揃いし役者に思わぬ珍客
秋の日は釣瓶落としと言うのだが、平日の勤務時間はあっという間に過ぎていった。ついさっきギャラリー襲撃事件の件で萩尾丸たちに相談を持ち掛けたと思っていたのだが、いつの間にか金曜の晩になっていたのだ。
時間が経つのは早いのう。オッサンみたいな事を思わずにはいられなかった。
「いよいよ明日ですよね、島崎先輩」
帰り支度を進める源吾郎の真横から声がかかる。雪羽が話しかけてきたのだ。彼もデスク周りを片づけて帰り支度をしているのだが、その両目は源吾郎の方に向けられている。ついでに上機嫌らしく、伸びあがった三尾は小刻みに揺れていた。
雪羽もこの度の襲撃事件を阻止するべく、人間の退魔師に扮して現場に紛れ込む運びになっていた。この仕事について、雪羽はいつになく前向きに取り組もうと思っているらしい。若干浮かれているようにも思えたが。だがそれは純血の妖怪と人間の血が濃い半妖と言う違いではなく、雪羽と源吾郎の個性の違いではないかと思っている。
元より雪羽はヤンチャな気質の強い少年であり、バトルジャンキーではないかと思われる所があるからだ。負けず嫌いと言いつつも荒事や本物の闘争を前に尻込みしてしまう源吾郎とは決定的に違う所だ。
「何というか、雷園寺君は明日を心待ちにしているみたいだね。休憩時間も邪法とかについて俺にご教授してくれたしさ」
ついつい皮肉っぽい口調になってしまい、源吾郎はしまったと思った。演じるのが好きな源吾郎であるが、皮肉で相手を当てこするのは好きではない。それに相手は雪羽である。感情の起伏はかなり大きな性質だから、ここで揉めるとややこしい。
とはいえ、雪羽に聞かされた邪法云々の話に辟易していたのも事実である。源吾郎自身、怖い話とか血肉舞うようなおどろおどろしい話は苦手なのだ。雪羽はその手の話をむしろ愛好している素振りもある。最近は孤独な少年が召喚した邪神を姉に見立て、広い屋敷で暮らすという漫画にハマっているらしい。源吾郎の倍以上の歳月を生きている雪羽だから、好みの漫画や読んだ本の数が幅広いだけなのかもしれない。しかし、雪羽が怖い話や不気味な話も好むというのは違和感があるというか意外だと思ってもいた。ヤンチャで粗暴なバトルジャンキーと言うイメージが強いからなのかもしれない。
「心待ちって言うのが気に障ったなら謝るよ」
幸いな事に、雪羽は腹を立てたりしなかった。むしろしおらしい態度で源吾郎にそう言う程だ。
「ええと、心待ちって言うのは、先輩のお兄さんにも会えるから嬉しいって思ってただけなんだ。しかももしかしたら、お兄さんや先輩の困りごとに対して、俺が何か出来るかもしれないって思ってさ」
庄三郎に会えるから嬉しい。いかにも素直で子供っぽい意見だと源吾郎は思い、そして苦笑した。雪羽の言葉が幼稚だと思った訳ではない。兄の庄三郎には、会う事を有難がるほどの存在だろうか。そんな事を源吾郎は思っていただけである。もっとも、庄三郎が怠惰でマイペースな若者に見えるのは源吾郎が弟と言う立場だからであり、他の面々には違った風に見えるのかもしれない。
「まぁ、厳密には雷園寺君は退魔師に扮してやって来てくれるわけだから、俺の知り合いの退魔師って事になる訳だけどね。それはさておき雷園寺君。今回の事件に協力するのは君にとって辛い事じゃないのかい? 俺はそこが心配なんだけど」
「辛いって、何が?」
無邪気な様子で質問を返され、源吾郎はちょっとだけたじろいだ。それでも意を決し、おのれの意見を口にする。
「下手人の事だよ。やっている事は悪事に違いないけれど、境遇としては雷園寺君と同じ、いや近い物があるだろう? 大切な、愛する
源吾郎は言葉を濁らせた。この事件について、いの一番に雪羽に相談しなかったのはこのためだったのだと密かに思っていた。
雪羽が身内を大事に思っている事、身内を蔑ろにする態度に激する事は源吾郎も十二分に知っている。だからこそ、今回の事件に立ち会うのは辛いのではないかと源吾郎は思っていた。悪事に対する義憤と、愛する者を喪ったという下手人の悲哀。この二つの出来事を前に雪羽は板挟みになるのではないか、と。雪羽は幾分繊細だし、見た目通り子供なのだから。
言われてみればそうだね。数秒ほどしてから雪羽が応じる。その口調には浮かれた気配はなく、いっそ冷徹な響きを伴っていた。雪羽の笑みもまた、口調と共に変質している事に源吾郎は気付いた。
「下手人の狐の事も気の毒だとは思ってるよ。かみさんがいなくなったのはそりゃあ辛い事だろうさ。だけど――だからと言って身勝手な事をする免罪符にして良いって訳じゃない。少なくとも俺はそう思う。だからこそ向き合うんだよ。この事件にね」
「強いな、雷園寺……」
雪羽の返答を聞いた源吾郎は、自分が全くもって見当違いな心配をしていたのだと悟った。自分の考えの浅さにちょっと恥じ入ってもいた。もしかしたら本心を隠すために、敢えて浮かれた態度を見せていたのではないか。そんな推論まで浮かぶ始末だった。
そう思っていると、雪羽は急に相好を崩し、明るく笑って言い添えた。
「あ、でもこれは萩尾丸さんとかには言わないでくださいね。子供なのに調子に乗っているとかってあの
「萩尾丸先輩もそんな事は言わないだろうに」
※
土曜日。源吾郎が会場に到着したのは九時ごろの事だった。オープン自体は十時からなのだが、島崎庄三郎の弟と言う事ですんなりと通る事が出来た。スタッフとは違うものの、画家の関係者と見做されたのだろう。
入場許可が下りると、源吾郎はすぐに兄の許に近付いた。それこそが今回の任務(?)なのだから。
庄三郎は案の定、控室の隅の方で待機していた。なるべく目立たないようにと画策しているようだ。周囲には関係者やパトロンなどが贈呈した花束や鉢植えが既に置かれており、兄の目論見はとうに潰えているようでもあるが。
それでも、弟の姿を見つけると笑顔で出迎えてくれた。
「おはよう源吾郎。忙しいだろうにありがとうね。遠方だし大変だったんじゃないの?」
「兄上、言うて電車に揺られてきただけだから大丈夫だよ。まぁ……まとまった貯金が出来れば車を買わないとって思ってるけどね」
言いながら、源吾郎は周囲の気配を読み取り始めた。源吾郎とて曲がりなりにも妖怪の血を継いでいる。妖怪がいるかどうかを感知するくらいの事はごく普通に出来た。むしろ、妖気の感知は他の若妖怪に較べて得意な方でもあるらしい。半妖ではあるものの、保有する妖気が多いからなのかもしれない。
ぽつぽつと妖気らしいものは感じ取れた。だがこれは特におかしな事ではない。普通に人間たちが集まっていると思われる所でも、妖怪が一定数紛れ込んでいる事があるからだ。感知したのは見知らぬ妖気だった。事件とは無関係にギャラリーに紛れ込んでいるか、或いは稲荷の眷属なのかもしれない。
妖気の探知を打ち切った源吾郎は、兄の方に向き直った。
「そうそう。今回は知り合いの退魔師の子にも声をかけているんだ。兄上の護衛としてね。まだ来てないみたいだけど、十時ごろにこっちに来るんじゃないかな。来たら後で紹介するよ」
「源吾郎、君って退魔師の子と知り合いになってたんだ」
知り合いの退魔師が来る。源吾郎のその言葉に庄三郎は素直に驚きを見せていた。
「源吾郎って半妖だけど妖怪っぽさが強いしご先祖様がご先祖様だからさ、退魔師って言うのは天敵かなと思ってたんだけど……と言うか雷園寺君じゃないんだね」
兄上も雷園寺君に会いたかったのか。そう思いつつ源吾郎は言葉を濁すだけにした。雪羽は何を思っているのか、退魔師に扮した姿と言うのを源吾郎に伝えていなかった。とはいえ合流した時にそれとなく合図を送ると言っていたのでまぁ問題は無いのだが。
ともあれ雪羽の姿を見てから考える事にしよう。源吾郎はそのように割り切っていた。元より雪羽も人間たちを刺激せぬように変化すると言っているのだから。
「島崎庄三郎さんですよね! 初めまして~僕は退魔師の梅園幸夫と申します。今回は、島崎源吾郎君の依頼で来ました~」
退魔師の梅園幸夫なる人物、もとい
だが――一瞥しただけで源吾郎は中の人が誰であるか判ったのだが。
宮司や神官めいたコスプレ的衣装は普段着と明らかに違うし、暗い灰褐色の髪や眼鏡の奥にある黒っぽい瞳も雪羽の本来のそれとは違う。ついでに言えばやや大人っぽい姿になっており、源吾郎と同年代ほどに見えた。しかし、変化して違う所はそれくらいなのだ。それ以外は、顔つきも体格も普段とほとんど変わらないのだ。
おいおい雷園寺。お前それで変化とか言っちゃうんかよオイ……変化にこだわりを持つ源吾郎はちょっと問い詰めたくなってしまったが、とりあえず庄三郎との挨拶や名刺交換が終わるのを待った。
「兄上。ちょっと梅園君と話したい事があるんで」
それらが終わってから、源吾郎は梅園幸夫の手首を掴み、人気のいない所に彼を引っ張っていった。奇しくもその光景は、かつて自分と雪羽が初めて出会った時の光景に似ていた。
「ちょっと、どうしたんですか先輩。怖い顔なんかしちゃってさ」
廊下のちょっと窪んだ所に辿り着くや否や、雪羽は質問を投げかけた。不思議そうに小首をかしげながら。源吾郎は周囲に認識阻害の術をかけた上で言い放つ。
「変化って言うからもっと別人っぽくなってるのかと期待したけどさ……まんまやんけ!」
「まんまとは手厳しいっすね先輩。でも見てくださいよ。ちゃんと大人っぽい姿にしてますし、髪色とか目の色だって調整してるんですから……」
それ位の事は仔狐だってできるんだけどなぁ……源吾郎はそう思ったものの、更にツッコミを入れるべきかどうか悩んでいた。あんまりこんな所でエネルギーを消耗している場合でもないからだ。それに雪羽も変化が得意では無い事は知っている。今回も服とか眼鏡とかに込めた術式で姿を変えているようだし。
「ま、先輩みたいに変態的な技術が無くても、ちょこっと調整したくらいでも同一妖物じゃないって見做される事ってあると思うんです。昔やってたアニメでもそんなこと言ってましたし」
「……そういう事にしておこうか。多分、兄上も君の姿を見て大体察しがついていると思うけど」
それじゃあ兄上の許に戻るか。源吾郎はそう思って術を解き、庄三郎の許に戻った。絵の紹介や案内を他のギャラリーのメンバーに任せ、庄三郎はちゃっかり展示ブースの奥に隠れるように佇んでいた。隠れるようにと言っても、ちょうど彼の作品の傍に位置する所であるから、その気になれば案内役もできるだろう。
見知らぬ中年男性が兄の作品を凝視している。ただそれだけのことだったのだが、源吾郎にはその姿が嫌にくっきりと見えていた。
「ごめん兄上。梅園君が緊急避難路を教えて欲しいって言うから、それでちょっと案内してたんだ」
話でっち上げたなこいつ。梅園幸夫のじっとりとした視線を受けた気がしたが、源吾郎は気にせず兄に告げる。そうだったんだ。兄がそう言った時、作品を見ていたはずの中年男がこちらを向いた。
彼は庄三郎や源吾郎に舐める様な視線を寄越し、それから歯が見えるほどに笑った。妙に狐めいた笑みだった。
「庄三郎! お前は俺への依頼を蹴ったみたいだが、それで今度は弟の源吾郎に頼ったんだな。ははは、可愛くて生意気な甥っ子共よ。まさかそれでもこの俺がここにやって来るとは思ってなかったんだな」
この人は苅藻の叔父上じゃないか。馴れ馴れしく、名指しで庄三郎に声をかける男の姿を見て、源吾郎は即座に悟った。しかもご丁寧に、会話が漏れぬように認識阻害の術を周囲にかけているし。
気付けば苅藻の姿は、見知らぬ中年男ではなく、見知った叔父の姿に戻っていた。庄三郎の驚きよう、怯えようと来たらそれはもう気の毒なほどだ。
だからこそ、源吾郎はさり気なく彼の隣に控えたのだ。苅藻が源吾郎たちを害する事は無いと思いたい。しかし敢えて姿を現した叔父の意図までは定かではないからだ。
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