不穏なりしは見えざる守護者

「苅藻叔父さん……どうして……」


 苅藻の作った簡易結界の中で、庄三郎は小さな声で呟いた。相変わらず兄は驚き、そして怯えている。そもそも彼は兄姉らの中でも妖怪を怖れる傾向が強かった。それは親族である叔父たちも例外ではなかった。もっとも、今回彼が怯えているのはもっと別の理由によるものだろうけど。


「そういう事だろうと思っていたけどな、庄三郎」


 震えて源吾郎にくっつきそうな勢いの庄三郎を見つめながら、苅藻はにやりと笑った。そこそこ整った面立ちである為か、中々に凄味のある笑顔である。


「お前の事だ、大方俺の提示した金額を支払うのを渋って、それで弟の源吾郎に泣きついたんだろう。源吾郎なら親族たちの中でも妖怪絡みのトラブルに対応できそうだし、何より弟だから報酬を渋っても問題ないもんなぁ。そうだろ庄三郎? 我が甥よ」

「一体何がしたいんですか、苅藻の叔父上」


 嘲弄的な叔父の言葉に応じたのは、庄三郎では無くて源吾郎だった。兄の怯えようを見ているうちに、叔父の言葉に耳を傾けるうちに黙っていられなくなったのだ。


「この会場に来るだけならまだしも、妙にでしゃばって兄上を怖がらせるなんて、一体どういうつもりなんだよ。大人げないじゃないか!」

「ちょっと落ち着いてくださいよ先輩」


 源吾郎の啖呵に横槍を入れたのは何と梅園幸夫もとい雪羽だった。源吾郎に腕を伸ばす彼は、当惑したような表情を浮かべていた。


「親しき仲にも礼儀ありって昔から言うじゃないですか。それに俺は、先輩たちと叔父上殿が喧嘩するのを見に来た訳じゃあないんですから」

「…………」


 雪羽の説得に、源吾郎は毒気を抜かれぼんやりとしてしまった。それでも気にせずに、雪羽は言葉を続けた。いや、苅藻に対して様子をうかがうような一瞥を投げかけてはいたが。


「先輩。苅藻さんは先輩たちをからかったり、怖がらせたりするためにやって来たんじゃないんですよ。先輩たちの事が心配で、それでわざわざ様子を見に来てくださった。そういう事だと俺は思ってるんですから!」


 ほうっ、と源吾郎の口から息が漏れる。苅藻の行動の真意はさておき、雪羽の言い分は十分に理解できるものだったからだ。叔父や兄と言った年長の親族は、弟妹や甥姪といった年少の親族を可愛がるべきだ。そうした考えに雪羽が囚われている事を源吾郎は十二分に知っていた。彼自身も叔父である三國に可愛がられて育ったわけだし、兄として弟妹達を、実弟実妹のみならず異母弟妹さえをも可愛がろうと意気込んでいたのだから。

 親族の間には愛情と絆があるべき。この考えは雪羽の理想であり、願望そのものであった。その事をつい自分以外の相手に押し付けようとする節があるが、それもまた致し方ない事だと源吾郎は半ば受け入れていた。物事をドライに割り切るには雪羽は幼すぎるし、何よりその願望の切実さを知っているのだから。

 さて苅藻はと言うと、ニヤニヤ笑いを浮かべながら三人の若者たちをしばし眺め、短い笑い声を上げた。苅藻の挙動に鋭く反応したのは雪羽だった。


「すみません苅藻さん。勝手に苅藻さんのお考えを推測して、口にしてしまって……でも、苅藻さんも心配に思っておいでならその事を島崎さんたちに素直にお伝えしたほうが良いと思ったんです。やっぱり、子供は大人の言葉にすぐに戸惑っちゃいますし、何でそんな事を言ったんだろうって後悔なさるかもしれませんから……」

「はははっ。君の言葉も一理あるね、雷園寺雪羽君」


 退魔師・梅園幸夫に扮した雪羽の正体は、やはり苅藻には看破されていたらしい。敢えてフルネームで呼びかけたのはそのためであろうか。


「久しぶりだね雷園寺君。元気いっぱいのヤンチャ坊主かと思っていたけれど、中々どうして立派な事を言うようになったじゃないか。ふふふ、君も今や正式な雷園寺家の跡取り候補だもんね。大妖怪の子息らしい風格が出始めたんじゃあないかな」

「そんな……」


 苅藻のリップサービスめいた言葉に、雪羽は当惑して顔を赤らめてさえいた。ヤンチャだった頃は大妖怪の血を引いている事や雷園寺家の次期当主である事に笠を着て、誇らしげに吹聴さえしていた雪羽である。しかし雷園寺家の跡取り候補になってからは、そうした吹聴癖はなりを潜めていた。不思議な事ではあるが、それもまた彼の心境の変化によるものなのだろう。

 さて雪羽はと言うと、素直に自分が雷園寺雪羽である事を告げ、ついで訳あって別人に扮しているだけだと苅藻に説明した。

 それらの説明が終わると、ねめ上げる様な視線を向けながら苅藻に問いかけた。


「苅藻さん。庄三郎さんや島崎先輩のために本当の事を仰って下さい。本当はお二人の事が心配なんですよね? 苅藻さんは他ならぬ、お二人の叔父なんですから」


 自分の考えを押し付けたくて仕方が無いはずの雪羽の言葉は、しかし穏やかで丁寧な物だった。苅藻に多少遠慮しているのだと、源吾郎はややあってから気付いた。源吾郎にとって、苅藻は兄のように気軽に接する事が出来る存在である。だが雪羽にしてみれば、保護者たる三國すら気兼ねするような妖物なのだ。叔父貴が偉いと認めているからこのひとは偉い。雪羽の脳内にはそんな図式があるらしかった。


「ふふっ。本当にごめんね雷園寺君。君みたいな素直で良い子をここまで混乱させてしまって」


 柔らかく笑う苅藻の言葉と表情は、柔らかな慈愛に満ち満ちたものだった。その優しさや慈しみは実の甥ではなく雪羽に向けられたものであるのは言うまでもない。両親や親戚の年長者が、身内よりも身内の友達にばかり優しいというのは妖怪社会でも見られる光景なのだろう。


「だけど雷園寺君。気になる事はあると言えども実際にはそんなに心配してもいないんだよ。。さっき甥たちに言ったように、庄三郎が俺の依頼を蹴った時点で、源吾郎に助けを求めるだろう事は解っていたからね。

 そして源吾郎の事だ。この件に関しては既に上にも……師範である紅藤様とか萩尾丸さんにも相談して、力添えなりなんなりをしてもらってるんだろうしさ」

「……案件が案件なので、萩尾丸先輩は表立って動くのは難しいって言ってたけどね」


 源吾郎が思わず言うと、得心が行ったと言わんばかりに苅藻は笑った。


「確かに今回は稲荷の眷属が起こした不祥事だから、玉藻御前の側にいる雉鶏精一派は公式に動くのは難しいだろうね。雉鶏精一派も雉鶏精一派で、反体制・反秩序の過激派組織だと思われていた時期もあった訳だし。峰白様や萩尾丸さんはそれを払拭し、健全な妖怪組織だと認められるように尽力なすっている訳だけど」


 とはいえ、それでも妖狐の下手人を捕縛するには問題は無いのだ。苅藻はきっぱりとそう言った。元より稲荷の眷属たちも包囲網を作っているし、彼ら自身も術者たちとも連携を取っている。包囲自体は初めから出来ているのだ。

 雉鶏精一派は派手に動く事は出来ないが、それでも部下からの依頼を受け入れた手前、何もしない訳ではあるまい。現に、萩尾丸は第七幹部の双睛鳥に協力を要請し、萩尾丸が面倒を見ていた妖怪に声をかけていると言っていたではないか。


「だからね、特段俺が手を貸さなくとも何ら問題ないという訳だ。それどころか、源吾郎も雷園寺君も、出る幕は無いかもね。君らの上司も多分その事は承知なさっているはずだ。その上で、プロの仕事を見て学んで欲しいって思ってるんじゃないかな。

 まぁ俺も、今回は庄三郎の絵を買いに来たわけだしな。それだけじゃあ勿体ないから、もちろん他の画家の絵も見てぶらつくつもりなんだけど」

「え、買ってくれるの……!」


 庄三郎が驚いて目を丸くしている。苅藻が庄三郎の絵を買うためにここに来た。その事は源吾郎にも予想外の事だった。雪羽とてそうだろう。


「そんなにいろいろ買う訳じゃあない。だが庄三郎も大変そうだしその足しになれば良いかと思ってな。ははは」


 苅藻はしばし明るく鷹揚な笑顔を見せていたが、ややあってから真顔に戻った。源吾郎も雪羽も、その表情を見て緊張してしまった。


「それに実を言えば、気がかりな事があってな」

「気がかりな事ですか? 今さっきと……」


 苅藻との問答を終えた源吾郎は、文字通り狐につままれたような気分になった。だが、さっきから苅藻がやけに狐狩りと言う単語を連呼していたのを思い出す。妖狐が妖狐に語って聞かせる単語では無いだろうと思っていたのだが、まさかそんな意味合いがあったとは。

 きっかけになった造形作家、そいつの周辺に気を付けた方が良い。何かを窺うような声音で苅藻はそのように断言した。


「下手人は確かに人間を憎んでいるという事だが、それなら無差別に画家を襲うんじゃあなくて、初めから妻の遺骸を持つ造形作家だけを狙えば良いだけの話だ。或いは……問題の作品を買い取って供養すればそれで話は終わるはずだ。

 いくら怒りと憎しみで我を忘れていると言えども、下手人とてその事は解っていたはずだ。やらなかったのではなくてのではないか。俺はそんな風に思ってもいるんだ。造形作家自身が何がしかの力を持っているか、何がしかの力を持つ者が、造形作家に憑いているかのどちらかだろう」

「それって、所謂守護天使とか守護霊みたいなものでしょうか」


 凶行に及んだ妖狐すら手出しできないナニカが憑いている。その言葉に反応したのは雪羽だった。守護天使と言う言葉は何とも可愛らしくて子供っぽい響きを伴っている。


「そんな上等な物じゃないさ。敵の敵は味方だなんて法則は、論理学の世界にしかないんだぜ? 何かはまだ解らんが、そいつの方が下手人よりもはるかに禍々しく厄介なはずだ。三人ともゆめゆめ気を付けたまえ。油断は禁物だ」


 気取った口調で苅藻は言い終えると、先程まで変化していた中年男性の姿に戻っていた。それじゃ。気安い口調を投げかけ、そのまま源吾郎たちから遠ざかっていく。彼の構築した結界は既に解除されていた。

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