名門の威光と立場のくびき
「単刀直入に言って、島崎君がお兄さんを護るために現場に出向く事には問題は無いよ。脅威が迫るのを知った上で動くのは、ごく自然な事なんだから」
「そりゃあ当然の事っすよ。兄弟は助け合わないといけないんですから。ましてや、先輩の所は家族全員仲が良いみたいだし」
「島崎君。野狐で玉藻御前の末裔である君が事件解決に介入する事について心配しているみたいだけど、むしろ積極的に介入しても問題ないと僕は思うんだ。むしろ稲荷の眷属に恩を売り力を知らしめるチャンスになるんじゃないかな」
萩尾丸の言葉が終わるや否や、雪羽と穂谷は順におのれの意見を述べた。雪羽は少し興奮気味で、穂谷は落ち着いた調子で。家族、特に兄弟の情に対して雪羽が強い執着を持っている事は源吾郎も知っているし、穂谷は穂谷で政治的・社会的な部分について詳しいだろう。
「ただね、今回は人間たちが多く集まっている所でしょ。だからね、無闇に闘って下手人を取り押さえれば良いって言う話ではないんだ。
人間たちが巻き込まれるのは最悪の事態だし、そうでなくても人間たちを脅かし、その事で彼らがパニック状態になる危険性もあるからね」
そこが雷園寺家の事件とは違う所だ。萩尾丸はそう言ってから一度言葉を切った。それから彼は、正面から源吾郎を見据える。
「妖怪や異形の者を人間が畏れる――その意味を半妖の島崎君は知っているはずだよ。知らない訳ないよね?」
「はい……」
源吾郎は静かに頷いた。言葉を紡いだその傍から、唇や舌先が乾いていく。今でこそ大妖狐の末裔として、妖怪として生きている源吾郎であるが、元々人間として生きてきた時期もある。と言うか就職するまで人間として暮らしていた。
だからこそ、萩尾丸の言葉は十二分に理解できた。人間が異形の者を畏れる事を。廣川部長との間に生じた十姉妹脱走事件、術者である人間たちの源吾郎への評価。そして、雷園寺家次期当主拉致事件に加担していた人間が放ったあの言葉。それらを思うと源吾郎は気が重くなってしまった。
「人間たちに気を遣って動かないといけないなんて、随分とまだるっこしくてややこしい話ですね、萩尾丸さん」
砕けた調子で言い放ったのは雪羽だった。彼らしい意見だと源吾郎が思っている間にも、彼は言葉を続けた。
「この前みたいにこっちも武力行使で下手人をボコボコに出来たらって思ってたんですけどね。今回は一尾で、そんなに強くなさそうですし。前は強いやつもいたんで後れを取りましたが、今回は――」
何気ない調子で告げる雪羽を前に、源吾郎は顔を引きつらせた。この前と言うのは雷園寺時雨たちの救出作戦の事を示していると解ったためだ。雪羽自身もフルボッコにされた挙句数日とはいえ入院生活を余儀なくされた。それを、単純に後れを取ったという言葉で済ますとは。
「そう言う所なんだよなぁ、雷園寺君」
さも呆れたように告げたのは萩尾丸だった。こちらもフランクな物言いであるが、芸人の言葉をもじっているらしかった。
「何度でも言うけれど、前回の救出作戦だって君が大暴れしたのはあんまり良くない事だったんだよ。状況が状況だったとはいえ、君だって危険な目に遭った訳だしさぁ」
萩尾丸の言葉に、雪羽は首を縮める。爪切りに抵抗する猫のようだった。
「それに強くない相手だったら、尚更武力行使は良くないんだよね。過剰防衛で済むならまだしも、下手をすればこちらに傷害罪が適応される可能性だって出てくるんだしさ。もちろん、建物とか絵を巻き添えにしたら、その分罪科が増えるんだよ」
「…………」
妖怪社会も実力主義だのなんだのと言っている割には、案外法による秩序があるんだな。見当違いながらも源吾郎はそんな事を思っていた。過剰防衛や傷害罪と言った言葉が萩尾丸の口から出る事、雪羽がそれを聞いて渋い表情を浮かべている事は、彼ら妖怪たちの中にもそうした法規があるという事に他ならない。
余談であるが、救出作戦の折に雪羽は大暴れし、犯行グループの面々に攻撃を加え戦闘不能にさせた。この行為は罪に問われず、正当防衛として処理されていた。あの状況下で攻撃を行う以外の行動が出来たのか否かが争点だったそうだが、当時の状況と照らし合わせ、どうにか正当防衛と見做す事が出来たのだそうだ。結界術や認識阻害術を使えない雪羽には、敵をやり過ごし隠れるのは難しいであろう、と。
もっとも、危険を顧みず暴れ回った事は自身のみを護るという観点では不適切であったという事で、雪羽は萩尾丸たちから安全教育を受ける羽目になったのだが。
人間社会の法規や法律は、妖怪社会のそれよりも厳しい所があるからね。そう言って嗜める萩尾丸の声は、普段の聞きなれた調子の物だった。
「郷に入っては郷に従えって言葉があるだろう。雷園寺君、君とてその言葉は知っているはずだし、大切にしなければならない言葉だよ。君はもはや、正式な雷園寺家の次期当主になるかもしれないと思われているんだからさ」
「仰る通りですね、萩尾丸さん。以後気を付けたく思っております」
雪羽は急に表情を引き締め、改まった表情で萩尾丸に告げた。先程のフランクな態度と言動が嘘のような姿である。だが源吾郎は雪羽の変わり身の早さを目の当たりにしても驚かなかったし、ましてや滑稽だと笑う事は無かった。
雪羽は今や正式な雷園寺家の次期当主候補である。その事の重みを彼は知っていて、ゆえに雷園寺家の話が彼の中でスイッチだったのだ。
さて萩尾丸はと言うと、お行儀良くなった雪羽を満足げに眺め、それから人間の術者とそれに協力する妖怪の関係性について言及していた。妖怪と渡り合う力のない人間に妖怪が力を貸す。傍から見れば一方的に思える関係性であるが、意外にもウィンウィンの関係が成立しているのだそうだ。
人間と組む際の妖怪サイドの利点。それは人間社会で悪事を働く妖怪の取り締まりが、彼らだけでの時よりも円滑・穏便に進める事が出来るという部分だった。もちろん妖怪たちだけでも、悪事を働く妖怪の捕縛や取り締まりは可能だ。しかし――妖怪の被害に怯える人間をなだめ、或いは取り締まる側の妖怪が敵ではないと示すには人間が立ち会っていた方が遥かに良いのだとか。
「そんな訳で、強くて力があるからと言って、それでゴリ押しするのはあんまり良い解決法とは言えないんだよ。ゴリ押ししたがために、解決すべき内容が余計にこじれる事だってあるんだからね」
「最善は、やはり闘ったり争わずに事を収める事だと私は思うわ。実際問題、抜きんでて強くなった妖怪であればそうする事も可能なのよ。もちろん……そこに至るまでの鍛錬にて闘いや流血沙汰を潜り抜けなければならないというパラドックスもありますが」
萩尾丸と紅藤の言葉を、源吾郎は神妙な面持ちで聞いていた。ゴリ押しは良くない。真なる強者は闘いや争いを行わずに物事を解決できる。それらの言葉は途方もない説得力を伴っているように感じられた。二人の地位や力量が説得力を担保しているのだ。源吾郎はそう感じていた。
「まぁ、島崎君の挙動について僕はそれほど心配していないんだ。君は積極的に闘おうというタイプではないからね。若いから感情の起伏が大きい所もあるけれど、概ねお行儀が良くて大人しい方だし……」
積極的に闘わない。お行儀が良くて大人しい。源吾郎の行動や気質を現した萩尾丸の言葉に、源吾郎は複雑な気持ちになった。何というか、必要以上に大人しい良い子であると言われている気がして恥ずかしかったのだ。
だが萩尾丸の眼力に狂いはなく、事実を口にしているという事もまた源吾郎は把握している。闘う事、自分から攻撃する事が実は苦手。この指摘は正しい。易々と放つ狐火が持つ威力のえげつなさや尻尾を振るった攻撃などの派手さに若妖怪たちは目を奪われがちであるが、源吾郎の攻撃術は見る
ちなみに戦闘訓練では心置きなく闘志を燃やす事が出来たのだが、それは相手を傷つける事が目的ではないと解っているからである。語弊はあるが、人間の若者がスポーツに興じる感覚に似ているかもしれない。
「島崎君。君は当日その会場にいて……自然に振舞っていれば問題ないと僕は思っているんだ。身内だから君のお兄さんの傍に居ても何ら不自然じゃあないし、何かあったとしてもそれこそ結界とか術を使って誰かを護る事もできそうだしね。
ついでに言えば、助太刀に来た雷園寺君が妙な事をしないか、目を光らせてくれそうだしね」
「萩尾丸さん。僕も現場に出向いて良いんですね?」
雪羽は弾んだ声で萩尾丸に尋ねる。尻尾がやや大ぶりに揺れている。妙な事をしでかさないかと言われた事など気にせず、素直に純粋に喜んでいた。源吾郎の案件を手助けできるのがよほど嬉しいのだろう。それに彼も庄三郎と面識がある訳だし。
もちろん構わないよ。萩尾丸は実にあっさりとした様子で、雪羽の参加を認めた。これには雪羽のみならず源吾郎も驚いてしまった。
「現場に向かうのは土曜日でしょ? その時は雷園寺君も三國君の許に戻っているだろうし、むしろその時の君の行動を縛る謂れは僕には無いはずだよ。
それに君は、本家とは別の所に暮らしているとはいえ雷園寺家の縁者に違いない。稲荷の縁者たちも、君の血筋や家柄を考えればそんなに疎まないだろうね。敵対していた雉鶏精一派に所属しているという事を差し引いてもね」
雪羽の表情はいよいよ喜色に満ち満ちていた。大切な友達である源吾郎を助ける事が出来る、しかも雷園寺家である事を公にできる。嬉しい事が二つも並んでいるのだ。単純な雪羽が喜ぶのも無理からぬ話であろう。源吾郎はしかし、萩尾丸の若干含みのある物言いが気になってはいたのだが。
「とはいえ人間たちの前では素性を隠して、それこそ人間の退魔師だって事にして潜り込んだ方が良いだろうね。雷園寺家の威光という物も、残念ながら妖怪社会に疎い人間たちには届かないのだから。雷園寺君は人型に変化できるけれど、本性を隠す事に無頓着だからさ」
「その辺りは僕がフォローしますのでご安心ください」
源吾郎は雪羽をちらと見やり、萩尾丸に告げた。確かに、雪羽は変化術にかなり無頓着だ。獣である本来の姿から今の人間の姿になっている訳だから、人型の術を行使する事は可能なのだろう。だが――人間に上手く擬態しようという考えを彼は持ち合わせていないようだった。人の姿になればそれでええやろ、と思っているのが丸わかりなのだ。
しかしだからこそ、雪羽が普段の姿では無く、人間の退魔師とやらに変装した姿も気になっていたのは事実である。変化術をアシストする護符を用いたり、それこそ叔母である月華に頼めば雪羽とて別の姿に変化できるだろう。そうした上でどんな姿を取るのか。それが源吾郎には興味があった。
「萩尾丸さん。仮に雷園寺君が雷園寺君だと判明しても、そんなに大事にならないかもしれませんよ」
ここで話の流れを変えるような発言をしたのは穂谷だった。萩尾丸はおのれとは異なる意見を耳にしつつも、嫌がったりせず興味深そうに首をかしげるだけだ。
穂谷によると、雪羽の能力や気性を畏れていたのはむしろ妖怪たちだけである事、血の気の多い若妖怪を従えていたために人間の術者たちからは逆にありがたがられていたのだという。雪羽自身は人間を襲う事は無く、人間にちょっかいをかける様なチョイ悪妖怪をコントロールする立場にあった。だからこそ術者たちの中では危険視されていなかった。穂谷はそのように解説を締めくくった。
雪羽は過去の事を思って恥ずかしがっていたが、源吾郎はまず狐につままれたような気分になり、それから面白さがこみ上げてきた。雪羽が行っている事は変わらないのに、妖怪と人間ではまるきり評価が違うなんて。
「何と言うかさ、これでひとまずは安心なんじゃないですか。僕だって雷園寺家の子息として力添えできるし、萩尾丸さんだって普段通り部下の妖たちを派遣して手助けして下さるんですよね?」
「出来る物ならそうしたいんだけど……」
無邪気に問いかける雪羽に対し、萩尾丸は渋い表情で応じるだけだった。この萩尾丸の表情に、雪羽のみならず源吾郎も驚き戸惑った。色々あったとはいえ、萩尾丸は拉致された雪羽の異母弟の救出部隊を編成し、無事に事件の収束に導いた妖怪だ。妖狐、それも一尾の弱い妖狐が人間を襲おうとしているのを阻止するだけなのに、何故あのような表情を見せるのだろうか。
バックに稲荷の関係者がいるでしょ。絞り出された萩尾丸の言葉には、いくばくかの諦観が混ざっていた。
「ああ別に、稲荷の眷属が犯人を擁護しているとかそういう事じゃあないよ。むしろ彼らも下手人の捕縛を目的として動いているくらいだ。狐は仲間意識が強い分、掟破りや犯罪者には厳しいからね。神職に就いた稲荷の眷属ならば尚更ね」
稲荷の眷属と雉鶏精一派はかつて敵対していた。その言葉が脳裏をかすめる。玉藻御前を討伐した陰陽師は葛の葉を先祖に持つ。そして雉鶏精一派が玉藻御前に縁深い組織である事は言うまでもない。
しかし今回は稲荷の眷属たちに喧嘩を売る訳ではない。向こうも下手人を捕えようとしているのであれば、同じ目的を持っている事になるはずだ。であればこちらも堂々としていてもばちは当たるまい。何とも萩尾丸らしからぬ物言いだと源吾郎は思っていた。
「萩尾丸さんほどの大天狗がそんなに気弱な事を仰るとは……」
「大天狗だなんておだてないでくれ。僕はあくまでも雉鶏精一派の構成員であり、紅藤様の
大天狗である萩尾丸が稲荷の眷属に気兼ねしている。その構図は何とも不思議な物だった。天狗、特に大天狗と言えば妖怪社会でも支配階級に食い込む存在である。相手の強さにもよるが、まずもって妖狐に脅かされるような存在ではない。
仏道においては御仏の敵であるとも守護者であるともされるから、その辺りのスタンスは天狗ごとに違うのだろう。ともあれ天狗は妖力のみならず、影響力も大きな存在である事には変わりないはずだ。
「良いかい二人とも。確かに僕は様々な術を修め、周囲からは大妖怪と見做されているかもしれない。しかし、雉鶏精一派に所属しているという事しか後ろ盾は無いんだよ。当然、よりどころとしている血統や先祖も無いから、その辺りが僕の弱点でもあるんだ。雉鶏精一派の名を出して平伏する相手ならば問題ない。だが、特に恐れを抱かない相手や敵愾心を持つ相手とは相性が悪いんだよ。
特に稲荷の眷属は年長者が多いからね。若い
萩尾丸は息を吐いていた。今回の事件では流石に上層部が動く訳ではないらしい。しかし、下手人である狐は何がしかの邪法を参考にしているとされており、そのために他の勢力の影響が無いか、当局でも警戒しているのだという。
そういう状況下ならば、雉鶏精一派の面々に警戒する可能性も十分にありうる。それが萩尾丸の意見だった。雉鶏精一派の初代頭目である胡喜媚の幻影を彼らは怖れているのだ、と。胡喜媚は残忍で冷酷な妖怪であったが、問題はその出自だ。彼女の先祖を何代か遡ると、あの道ヲ開ケル者に辿り着く。それ故に考えの古い妖怪の中には雉鶏精一派も邪神の手先と見做している者もいるという話だった。
「本当は、ギャラリーの主催者なり画家たちなりが術者に連絡していたら一番良かったんだけどね。だけど島崎君にその話が回って来たって事は、そういう対策がなされていなかったんだろうねぇ……
ここでああだこうだ言ってもどうにもならないからね。
島崎君。萩尾丸は源吾郎をしっかりと見据えていた。
「色々とややこしい事情も絡んでいて大変だとは思うんだ。だけど、君は特に闘う事は考えなくて良い。お兄さんを危険にさらしたくなければ、傍に居てそれとなく護っていればいいんだから。
今回は稲荷絡みの事件だから、君のお兄さんをピンポイントで狙うという事は考えづらい。だけどこの間みたいに万が一って事もあるだろうから……」
思案顔の萩尾丸を源吾郎は凝視していた。まるで庄三郎が妖怪に狙われる事があるというような物言いだ。それが源吾郎の心に引っかかった。
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