つきまといたるは半妖の性
久方ぶりの戦闘訓練は、源吾郎と雪羽のタイマン勝負では無かった。萩尾丸が連れてきた部下の妖狐である穂谷と勝負するという形だったのだ。しかもその前に、受け身などと言った主だったフォームの練習をひととおり行うと言った塩梅である。
更に言えば、勝負と言っても普段の戦闘訓練とはルールは大分異なっていた。タイマン勝負というよりもスポーツ性の強い訓練だったのだ。体術のみで挑む事、敷地の外に押し出されたり足裏や尻尾の先以外が地面に触れた方が負けと言うルールが設けられていた。レスリングに似ている。源吾郎はルールを聞いてまず思った。
戦闘訓練がこのような形に落ち着いた背景には幾つかの理由があると、源吾郎は踏んでいた。訓練相手である穂谷は二尾であり、妖力面では源吾郎たちよりも格下だ。彼自身、雪羽や源吾郎に挑むには勇気がいると言っていた。だからこそ敢えてハンデを用意し、妖力の差が大きいながらも同等に闘えるように仕向けたのだろう。
さらに言えば、危険度がぐっと下がるこのスポーツ的な訓練は源吾郎としても有難い所だった。もちろん、最強の妖怪になるという野望は揺るがない。しかし雷園寺家の事件に直面してからというもの、闘いや血生臭い事から距離を置きたいと思っていたのだ。多くを語らないものの、雪羽も密かにそのように思っているらしかった。
「まぁその……島崎君にしろ雷園寺君にしろ血筋の良い強い妖怪でしょ。見ての通り、僕は二尾でそんなに強くないから、お手柔らかによろしく頼むよ」
訓練着姿の穂谷先輩は、源吾郎たちを見ながら穏やかな口調でそう言っていた。先輩と言いつつも、驕らず謙虚で停止性な物言いだった。文化部出身だった源吾郎は格闘技の類は身に付けてはいない。しかしレスリング的な物をやってみるという所で楽しそうだと思い始めてもいた。それは源吾郎の持つ野望故のものなのか、或いは単純に若妖怪ゆえに興奮しただけなのか、源吾郎自身には解らなかったが。
※
へたり込んだ源吾郎はまず呼吸を整え、それから穂谷先輩の方に視線を向けた。スポーツ的な訓練だから楽しく行えるなどとはとんでもない。この訓練もこの訓練で体術のみの真剣勝負みたいなものだった。晩秋の冷えた空気も何処へやら、源吾郎の全身は駆け巡る血で火照っていた。特に顔周りに熱が籠っている。
結局のところ、源吾郎は転がされてしまった訳なのだが。体術の方面だけで言えば、穂谷先輩は何枚も上手だったのだ。源吾郎のみならず、雪羽に対しても。
「お疲れ様。島崎君はちょっと受け身が苦手みたいだから、その辺の練習は重点的にやった方が良さそうだね。そっち方面も雷園寺君の方が手慣れている感じはしたけれど」
ホコリを払う源吾郎に対し、穂谷はそう言って微笑んだ。丁寧な物腰と穏和そうな風貌が特徴的な妖狐である。大人しそうな青年に変化している事も相まって、源吾郎はついつい楽勝だなどと思ってしまっていた。その結果がこの体たらくなのだけど。
穂谷が体術も心得ている事くらい、よくよく考えれば解る話でもあるのだが。
「今回は稽古づけて頂いてありがとうございます」
源吾郎はひとまず礼を述べた。自分の言葉が皮肉っぽく聞こえやしないだろうか。萩尾丸や彼の部下たちの視線がある中で、そんな事を思いもしていた。幸いな事に、源吾郎に特に注目する手合いはいなかった。訓練の折、穂谷は機敏な動きでもって源吾郎を転がしたり雪羽を押さえ込んだりしていた。しかしそれらの動きは、同僚である妖怪たちにはそう珍しい物ではなかったらしい。
「それにしても、穂谷先輩も中々容赦が無くて驚きました」
「そうかい。もし今回の訓練で凹んだのなら謝るよ」
謝る。そう言いつつも穂谷は笑みを浮かべていた。むしろ面白い物を見聞きしたと言わんばかりに笑みを深めているではないか。
「島崎君たちも若いし負けず嫌いだから、負けたり恥ずかしい思いをしたら悔しがったり凹んだりするって事は僕も知ってるよ。だけど、今回の訓練については上からの命令でもあるからね。致し方ない事だと思って受け入れて欲しいな」
「別に僕は凹んでも無いですし悔しくも無いですよ」
いくばくかの虚勢と本音を交えて源吾郎は言い返す。救出作戦の折に、穂谷が救出部隊の一員としてキビキビと働いていた所を源吾郎は既に思い出していた。犯人の言いがかりにうろたえる源吾郎とは異なり、時に相手を殴ったり押さえ込んだりしたうえで、彼は任務を遂行していたのだ。
その事を思えば彼はかなりの手練れなのだ。他の若妖怪たちの様子を見る限り、彼らのまとめ役のような立場にいるようだし。
凹んでないのなら良かったよ。穂谷は朗らかに笑っていた。毒気も含みも無い、爽やかな笑顔だった。
「島崎君。君の動きには重みがあるんだよ。その辺りを意識すればより有利に立ち回る事が出来ると僕は思ったんだ。
確かに僕ら妖怪は、妖術を使って対抗してくる事がほとんどさ。とはいえ体重差やそれに起因する物理的な破壊力も馬鹿には出来ないからね」
「待って下さいよ先輩。僕は別に肥ってませんってば。むしろ就職してから一、二キロは絞ったんですから」
源吾郎には重みがある。屈託のない穂谷の言葉に源吾郎は思わず言い返してしまった。小柄でありつつもずんぐりとした身体つきである為に、肥っているのではないかと思われる事がしばしばあったのだ。まぁ確かに中肉中背に近い体格ではあるが、その辺は源吾郎の密かなコンプレックスの一つではある。
もっとも、穂谷は源吾郎の体型について言及したのではない事は頭では解っているのだが。源吾郎は小柄ながらも人間の成人男性に相当する重量を持つ。一方穂谷や珠彦と言った若い妖狐たちの重量はホンドギツネと大差ない。ホンドギツネは大きな個体でも六、七キロ程度に過ぎず、人間との重量差は十倍近いものである。その事を踏まえれば、人間に近い肉体を持つ源吾郎は有利になるかもしれない。そのような事を穂谷は言いたかったのだろう。
「ごめんよ島崎君。君が人間らしい部分を持っているという事を気にしているっていうのをすっかり失念していたよ。僕はただ、雷園寺君と島崎君は対照的だなと思ったりしただけなんだ。雷園寺君は体術の心得もあるけれど、君みたいな重みは無いからさ」
源吾郎は無言で穂谷の言葉を聞き、それから雪羽を一瞥した。雪羽の攻撃に重みが無い。これもまた種族的な体格差を考えれば無理からぬ話であろう。実際問題、雪羽は物理的に軽いのだ。本来の姿が大型の猫程度の獣である雪羽の重量は五キロにも満たないのだから。雪羽自身は雷撃や優れた身体能力でおのれの軽さをカバーしてはいる。その辺りも、源吾郎とは対照的だった。
元より雪羽が源吾郎とは好対照な存在である事は解りきっていた。半妖と純血の妖怪と言う出自も真逆であるし、家庭環境や気質などもまるきり異なっているのだから。
それはさておき。穂谷は片手でおとがいをさすりながら今再び口を開いた。
「少し気になった事があるんだけどね。島崎君、訓練とはいえ今日はやけに力んでいたように思えたんだけど、何かあったのかな? もしかして、僕が玉藻御前の末裔を名乗っているから、それでちょっとライバル意識とか、闘志を燃やしちゃったのかな」
「違います。そんなんじゃないんです」
小首をかしげる穂谷を前に、源吾郎は首を振って即座に否定した。この度の戦闘訓練にて、穂谷を打ち負かそうと闘志を燃やしていた事は真実だ。しかし、その事と穂谷が玉藻御前の末裔を名乗っている事とは無関係だった。
「今度の土曜日に、兄から依頼を受けて妖怪退治をする事になったんですね。いや、妖怪退治じゃあなくて悪さをする妖怪を捕まえて懲らしめると言った方が良いですね。ともかく、画家を襲って傷つける妖怪がいるらしいんですが、どうやら下手人が妖狐らしくてですね、それで妖狐を取り押さえるにはどうすれば良いかなって思いながら、今回先輩に挑んでいたんです」
「妖怪退治かい。島崎君、それはまた大仕事だねぇ」
「あ、でも先輩。妖怪退治……じゃなくて悪い妖怪を取り締まると言いましても、別に人間側に寝返ったとか、妖怪の敵になるとかそんな訳じゃあありませんので」
目を丸くする穂谷を前に、源吾郎は慌てて言い足した。妖怪退治などと言う単語を口にしたおのれが半妖である事、端的に言えば悪い意味での人間性を具えているのだと思い知らされた。
おろおろと慌てふためく源吾郎とは対照的に、穂谷はしかし落ち着いた笑みを絶やさないでいた。
「そんなにうろたえなくて良いじゃないか、島崎君。この度悪さをする妖怪を取り締まる役割を担ったからと言って、君が妖怪たちと対立するわけじゃあないって事は解っているんだからね。それにそもそも画家であるお兄さんやその周辺の人たちを護るために立ち上がったんだから、そんなに後ろめたく思わなくても良いんだけどなぁ」
まぁとはいえ……穂谷は目を細め、ここに来て含みのある笑みを源吾郎に見せていた。
「島崎君もまだ若くて、ちょっと学生気分が抜けてないなって思ったかな。ふふふ、何のかんの言いつつも妖怪と人間が何となく共存して共闘する事もある事は君だってもう知ってるでしょ? それなのに妖怪退治だなんて漫画やアニメとかでしか使わない言葉を使っちゃうんだからさ」
それはまさしくその通りであるし、自分の発言もいささか軽率な物だった。穂谷の指摘を耳にした源吾郎は、ひとりつつましく反省していた。
「何と言いますか、ちょっと込み入った話になるんですね。ですが話だけでも聞いていただければ嬉しいんですが……」
込み入った話。その単語を耳にした穂谷の表情が引き締まる。
「込み入った話なら、僕よりもむしろボスとか紅藤様に相談なさった方が良いんじゃないかな。いや、萩尾丸さんを呼んでこようか?」
「あ、大丈夫だよ二人とも。僕はここにいるからさ」
噂をすれば影という言葉通り、いつの間にか萩尾丸が源吾郎たちのすぐ傍に姿を現していた。
今の時間帯は中途半端だから、話を聞くのは就業時間が終わってからでも大丈夫だろうか。そのように問いかけてきた萩尾丸に対し、源吾郎と穂谷は揃って頷いた。
一連のやり取りが終わる間際、源吾郎はふと視線を感じた。視線の先には雪羽がいたが、その時にはもうこちらを見ている訳でもなかった。
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