語られたるは知らざる秘密

 研究センター内の居住区。自室でもあるその一室にて、源吾郎はホップを鳥籠から出して遊ばせていた。諸事情によりいつもの放鳥タイムよりも若干早い時間帯ではあるが、幸いな事にホップは気にせず飛び回り、楽しそうに遊んでいる。

 その姿を見る源吾郎もまた、密かに安堵の息を漏らしていた。ホップを遊ばせる前に、実は庄三郎に連絡を入れていたのだ。今回源吾郎たちが話し合った結果の報告と、ギャラリーの方で術者や退魔師の類を雇い入れていないかの質問が主な会話の内容だった。

 予想通りと言うか、ギャラリーの方は――主催者にしろ作家たちにしろ――退魔師などと言った方面には連絡を取っていないらしい。岡本青年ははっきりと「狐のバケモノに襲われた」と言う証言を残しているというのに。

 人間たちは妖怪の事を信じない者たちの方が多いんだよ。あの会議にて萩尾丸がそう言っていたのを源吾郎はぼんやりと思い出した。もっとも、その代わりなのか、人間の警備員を雇い入れているらしいが。

 その一方で、源吾郎が動いてくれた事についてはいたく感謝している様子だった。雉鶏精一派が、源吾郎の所属する組織や上司たちも巻き込む形になるとは、源吾郎自身も思ってもみなかった事だったのだ。


『君も仕事で大変だろうに、僕らのために色々手配してくれてありがとう。でも、あんまり気負ったり無理しなくて良いからね』


 電話の終盤、笑い声交じりに庄三郎がそう言っていたのを思い出した。無理をしなくて良いとは弟を気遣っての事であろう。だが、萩尾丸にも似たような事を言われ、その事で少しだけ苦い思いをした。


『良いかい島崎君。現場に出向くにあたって無理は禁物だよ。君は出来る事だけに集中して、なすべき事をすれば良いんだ。庄三郎君を、お兄さんを護る事だけを考えればいい。他の人を助けられないと思ったら見捨てても構わないんだ。変に気持ちが揺らいで、護るべき相手を護れなかったら身も蓋も無いだろう?』


 ぎり、と歯を食いしばる源吾郎の手に小さな衝撃が走った。十姉妹のホップが手の上に着陸したのだ。さっきまで別荘である皿巣の上で遊んでいたと思っていたのに。


「どうした、ホップ」

「ピピッ」


 源吾郎の呼びかけに小首をかしげ、ホップは嘴の先で手の皮をつつこうと奮起している。ひところは源吾郎に怯えて寄り付かなかったホップであるが、いつの間にかその恐怖心も無くなったらしい。いつからホップの態度が元通りになったのか、源吾郎には思い出せなかった。戦闘訓練や雷園寺家の事件絡みのごたごたでそれどころでは無かったからだ。

 やがてホップは指先に嘴を向けた。源吾郎の指の皮をつつき、ほんの少しの薄皮を捕食する。それがホップのルーティーンであるらしかった。源吾郎の妖力で妖怪化した彼は、だからこそ源吾郎の妖力を摂取したがるのかもしれない。

 捕食と言えば恐ろしげであるが、実際には妖気のやり取りも源吾郎のダメージも微々たるものだった。ホップの保有する妖力は、それこそ雀の涙レベルでしかない。弱小妖怪に過ぎないのだ。口さがない者ならば雑魚妖怪と言い切ってしまうであろう。

 薄皮を捕食するホップの嘴がせわしなく動く。それを眺めながらも、源吾郎が思うのは妖狐襲撃事件の事だった。稲荷の眷属であるというその下手人も、実は元々は単なる狐だったらしい。のみならず、作品になってしまった彼の妻も。血を集めているというのも猟奇的な邪法と見做されているが、自身の妖力を高める方法とも解釈できる気もする。


「なぁホップ。ホップももうちょっと育って妖力が増えれば……俺や雷園寺や先輩たちみたいになるのかい?」

「プ……ピィ?」


 独り言めいた源吾郎の問いに、ホップは呼応するように啼いた。ホップは十姉妹の姿だし人語を発した事はまだない。それでも、話しかければ理解しているような言動を見せていた。


「やぁ島崎君。また戻って来たみたいだけど……時間とか大丈夫?」

「大丈夫ですよ萩尾丸先輩。僕も今は居住スペース住まいですし、帰ってからの用事なんて食事くらいなんですから」


 七時二十五分ごろ。一度自宅に戻っていた源吾郎は、今一度萩尾丸たちが居残る研究センターの事務所に舞い戻っていた。気になる事があれば一時間後にでも聞きにおいで。雷園寺君や他の妖がいたら言いづらい事とか話しづらい事もあるだろうから。解散間際に放たれた萩尾丸の言葉に、源吾郎は素直に従ったがための行為である。

 庄三郎が他の妖怪に狙われる恐れがある。その事を示唆するかのような萩尾丸の物言いが気にかかったのだ。庄三郎は人間として暮らす事を決めているし、何より源吾郎のような突出した妖力を持ち合わせている訳でもない。確かに魅了の力や相手を御する能力を持ってはいるが、それも人間にしか効力を発揮しないはずだし。


「それよりも、先輩たちの方は大丈夫でしょうか」


 萩尾丸とその周囲に視線を走らせながら源吾郎は問いかける。居合わせるのは萩尾丸と青松丸だった。紅藤の姿は見当たらない。きっと彼女は自室で休んでいるか、別室で機械や何かを弄っている最中なのかもしれない。

 大丈夫だよ。そう言った萩尾丸の顔は喜色で輝いていた。


妖選じんせんの方についても目途が付き始めているんだ。僕の職場ので、人間の術者と協力している化け狸君が相棒の術者と一緒に依頼を受けてくれそうでね。それに何より、第七幹部の双睛鳥そうせいちょう君も力を貸して下さるそうだ」

「双睛鳥様、ですか……」


 双睛鳥。名を聞いた源吾郎は彼の妖相やどんな妖怪だったかをさっと思い返して思い浮かべた。双睛鳥の名は大陸に棲むという伝説の鶏の名にちなんだものだ。だが、彼自身は大陸系統の妖怪ではなく、むしろ欧州の妖魔であるというう。確かコカトリスの一種だったはずだ。


「大丈夫なんですか。確か双睛鳥様ってコカトリスの一種だったと思うんですが」


 問いかける源吾郎の声は僅かに上ずっていた。バジリスクやコカトリスの持つ性質を源吾郎は知っているのは言うまでもない。彼らは毒性を持つ妖魔なのだが、特に目に宿る邪眼が特徴的だったはずだ。彼らと目を合わせたもの、視線を向けられたものは石化するか毒気にやられて死ぬ。コカトリスと言うのはそう言う妖魔だったはずである。

 その辺については大丈夫だよ。萩尾丸の声は落ち着き払ったものであり、源吾郎をなだめる様な気配さえ伴っていた。


「確かに彼の眼にも邪眼の名残は残っているよ。とはいえご先祖様みたいに、視線だけで敵を殺すような毒気はもはや持ち合わせていないんだ。あの子の持つ眼の能力は……むしろ催眠や暗示の類に近いかな。相手の見た者や認識を書き換える様な力だから、ご先祖様のそれよりも弱体化しているとも言えるでしょ。

 それにそもそも、普段はその眼の力が無差別に発揮されないように眼鏡をかけてくれている訳だし。あの手の能力は、ガラス越しになるだけで威力を失うからね」


 双睛鳥が比較的(?)無害なコカトリスであるという話を、源吾郎は不思議に思いながら耳を傾けていた。ガラスや水晶が邪眼を無効化するという伝承は源吾郎も知っている。しかし、コカトリスに毒気の能力が無い個体がいるとは初耳だ。

 もちろん双睛鳥の能力もある種のマインドコントロールであり、恐ろしい能力である事には変わりはない。しかし本家本元である即死の邪眼と較べれば、いささかダウングレードの気配も否めない。


「元よりコカトリスや、その先祖であるバジリスクは変異が起きやすい種族なんだよ。弱点を克服し、生存のためにより良い姿や能力を得ようと進化している……双睛鳥君やあの子の一族の能力もその一つさ」

「それでも能力と言いますか、毒気は弱まっているんですよね? その方が都合が良いんですか?」


 不思議そうに問いかける源吾郎に対し、萩尾丸はその通りだと即答した。はっきりとその顔に笑みを浮かべながら。


「元々の能力だったら危険視されて討伐される可能性があるんだ。だが、邪眼が致死性の物では無くて尚且つ比較的簡単に対処できるとなれば、それだけでも討伐されるリスクが下がるんだ。まぁ、それはそれでいいように利用される可能性も生まれるんだけど。

 まぁ、そんな感じで双睛鳥君が参加してくれることになったから安心したまえ。いざという時は、彼が人間たちの認識をあやふやにしてくれるから。他の鳥類組は胡張安殿の件を調査するので忙しかったり、ちょっと僕では声をかけづらかったりしていたんだけどね」

「鳥類組って……それって幹部の方の大半が当てはまると思うんですけど」

「大半言うて鳥類が五名で哺乳類が三名でしょ。大体半々だし、鳥類組とか言っても問題ないと思ったんだけどね」


 ここで黙って話を聞いていた青松丸が疑問を口にし、萩尾丸がその質問を捌いていた。この二人は年齢も近くやはり兄弟分と言える間柄らしい。但し源吾郎と雪羽のような関係とは異なり、どちらが兄貴分でどちらが弟分であるかは明白なのだが。

 そんな事を思っていると、青松丸が源吾郎に視線を向けた。


「島崎君。確か島崎君は質問があったんだよね。良ければ僕たちに教えてくれるかな」

「はい」


 青松丸の問いに源吾郎は頷いた。兄弟子たちに視線を走らせつつ、臆せず自分の疑問を口にする。


「みんなで打ち合わせをしていた際に、萩尾丸先輩から『末の兄は他の妖怪に狙われる可能性がある』と暗に言われた気がするんです。話の文脈からそう思っただけなので、僕の思い違いかもしれませんが」

「思い違いも何も、僕はそのつもりで島崎君にそう言ったんだよ」


 萩尾丸はあっさりと、源吾郎の疑問に応じた。むしろ彼の方がやや不思議そうな様子でさえある。


「庄三郎君は君の実の兄でしょ? であれば半妖だし、玉藻御前の末裔である事には変わりない。それに上の兄姉たちと違って妖狐としての能力も持ち合わせているからね。そこが何か気になるのかな?」


 確かにその通りですけど……呟きながら、源吾郎は言葉を練った。


「兄が狙われるかもしれない、と言うのが不思議でならないんです。仰る通り魅了の力とかその手の異能は兄も持ち合わせています。しかし、あの能力は人間にしか効果を発揮しないので、妖怪たちにとってはそれほど有用であるとは思えませんが」

「それはあくまでも、庄三郎君が望んだからその程度になっているだけさ」


 兄が望んだから……? 禅問答めいた言葉に源吾郎は首をひねる。その間にも萩尾丸の解説は続く。


「良いかい島崎君。庄三郎君とて妖怪化できるポテンシャルはあったんだよ。彼自身がそれを望まなかったから、誰かに強要されなかったからこそ、彼は今普通の画家として暮らせているだけに過ぎないんだよ。

 能力が能力だから、場合によっては君以上のバケモノに育っていた未来だってありうるんだよ」

「それは末の兄が妖怪として生きる道を選んだ場合の話ですね。ですがもうその道を選ぶ事は無いと思うんです」

「いやはや、庄三郎君の年齢を考えればそうとも言い切れまい」


 上の兄姉たちと違ってね。萩尾丸は丁寧にそんな事さえ言い添えた。


「君が今十八だから、あの子は二十五、六だったと思うんだ。島崎君。人間社会では二十で成人だと見做されているけれど、大学とか大卒の新社会人の事を思えばさ、完全に大人になるまでにはもう少し歳月を要すると思わないかい?

 ましてや君も庄三郎君も半妖で、誤魔化しているとはいえ人間よりも歳の取り方が遅いんだからさ」


 つまりはまだ若者や子供なんだよ。庄三郎君も君もね。言外に萩尾丸がそう言っているように源吾郎には思えてならなかった。完全に大人になった上の兄姉ら三人と異なり、庄三郎は未だ若者の域に留まっている。外部からの影響で生き方を変える可能性はまだあると、萩尾丸は告げた。

 島崎君。改めて呼びかけられた源吾郎は思わず居住まいを正した。


「君は高校時代から雉鶏精一派に興味を持っていて、それで高校を卒業して晴れてここに就職したよね。紅藤様の盟約の事があるからいずれはこうなると思っていたんだけど、僕としては高校卒業のタイミングはマズいと思ったんだよね。

 紅藤様の許に弟子入りして、と言うより妖怪としての道を十八で選ぶのは――とね」

「早すぎるですって! そんな、僕は……」


 齢十八で妖怪の世界に飛び込んだのはのではないか。源吾郎の脳裏には常にそのような考えが憑きまとっていた。だが家庭環境を思えば致し方ない話でもある。両親や兄姉に構われて……言い方は悪いが監視されつつ育ったのだから。末息子に甘い父はさておき、母や兄姉らは源吾郎が人間として暮らしているか、変に妖怪としての暮らしに興味を持たないか、常に目を光らせている節があった。

 もちろんそれが未熟な源吾郎を護るためだという事は解っていた。だからこそ早く大きくなって独立したいとも思っていたのだが。

 慾を言えば、もっと早い段階で紅藤の許に弟子入りしたかったし、妖怪としての生き方を学びたかった。現時点でも源吾郎は強いが、それでも純血の妖怪たちに後れを取る部分もあるし。


「言ったでしょ。半妖は人間よりも歳を取るのが遅いってね。ましてや君は特に玉藻御前の血が濃いんだ。大学を出て人間社会で勤め人生活を体験してアラサー位になっていたとしても問題は無いはず。むしろ半妖だし精神的にも社会的にも大人になってるから好都合だと思ったんだけどね。

 僕としてはかなと思ってたんだ。少なくとも大学を出たくらいが許容範囲ともね。ほら、理系で大卒だったら研究職に就いても何も不自然じゃないでしょ?」


 萩尾丸の言葉に、源吾郎は僅かに首を動かしただけだった。三十手前だの大卒だのと言われても、まだ二十代ですらない源吾郎にはピンとこなかったのである。


「まぁ、若いうちに島崎君を雇い入れたのも致し方ない話ですよ。母様の話だと、島崎君も欲求不満みたいなものを抱えてたみたいですし。高校生だったし、思春期でちょっと昂っていたのもあるんでしょうね。

 それに島崎君のご両親も、高校卒業後なら構わないと仰ってましたから」

「それも一理あるけどねぇ……」


 青松丸の出した助け舟に、渋々ながらも萩尾丸が乗っかっている。源吾郎はここぞとばかりに口を開いた。


「萩尾丸先輩。僕を雇い入れるのが早かったなんてイケズな事は言わないで下さいよ。そもそも、早かったからと言って悪い事があるとは――」

「早ければ良いのなら、親兄姉や親族たちから無理やり引き離されても構わなかった。そういう事かな?」


 萩尾丸の言葉に源吾郎は目を丸くした。彼は源吾郎の言葉を遮った上に、いつになくきつい語調で問いかけてきたからだ。


「ふふふ。そりゃあもちろん僕とてやろうと思えばそれ位の事は出来るよ。何となれば、禍根を残さないように君らの親族を皆殺しにして、その上で子供だった君を紅藤様に献上する事くらいは容易い事さ」

「萩尾丸さん! 島崎君には刺激が強すぎますよ」


 親族を皆殺し。それが自分には出来る。萩尾丸の過激な発言に、思わず青松丸が横槍を入れる。しかし源吾郎は思案しながら話の続きを待っていた。あくまでも源吾郎の言動が、この言葉を引き出しただけに過ぎないと知っていたからだ。


「だけど――それじゃあって事は僕らも知っていたからね。

 雷園寺君がいるだろう? あの子は諸般の事情で叔父の三國君が面倒を見ているね。あの子が情緒不安定で、精神的に若干脆い部分がある事は君も知ってるでしょ?」

「ですが萩尾丸先輩」


 雪羽のいない所で話を進めたのはこのためだったのか。萩尾丸をねめ上げながら、源吾郎は思った。


「雷園寺君は叔父である三國さんや保護者達に可愛がられて育ってますよ」

「そうだとも。それでも、色々あるって事なんだ。むしろ雷園寺君の場合は保護者が愛情を注いでいるからで済んでいるとも言えるかな」


 幼いうちに引き離して育てたとしても、都合のいい手駒が育つだけでしかない。萩尾丸は淡々と言い放った。精神面情緒面での成長は歪になるし、社会妖しゃかいじんとして使い物になる代物とは言い難い、と。


「確かに僕は妖材じんざいの育成を仕事にしているけれど、使い潰すしか使い道のない手駒を作るなんて事はやってないからねぇ。ましてや君は玉藻御前の末裔で、それだけで相当な価値があるんだ。それを、駒にするだけなんて使い方はやりたくないんだよ。ましてや、紅藤様は自分の後釜に据えようと思っているみたいだからね。そうなれば一層、精神的な部分は重要になる。

 もちろん、両親の許で育つのが必ずしも最適という訳でもない。だけど島崎君の所はご両親もしっかりしていたからね。きちんと育つだろうと思っていたんだよ」


 果たして十八で妖怪の世界に飛び込んだのが早すぎたのかどうか。源吾郎には今の所よく解らない。しかし、遅すぎる事は無かったのだと思っていた。

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