伏兵現れ戦局傾く ※残酷描写あり

「雷園寺君だったっけ。まさか、対策をしているのが自分たちだけだと思ってたのかい? 残念だったなぁ。俺らだってその辺はしっかりやってたんだよ」


 啖呵を切るように威勢よく言い放ち、八頭怪と呼ばれた化鳥は高笑いした。首許を飾る首飾りが上下に小刻みに揺れるのが見える。特に雪羽から見て左端の一つの頭は、嘴まで揺らして動くのが見えた。


「とりあえずタツミさん。ちゃちゃっと殺ってぱぱっと仕上げちゃいましょ」

「ですが――」

「何? もしかして段取りとか日取りとかそんな糞つまらんことでも考えてるの? 駄目だよ、今の社会ビジネスはスピードって言われてるでしょ? 俺だってあのお方の御使いだけどね、でもだからこそ暇じゃあないんだよ。この坊やも捕まってる所だし、逃げた狸たちを追いかけてここでサクッと儀式を終わらせた方が良いと思うよ。結界の外には大天狗とか雷獣とか色々集まってるんだからさ」


 八頭怪は半ばまくしたてるように言い、蛇男は思案顔で首をかしげている。しびれを切らした八頭怪が片手をすっと上げ、蛇男の胸元を指し示す。その先からは玉虫色の光が灯り……蛇男の方へと流れて吸収していった。


「全くもう、職人気質なんですかねタツミさんは。星辰とか方角とか日取りとかそんなのを考えるのも大切な時もありますが……決める時は決めるってやらないと駄目な時もあると俺は思うけど。そして今が丁度その時でもあるんだ。

 ほら、俺の力も分けてあげたからさ。そこに転がっている弟君にもう一度仕込みをやれば? 知ってるよ。涼しい顔で堪えていたけれど、実は結構消耗してたって事もね」

「……お気遣い痛み入ります」


 蛇男は神妙な面持ちで八頭怪に一礼すると、傍らにいるカマイタチの方に向き直った。


「さぁあのまがい物を捕まえて引き立てるのです。八頭怪様のお言葉通り、結界はまだ生きています。あのメス狸の事ですから、よもや結界の外まで逃れる事は叶わないでしょう。

――雷獣の兄妹は生け捕りですが、メス狸の方の生死は問いません。ええ、になっても構いませんよ?」


 蛇男の有無を言わさぬ言葉に、怯え切っていたカマイタチは頷こうとしていた。雪羽はそれを見るや怒りが沸き上がり、半身を蠢かせながら唸り声をあげたのだ。


「てめぇっ、俺の力とか地位に心酔して長らく腰巾着のように付き従って来た癖に、そこの蛇野郎の言う事を聞いて弟妹達を捕まえるつもりか! この後こいつらが何をしようとするのか、お前だって知って――」


 面罵の最中に横っ腹に衝撃が走る。雪羽は一瞬息が詰まった。その次の瞬間には呼吸する事は出来たが、鋭い痛みと共に腹が痙攣して仕方がない。誰かに無防備な腹を蹴られたのだとその時思った。


「仔猫ちゃーん。誰が俺たちの会話に入ってい良いって言ったんだい? いやね、もっと痛い目に遭いたいんならそれでも構わないけれど」


 雪羽を蹴ったのは八頭怪だった。彼が一番雪羽に近い所に佇立していたし、何より今も雪羽の横腹を靴先で突きながら微笑んでいるのだから。内心のゲスぶりをむき出しにしたような、嗜虐的な笑みが、八頭怪の面には浮かんでいた。


「あ、タツミさん。もしかして気を悪くしちゃったかな。あれでしょ、この子ってタツミさんがずぅっと慕ってた雷獣の女あるじの息子だからさ……好きな女に生き写しの息子をいたぶるなんてとか思っちゃってる? かな?」

「そんな事は無いですよ、八頭怪殿――むしろ良い眺めだと思ってますよ」


――糞が。糞共が。雪羽は密かに毒づいた。もっとも、痛い目に遭うのは御免だったので、心の中で毒づくだけに留めているが。蛇男が正気をかなぐり捨てた輩である事はとうに解っていた。だがそれでも毒づかずにはいられなかった。

 そうしている間に、カマイタチの少年は姿を消していた。雪羽はその事に気付き、うろたえた。雪羽とあのカマイタチであれば、妖怪としての格も強さも雪羽の方に軍配が上がる。しかしそれは、あのカマイタチが取るに足らない弱い妖怪である事と同義ではない。

 普通の妖怪、年若い一般妖怪の中ではあのカマイタチはむしろ強い妖怪に当たる。オトモダチになる前、互いに血の気が多かったあの頃に雪羽の身体をバッサリと斬りつけたのは他ならぬ彼だ。何より雪羽が大暴れした後だというのに、戦闘不能にならずに今も動けるではないか。それもこれも、他の雑魚妖怪と違って雪羽の攻撃をやり過ごせたという事に他ならない。何せカマイタチなのだ。スピードも殺傷能力も普通の獣妖怪よりは一段上である。

 その彼に狙われているとなれば、普通の狸娘に過ぎない松子などひとたまりもない。

 即座に思考を巡らせた雪羽は、一声吠えると変化を解き始めた。雪羽の身体は銀色の毛皮で覆われ、みるみるうちに縮んでいく。人型よりもはるかに小さな、猫に似た本来の姿に雪羽は戻ろうとしていた。日頃は威厳が無いとか弱そうだと思って疎んでいた姿である。しかし、本来の姿に戻ったからと言って非力な存在になる訳ではないし、状況によっては人型よりも場合とてある。

 特に――人型の状態で行われた拘束から逃れようとする時などに。

 本来の姿に戻った雪羽は、蛇男も八頭怪にも目もくれず、そのまま飛び上がろうとした。確かに絡新婦が放った糸によって腕と足――前足と後足を絡め取られてはいた。しかし雪羽自身が本来の姿に縮む事により、その拘束が僅かに緩んだのだ。


「キュッ、ブギュゥ!」


 だが、雪羽が飛び上がれたのはほんの一瞬の事だった。何かに引っ張られるような感覚と共に地面にしたたかにその身を打ち付けられたのだ。地面に叩きつけられた衝撃に思わず呻いてしまう。元々あった拘束は緩まず、本来の姿である雪羽の手足を捉えている。のみならず、首許や尻尾の先にも拘束の糸が巻き付いていた。


「雷園寺家の御曹司だかなんだか知らないけれど、雷神のパシリなんかうちらには敵わない。トモミだってそう思うでしょ?」

「そうそう。なんてったってあたしらのご先祖様は雷神を返り討ちにして煮物にして食べちゃったんだもん。アケミ姉さんの言うとおりっしょ」


 雪羽の左右から若い女の声が降りかかってきた。おのれを拘束する糸の主、蛇男の言う所の絡新婦であろう事は雪羽にも解っていた。現に彼女らは、雪羽に絡みつく糸たちをおのれの手で握っていたのだから。

 アケミ、トモミとそれぞれ呼ばれていた絡新婦たちは成程美女の姿に擬態していた。男を籠絡し捕食するという性質を鑑みれば当然の事なのかもしれない。もっとも、絡新婦と呼ばれている割にはへその出たチャイナドレスというエキゾチックな出で立ちではあったのだが。その露出したへその先から、毛糸ほどの太さの糸が何本か出ているのが雪羽には見えた。

 畜生、この虫けら共が……雪羽は顔をあげ、怨みの籠った眼差しを向ける他なかった。もう暴れられなかった。雪羽の意図を察した絡新婦の姉妹が、これ見よがしに首や尻尾に巻き付けた糸を締め上げていたからだ。前足と後足に巻き付いた糸よりも頑丈な代物である事にはとうに気付いている。下手な動きを雪羽がすれば、より強い力で締め上げるつもりなのだろう。強く締め上げられたら糸が肉に食い込み……千切れる事とてあるだろう。尻尾がちぎれてもまだどうにかなる。しかし首を落とされれば雪羽とてどうにもならない。


「二人ともありがとう。やはり朱先生の縁者というだけあって、雷獣の扱いには慣れてますね……ですがその、少し拘束を緩めてやってくれませんか。このままだったら無駄に消耗してしまいます。八頭怪殿もお膳立てしてくれてますから、あんまり状態が悪くなるのも困るんですよ」

「でもタツミさぁん。結局の所激ヤバな術を使ってこの猫ちゃんは自分の言いなりにするんですよねぇ。だったら先に締めといた方が楽じゃないっすか? というかあたし、この子とあの弟妹で鍋パやりたいんすけど。姉妹丼ならぬ兄弟鍋って美味しそうじゃないっすか。ぶっちゃけ、タツミさんだって似たような事をするつもりみたいですし」

「トモミってば食べる事ばっかり考えてるし……気持ちは解るけどタツミさんのいう事も一理あると思うよ。向こうの弟の方は雷園寺家への嫌がらせとしてぶち殺しても構わないと思うけど、こっちの子は術の仕込みをしないといけないみたいだし、うちらが好き勝手にやってもマズいと思うよ。てか、向こうのお坊ちゃんと違ってこっちは不摂生三昧だったから多分美味しくないと思うよ。肉も内臓も劣化してるんじゃないかな?」


 蛇男と絡新婦たちのやり取りは何とも言えない物だった。だがそれでも、拘束が緩んだ事には変わりない。喉を締め上げていた糸が、尻尾に喰らい付いていた糸が緩くなったのは有難かった。未だに拘束されているけれど。


「ま、そんなわけで仕切り直しと行きましょう。お坊ちゃま。もうすぐまがい物が戻ってきます。その時はきちんと殺ってくださいね」

「ふざ……けるな……!」


 笑みを浮かべる蛇男に対し、雪羽はきっぱりと言い捨てた。


「この糞蛇野郎! てめぇの魂胆はもう俺には解ってるんだよ。俺らを……俺を使って傀儡にして、母さんの血を引く俺を自分のモノにしようって腹積もりだろう。その上で俺を蠱毒に仕立てようとしていて、それで俺に弟妹を殺させようとしやがって。蠱毒を作るのに共喰いが必要だとか、そんな糞下らん事をでっち上げたなこの野郎が」

「……どういう意味ですかね、お坊ちゃま」


 すっとぼけたように首をかしげる蛇男を見るや、雪羽の中で何かが爆発した。その爆発はまさしく雷鳴のごとき絶叫としてほとばしった。術で封じられているのか雷撃を放つ事は叶わなかったが……それでも絡新婦たちも八頭怪すらも雪羽の咆哮に度肝を抜かれたらしい。


「良いか糞ったれ共が。蠱毒なんてのはな、共喰いさせなくても十分に作れるんだよ! 初めから俺が狙いだったなら時雨たちを……弟妹達を巻き込むな! 怨霊だろうと蠱毒だろうと傀儡だろうとなってやるよ! それであいつらが助かるんだったらな。

 だが覚悟しとけよ。俺は雷園寺家次期当主だ。貴様らみたいな下郎が、この俺の主になれるかどうかよくよく考えて……ぐっ!」


 威勢よく啖呵を切った雪羽であったが、やはりその言葉は物理的に中断させられた。八頭怪が雪羽を黙らせにかかったのだ。猫のような姿に戻った雪羽に、抵抗もままならぬ雪羽を踏みつけてきたのだ。


「全くこの糞猫は……躾がなってない上にマトモに物事を考える脳味噌も育ってないみたいだなぁ。良いか、君の弟妹の生き死には君が決める事じゃない。そもそもテリトリーの中に上がり込んだに過ぎない君が、全ての決定権を持っていると思うなんてちょっと図に乗り過ぎなんじゃない?」


 なんだよ。八頭怪の足に力がこもる。背骨が軋み、肉や臓物にじわりと圧が掛かっていった。雪羽ははっきりと苦痛を感じていた。八頭怪に単に足蹴にされているだけなのに。紅藤の護符すらも問題にならない程の力でもって雪羽を攻撃しているという事なのだろう。


「痛いんだろう、苦しいんだろう? 俺がちょっと力を込めて踏んづけただけでこの様なんだからさ。しかもあのメス雉の護符も大して役に立ってないみたいだし……

 いいかい雷園寺雪羽君。お粗末な哺乳類脳しか持ってない君にも解るように言ってやるよ。君はもうタツミさんの意のままになるほかないし、君の弟妹達も死ぬ。まぁ、可愛い可愛い弟君たちは君が殺すかタツミさんたちが殺すかのどっちかみたいな違いはあるけどね。解ったら大人しく言う事を聞くんだね。そっちの方が楽になるんだよ、お互いにね。

 そもそも、八頭怪たるこの俺がバックについているという所で詰んでたんだよ。君も君の飼い主であるメス雉たちもね」


 そこまで言うと、八頭怪は一度足をどけてくれた。良心の呵責によるものでは無かろう。そんなものがあれば、初めから雪羽を足蹴にしないはずだし。

 雪羽は呼吸を整え、目をすがめた。呼吸を整えている間に、痛みが潮のように退いていく。雷獣の能力が、無意識のうちに痛覚を遮断しているのかもしれなかった。だがそんな事は雪羽には些事である。拘束され、八頭怪たちに囲まれた中でも、雪羽はただひたすらに現状を打開する方法を模索していたのだ。

 奇しくも雪羽の感覚は、電流探知能力に傾いていた。電流を読む能力は雷獣はいつでも使っている。しかしもしかすると、痛覚を遮断したがゆえに電流探知能力が一層鋭敏になったのかもしれない。

 雪羽はここで周囲の電流を探知し……静かに目を瞠った。八頭怪の電流を読み取った彼は、ある事に気付いたのだ。

 雪羽は裂けた口から舌を出し、獣そのものの笑い声を上げた。蛇男の、絡新婦たちや八頭怪の視線が雪羽に向けられる。発狂したとでも思っているのかもしれない。上等な事だと雪羽は思った。


「はーっはっはっはっ。ははは、何が八頭怪たるこの俺が、だよ。笑わせるぜがよぉ。良いか鳥頭。俺は前に八頭怪に会ってるんだ。電流探知で感じたあんたの電流は、本物の八頭怪のそれとは違うんだよ。

 あんたと八頭怪がどういう関係なのかは知らんけど、偽者の雑魚妖怪の癖に堂々と八頭怪を名乗ってドヤ顔をキメてるなんて、さぞや……」


 雪羽の言葉はまたも遮られた。鼻面に自称八頭怪の蹴りがめり込んだからだ。不意打ちだったから中々きつい。頭の中がシェイクされるような感覚が襲ってくる。容赦も何もない蹴りが、雪羽の腹や頭に向けられる。頭を蹴り上げられた時に、思わず吐血してしまった。口の中を切っただけに留まらず、牙も何本か折れていた。


「え……八頭怪殿は八頭怪殿じゃあなかったんですか……? しかし八頭怪殿は我々にお力添えすると仰っていたような」

「てかさ、猫ちゃんいじめるのに力を使ってたらマズくない? それこそ時短のためにって来てくれたのに」

「いやもううちらの話とか聞こえてないみたいだし」


 八頭怪ではない。蹴られる前に言った雪羽の言葉に、蛇男も絡新婦たちもうろたえていた。しかし一番うろたえているのは自称八頭怪であろう。彼は雪羽への攻撃を続けながらも憎々しげな言葉を放ち続けているのだから。


「これだから下等な哺乳類は嫌いなんだよ! 雷獣が何だって言うんだ糞が。哺乳類なら哺乳類らしく分をわきまえて地べたを這いずり回っておけばいいくせに……何が雷神の眷属だよ。いい気になりやがって。死ね、死ねよ糞哺乳類が」

「死ぬのはお前の方だよ、陰キャの夜鷹君!」


 聞きなれた声がする。だがまさかそんな事は無かろう。何せあの声は――雪羽がそんな事を思っていた。気付けば自称八頭怪の攻撃が止まっている。熱くてドロリとしたものがこちらに降りかかってきている。血を浴びていると気付いた雪羽だったが驚かなかった。自分自身も血みどろだと思っていたからだ。


「くそ、放せ猫又野郎! ぐっ、ぎぃ……」


 眼前で繰り広げられる光景に雪羽は呆然とするほかなかった。自分をいたぶっていた自称八頭怪の首許に、巨大な化け猫がかぶりついていたのだ。雪羽に降りかかって来ていたのは返り血だったのだ。

 先程までの余裕はどこへやら、白い三尾の化け猫に襲撃され、自称八頭怪はなすがままだった。化け猫は猫が小鳥を仕留めるかのような動きでもって獲物を徐々に弱らせている。獲物の悲鳴も流れる血の量も次第に少なくなっている。

 あれはシロウさんなのだ。猛虎のごとき勢いと形相を見せる化け猫を前に、雪羽はそう思うのがやっとだった。萩尾丸の居候である猫又が何故ここにいるのか……そのような疑問が雪羽の脳裏に去来してはいた。

 だがそのような事はやはり些事だった。次の瞬間に、雪羽の周囲に雷撃がほとばしり、一拍遅れて獣妖怪が舞い降りてきたのだから。雷撃は正確に蛇男と絡新婦たちを狙い撃ち、昏倒させていた。

 雪羽の許に舞い降りてきた獣妖怪は二匹だった。一匹はグズリのような姿をしており、もう一匹は青い毛皮の小さなユキヒョウのような姿をしていた。彼らの姿を見て雪羽は安堵した。やって来たのが叔父の三國と春嵐だからだ。

 春嵐は何故か右往左往して雪羽に近付かなかったが、三國はまっすぐ雪羽の許にやって来てくれた。


「よく頑張ったな雪羽。大丈夫だ、忌々しい結界は破れた。萩尾丸さんたちも他の妖怪たちも一斉に押し寄せてきている。安心しろ、時雨君たちもすぐに保護されるだろう」


 そう言って三國は不器用な様子で雪羽に鼻面を寄せてきた。妖怪たちの喧騒とピリピリとした妖気が雪羽にも伝わって来る。そこまで考えた所で雪羽の意識は途絶えた。猫又のシロウが何かを吐き出した。それは首の千切れかけた小鳥に過ぎなかった。

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