雷獣こじらせ妖狐たじろぐ

 午後の中休み。センター事務所のデスクでぼんやりしている源吾郎の許に、雪羽はさも当然のように近付いてきた。島崎せんぱーい。間延びしたその声は妙にねっとりとした気配を孕んでいる。それが源吾郎には猫の要求啼きのように思えてならなかった。実際問題、雪羽の真の姿は猫に似ているし。


「どうしたんだ雷園寺君」


 突っ伏しかけていた源吾郎は即座に身を起こした。子供じみた笑みを浮かべた雪羽は、さも当然のように源吾郎の隣に腰を下ろす。左手にふわりとした物が触れ、絡みつこうとする。雪羽の細長い一尾だった。毛並みの良い尻尾の感触を味わいつつも源吾郎は敢えて雪羽の尻尾の動きを無視した。勝手に尻尾を触れば嫌がる事を知っているからだ。だというのに、雪羽は最近尻尾を絡ませてくる。

 またか。内心そう思いつつも、その考えを表に出さぬよう雪羽と向き合う。

 雷園寺家の事件が解決してからというもの、雪羽は。特に顕著なのが、源吾郎に対して絡む時の態度である。何というか、ベタベタと源吾郎に甘えるようになったのだ。特に訓練や仕事の際に悔しかったりしんどい思いをした時などに。

 幼児退行を起こしたり、雪羽の自我や精神が変質し崩れてしまったのではないか。源吾郎はまずそのように思った。源吾郎の知る雪羽らしからぬ行動なのだから。彼はプライドが高く、堂々とした妖怪だった。間違っても誰かに、特に仔狐である源吾郎にこうして甘えてすり寄るような男ではなかったはずだ。

 だが、精神の変質し雪羽が幼くなってしまったと単純に言い切る事も出来なかった。子供っぽい、幼げな態度を見せるのは源吾郎と相対している時だけだったのだから。仕事中や萩尾丸たちの前では普段通りの顔を見せていた。むしろ以前よりも真面目に振舞っているくらいだ。

 だから雪羽はであるし、ある意味理性も保っている。その上で源吾郎に甘えてくる。そうとしか思えなかった。

 実際源吾郎のこの考察は間違いではなかった。雪羽が妙に甘えてくる。この事についてこっそり萩尾丸たちに相談した事もあったためだ。萩尾丸は明るく笑いながら「雷園寺家の事や三國君たちの事もあって、雷園寺君はあの子なりに気を張ってるんだ。島崎君には気を許せると思って甘えているだけだから、まぁそんなに気にしなくて大丈夫だよ。時間が経てば、また普段の雷園寺君に戻るだろうからさ」と言うだけだったのだ。

 要するに、職場や私生活でも緊張したり気を使ったりしている反動が源吾郎に向けられているのだ、と。普段ならば保護者である三國に甘える所なのだろう。しかし三國も雪羽にばかり構っている余裕はないという。雷園寺家の事件があってからというもの親戚づきあいを再開せねばならないし、何より妻の月華の事もある。出産予定は来年の初めであるが、初産であるしお腹も目立ってきた事であるから、夫としては気が気でないのだろう。

 雪羽もああ見えて相手に遠慮する部分もかなりあるから、三國たちに甘えたいのをこらえているのかもしれない。そしてその代わりとして源吾郎に甘えだしたのだ。萩尾丸の考察はこのような物だった。

 源吾郎はだから、甘えてくる雪羽を可能な限り受け止めてなだめる事になった。無論戸惑いはある。だがそれは源吾郎が末っ子であり、自分に甘えてくる存在の相手をした事が無かった事によるものだった。ついでに言えば雪羽は長男気質であり、他人に甘えるのが苦手な所がある。だから甘えられずに遠慮してしまうか、無遠慮にベタ甘えしてしまうかの両極端に振りきれてしまうのだ。

 第一子だから甘えるのが苦手なのだ。因果な話だと源吾郎は思いもした。入院していた雪羽を見舞った折に、ベタ甘えしてきたと相談を持ち掛けられた事をふと思い出したのだ。長男・第一子として育てられていた時雨には兄姉に甘える経験が無く、それ故に甘える距離感が掴めずにいるのだろう。あの時源吾郎はそのように雪羽に解説したのだ。

 だがまさか、その事が今度は源吾郎に降りかかって来るとは。源吾郎は雪羽と接しながらも感慨にふけっていた。雪羽に甘える時雨の姿と、源吾郎に甘える雪羽の姿には、そう大きな違いは無いように源吾郎には思えた。そう言った意味でも、雪羽と時雨はなのだ。そんな事さえ源吾郎は思う時があった。


 ともあれ源吾郎は雪羽に向き合った。甘えてじゃれついてくるのも休憩の短い間だけだ。それに戸惑いこそすれど源吾郎は特に不利益を被っている訳でもない。

 それに今回は久々に戦闘訓練もあった訳だし、雪羽も思う所があるに違いない。ぐっと幼く見えるその顔には、若干剣呑な表情も見え隠れしているし。そう思いながら源吾郎は問いかけた。


「そんなに拗ねた顔をしなさんな、な。折角のイケメンが台無しだぜ」

「やだなぁ先輩。褒めても何も出てこないですよ」


 源吾郎の言葉に雪羽はあっさりを顔をほころばせた。リップサービスだと思われたのだろうか。だが源吾郎の言葉は本心からのものでもあった。人型に変化した仮の姿とはいえ、雪羽が美形である事は源吾郎も認めている。長じれば貴族妖怪に相応しい、優美で力強い青年になるであろう事も解っていた。しかしその割には、雪羽は自身の見た目に無頓着な所がある。源吾郎にはそれが惜しかった。美形である雪羽への嫉妬心が無いと言えば嘘になるけれど。

 何であれ、雪羽が笑ったのを見て源吾郎はちょっとだけ気が楽になった。雪羽は見た目通り妖怪としても幼いが、見た目以上に幼い部分も持ち合わせている。萩尾丸がこの前そのように言っていた事も源吾郎はしっかりと覚えていた。


「それにしてもどうした? 穂谷先輩にのされて悔しかったんだろ? それとも、俺が先輩と仲良くしているように見えて拗ねちゃったのか?」


 雪羽の考えを想定し、今回拗ねた原因について源吾郎は尋ねてみた。大方先の戦闘訓練で穂谷にのされたのを悔しがっているか、穂谷と源吾郎が話し合っているのを見て仲間外れにされたと思っているのだろう。

 いずれにしても雷園寺ならばありそうな事だと源吾郎は思っていた。雪羽が源吾郎と同じかそれ以上に負けず嫌いである事は十二分に知っている。戦闘訓練で源吾郎に負けた後、ガチ凹みして一日会社を休んだくらいなのだから。今回も対戦相手やルールは異なると言えども、拗ねる位に悔しがってもおかしくはない。

 また、雪羽は萩尾丸の従える若狐たちに馴染んでいない事も源吾郎は知っていた。あからさまに不仲だったり反目している訳ではないにしろ、雪羽に友好的な若狐は少ない。雪羽もその事を知っていて、お狐様はお高く留まっていると思っている節があった。

 穂谷は雪羽を見下すタイプではないし、妖狐である源吾郎には狐同士の付き合いもある。とはいえそれと雪羽が面白く思わなかったのとは別問題なのだろうが。


「違うよ先輩。まさか、俺がそんな幼稚な事で拗ねると思ったんですか? 穂谷さんは何か色々と手練れだって事はあの時俺も思い知ったしさ、先輩が狐の穂谷さんと仲良くするのも普通の事だと思うよ」


 それよりも。雪羽はまなじりを吊り上げて言い足した。周囲が何となくピリピリする。放電こそしていないものの、昂った雪羽から妖気が放出されていた。


「ギャラリーの画家を妖狐が襲撃して血を集めているって事件がありましたよね」


 思いがけぬ言葉に源吾郎は目を丸くした。芸術家襲撃事件は、今源吾郎が最も関心のある出来事である。何せ兄の庄三郎も標的になるかもしれないのだから。穂谷と相談していたのもその事件の事であるし。

 雪羽は得意げに、しかし獣らしい笑みを源吾郎に向けていた。


「先輩。まさか俺が何も知らないなんて思ってませんよね? 妖怪向けのニュースでも報道されてましたし、多分こっちよりも詳しい話が出ているんじゃあないですかね。

 それでもって、先輩のお兄様が標的にされるかもしれないって事くらい俺も知ってるんですから」


 そうか、雷園寺もあの事件を知ってたのか。源吾郎は驚いてばかりだったが、やがて一人で納得し始めてもいた。源吾郎の住む吉崎町は、事件の起きた参ノ宮からは距離があり、市町村も違う。しかし雪羽の暮らす学生街は、参之宮からはほど近いのだ。

 傷害事件であるからまだ事件は大きく報道されていないのだろう。であれば、近隣住民である雪羽の方が事件について詳しいのも理にかなっている。


「……あの事件は兄から聞かされたんだ」


 源吾郎は伏し目がちに頷き、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「多分雷園寺君の方が詳しいだろうから詳細は省くけれど、末の兄が標的になる可能性も十分にあるんだ。兄もまぁ上手く立ち回ってくれればとは思ってはいるけれど……兄が被害に遭わないように俺は動くつもりなんだ。それで、穂谷先輩ともその事で相談しようとしてたんだ。込み入った話だから、夕方改めて萩尾丸先輩たちにアドバイスを貰う事になったんだけどね」


 それがどうした。敢えて淡々と源吾郎は問いかけてみた。雪羽は何故か悔しそうな、泣きそうな表情を浮かべてその問いを絞り出した。


「なぁ先輩。何で俺にも相談してくれなかったんだよぉ……」

「何、それは別に……」


 戸惑いつつも、源吾郎は言葉を探った。雪羽に相談しなかったと言っても。別に彼を除け者にするような意図はもちろん無い。そもそもこの案件について、研究センターの面々に話したのは穂谷が初めての事だった訳だし。


「先輩。先輩と俺はでしょ? 雷園寺家の事で、時雨や弟妹達が大変だった時、先輩は俺の傍で色々と励ましてくれたじゃないか。なのに、それなのに先輩や先輩のお兄様が大変な時に何も言わないなんて……」


 、か――雪羽の放った単語に一抹のを感じ、源吾郎は思わず唇を噛んだ。

 断っておくが、雪羽が源吾郎の事を友達と見做しているのを疎んでいる訳ではない。源吾郎もまた、雪羽の事を友達だと思っている。

 問題なのは、雪羽の言う友達の意味合いが源吾郎のそれとは大幅に異なっている事だった。

 友達。雪羽はかつての自分の取り巻きたちとの関係性すら、その言葉で片づけてしまう節があるのだ。取り巻きたちが雪羽の友達であるとは源吾郎には思えなかったし、。源吾郎にとっての友達とは、かつての演劇部の仲間たちや学校で親しかったクラスメイトみたいな関係を示していた。それらと比較すると、雪羽と取り巻き連中との関係性は余りにも歪で不健全だった。

 もちろん雪羽が強い妖怪として君臨し、彼らを支配していたという節もあるだろう。しかしそれ以上に、雪羽は割を食っていたはずだ。力と地位と財力があるというだけで雪羽にすり寄り、良いように利用していただけではないか。嫌な言い方であるが、男も女も雪羽を密かに搾取していたのではないか。源吾郎はそのように思えてならなかったのだ。

 グラスタワーの件で、一緒にいた若妖怪たちが一切合切の非を雪羽に押し付けた。源吾郎が見たのはそれだけだった。しかし、雪羽の話を聞いているうちに、彼と取り巻きの関係性が段々とはっきりしてきた。

 妖怪娘に高級な鞄を自腹で買わされ、しかもその鞄はすぐに売りに出されたという。「病気の兄弟への治療費にしたの」と言ういじらしい主張に雪羽はほだされたそうだが。

 雷園寺家の子息で大妖怪であろうと挑発され、雪羽は玉ねぎやチョコレートを食べさせられた事もあるという。危険物を口にして平然としている雪羽を誉めそやしたと言うが、後で雪羽が体調を崩したのは言うまでもない。

 そんな連中ですら、雪羽は今でもオトモダチと呼んではばからなかった。源吾郎たちの前では「あいつらが俺の事を利用していたのは知っている」「俺だってあいつらへの情なんてないからさ」などと割り切ったふりをしているが、それが本心ではない事を源吾郎は知っていた。

 次期当主拉致事件には雪羽の取り巻きたちも数名関与していた。その事に雪羽がショックを受け、心を痛めている事も源吾郎は知っている。異母弟妹を殺す事に加担しようとしていた彼らに対してまで、雪羽は雷園寺家の子息として嘆願書をしたためてすらいたのだ。

――雷園寺。お前が俺の事を友達だと思っている事は嬉しいよ。だが、取り巻きたちの事さえも友達と呼ぶ事は認めない。あいつらはお前に寄生し、甘い汁を吸い、時にお前を笑いものにして搾取しただけじゃないか。

 源吾郎はだから、雪羽が友達と公言する度に苦い思いを抱いていた。友達とは思えないような連中を友達だと思って接していた雪羽の愚かしさがやるせなかった。それ以上に雪羽の心に付け込んであれこれと良い思いをしてきた取り巻き連中を忌々しく、腹立たしく思っていた。

 源吾郎があれこれと雪羽の身辺を慮るのは、それこそ雪羽が源吾郎にとっての友達だからなのかもしれないが。


「落ち着け雷園寺。俺も雷園寺君の事は友達だと思ってる。その事には変わりない」


 源吾郎は雪羽の瞳をしっかと見据え、静かに告げた。自分に言い聞かせているような感覚も抱いていた。雪羽の顔に僅かに安堵の色が浮かぶ。源吾郎は更に続けた。


「さっき言ったように、夕方萩尾丸先輩たちに相談するつもりなんだ。犯人は稲荷に仕える狐らしくて、同業者たちも捜査に乗り出しているみたいだからさ。雷園寺君、君も差し支えなければしれっと参加したら良いんじゃないかな」

「差支えなんてないさ!」


 源吾郎の言葉に、雪羽は元気よく応じた。その後ろを青松丸が通り過ぎ、振り返って微笑ましそうな視線を源吾郎たちに向けていた。


注意:本文中に動物がチョコレートや玉ねぎを食べる描写がございましたが、あくまでも作中の表現です。

 多くの動物にとって、チョコレート・玉ねぎは危険な物質であり、摂取すると生命に関わる恐れがあります。絶対に真似しないでください(筆者より)

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