夕刻あつまり捕物談義
終業時間後。萩尾丸は約束通り打ち合わせを開いてくれた。雪羽もくっついてきたのもさることながら、さも当然のように研究センターの面々はさも当然のように全員が集まっている。
少ししてから、何処からともなく先輩妖狐の穂谷も顔を出した。聞けば萩尾丸の転移術によってここに連れてこられたのだとか。
「穂谷君。仕事で忙しいだろうに悪いねぇ」
そんな穂谷にねぎらいの言葉をかけたのは萩尾丸だった。確かに穂谷の上司ではあるが、彼を召喚したのは他ならぬ萩尾丸だろう。源吾郎はそんなツッコミを心の中で放っていたが、特に誰も気にしていない。
しいて言うならば、隣にくっついて寄り添う雪羽が、若干緊張しているように見えたくらいだろうか。
「いえいえ大丈夫です。これもまぁ仕事の一環ですし……」
穂谷はにこやかな笑みを浮かべ、源吾郎を一瞥した。
「それに僕自身、本当の玉藻御前の末裔である島崎君に直々に相談を受けましたからね。玉藻御前の末裔を名乗る以上、島崎君の力になりたいと思うのは当然の事です」
「あ、ありがとうございます……」
源吾郎はひとまず穂谷に礼を述べた。とはいえ内心複雑な気持ちだった。玉藻御前の末裔を名乗る穂谷が、本物である源吾郎に恩を売る。そうした意図が見え隠れしている事に気付いたからだ。さらに言えば、大人妖怪たちはそれを容認している事も。
穂谷の意図がどのあたりにあるのか源吾郎にはよく解らない。だが実際の所、穂谷がこうして源吾郎に色々と力添えしてくれるのをありがたく感じてもいた。玉藻御前の末裔を名乗る妖狐たちも彼らなりに努力している事については、源吾郎もきちんと知っている。そしてやはり、源吾郎が末っ子気質である事もまたここで作用しているのだ。野望とは裏腹に年長者に従う事への抵抗が源吾郎にはほとんど無い。それどころかすぐに兄代わり・先輩として受け入れて慕ってしまう程なのだ。
要するに、源吾郎は穂谷を先輩妖狐として彼なりに敬っている訳である。
その穂谷は源吾郎から視線を外し、雪羽をちらと見やった。
「雷園寺君。君も元気そうで何よりだよ。いやはや、今日の訓練ではちょっとやり過ぎちゃったかなと思ってね。僕もその、いつもの癖が出ちゃってね」
「僕は全然大丈夫ですよ。えへへ、むしろ穂谷さんに稽古づけて貰って嬉しかったです。この前の雷園寺家の事で、俺もまだまだだって思い知りましたから。なのでその、今後もよろしくお願いします」
穂谷の言葉に雪羽は明るくはきはきと応じていた。源吾郎に甘えてまとわりついていた姿とは別人と思えるような態度である。しかし尻尾はゆらゆらと揺れており、演技ではなく本心である事を物語っていた。
そもそもからして雪羽は戦闘慣れしている。だからこそ今回の訓練でも何がしかの得る物を感じたのだろう。
「雷園寺君と島崎君の訓練に関しては、僕たちの方でも適宜カリキュラムを組もうと思っているから安心してくれたまえ。
それより島崎君。今日は戦闘訓練の話じゃなくて、もっと差し迫った話があるんだろう?」
あ、はい……半ばまごついた声を上げていると、穂谷がホチキスで留めた冊子を配り始めた。
「僭越ながら、僕の方で資料を用意いたしました。と言っても、ネットとかマスコミで報じられている物がメインですがね」
ひととおり配り終えてから穂谷は冊子の内容について軽く解説していた。もし違う事件の資料を持ってきていたら謝ります。茶目っ気たっぷりに穂谷は言い添えていた。源吾郎は愕然としながら穂谷を見つめていた。やっぱり先輩は先輩だなと敬服していたのだ。
本来、こうした資料は言い出しっぺである源吾郎が用意すべきなのだろう。だが、その事に源吾郎は今気づいたところだったのだ。
「そうですね、もしかしたらご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが。穂谷さんの資料もありますし、どういう事なのか説明しますね」
源吾郎は一度資料に視線を落とし、それから顔を上げて紅藤たちに説明を始めた。
※
「確かに難しそうな話ですね、先輩」
ひととおり説明を終えるや否や、すぐ傍で話を聞いていた雪羽が口を開いた。神妙な面持ちながらも、何処か納得したような表情さえ浮かんでいる。
「何と言うか気が進まないって雰囲気を醸し出してましたけど、そう言う事情があるのならそうなるよなって俺も思っちゃったよ」
「そう言う事情って言うか、何かもう色々と込み入っているからなぁ」
先輩って優しいんですよ。そんな事を言う雪羽からわざと視線を逸らし、源吾郎はため息をついた。人間を……画家である兄を護るために立ち向かわねばならない。しかし人間たちに害をなしているのは源吾郎の同族だ。同族との直接対決を恐れているのではないか。雪羽はそのように思っているのかもしれない。
源吾郎はそれよりも、事件の錯綜ぶりにばかり目が行っていた。出来事そのものを抽出すれば、下手人が画家を斬りつけてその血を搾り取ろうとした猟奇的事件に過ぎない。しかし下手人の動機や彼の怒りを買ったであろう画家の仕打ちを思うと、下手人をきっぱりと悪だと言い切れなかった。無論彼のした事は罰せられるべきではあるが。
さらに言えば、下手人が稲荷に仕える妖狐であり、民間勤めやフリーランスの野狐ではない事もまた気がかりな所だった。源吾郎はつまるところ一介の野狐に過ぎない。しかも悪事をなした野狐の筆頭格・玉藻御前の縁者でもある。阪神地区と言う事もあり、稲荷の眷属たちを下手に刺激するのではないか。源吾郎は妖狐なりにそんな心配もしていた。何せ遠足の折に伏見稲荷へ参拝した時も、ドキドキし通しだったのだから。
「思ったんだけどさ、この事件って苅藻君とかいちか君に相談したらどうかね。その方がわざわざ僕らに助けを求めるよりも色々と良いと思うんだけど」
じっと話に耳を傾けていた萩尾丸が問いかける。訝しげな表情を見せているのは致し方ない話だ。無論彼の言葉にも一理ある。苅藻達の術者としての活動は長く、こうした事件であってもそつなく解決に導いてくれるだろう。
源吾郎はしかし、苦笑いしながら首を振った。
「僕もそれが出来れば一番だと思ってます。ですが兄は一度叔父に相談して、その上で依頼を取り下げているみたいなんですね。なので僕が同じ内容で依頼を持ちかけるって言うのは筋が通らないかなと思いまして……」
「筋が通るとか通らないとか、そんな事を気にしている場合でもないと思うけどね」
源吾郎の弁解に、またしても萩尾丸が口を挟む。はっきりとその声に呆れの色が滲んでいた。
「そもそも君は叔父である苅藻君にもべったり甘えている節があったし、苅藻君だってそんな君の事を甥として可愛がっているじゃないか。だからその、実の叔父に対してそんなに気兼ねする必要はないと思うけれど。あくまでも以来の取り下げ云々はお兄さんの考えであって、君の考えとは違うんだからさ」
「ごもっともな意見ではありますが、今回は兄の意向を尊重した形ですね」
「どうしてお兄さんの意見などを尊重したんだい?」
「それは……」
萩尾丸に問われ、源吾郎は言葉を詰まらせた。もちろん理由はあった。判官びいきめいた考えで兄の味方をした。叔父に頼めばどの道お金を支払う羽目になる。自分も妖怪として修行しているから、その力を兄に見せたかった。語るべき理由は、きちんと源吾郎の内部にある――それを萩尾丸たちが納得するか否かは別として。
その事が解ったのだろう。萩尾丸は呆れたようにため息をついた。ため息自身がパフォーマンスであるかのように。
「まぁ、君らの事だからお金を渋ったとかそう言う所なんだろうね。庄三郎君も……いや島崎君の末のお兄さんも要領良く立ち回るタイプじゃあないしね」
「庄三郎君も、島崎君のお兄さんも生活が大変なのかもしれないわ」
見透かしたように萩尾丸が告げ、紅藤は少し庄三郎を慮るような事を口にしていた。源吾郎は実のところ、萩尾丸の言葉に頷きかけていた。
島崎庄三郎と言う青年が、優美で妖艶な美貌の裏に、途方もない不器用さを抱え持っている事は、源吾郎も嫌と言う程知っていた。何せ彼は美貌と……魅了や相手を従える能力の持ち主なのだ。良い暮らしをするには十分すぎる能力と言えるだろう。だが現実には、庄三郎はこれらを玉藻御前から受け継いだ呪いだと疎み抜き、呪いに影響されないような暮らしを自ら選んだのだから。
そう言った意味では、実は庄三郎こそが兄姉たちの中で最も源吾郎と似た気質の持ち主でもあった。ベクトルは違えどおのれの能力に拘泥し、おのれの信じる道を進もうとしているのだから。
「……とはいえ今更苅藻君へ助けを求めるのは悪手だろうね。あの子の事だ、可愛い甥っ子に依頼を取り下げられたって事で多少は拗ねているかもしれないからね。だからまぁ、こちらでどうにかするほかないだろうさ」
ふいに萩尾丸と目が合った。よく見れば彼は優しげな笑みを見せている。こちらでどうにかするほかない。協力してくれると言っているのだ。その事結論に源吾郎が行き当たるまでに多少の時間を要した。
「ありがとうございます萩尾丸さん。ですが良いんでしょうか? 今回の案件は、仕事絡みと言うよりも僕の身内の案件になりますし……」
「先輩、俺だって身内の案件を萩尾丸さんたちに解決してもらったんだぜ! だから別に大丈夫だってば」
申し訳ないと思いつつ呟いた源吾郎にまず応じたのが雪羽だった。その両目はギラギラとした光を宿している。身内の案件と言っても、雪羽が対峙したそれと源吾郎が庄三郎から聞かされたものとでは色々と段違いだ。
源吾郎はしかし、雪羽に気圧されて何も言えずにいた。
「雷園寺君の言う通りですし、気にしなくて大丈夫なのよ、島崎君」
おっとりとした笑みを浮かべながら紅藤は言った。彼女は何かを懐かしむように目を細め、言葉を続ける。
「元より雉鶏精一派は親族経営の側面が強い所もございます。それに島崎君もあなたのお兄様も玉藻御前の子孫に違いないわ。だから私たちが力添えするのは自然な事だと思っているの」
親族経営の側面が強い。紅藤のこの言葉には説得力しかなかった。彼女は第二幹部の地位を護っているが、頭目である胡琉安の生母に当たる存在でもある。彼女の息子で胡琉安の半兄たる青松丸とて、望めば上の地位に就く事も可能だったという。
更に言えば、第一幹部の峰白は胡琉安の正妻の座に収まろうと画策していた時期もあったそうだ。結局の所峰白がその気にならなかったので件の計画は白紙になったが……いずれにせよ、雉鶏精一派が身内を重視するという事には変わりない話だ。
「と言っても、この前の時とは別の意味で案を練らないといけないけどね」
妙に緩んだ空気に釘を刺すように萩尾丸が源吾郎たちに告げた。
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