。夫の手を取った月華が、周囲を見やりながら再び口を開いた。


「あの、そんな訳で私たちは失礼しますね。すぐに戻ってきますから」

「大丈夫ですよ二人とも。どうぞごゆっくりなさってください」

「雷園寺君の事は僕と春嵐君がついているからね。三國君も昨日から大変だったんだから、夫婦水入らずで休息したまえ」


 萩尾丸と春嵐の言葉を受けながら、三國と月華は仲良く病室を出ていった。

 表向きは昼食を取るために病室を出た事になっている。だがそれが建前に過ぎない事は雪羽にも解っていた。現当主と三國がこれ以上居合わせれば乱闘に発展するであろう事を見抜いての処置だったのだ。雪羽としては三國が現当主をボコボコにするところを見たかったが、そんな事をしたら雷園寺家を敵に回す事も十分解っている。何より時雨たちが悲しむかもしれない。


「そう言えば三國は月華ちゃんと正式に夫婦になったんですね。何人かいたうちのガールフレンドの一人にあの娘がいたのを覚えていますが……良いひとを妻にしたと思ってます。春嵐君も相変わらず三國の傍に居るみたいですし、弟は仲間に恵まれている」


 雷園寺千理は病室のドアを見やり、そんな事を呟いていた。三國の恫喝を真正面から受けていたとは思えないほどに、穏やかな態度である。

 雷園寺家の現当主殿。雪羽は実父の顔を見据えながら声を出した。どうにもとげとげしい口調になってしまったが。


「俺に話があると言っていましたが、一体何の話なんですかね?」


 現当主に対して雪羽は問いかける。ねめつける様なおのれの視線は、それこそ叔父の三國によく似たものなのかもしれない。

 お礼が言いたいんだ。穏やかな声で現当主はそう言った。


「三國や大天狗様から聞いたんだ。雪羽君が身を挺して時雨たちを救ってくれたってね。特に時雨には致死性の呪詛が施されていたという話だったし……

 今の時雨の姿を見ただろう。ああして元気にしているのは、ひとえに君のお陰なんだよ」

「その言葉はとしての言葉ですか、それともとしての言葉ですか?」


 雪羽の問いかけに千理は一瞬たじろいだようだった。雪羽としては父親としての言葉だと即答して欲しかった。

 だからこそ、雪羽もため息をついて言葉を続けた。


「言っておくけれど、俺は別に雷園寺家の次期当主を救うために動いたんじゃあない。雷園寺家の機嫌を取って、自分が次期当主になるチャンスを作った訳でもないんだ。

 ただ単にから動いただけなんだよ。あいつらは雷園寺家をダシにして弟を殺そうとしたんだよ、しかも俺の目の前でな! それが気に入らなかったんだよ。当主殿。を死ぬほど嫌っている事はあんたが一番よく知っているんじゃあないのかい」

「雪羽君……」

「確かに、時雨とはいずれは雷園寺家の当主の座を狙って争う事になるのは解っているよ。だがな、今はまだそんな時期じゃあない事くらい俺だって解ってる。だからこそ、偶然出くわした時には俺は素性を明かさなかったんだ。時雨は兄姉たちがいる事を知らなかったし、そんな事を唐突に教えても戸惑うだけだろうからな。

 俺だって、何事もなく時雨が本家に戻る事を望んでいたんだ。なのに、それなのに……」


 雪羽はいつの間にかシーツを掴んでいた。その手の上に春嵐の手がさり気なく添えられる。春嵐自身は力の無い妖怪だと言っているが、こうして寄り添ってくれると心が落ち着く事には変わりない。幼い頃は三國よりもむしろ彼に懐いていたくらいなのだから。


「とりあえず、あんたは父親としての役目を果たせ。それが出来なかったから、放逐した息子が野望を抱いたり、正式な跡取りとして育てている息子が家出して変な事に巻き込まれたりしたんだ。時雨たちはあんたの息子で……俺の弟にもあたるんだからな。ないがしろにしたら俺が赦さないからな。そうでなくても、あんたは穂村たちを息子じゃあなくて親類扱いしているみたいだし」

「……穂村たちはもう、私の実子である事は明るみになったよ。今回の事件でね。今後は実子として扱っていくつもりだ」


 雪羽はまだ色々と実父に対して言いたかった。ところがその時、ずっと静観していた萩尾丸が動いたのだった。


「雷園寺千理様。この度はお忙しい中有難うございます。雪羽君なのですが、目が覚めたばかりで若干情緒不安定な状態にあります。身内として積もる話もあるでしょうが、今回はこれでお引き取り願えますか。ついでに親族の方たちにも、面会は控えるようにお伝えいただきたいのです」

「そうですね、大天狗様。思えば雪羽君も今しがた目を覚ましたばかりですし……私も退散いたしましょう」


 最後に現当主は雪羽の名を一度呼び、それから病室を後にした。その呼び声にどのような意図があったのか、雪羽には定かでは無かったが。



 雷園寺家現当主に言いたい事を一部とはいえぶつけた雪羽は、心中の落ち着きを取り戻していた。取り戻したからこそ、自分が雷園寺家現当主に失言・暴言を行ったと悟ってしまった。

 萩尾丸たちを前に雪羽は焦った。別に現当主に対して悪い事を言ったとは思っていない。だが対外的・組織的な部分ではまずい事になったのではないかと思ったのである。雪羽は元々雷園寺家の妖怪であるが、現在の所属は雉鶏精一派にある。雉鶏精一派は雪羽の存在を使って雷園寺家とパイプを作ろうとしていたのだが……その雪羽が雷園寺家に喧嘩を売っては元も子もなかろう。しかもそのような事で心を砕いている萩尾丸も同席しているのだから。


「すみません、萩尾丸さん。僕、ちょっと言い過ぎましたよね?」

「別に構わないよ」


 雪羽の謝罪に対し、萩尾丸はやけに優しく受け流すだけだった。皮肉も煽りも一切ないので却って不気味なほどだった。


「雷園寺君だってまだ子供だし、いつも冷静に対処できるかって言われたら難しいだろうからね。まぁ、三國君はもうちょっと落ち着いてもらった方が良いんだけど。病み上がりで目を覚ましたばかりなら尚更ね。

 それにね雷園寺君。時雨君を助けたかったから、死ぬのが気に入らなかったから助けたというのはだと、向こうも受け取らざるを得ないんだよ」

「それって……」

「どういう事ですか、萩尾丸さん」


 意味深な萩尾丸の言葉に、春嵐も雪羽も問いかけを発した。時雨におのれの妖力を分け与えて時雨を死の淵から救った。雪羽はそのように解釈しており、詳細なメカニズムについては特に考えていなかった。

 しかしその一方で、他者を回復させる術が極めて高度な物である事も雪羽は知っている。


「雷園寺君があの回復術を行使できたポイントは三点あるんだ。

 まずは雷獣の得意技である雷撃そのものに、病気の治癒・浄化の作用を付加しやすいという特性がある事だね。もしかすると、雷獣の中にもむしろそうした術が得意な妖もいるかもしれない。何せ人間の中にも、帯電する体質を利用して重病人を癒す事が出来た事例があるんだからね。雷撃術・帯電術に長けた雷獣が出来ない事は無いだろうね。

 次に雷園寺君たち兄弟の血がそこそこ濃かった事も良い方に作用したんだ」

「血が濃いですって」


 萩尾丸の次なる要因について言及したとき、雪羽は思わず声を上げた。


「それは妙な話ですよ。僕と時雨は母親が違うんですから」

「確かに母親が違うのはその通りだね。だけど調べてみたら、君の母親と時雨君たちの母親は従姉妹同士だったんだ。そうでなくても、雷園寺家は名家として能力を護るために近親婚が多かったみたいだしね。だからその……母親が他人同士の異母兄弟よりも君らは血が濃いんだ。というか母親側から見ればはとこに当たる存在でもあるしね」

「…………」


 自分らの母親が従姉妹同士で、異母弟であるはずの時雨がはとこでもある。血縁の錯綜に想いを馳せていると、萩尾丸はなおも言葉を続けた。


「最後に重要だったのは、あの時雷園寺君がという所なんだ。雷園寺君に春嵐君。妖怪が術を使うのに大切なのは妖力のエネルギーだけじゃない。どういった術を使うかというイメージや、意志の強さも同じくらい大切なんだ」


 妖術を使うのに意志の強さが大切である。雪羽はぼんやりと頷いた。半ば直感的に動く事の多い雪羽にしてみれば、それほど意識していない領域だったからだ。だが、それこそ妖狐の源吾郎などは変化術や結界術は色々とイメージする事があるとか何とか言っていた気もする。


「難しい術ほどそれを行使するためのイメージや意志の強さが重要になって来るからね。正直な話、時雨君を何が何でも助けたいと思っていたからこそ、雷園寺君は回復術を成功させる事が出来たんだ。

 仮にだね、あの時雷園寺君が『ここで弟を助けたら雷園寺家に恩が売れる』という気持ちや『助ける事が出来るだろうか』という迷いがあったなら。気持ちが分散してしまうからね。そして分散した状態でも術を行使できるほどの妖力は雷園寺君には無いわけだし。

 雷園寺家の望んでいた事云々を忘れて目の前の事柄に集中していたからこそ、誰にとっても最善の結果が出たという事なんだよ」

「要するに、助けたいと思ったから時雨が助かったんですよね」


 雪羽はそう言うのがやっとだった。目が覚めたばかりだし、難しい事はよく解らない。雷園寺家云々の件は萩尾丸たち大人妖怪がいい塩梅に計らってくれるだろう。何より時雨や深雪が無事で良かった。雪羽は今一度そう思うのだった。

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