一段落して世間話

 本当に良かった。それが源吾郎の第一声だった。源吾郎がやって来たのは昼下がりから夕方の中間位の時間帯である。昼前から昼過ぎまで雪羽の許に見舞いや様子見として雉鶏精一派の妖怪たちが出入りしていたのだが、それが途切れてしばらく経ったころでもあった。

 雪羽は萩尾丸から差し入れてもらった本を読んでいるつもりだった。気付けばベッドに身を預け、うとうとしていたのだ。とはいえ源吾郎がやって来たのは足音で前もって気付いていたから、寝ている姿を見せる事は無かったが。


「ああ、まぁ俺はちょっと張り切り過ぎてアレだったけど、二、三日休めば大丈夫だって先生も言ってるんだ。はは、治りが早いって先生もびっくりしてたんだぜ」

「そっかぁ……雷園寺君は強いもんな。それに純血の妖怪で妖力も一杯あるから、けがの治りも速いのかも」


 半身を起こして元気さを見せると、源吾郎は静かに笑っていた。数日前までピリピリした空気を纏っていた彼であるが、今は嘘のように穏やかだ。元より源吾郎は穏やかな気質である事を雪羽は良く知っていた。

 とはいえいつも通りという訳でもなさそうだ。衣装は抜かりなくお洒落に決めていたが、疲労の影が見え隠れしていた。普段の彼はそう言う方面でも装って取り繕う性質であるから、よほど疲れているのだろう。しかもよく見れば眼鏡をかけている。見た目がどうとか言って普段はコンタクトを入れているらしいのに。

 源吾郎が持ってきた差し入れは、小さなベビーカステラかパンの詰め合わせだった。ベビーカステラは大体狐色なのだが、詰め合わせのそれは橙色とか桃色とかうっすらと色がついていてカラフルだ。よく見れば柔らかな緑色をした物もある。


「これ、果物のジャムとか野菜を練り込んだカステラらしいんだ。下の売店で買ったんだよ。雷園寺君、俺と一緒で甘いものが好きだろうからさ……牙も何本も折れたって聞いたから、柔らかい物の方が良いかなと思って」

「そこまで気を回してくれたのか。悪いっすね島崎先輩。牙の方も大丈夫。既に差し歯だか入れ歯だかで埋め合わせは終わってるし、そもそも俺の妖力なら新たに牙も生えるから問題ないって言われているんだ」


 言いながら雪羽は口を見せて笑った。源吾郎も萩尾丸たちから雪羽の事を色々と聞いたのだろう。モテないだとかカッコよさが足りないだとか思い悩む事もあるらしいが、細かな所まで気付き、彼なりに気配りできるのは美点だろう。


「それよか先輩の方は大丈夫? 先輩の事だから、もっと早く来るかなと思ってたんだけど……」


 話題をスライドさせると、源吾郎はあからさまに申し訳なさそうな表情を浮かべた。あ、しまったと雪羽は思ったがもう遅い。雪羽も源吾郎も本調子ではないのだ。だから雪羽も神経が高ぶっていつも以上に思った事を口にしてしまう。それにもしかすると、源吾郎も機嫌を損ねるかもしれない。源吾郎は基本的には穏和な青年である。しかしその一方で烈しい感情のうねりの持ち主でもある。よもや雪羽に激する事は無いだろうが……それでも失言は失言だろう。

 俺は大丈夫だよ、それこそね。そう言った源吾郎は力なく微笑むだけだった。


「本当は早めに向かおうと思ってたんだ。だけど昼前に目が覚めて、そこから支度していたらこんな時間になっちゃったんだよ。救出作戦の数合わせで参加しただけなのにこの体たらくとは情けないだろう? 先輩たちはきちんと仕事をこなしたのにさ」

「そんな事ないって」


 自嘲の色が滲む源吾郎の言葉を、雪羽は即座に否定した。彼なりに頑張っていた事は既に萩尾丸から聞かされていたのだ。そもそもからして先輩の働きぶりと自分のそれとを比較する事が前提としておかしい。源吾郎もまた強い妖怪に分類される。単純な強さで言えば彼の言う先輩たち――百歳前後の二尾の妖狐たち――を凌駕しているだろう。だが先輩たちの方が経験値が圧倒的に高いのは言うまでもない話だ。そもそも源吾郎にしてみれば今回の実戦が初陣だった訳だし。

 そう言う所を度外視して先達たちとおのれを比較する源吾郎の姿は、ストイックと呼ぶべきなのか無謀と呼ぶべきなのか雪羽には解らない。向上心が高そうで個人的には好きな態度ではあるのだが。


「それでさ、俺が入ってた第二班は玉藻御前の末裔を名乗る狐たちが多かったんだ。米田さんとか穂谷先輩とかさ。先輩たちは俺と一緒で玉藻御前の末裔が雷園寺君の側に憑いているって事を示すための要員でもあったんだけど、むしろ普通の野狐よりも先輩たちの方が強かったよ」


 玉藻御前の末裔である妖狐は源吾郎だけであるが、玉藻御前の末裔を自称する妖狐は数多くいる。萩尾丸の部下たちにもそうした妖狐は一定数存在していた。というよりも、萩尾丸がわざわざ見つけ出して雇い入れているらしい。源吾郎の言った穂谷という妖狐も萩尾丸の部下の一人である。

 この度自称・玉藻御前の末裔が救出部隊に投入されたのも、ひとえに萩尾丸の妖選によるものだ。玉藻御前の末裔が雪羽の側に加勢していると伝えるという側面は源吾郎一人で伝わるであろうと雪羽は思っていた。しかし初陣である源吾郎が不測の事態で参加できない事も見越して、萩尾丸は自称・玉藻御前の末裔も投入したのだろう。

 もっとも、彼らが同年代の野狐よりも有能で経験豊富であるという原始的な理由もあるだろう。他ならぬ源吾郎が彼らの実力を認めているのだから。

 源吾郎はプライドが高く、こと玉藻御前の末裔という看板を背負う為には一切の妥協を許さない若者である。しかしその一方で、他の妖怪の実力や有能さを素直に認める柔軟な心の持ち主でもあった。それは或いは源吾郎の末っ子気質によるものなのかもしれない。


「確かに第二班の狐たちって二尾ばっかりだもんなぁ。島崎先輩。俺も昔オトモダチから聞いたんだけどさ、『妖狐の二尾は大人ばかり』なんて言葉が普通の妖怪たちの間ではあるらしいんだよ。俺は三尾だからもう大人やんって思ってたけど、本当はじゃなかったんだよ。年数を重ねて大人になるころに尻尾が増えるって事だったんだ」


 妖狐の二尾は大人ばかり。雪羽は昔、尾の数が多くなれば大人になるのではと思っていた。だが実際には逆の意味だった。尾が増えるから大人になるのではなく、大人になるほどの年数を経ているから尾が増えるという事だったのだ。何せ、普通の妖狐や雷獣であれば百年ごとに一尾増えるのだから。もちろん、もっと時間がかかる場合とてある。

 従って、幼少の頃より尾をたくさん持つ妖怪への言葉では無かったという事だ。


「うん。確かに一尾の野狐たちよりも二尾の野狐たちの方が大人って言うか普通に年長だもんなぁ。第二班の皆も普段会う野柴君たちよりも落ち着いてたし、俺にも親切にしてくれたし。

 やっぱり先輩たちはああいう仕事に慣れてるって感じだったよ。人間にしろ妖怪にしろ残党狩りもめっちゃこなしてたし。雷園寺君。意外と米田さんがそういうの慣れてるみたいだったから、驚いちゃったよ……」

「米田さんはフリーの使い魔やってるって事になってるけど、実質傭兵みたいな仕事にも足を突っ込んでいるらしいからね」


 米田という野狐の娘の事は雪羽も多少は知っていた。いつの頃からか生誕祭の短期バイトで働くようになっていたし、ヤンチャだった頃から彼女の噂は度々耳にしていたからだ。雪羽はかつて彼女にちょっかいを賭けた事があったのだが、見事に肘鉄を受けた事は地味に忘れたい過去だったりする。

 米田さん、と言った時の源吾郎の表情に雪羽は気付く。萩尾丸の部下ではない彼女の事を敢えて口にした不自然さ、その不自然さをもたらした背景を目ざとく感じ取った雪羽は、口許に笑みを浮かべた。何となく漂う重苦しい空気を払拭する、うってつけの方法を見出したのだ。


「島崎先輩。もしかしなくても米田さんの事が好きなんですよね? 気になっちゃってるんですよね?」

「なっ……雷園寺……」


 源吾郎の反応はあからさまで、しかも見ていて面白いほどだった。目を見開いて雪羽を凝視するのだが、その顔はみるみるうちに赤みを増していく。答えは明らかだった。だが、源吾郎は小さく頷いて口を開いたのだった。


「うん。まぁそういう事になるんだろうな。あの日からずっと米田さんの事は気になってたんだよ。でも職場も違うし住んでる場所も違うから、あんまり会う機会も無かったし……そもそも向こうはまだ俺を仔狐扱いしてるっぽいんだよな」


 それでも何とか連絡先をゲットする事は出来た。源吾郎ははにかみつつそう言い添えていた。自分から吹っ掛けたとはいえ、源吾郎の態度を見ているうちに少し気の毒になってしまった。


「米田さんか……まぁ良いんじゃないの。先輩の事だからもっと可愛い系のお嬢様を引っかけるかと思ってたけれど。まぁでも先輩も野望とか血統とか出自とかあるし、そう言う意味では米田さんは先輩と釣り合うんじゃないかな。色々と実戦経験もあるし、肝も据わってて芯の強そうなお方だしさ」


 雪羽の言葉に源吾郎の顔があからさまにほころぶ。実に判りやすい反応である。というか好きな娘が出来て舞い上がっているのが見え見えだった。

 雪羽はだから、その道の先達(?)として助言を与えたくなってもいた。


「島崎先輩。今回は連絡先を貰ったって事で安心してるみたいだけど、適宜に押して好意をアピールしないと駄目っすよ。今のままだったら可愛い仔狐ちゃんで終わっちゃいそうだし。まぁその……向こうに彼氏とか亭主とかいないかどうか探ってみて、フリーだったらそれとなく想いを伝えないと進展しないと思うよ、俺は」

「やっぱりそうだよな……」


 雪羽の言葉に、源吾郎はしおらしく頷いていた。頷きつつも、その顔には何故か思いつめたような表情が浮かんでいた。


「まぁ、ちょっとずつやってみるよ。ドスケベの雷園寺君と違って俺はそっち方面には不慣れだからさ。それにほら、俺ってまだ社会妖しゃかいじん一年目だろ? 米田さんの方が明らかに甲斐性はありそうだけど、流石にまだ結婚は早いかなと思うんだ……」

「結婚って流石に話が飛躍し過ぎやろ。というかしれっと俺をドスケベ呼ばわりしよって!」


 雪羽は思わずツッコミを入れた。妙に生真面目な奴め。そう思いつつも実の所そんなに腹は立っていない。むしろ何故か愉快な気分だった。源吾郎にもそんな気持ちが伝わったらしく、すまんすまんと言いながら笑っている。

 笑いあっているうちに、雪羽も少し元気になった気がした。笑いが免疫に良いという話が人間社会にあるらしいので、もしかしたら実際に元気になったのかもしれない。



 二人が元気を取り戻し、ついで興奮が静まった所を見計らい、雪羽は目覚めてから見聞きした事を源吾郎に伝えた。伝えるべき事は多岐に渡っていたが、やはりどうしても時雨たち兄妹や松子の今後についての話が大半を占めていた。主犯の蛇男がこじらせたストーカーだった事よりも、やはり時雨たちやその付き妖だった松子がどうなるかについて、雪羽自身が強い関心を抱いていたからに他ならない。

 それに雪羽は、時雨の言動について源吾郎に是非とも質問したい事柄があったのだ。


「とりあえず、時雨君と深雪ちゃんが無事でよかったなぁ」


 源吾郎はそう言ってぐっと口をつぐんだ。時雨たちの無事を喜んでいる事には違いない。しかしそれ以上に色々と思う事があり、それをぐっと押し込めようとしているみたいだった。幼い子供が巻き込まれた事件に対する憤慨、雪羽が重傷を負ってしまった事への心配。そんな思いが彼の中にあるのだろう。


「まぁその……なし崩し的に時雨たちには俺が異母兄である事は解ってしまったんだよ。もっとも、本家で居候扱いされていた穂村たちも、今日から居候じゃなくて現当主の子供たちって言う扱いに戻るらしいんだけど。それが良い事だったと言えるのかなぁ……そもそもあいつらが穂村たちをそんな扱いをする事がいけなかったわけだし」


 雪羽は遠くを見やり、雷園寺家に想いを馳せていた。事件は一段落したが、むしろ時雨たちや穂村たちにとってはが大変なのだ。長兄として雪羽がその辺を取りまとめたい気持ちはある。しかし三國の許に引き取られた彼は今や部外者なのだ。

 まぁその辺も大人たちに任せるとしよう。そう思い直した雪羽は、思い切って源吾郎に疑問をぶつけてみた。


「そんな訳で島崎先輩。俺が時雨を助ける事が出来たのは、『どうしても時雨を助ける』って言う思いが強かったかららしいんだ。その時に、俺の妖気が時雨の中に入って、それでいい感じに悪いモノを駆逐して時雨の弱った身体を回復させたんだよな。

 でも、一つだけ気がかりな事があるんだ」


 気がかりな事って? 不思議そうに首をかしげる源吾郎に対し、雪羽は続けた。


「時雨のやつ、俺が異母兄だと解った上でめちゃくちゃ懐いてくるんだよ。前に深雪を探している時は頑張って大人っぽく振舞ってたのにさ、俺の前ではお兄ちゃん、お兄ちゃんって言って甘えてきたんだよ……」

「母親が違うとはいえ、弟に懐かれて甘えてきたんでしょ。雷園寺君も満更でもなかったんじゃないのかね」

「そりゃあまぁ嬉しいけどさ……俺ら雷園寺家の当主の座を狙って相争う身分だぞ。変に親愛の情が湧いたら、それはそれで辛い思いをするかもしれないしさ。

 それに時雨には俺の妖気が入り込んで、それでまぁ色々と作用があったんだ。あいつを生かすにはそうするしかなかったけれど、もしかしたら俺の妖気が時雨の心とか自我を上書きしたんじゃないか気が気じゃないんだ」

「要するに、雷園寺君が無意識のうちに洗脳とか心を操る術を使ってしまったんじゃないかって思ってるって事?」


 何故か微妙な表情を浮かべる源吾郎に対し、雪羽は力強く頷いた。


「時雨は怪我とか後遺症はないけれど、心の傷とかそんなんが残ってるからさ。さっきも言ったけど。事件の事も所々思い出せない所もあるし、とかを過剰に怖がるとも言ってたし。だからその……」

「心配はいらないと思うよ、雷園寺君」


 思案と言葉を続ける雪羽に対し、源吾郎はやけにはっきりした調子で言ってのける。その顔にはいつの間にか笑みが浮かんでいた。


「俺は籠絡術とか専門外だけど、雷園寺君は弟にそんな術を掛けてしまった訳じゃないと思うよ。もしそうだとしたら、それこそ事件の記憶をさっぱり消してしまうとか、そんな感じになるんじゃないかと思うし。

 時雨君が雷園寺君にベタ甘えだったのは簡単な話さ。時雨君自体が長男で一番上だったから、が解らなかっただけだろう」

「甘え方の、加減……?」


 雪羽が繰り返すと、源吾郎はさも得意げに頷いた。


「雷園寺君もそうだけどさ、基本的に一番上は誰かに甘えるのが苦手なんだよ。下がいれば尚更ね。本人もお兄ちゃんだから、お姉ちゃんだからって言う気概を背負って生きているみたいなもんだし。日頃は弱みを見せずに生きようって思っちゃうんだろうね。

 それで、そうして日々暮らしているから、何処まで甘えていいのか、引き際とかを見極めるのがお兄ちゃん・お姉ちゃんには難しいんだろうね。そういう事もあって、時雨君がベタ甘えしているように思って戸惑ったのかもしれない。雷園寺君も元々はお兄ちゃんだった訳でしょ? 末っ子だった俺と違ってさ」


 兄弟の気質について、源吾郎はさも生き生きした調子で語っている。思いがけぬ仮説であるが、雪羽にも思い当たる節はあるにはあった。源吾郎はひとが甘える心理に妙に詳しそうだし、何よりからだ。


「末っ子とか、そうでなくても兄姉がいる場合はまた話が違うんだけどね。上がいるとどうしても構われたり甘やかされたりする事が多いから、どういう時に誰に甘えればいいかとか、そう言う判断が本能的に出来るようになるんだよ」

「甘えるタイミングの見極めか。先輩はそんなのめっちゃ得意だもんなぁ」


 雪羽が言うと、源吾郎は眼鏡の位置を治しながら明るく笑った。ともあれ時雨のベタ甘えの謎も判明し、雪羽としてはまたしても安心した所でもある。

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